食卓には今日も卵料理が並ぶ。
うたた寝シキカ
鶏卵と母と私
卵を手に、母がどうして悩んでいたのか。私が理由に気が付いたのは、最近になってからだった。
とんとんとん。ぐつぐつ。じゃー。
台所の方から今日も平和な音が聞こえる。お母さんが、ごはんを作ってくれている。しばらくしたら、おいしいごはんが出来上がる。きっとテーブルには、私が好きな卵料理も並ぶんだろう。
ごはん、まだかな。待ち遠しくて見に行ってみた。台所に立つお母さんが、お水も出しっぱなしで手を止めている。あれ?どうしたんだろう。お母さん、いつもテキパキとお料理しているのに。
お母さんは、卵を持っていた。手の中の卵を見つめて、ヘンな顔をしている。悲しそうな顔、と一瞬思ったけれど、悲しいだけではない気がした。難しそうな顔。
「どうしたの?」
声をかけると、お母さんは少し驚いたみたい。私が台所に来たことに、今気が付いたようだった。
「これ卵なの。鶏の卵。しかも、有精卵」
卵を差し出されて説明された。でも、最後の単語がよく分からない。これが卵だってことは、分かるけれど。
「ゆーせーらん?」
「そう。食べるつもりで買ってきたのに、迷っちゃったのよ」
どんな卵料理を作るか、迷ったんだろう。
お母さんは笑っていた。でも、ちっとも嬉しそうな感じではない。
「ゆーせーらんって、なぁに?」
「あぁ、えっと……。あたためると、ヒヨコが生まれる卵よ」
「ひよこ?」
ひよこって、黄色くてふわふわしてて可愛い、あのひよこ?この卵をあっためれば、ひよこが生まれる?
「ひよこ、かいたい!この卵あっためる!」
「えぇ!?ちょっと、それは……。あ、でも、うーん」
お母さんはその後、しばらく一人で色々呟いていた。
ひよこ、かいたいなあ。お母さん、ダメっていうかな。前に猫をかいたいって言った時も、あなたにはまだ早いしお母さん達も協力できないから、今は我慢して、って言われたし。
やっぱり、ダメなんだろうなあ。あきらめて落ち込んでいる私に、お母さんは言葉を探しながらこう答えてくれた。
「少し、調べごとをしてから決めてもいい?お父さんにも相談したいし。お母さんも、ヒヨコを飼いたいと思ったことはあるから」
数年後。
私と母の気まぐれがきっかけで有精卵から生まれたヒナに、私はコッコと名付けた。
「コッコ、ごはんだよー」
鶏用の配合飼料を器に入れて、庭の片隅のコッコの小屋へ。
あの日、母が卵を手に迷っていたのは、卵料理の種類ではなかった。いつもの無精卵だったら、母は迷わずに卵を割っただろう。でも、あの日の卵は有精卵。
購入した時には、食べるつもりで買ったのに。いざ割ろうとしたら、小さな命を奪う事に罪悪感を感じたのだ。母は、その事を自分からは言わなかった。最近になって、私がその事実に気が付き尋ねると、頷いて肯定したのだ。
「あなたも大人になったのね」と感慨深く言われたが、嬉しいやら悲しいやら。複雑な気持ちだった。昔は早く大人になりたい、と強く願っていたのに。
コッコは今日も卵を産んだ。小屋の寝床には、白い殻の卵がひとつ。小屋の戸を開けるとコッコが出てきて、私の足の甲をつつく。スニーカー越しだから、痛くはないけれど。早くごはんを食べたい、とコッコは要求しているのだろうか。
配合飼料を盛った皿と水を入れた皿を、小屋の外へ並べる。コッコが食べ始めるのを見届けると、小屋の中へ手を伸ばす。卵を手に取った。
「今日の卵は綺麗な殻だね。この前、畜産の授業でいい卵の見分け方を習ったんだ。」
コッコの卵は、表面のザラつきも少なく良質な卵と言えそうだ。コッコを飼ったことがきっかけで、進学先は畜産を学べる高校を選んだ。学べば学ぶほど、自分の身勝手さと、母の葛藤と、コッコの存在を、考えずにはいられなかった。知識を得れば得るほど、家畜とペットの線引きが曖昧になった。家畜だろうがペットだろうが、コッコはコッコなのだけれど。
「私は、コッコがいてくれて良かったけれど、コッコはどう思う?」
目の前の鶏から、答えは返ってこない。
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