私は牛女?
マフラーは、クリスマス前日の二十四日の夕方にようやく完成した。
「う、うう……。肩が痛い。目が疲れた……」
柊子は両腕を上げてウーンと伸びをすると、ゴロリと畳に横になった。両親と二人の兄はベッドがある洋室で寝ているが、寝相の悪い柊子は和室で布団を敷いて寝ている。
「柊子お嬢様、お部屋に入ってよろしいでしょうか」
柊子が行儀悪く寝転んでいると、奉公人の小梅の声が硝子戸ごしに聞こえ、柊子は慌てて居住まいを正して「どうぞ」と言った。
「旦那様と奥様がお呼びですので、居間にお越しください」
部屋に入って来た小梅がそう告げると、柊子は「何かしら?」と首を傾げながら居間に向かった。
洋式の居間では、ソファーに座った父と母がニコニコと笑っていて、テーブルにはピンクの可愛らしいドレスが置かれていた。
「父さんと母さんからのクリスマス・プレゼントだ。明日のパーティーはこれを着て行きなさい」
父が猫撫で声でそう言い、柊子にドレスを手渡した。
父は、小柄で容姿が幼い娘のことをまだ甘えん坊の子供だと思っている節がある。粗野で勉学を怠けている息子たちには厳しく、大人しくて学校でも勉強をがんばっている愛娘のことを少々露骨に
「ありがとうございます、お父様。お母様」
素直に嬉しいと思った柊子は両親に礼を言い、母に「早速、試しに着てみなさい」と言われると頷いて自室に小走りで戻った。
柊子は外務省職員の娘だから異国人と会う機会が年に何度もあり、洋服も何着か持っている。しかし、背丈はあまり伸びないわりに胸だけは同級生の友人たちよりも成長が早い柊子は新しい服をもらってもすぐに胸が苦しくなって着られなくなってしまうのだ。だから、クリスマス・パーティーのための新しい服を母が仕立ててくれたことにとても感謝していた。
…………と思っていたのだが。
「……あらぁ。ちゃんと柊子の寸法に合わせて作ったのに、胸のあたりがぴっちりとしていて苦しそうね」
ドレスに着替えて居間に戻って来た柊子の姿を見て、母がそう言った。
どうやら、また成長してしまったらしい。
柊子は豊かな乳房が強調されてしまっている自分の胸元を見下ろし、恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤にさせた。
余談だが、二十一世紀の少女たちなら胸の小ささに悩む人が多いだろうが、この時代の少女たちは胸の大きな子が他人の視線を気にして悩んでいたのである。
柊子は、着物を着ている時は木綿の
(どうしよう……。せっかくお母様が仕立ててくれたお洋服だから着ていきたいし……。でも、柚兄様に「年増の女みたいに胸が大きくてみっともない」とか思われたら嫌だわ……)
そう考えて柊子が悩んでいると、たまたま居間に入って来た兄二人にドレス姿を目撃されてしまった。
「柊子。何だ、その牛みたいに大きな胸は。俺はもっと小ぶりなほうがいいなぁ。柚希だってきっとそう思うぜ」
「兄さん、そう言ってやるなよ。柊子が牛女なのは前からじゃないか。あははは」
案の定、意地悪で思いやりの無い兄たちは、柊子をそう言ってからかい、ゲラゲラと大笑いした。
柊子は泣き出したいほど惨めな気持ちになり、ギュッと唇を噛む。
品の悪い息子たちに苛立った父は、
「馬鹿者! 妹をいじめている暇があったら、少しは勉強しろ!」
と怒鳴り、二人を部屋から追い出した。そして、「異国の女性ではお前みたいに胸の豊かな人はたくさんいる。健康的でいいじゃないか」と柊子を慌てて慰めた。
しかし、父の慰めの言葉など、柊子の耳には入っていなかった。
(これは一大事だわ……。柚兄様に牛女だと思われたくない!)
夕食後、柊子は自室に引き籠り、少女雑誌の「美容相談」という記事を読み漁り、大きな胸を誤魔化す方法が記されている記事は無いか血眼になって探した。
試験勉強やマフラー作りで目が疲れていて体もヘトヘトで、今夜はゆっくり布団に入って眠りたかったが、決戦を前夜に控えて呑気に寝てなどいられない。
「肥満の人の相談、肌荒れがひどい人の相談、毛深い人の相談、足が太い人の相談……。違う。どれも違うわ! 何月号か忘れたけれど、胸の大きな人の相談が載っていたような気がするのに……。こんなことなら、記事を切り抜いておけばよかったぁ~!」
半ば泣きべそをかきながら柊子はページをめくり、必死に記事を探した。そして、十五冊ほど調べてようやくその記事を発見したのである。
「あった……! ふむふむ、なるほど……」
問:どうかお助け下さいませ。私は胸が大きくて困っております。
胸を小さくする方法はございませんでしょうか。
答:胸を小さくする方法などはございません。
乳房バンドで胸の形を整えるといいでしょう。
ですが、胸の大きさを気にするあまりきつく締めつけるのは健康上
よろしくありません。
そもそも乳房の大きいことは悪いことではなく、あなたの発育が
よろしい証ですので何も恥じることはございませんよ。
女性の健康的な美しさをもっと誇るべきでしょう。
記事にはそう書かれていた。
乳房バンドとは、現代でいうブラジャーである。この当時の日本では乳房バンドをつけているのは太っている人だというイメージがあり、その形もカップの膨らみがあまり無い「バンド」のようなものだった。胸は小さいほうがスマートでいいという風潮があったからである。
慌てていた柊子は「乳房バンドで胸の形を整えるといいでしょう」の部分まで読むと雑誌を閉じ、
「明日、朝いちで買い物に行かなきゃ!」
と、鼻息荒く宣言するのだった。
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