第4話 記憶

 母を急かせ、押し入れから取り出した、1冊の古ぼけたアルバム。

緊張して震える手で数ページ開くと、記憶の奥にかすかに残っていた映像と重なる、一枚の写真が出てきた。

まだ幼い私と両親に、手前で1匹だけでチョコンとお座りをしている白い仔犬。

黒いつぶらな瞳に、ピンと立った二つの耳。クルリと巻いた尻尾。 

毛並みはだいぶ違うが、このころと数年前とでは、それも違っていても当然だ。

山の中に何年もいたのなら、毛並みも色も変わっているだろう。

そして、この写真のシロと、私が遠足で出会ったシロとが同一である何よりの証拠に、

「い、一緒だ………………。間違いない」

あの日の思い出にと、ずっと大切にしまってあったボロボロの首輪。

その首輪と、写真のシロがしている真新しい首輪とは、まったく同じ製品だった。

私は急いで、東京に単身赴任している父へと電話をした。

幼いころに飼っていたシロを、どこに捨てたのか、それを確認しなければならない。

『おう、正勝か? よかったな、進学おめでとう。それで、入学祝いは何にするんだ? あんまり高価なのはダメだぞ。』

「違うよ父さん。そんな事はどうでもいいんだ。それよりも昔飼ってた犬、覚えてる? 白い仔犬だよ、白い仔犬っ! あの仔犬を、どこに捨てたのっ?」

『んあっ? 何だって……………………? あ、ああ、そう言えば、そんな事もあったかな? うん、ああそうだそうだ。確かに昔、仔犬を飼ってたな。おまえが全然面倒みないから、仕方なく捨てに……………』

「思い出話はいいからっ!! いったいどこに捨てたのか教えてっ?」

興奮気味の私の声に、電話の向こうの父の困惑ぶりは、受話器越しにもよく分かった。ワケが分からず、思い起こすように父が語ったその場所は、

『ええ~と、確か雨森自然公園脇の県道だったな。みんなは雨森峠と呼んでいたが。』

シロと出会った森の、すぐ近くの山道だ。

昔は知らないが、今は自然公園以外は何もない、誰もいない寂しい場所だ。

あんな場所に、仔犬のシロを捨てたのか?

『命令だけはよく聞いたからな、アイツは。車から降ろして「待て」をしたら、ずっとお座りで動かなかったんだ。置いてくのも可愛そうだったけど、飼い主に愛されないより、どこかの誰かに拾ってもらった方が幸せだろうからな。県道沿いの村には民家もけっこうあったし、近所の人の散歩コースだったから、きっと今ごろは、どこかの誰かに大事に飼われているハズさ。』

電話の向こうで父は、快活に笑って言った。

だが、違うのだ。

シロは誰にも拾われなかった。

誰にも拾われず、誰かに頼ることもなく、家族の誰かが迎えに来るのを、『待て』の指示を守りぬいて、いつ来るとも知れない飼い主を何年も何年も信じて、じっと待っていた。

仔犬のときの小さな首輪が、成長する自分の首を、年々締めつけていくにも関わらずに。

だからあのとき、偶然にも私が遠足で森に迷い込んだのを知り、シロは自分を迎えに来てくれたものと思ったに違いない。

よほど嬉しかったのだろう、満足に面倒もみなかった私にさえ、あれほどまでにじゃれついてきた。

そのことにも私は、気付かなかったのだ。

「な、何ていうことだ」

私は自分の愚かさに震えた。

震えが止まらなかった。

「バカ………野郎……………」

受話器を握りしめたまま、私はその場でくずおれた。

そして、誰にともなく毒づいた。

誰が『バカ野郎』なのか?

自分か、それとも素直に命令を守り抜いたシロか?

自分で言ったのに、誰に対して言ったのか分からない。

だが、バカ野郎は確かにいる。

でなければ、このような悲しいことがあるわけがない。

電話の向こうの、『誰がバカだって?』という父の声は、私の耳には届かなかった。

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