第3話 

静かに静かに時は流れる。

森は様々な顔をのぞかせながらも終わりが全く見えない。

そして少年は歩く。

急な斜面を手を使って登ったり、転がる石の上で足を滑らせたり、

もうズボンだけでなく羽織っているパーカーも泥だらけで、手にも乾いた泥がこびりついている。


ホォ、ホォ、とどこからか鳥の声がする。

これまで全くなかった命の気配の出現に驚くとともに、ほんの少しの喜びを感じた。

ここは、死に絶えた場所じゃないんだ。

そんなことを思う。

あまりにも静かなこの場所で、命の気配も感じられなくて、自分は死後の世界を歩いているのだろうか、と心の奥で疑っていたようだ。


いまだかすかに聞こえるホォホォとなく鳥の声。

穏やかな風の気配がする。

湿った緑の匂いが鼻先をかすめる。

そして、その風に誘われるように、

一匹の紫の蝶が視界に飛び込んできた。


その蝶はゆっくりと羽根を翻しながらそこを飛ぶ。

まるで舞っているかのように優雅で、紫が鮮やかで、それこそこの世のものではないような美しさに、少年は目を奪われる。

昔見たモンシロチョウより幾分大きく、

その大きさのためかよりはっきりと存在を主張する蝶は、行く道を先導するかのように飛んでいく。


このまま蝶に導かれて、どこかにたどり着ければいい。

そんなことを思っていたそのとき、不意にゴォー、という音がした。

背中から、激しく木々が揺れる気配がして、

次の瞬間強い風が吹き付ける。

パーカーの帽子が暴れ、立っているのもやっとのことで、ぎゅっと目をつぶり足を踏みしめる。

まもなく止んだ風に目を開けると、森は何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。


軽く一つ息をついて、再び歩き出そうと靴紐を結び直す。

そしてうつむいた視線の先に見えたのは、羽が破れ、土にまみれた紫の蝶。

あんなに美しかった紫は見るも無惨に失われ、優雅な舞はもう二度と見ることができない。

そこにはまるで枯れ葉のように命を終えた蝶の姿があった。


胸がきゅっと痛む。この痛みを感じるのは、初めてじゃない。

命がこうも簡単に失われ、強引にこの世界との関係を引きちぎられてしまうという事実を、もう彼はとっくに知っていたのだ。


目の前にあった命が突然奪われるという光景への既視感。

そしてそれを目の当たりにしても何もできない無力感。

助けられなかった後悔と、ひそかに道しるべのように思ってしまっていた自分の罪悪感。

「自分が頼らなければ死なずに済んだのかもしれない」

脈絡なく湧き出るその思いは、すでに何度も経験のある思いで。

「おまえのせいであの子は死んだ!」

叩きつけられたのはいつだったか。

「このヒトゴロシ!」

ああ、頭が痛い。

切れ切れに浮かぶ罵声は、きっと現実だ。

だからこそそんな現実から逃れるため、こんな深い森の奥まで来てしまったのだ。




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