第9話 満足感~satisfaction~

―待ち合わせ先の喫茶店にて


「お待たせしてすみません…」


店員の「いらっしゃいませ、何名様ですかの?」やり取りを無視しながら息を切らせ、先輩の座っている席に向かう。昔ながらの喫茶店で、ソファがフカフカタイプの席ときた。意外にも結構好きだったりする、腰掛けるとお尻にフィットするこの座り心地が。


「おう、遅すぎ」


…いやいや、財布を忘れて無銭飲食しそうになった人間が何を言うか。謝るとか、悪びれた様子をみせるとか、そんなことすらしてくれない。なんて先輩だ…走って、急いで来たのに「遅すぎ」って。


「これでも走って来たんですよ?」


「汗だくだな、まあ…お疲れちゃん。これで汗でも拭け」


「ありがとうございます」


先輩のポケットからハンカチが取り出され、手渡される。念の為に匂いを嗅ぐと、柔軟剤のいい香りがした。


「…何匂いを嗅いでるんだ?これでも趣味は洗濯とアイロンがけなんだぞ」


なんとまあ、意外な趣味。だから、服にはシワひとつないくらい綺麗なんだ。


「よかった、先輩のゲロとか汗とかの色々な匂いがしなくて」


「さすがに誰かに貸すやつは、キレイなのを渡すぞ。さすが俺様、優しい先輩だろ?」


「あー…はいはい、優しい先輩ですね」


あくまで棒読み。微塵もそんなこと思ってないし、スルーしてしまいたいくらい。


「すみません」


「はい」


「アイスコーヒー1つください…それと、この季節のタルトってやつも一緒にセットで」


とにかく甘い物と冷たいコーヒーの相性抜群コンビを一刻も早く味わいたかった。気分を落ち着かせて、進捗状況を伝えたかったからだ。


「かしこまりました、少々お待ち下さい」


足早に店員が立ち去ると、先輩があからさまに不機嫌な顔をしていた。


「俺もそれ、食べたかった…」


「いやいや…さっきまで何か食べてたでしょ?」


「サンドイッチとかだよね…少なくともケーキではない」


「オーダー追加しますか?別に僕のお金じゃなくて、あくまで先輩の分を立て替えるだけですからね。だから、追加しようが何しようが先輩の勝手ですよ」


だって先輩の勝手なのは事実だし。先輩の方が確実に給料だって上なんだから。


「やだ」


「は?」


何言ってるんだ、この大人は。駄々っ子みたいに「やだ」と即答するんだから。


「だから、やだって」


「先輩、何で拒否るんですか?」


「腹一杯だから、絶対全部食べ切れない、だから一口寄越せ」


「何この女子みたいな会話」


「やですよ、僕だって食べたいんです。お腹空いてますし、疲れてるし。甘い物に癒されたいんです、わかります?」


「わかるけど、わかるけど…」


「いいから、一口寄越せ。それで解決するんだって、この問題は」


「何このジャイアニズム…」


「俺のものは俺のもの、お前のものはお前のもの」


「うわあ…やっぱり尊敬できないわ…わかりました、一口だけですよ」


大の大人の男二人が、たかがタルト一口のことで言い争ってるなんて、傍から見たら滑稽な光景だろう。周りはチラチラとこっちを見ているし、向こうの女子高生達は俺達のやり取りを生温い眼差しで、微笑みをたたえながら眺めてるし…同性カップルの痴話ゲンカに見えてるんだろうな…


「すみません、お待たせ致しました。アイスコーヒーと季節のタルトのセットです。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」


「はい」


店員は優しく微笑みながら、テンプレートのセリフを口にし、素早くテーブルにコーヒーを置き、皿にのったタルト・フォークをセッティングする。


「では、ごゆっくり」


足早に立ち去ると、別のテーブルのオーダーを取りに向かう。スカートから伸びるスラッとした脚が綺麗な子だな…と見とれていた。


「いただっきまーす♪」


「え?」


次の瞬間、目の前のタルトが一瞬でブラックホールに吸い込まれていく…皿の上には、タルト生地の細かな屑が申し訳ない程度に残っているだけ…本当にあっけなさすぎて、訳が分からなくて、状況が飲み込めなかった。目の前の人間の口いっぱいに頬張られるタルト…楽しみにしてたタルト…一口だけ、と言ったはずだぞ俺は。


「あーうまい…」


幸せそうな顔をしながら、口をモグモグとさせる。さっきまでタルトだったものが噛み砕かれ飲み込まれていく様を、ただ呆然と見つめることしかできない。何とも言えない気持ち。怒りを通り越して、笑いに擦り変わってしまう。


「…タルトが…しかも、一口で…すごく楽しみにしてたのに…」


「ふう…ごちそうさま。一口ありがとな…えっ?」


悪びれる様子を見せず、礼儀正しくごちそうさまと言う。その点は別に問題ない。…てか、全部食べてるじゃん。さっきの「絶対食べ切れない」というセリフは嘘だったのか。…段々腹が立ってきた。


「あれが…一口ですか?」


静かに、淡々と口をついて出た一声。我ながら冷たい、凍てついた声色だと感じた。


「一口じゃないのか?」


…ったく、先輩ときたら…


「あれは、一切れっていうんです。…学校で習いましたよね?算数の授業で、分数の話をする時にケーキとかタルトの話…出て来ましたよね?」


あからさまに不機嫌な顔をし、理詰めで話をする俺の顔を見て、驚く先輩。まだまだこれだけじゃ脅かし足りない。大事なタルトの恨みだ、あと日頃の鬱憤も晴らさせてもらおう、この際だから。


「で、出て来たな…た、確かに…まあ…俺の時はカステラだったかなー…なんてな…」


「先輩、もっかい小学校からやり直しますか?僕の下の双子の兄妹が来年から小学校なんです…一緒にやり直しますか?」


「と、鳥井…たかがケーキごときで…」


「ケーキじゃなくて、タルトです、別に食べたことに怒ってる訳じゃないんです…食べたものは仕方ないので…それこそ不毛な言い争いなんで…」


「悪かったな…あの、す、すみません」


「はい」


「アイスコーヒーと季節のタルトのセット、追加で」


「申し訳ございません…先程のが最後のタルトでして…」


「追加で焼くとかはないの?」


「それはしてませんね…申し訳ないです…」


「なあ、鳥井…確か、パンケーキ好きだったよな?パンケーキはどうだ?」


狼狽しながら尋ねる先輩の姿を見るのが楽しい、これ以上いじめるのは可哀想だという良心はあまり痛まず。


「…いらないです」


冷淡に、拗ねた子どものように投げやりに答える。


「じゃ、じゃあ…フルーツてんこ盛りの、スペシャル仕様は?俺の奢りで!」


「…じゃあ、食べます」


この辺で許そう、いいものが見れたことだし。


「じゃあ、パンケーキセットのフルーツ盛りで…生クリームも多めでお願いします…」


「かしこまりました」


「…先輩、食べ物の恨みは恐ろしいですよ」


「今身を持って、後輩から学ばせてもらった」


「よかったじゃないですか、この歳で勉強できて…パンケーキ大好きなんで、許します。あと…」


「何だ?」


「その…」


やっぱり言いにくい、録音し忘れたなんて。


「だから、面接の内容を録音し忘れていたの…許してください。僕もタルトの話はフルーツてんこ盛りのパンケーキで許しますので…」


「ああ?録音し忘れたのかよ!馬鹿っ、おい!タルトの話と録音の話は別だろ?」


「別ですね…失言でした、すみません。別なのはわかってます…」


「話した内容は?ちゃんと覚えてるのか?」


先輩が興奮気味に尋ねる。確かに、食ってかからざるをえないミスをこっちはした訳だから…何のために臨床心理士を連れて来て、面接をさせたのか意味や意義がなくなるからだろう。


「はい、どんな話をしたのかは覚えてるので、簡潔にまとめて報告書をお渡しします」


「よっしゃ、わかった。後でよろしくな。で、何か聞けた…」


「大変お待たせ致ししました、フルーツパンケーキセットのクリーム多めです。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」


「はい」


「では、ごゆっくり」


にこやかに会釈をし、会話を再開する。


「何か聞けたか?」


「えっと…結論から先にお伝えしてもいいですか?あ、いただきます。うまい…」


「何でも言ってみろ」


「上の求める期待に応えるためには、かなり時間がかかりそうでした」


もぐもぐと口に含みながら答える。


「どうしてだ?」


「彼は…“退行”、“幼児退行”していました…余程嫌なことやトラウマがあったのでしょう…だから、まずは仲良くなって信頼関係を築かなければ、何も聞き出せないでしょう…」


「はあ…“退行”ねえ…よくある手だな…」


先輩はイラつきながら、煙草を取り出し火をつけ口に咥える。


「生半可な退行の仕方じゃなかった、僕の率直な感想です。あれを演技でしていたとしたら、相当頭の切れる人間ですよ…」


「他には?」


「あとは…兄がいる、ということを話してくれました。調書や証拠にはそんな記述なかったのに…」


「その、兄貴ってのは妄想の産物…ではないのか?」


先輩の疑いは確かに正しい。ただ、妄想の産物と言い切って、断定してしまうのは難しいと感じた。


「そこまではまだわかりません。ただ、兄とお揃いだというウサギの、かなりボロボロのぬいぐるみを肌身離さず終始抱えていました…そう考えると、妄想と一概に判断するのは難しいのではないかと…」


「ふうん…」


煙を溜息と一緒に吐き出す。どこか腑に落ちない表情を浮かべながら。


「会話は何となく成立していたため、現時点での見立てでの言語的なものや社会的なもののスキルは、5歳程度だと思われます」


「真面目に鳥井が仕事してる…」


「真面目に仕事する時はしますよ、本来はこんな感じなんですって…ああ、もう…」


先輩と話していると、ペースを乱されてしまう。まあいいや、慣れてしまったし。慣れって怖いな…


「だから、これからも週1ペースで彼と面会をします。そこで、信頼関係を築きながら彼の口から直接言葉を聞きます。それで大丈夫でしょうか?僕はその方針を取る許可をいただきたくて…」


「まずは、署長と相談だな」


「ありがとうございます」


「ケーキ買って食べながら話せば、分かってくれる人だから。きっと大丈夫だと思う」


「よかったです」


「さあ、パンケーキ食っちまえ。コーヒー飲みながら待ってるから」


「あと、先輩」


「録音の件は、今回みたいに…毎回必ず病院側に“第三者機関である警察に、証拠として提出するために録音した面接内容の逐語訳を指定の臨床心理士が作成し、捜査協力情報として使用するために音声データ及び逐語訳の使用・開示・提出許可”を申請して頂けますか?僕の臨床心理士の資格にかかわることなので…」


「資格にかかわるとは?」


「無断で録音したり、第三者機関に情報を開示することはコンプライアンス的にまずい上に、規則に違反してしまい、心理士資格の剥奪になります。僕自身がかかわる以上はそこまでしないといけません」


「難しい仕事だな」


いつになく真剣な表情。


「人の心を扱う以上は、致し方ないです。個人情報ですし、どこからか漏れてしまえば…考えたくないですが、社会で生きていけなくなってしまうことだって有り得るんです…だから、こうして協力を仰いでるんです…よろしくお願いします…」


「頭上げろって。わかった、ちゃんとそこまで協力するからにはちゃんと結果を残してくれよ」


「はい」


「早く食え…ケーキ買って戻るぞ」


「わかりました」


「うまいか、このパンケーキ?」


「ふかふかで、おいしいです」


「なら、よかった」


笑いながら、紫煙を吐き出す。俺の顔に向かって、大袈裟に吐き出す。


「食べてる人間の顔に吐き出さないでください…ゲホッ…」



何とかボリュームのあるパンケーキセットを食べ切ると、会計を済まし店を出る。今度は署長のおつかいを済ますためにケーキ屋に向かい、警察署に戻る。


「報告書、取り敢えず書いといてくれ」


「わかりました」


「じゃあ、すぐにでも書きますね」


「さすが有能な鳥井様(笑)」


「今の笑い方、悪意があるようにしか見えないんですけど…」


「気のせいだろ、さあ、書いた書いた」


そう言われながらパソコンに向かい、今日の面接内容を書き出す。思い出しながら書いていくと、なかなか眠たくなる。お腹いっぱい食べたパンケーキセットが今になってやって来る。頑張って早く終わらせて、寝に帰ろう。

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