私の躊躇と娘と卵

当時、食育という言葉が流行っていたから、だろうか。自分の行動が正しかったのか、答えは出ていない。そもそも、模範解答の無い問題かもしれないが。


今日もリズミカルな音を発生させながら、台所に立ち料理をしている。一人暮らしの頃と比べると随分上達したものだ。昔はしょっちゅう食材や調理器具を焦がしたり、過剰な味付けをしたり、かと思えば薄すぎたり、買い物も下調べせずに行き当たりばったりとか度々だった。プロの料理人では無いが、今は幼い娘においしいと言ってもらえるのだから喜ばしい事だ。

今日も娘が好きな卵料理を作ろう。卵が入ったプラスチック製のパックから、白い鶏卵を一つ手に取る。パックに入っていた紙には、賞味期限と有精卵の文字。有精卵。そうだ。この卵は、有精卵だった。ご近所のママ友に、あそこの有精卵はいいのよ〜、って勧められて試しに買った卵。

小さな命が宿った卵。同じパックに入っていた卵(もちろん有精卵)は、既にいくつか食べてしまった。なにを今更。昨晩だって、アサリのお味噌汁を作ったくせに。内心自嘲するが、手に取った卵をなかなか割ることができなかった。

いつの間にか後ろにいた娘に声をかけられた。不安そうに私を見上げている。私、よっぽど眉間に皺を寄せて悩んでいたのね。幼い娘を心配させてしまったようだ。

有精卵の意味を尋ねられ、「あたためると、ヒヨコが生まれる卵よ」と咄嗟に説明したのがマズかった。「ひよこ、かいたい!」娘の申し出は、よくよく考えれば当然だった。以前、猫を飼いたいと言ったぐらいには動物が好きな子なのだ。ヒヨコが生まれる卵が目の前にあれば、それは飼いたいと言うだろう。有精卵の説明として、嘘はついていないが失敗はした。

ヒヨコを飼いたい、と言う娘の意見をその場で却下することはできなかった。私だって、さっき、有精卵を割ることをためらった。娘と私とでは方向性が違うけれど、この卵を料理にすることから遠ざかろうとはしている。

果たして最期まで飼うことができるだろうか。鶏にとって良い環境を準備できるだろうか。

直ぐに答えを出せなかった私に、娘は落ち込んで半ばあきらめたみたいで。一旦、答えを保留にさせてもらった。

とりあえず、目の前の食材を調理して、食事にしなければ。ただし、今日は卵料理は無しだ。食事を済ませたら、急いで鶏の飼い方を調べよう。夫にも相談しなければ。

あの卵が有精卵とは言え、ヒヨコになれるかどうかのタイムリミットはあるはずだ。


数年後。娘がコッコと名付けた鶏から今日も卵が生まれる。

コッコの小屋から卵を持ってきた娘は、最近色々と思い悩むところがあるようだ。

「お母さん、コッコから卵もらってきたよ」

「ありがとう。今日は、目玉焼きでいい?」

「うん」

「後でコッコにも卵ありがとうって、お礼言っておかなきゃね」

あの日と同じように、台所に立つ。娘から受け取った卵を、これは無精卵だから、と自分に言い聞かせて、殻を割った。

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