第1話「同居生活の始まり」

 目を覚ましたのはインターホンの音だった。


 ヤバイ、ヤバイ!仕事の関係上休みが少なく時間がほとんど無いせいで迎える準備が終わっていない。部屋造りすら終えていない。

 

 ベッドやタンス、クローゼットなどの家具の設置が何とか終わっているだけで、テレビとかパソコン、空調設備などの電化製品は量販店で買ってダンボールに入ったまま積まれている。

 

 とにかく出なければいけない。


 俺はどうしようとアワアワしながらも扉を開けた。

 

「あ、あの……え、と」

 

 かばん一つでマンションの部屋の玄関に立つ恭子が言葉に詰まるのは仕方の無い事だろう。

 

 なぜなら、本来駅まで迎えに来るはずだった相手が今起きました状態で対面しているからだ。

 

 ちなみにあのプレハブ訪問の後にしばらく恭子と話したり、その後も頻繁に電話するなどした成果なのだろうか、僅かながらも何とか少しは和らいだ表情を見せるようになってくれたようだ。

 

「ゴメン、今起きました。チャイムの音で目が覚めました」

 

 九十度のお辞儀で謝罪した俺だったが、反省よりもよくここまで一人で来れたなぁという恭子への感心があった。

 

「住所は聞いていましたから。その、大丈夫です」

 

 幾度か電話でも感じたのだが、今の恭子は妙に遠慮しがちだ。

 

 師匠たちと共にいた頃はそれ程でもなかったのだが、叔母の家で過ごした半年で何かを望む事をやめてしまったのだろうか。

 

「まあ、立ち話もなんだ。俺は着替えと顔を洗ってくるから、くつろいでいてくれ」

 

「あ、はい。……お邪魔します」

 

「次からは、ただいまって言おうな」

 

 俺は昔の元気な恭子に戻したい。

 

 その為には何だってやる。

 

 以前から親しい付き合いがあったとはいえ、女子高生が独身男と生活を共にするんだから恭子には不安もあるだろうさ。そりゃもちろん俺だって不安だ。何しろ俺には人を養うにあたり致命的な弱点があった。

 

 まず、飯が作れない。

 

 いつかはバレるだろうが、惣菜や弁当で誤魔化して飯問題は極力先延ばしするつもりだ。


 後は学校関係とか。


 結果的に言うとそれはなんとかなった。


 俺の会社の部下が近くにある私立高校の理事長の知り合いだったおかげで編入ができた。大声では言えないが実を言うと、コネで白紙であっても編入試験はクリア出来る段取りだったのだが、恭子は合格点をはるかに上回る点数を叩き出し、お礼を言いに行った時は逆に感謝されてしまったくらいだ。


 他にも多々問題があるだろうけど、正直そんなことそれがどうしたってやつだ。恭子が半年間も過ごした、あの地獄に比べれば些細な事だろうよ。 

 

 とにかく恭子が遠慮できないように巻き込んで、いつかあの頃みたいに笑えるように俺が馬鹿をする。


 あの日からそう決めていた。

 



 とりあえず移動で疲れたであろう恭子をリビングで一服させる。本当は自分の部屋で休ませてやりたいところなのだがそうもいかない。


 本日中にやっておかなくてはいけないことが山ほどあるのだ。


 更に言うと部屋も片付いてないしな。

 

「いきなりで悪いんだけど、休みがとれなくて時間が無いから今日はハードスケジュールになるけどいい?」

 

 休みの都合で俺たちは今日中に生活に関する全ての準備をしなければならなかった。 

 

「あの、私一人でなんとかできますから、無理しないでください」


 それがイカン。

 

 遠慮。

 

 俺はそう何度も使う事が出来ない言葉を準備している。本当は使いたくないけど最初が肝心なので言う事にした。


「全然、無理なんかしてないよ。恭子の面倒をみるのが俺の役目。ほっとくなんて師匠に顔向けできねえよ」


 本当は理由付けなんて必要ない。でも、それでも師匠から受けた恩に報いる事にしておくのが遠慮をさせない為の口実。

 

 しかしその言葉は恭子に両親の事を思い出させてしまったかと不安がよぎる。俺の入れたココアを飲む恭子の顔からはわからない。


 ただ、返ってきた言葉が期待していたのと違った。


「すみません、よろしくお願いします」


 ありがとうって言って欲しかった。




 差し当たりすぐに必要なのが通学用の自転車、そしていつでも連絡が取れるようにする為にスマホの契約。それに学校制服の引き取りとカバンや靴、後は日用雑貨、そんなところだろう。


 とりあえずゲンちゃんという愛称で親しまれている(今のところ俺だけ)愛車のワンボックスに乗り込み必要なもの全てが揃う大型ショッピングセンターに向かった。


 到着した時に朝飯を食ってない事を思い出したので、まずは大手キャリアのテナントでスマホのパンフをかっさらいフードコートでモーニングを食べながら機種選びをすることにした。


「どれがいい?やっぱメモリとストレージは大きめでないとな」


「あの、なんでも良いです。安いもので。それに別に、無くても平気で――」


「やっぱ、前使ってたのと同じメーカーにするか!別のだと勝手が違って使い辛いだろうし!」


 俺は被せて言ってみるが、以前使っていたやつは叔母により解約され半年間はスマホなしで過ごしていたからか、欲しがる様子をみせてくれない。俺が一人であーだ、こーだ言ってるうちに二人とも食べ終わってしまった。

 

 ならば、ここは専門家に任せよう。ショップに戻るとすぐさま店員の姉ちゃん(可愛い)に耳打ちし、機種選びの協力を要請した。やはりこういうところで働く人は慣れているからか言葉巧みに興味を持たせ恭子の合う機種を選んでくれた。

 

 制服などの通学用必需品はある程度決まっているので無難に揃えることが出来た。自転車は通学用のスタンダードでシンプルなものを俺がチョイスした。何れ恭子が街乗りに自分の趣味に合った自転車を欲しがるような素振りをみせたら改めて別に買ってやるつもりだ。それぐらいの甲斐性は俺にだってある。

 

 あー、後は日用雑貨か。


 コップや歯ブラシぐらいはいいけど、色々男の俺には見せたくないものとかあるだろうなぁ。そう思った俺は財布の中から諭吉を三枚取り出して恭子に手渡した。


「俺、ちょっと一時間くらいいい?仕事関係で見たいものあってさ。その間に恭子はこのお金で他の生活に必要なもの買ってきな。お釣りとかいらないから、終わったらさっき買ったスマホで連絡頂戴な」

 

「こ、こんなにいらないです。私そんな、大丈夫ですから」

 

 何が大丈夫なのかはわからないが、恭子が必死に返そうとするも俺は受け取らない。

 

「いいんだ。今年は……ほら、お年玉を渡せなかったから。その分だ」

 

「すいません、無駄遣いはしません」

 

 全部使っちまえ。そう一言返して俺たちは別れた。


 仕事関係でとか言ってしまったけど、特にする事が無かった俺はぶらぶらし、本屋のテナントを見つけるとそこに入って育児コーナーへ立ち止まる。

 

「女子高生の育て方とかないよなぁ」

 

 あるはずがない。


 そんなこんな馬鹿な事を呟きながら時間を潰した。実際、恭子から電話が来たのは2時間後だったのでパチンコでもしてりゃよかったなと少し後悔するも、彼女の持つ紙袋をみると色々と買ったようなので安心できた。

 



 その後少し遅めの昼食をとり、帰りにはドライブがてら恭子の通う学校や街の案内などをする。

 

 日が暮れる頃にマンションへ戻った俺たちは買ったものを運んだ。


 そして肝心なこと。


 俺は家に入る時大きな声でただいま!と叫ぶ。


「……た、ただいま」

 

 嬉しかった。

 

 朝言ったことを覚えていてくれたんだ。とても小さな声だったけれど、俺にはちゃんと聞こえたよ。

 

 荷物運びを終えた後は、風呂の用意をしなくちゃなと思ったが帰りに近所の惣菜屋で買った弁当が冷めてしまうから先に晩飯にする事としよう。


 それに先延ばしにしている俺の弱点もどこかのタイミングで暴露しなくてはいけないだろうし。

 

「えーと、改めてこれからよろしくな」

 

 食べ終えて、一息ついたころ改めて恭子に挨拶する。


 そして俺が飯を作れないという事実をどう表現して如何にして告げようか迷っていたら、恭子は急に真剣に面持ちになって俺に向かい合った。

 

「おじさん!私をここに置いて下さい!アルバイトもたくさんします!なるべくご迷惑にならないようにしますから!」

 

 不意打ちだった。

 

「え、あ、えっ?」

 

 何を今更、そう思ったが恭子のその意を決した顔を見ると、なんとなく理解できた。

 

 恐らくずっと、きちんと言わなくてはいけないと思っていたのだろう。


 そして、もうあの家には帰りたくないという気持ちから発せられた言葉なのだろう。


 ならば、俺も彼女にちゃんと言わなくてはいけない、いつまでも誤魔化しきれる事ではないだろうし。

 

 俺は軽く息を吸い込む。事実を伝える為に。

 

「スマン、恭子!俺、実は飯が作れないんだ!」

 

 言った、言ってやった。料理が出来ない独身の俺が簡単に未成年の子供を引き取るなんて言ってしまってからずっと悩んでいた事。

 

「一生懸命、練習して料理を覚えるから!食べられるものが作れるようになるまで、外食とか、惣菜、弁当で我慢してくれ、して下さい!」

 

 彼女の反応を見るために恐る恐る顔を上げると、何というか、ぽかーんとしていた。

 

「えっと、あの、料理ぐらいなら私出来ます。……あの、家事とかも得意ですし」

 

 あ、あー。そういや恭子は師匠の奥さん仕込みでかなりの家事スキル持ちだったなぁ。


 俺の悩みはすぐに解消された。


 こんな事なら料理特訓休暇の申請で会社の人事部と取っ組み合いの喧嘩なんかするんじゃなかった。結局、休み取れなかったけど。

 

「じゃあ、よろしく頼む。家事のバイトたくさんして貰おうかな、ちゃんとバイト代を出すよ」

 

 家事だって立派な仕事だと、世の主婦様方も仰ってるしな。

 

「あの、それは……アルバイトとは別にでもちゃんとやれますから」

 

 バイトなんて保護者の俺が許可を出さねえよ。

 

「まー、まー、とりあえず湯沸かし器の使い方から教えよう」

 

 きっと、なんとかやっていける。

 

「あ、はい!お風呂場の使い方教えてください」

 



 あなたの娘がちゃんと社会にでるまで俺が見守ります。


 いいですよね、師匠。



 

 何とか二人の生活のスタートを切れたと安心しきった俺だが、恭子の部屋に未だ詰まれた電化製品のダンボールが視界に入り、orzってなった。

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