第5話 感覚理解(2)

6. Side M


後輩に女装をさせて、被害者と加害者の感覚を理解してもらいたいという俺自身のエゴ。


奴は本当に従順で、努力家で頑張り屋だ…だから、俺の言ったことは必ず必死に食らいついて成し遂げようとする。人間としても尊敬できる。


ただ、この気持ちがどちらに基づいて芽生えた気持ちなのか、判断がつかない。もう、そんな気持ちにはならないように…傷付かないようにと決めていたのに、また頭の中を心の中を掻き乱されてしまう。振り回されて、ふとした表情に欲情して…公私混同も甚だしい。刑事としての立場を守らなければ…。


女装をさせるための、そのためのムダ毛処理の確認なんてものは口実だった。下心があって、奴の身体に触れたくなって…だから浴場に立場を利用して連れて行った。案の定、煽られ欲情する自分がいた。理性のタガが外れそうになるくらいの艶かしさにやられてしまうところだった。明らかに分かるくらい、切羽詰まった表情をし、全てを押し殺した…それだけは死守しなければならない。今までの関係や立場を公私混同…邪念で崩したくない…それだけ大切に扱いたいと思う存在。


冗談が口をついて出てしまうけれど、本音を言えば甘やかしてしまいたい、言葉に応えたい。けれども、それをすれば成長はしないだろう。私利私欲のためだけに、人形のように手元に置いておきたいがために、その芽を摘み取りたくない。だって奴は他人に共感することのできる、臨床心理士になれる人材なんだから…。だから、あの言葉もあの仕草も…なかったことにしなければいけなかった、苦しい選択だ。あくまで俺は「先輩」という立場なのだから…一線を越えることはしてはいけない。それは守り通さないといけない…だとしても、すんなりとカミングアウトした俺は、奴の性格を利用して、受け止めてもらえて恋仲になれるのでは、という淡い期待をした愚かな人間なのだ。


ならば、行き場のないこの気持ちに名前を付けず葬り去ってしまおう…そうすればきっと楽になれるから…




7.


「お待たせしました」


気まずい雰囲気を出しながら、先輩に声を掛ける。


「恥ずかしそうな顔してんじゃねえよ」


「とんだ言いがかりですね…」


「キュンキュンしちゃうだろ…まあまあ…じゃあ、着替えてみるか」


用意された下着、服に着替える。するすると身に付けていた服をゆっくりとした手付きで脱ぐ。


「もどかしいな、脱がせてやろうか?」


「結構です」


別に脱がせてもらってもいいんだけど。下着まで脱ぎ、全裸になる。次々と与えられた服を身に付けていくが、先輩の視線が気になってたまらない。


「…そんなまじまじと見ないで下さいよ」


特にブラジャーを着ける時に手間取っていると、その様子をニヤニヤしながら見つめられる。


「着け方知ってるか?外し方は?」


「それくらい知ってますよ」


「ならどうして手間取る?」


「…外し方しか知りません」


「じゃあ、貸せ。着けてやる」


男同士が何をしているんだか…先輩の手付きが慣れすぎてて、逆に気持ちが悪い。そりゃあ、バイだから女性との経験もあるだろうし着けられるだろう。そう考えると自然だ。


「男が男にブラを着けられるって変な感じですね」


「絵面的にはな…よし、きつくないか?」


「大丈夫です」


「ちょっと正面向いてみろ…なかなか似合ってる」


「ありがとうございます…何か恥ずかしいですね」


「そうか?じゃあ、タイツ履いてスカート履いて…ってしてみるぞ」


「わかりました」


「どうですか?」


「可愛いな…女みてえ…次は仕上げだな。智薫子ちゃん呼んでくるわ、ちょっと待ってろ」


一人きりで部屋に残される。その隙に、様子が気になって仕方なかった身体を全身鏡に映してみる。…自分で言うのもなんだが、なかなか似合っている気がする。先輩の言っていた通り、ムダ毛の処理はしっかりしておいて正解だったのかもしれない。


やっぱり、可愛いと褒められると嬉しくてたまらない。女性ってこんな気持ちなんだろうか…ただまじまじと鏡を眺めるとまるで、少しガッシリした女性みたいに見えてしまう。見慣れたはずの自分が違う自分に思えてしまう…とにかく、二人が来るまでに服を着直そう。


―ガチャッ


「お待たせしました!あ、鳥井さん可愛い♡似合ってますよー」


部屋に入り、すかさず褒める。相変わらず飯田さんは女子力が高い。


「ありがとうございます…」


恥ずかしくて顔が真っ赤になる。


「んもう、照れ方も女の子みたい!…じゃあ、メイクをちゃっちゃとしちゃいましょ。皆川さんが言ってたみたいに、綺麗な顔立ちなんで薄いメイクで済んじゃいますね…羨ましいなあ…肌も綺麗で、睫毛も長いし…」


…距離が近いし、いい匂いがする。ただ化粧をしてもらうだけ、そう言い聞かせて身を委ねる。


「なんか、すみません…先輩のわがままに付き合わせてしまって…」


「大丈夫ですよ!皆川さんだし」


さすがは女性、手際よくメイクをしていく。どんどん変貌していく自分の顔に驚いてしまう。俺って女装するとこんな風なんだ…意外と悪くない、むしろいいじゃないか…


「はい、完成しましたよ。我ながらいい出来!鳥井さん見てみてください」


「ありがとうございま…あ、こんな子いますね…確かに」


「皆さん!完成しましたよ!見に来てください」


飯田さんが大声を出すと、わらわらとどこからともなく人が集まってくる。署長から事務員の方まで…


「えっ?ちょっと…」


戸惑ってしまい、それが口に出る。


「あら、鳥井くん可愛いわね」


「すっごい女の子みたい♡」


「やべえ、ムラムラするな。お前可愛すぎだろ」


「鳥井くん、結構似合ってるねえ。皆川とデートでもして来たらどうだ?」


事務員さんも他の警官も可愛いと褒めてくる。なかなかの快感かもしれない…え、署長なんてことを言うんですか?皆川さんとデートとか狂気の沙汰じゃないですって…


「遠慮しときます」


そう言い切った途端に背後から声がする。


「おう…すげえ似合ってる…」


先輩に褒められる。その褒め言葉がただ嬉しくて。きっと先輩は社交辞令で、俺をやる気にさせるために言っているだけだろうと卑屈になってしまう。照れなのか、それとも…


「皆川さあ、鳥井くんとデートして来たら?」


「いいかもしれないっすね。声出さなきゃきっとバレないだろうし…行ってみるか?」


デートの誘いだ。行きたいと思うけど、男だとバレるのが怖くて仕方がない…でも、先輩からの誘いだ…


「行きます、デート行きます。女装して女性として振る舞う心境を理解したいですし…」


「じゃあ、決まりだな」


かくして先輩と俺はこの格好でデートをすることになった。その話はまた後日にでも。

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