第37話 間に合え

 

「ねえねえ、君の待ってる人まだ来ないのかなぁ」


 男はジメジメとした石牢の一室にて、捕らえられた女性にそう話しかける。

 目の前にしゃがみ込む男の風貌は異様だった。

 異常に長い左腕に加え、真逆に曲がる両足。


 だがその光景を目の当たりにしてもなお、後ろ手に縛られ、倒れこむ女性は凛とした態度を崩さない。

 過度の拷問を受け、来ていた服は既にボロボロになっていた。


「わたくしは彼に助けを求めていません……れすからどんなに待っても無駄だと何度言わせれば気が済みますの? あなた人の話聞いてますの?」


 女は顔を寄せる男の方へと振り向くと、そう強気に答えて見せた。

 白を基調に赤い蜘蛛の巣をデザインされた様な顔当てからは、その表情は伺えない。

 だが発する声のトーンからは、依然として感じさせる強い覇気。


 そんな女性の信念を見せつけられた男は、気を悪くしたのか眉間にしわを寄せていた。

 だがその後、視線を落としていた男は何やら思い立ったのか、心底楽しそうに口の両端を釣り上げる。

 まだ釣り上げる……どこまでも釣り上げる……


「そっかそっかぁ……じゃあ君はどんなに酷い目にあっても、彼に助けてもらうつもりは無いんだねぇ」


 そう言うと男は長い左腕を浮かせると、目の前の女性の右膝に手を添える。

 男のその異様な表情と奇怪な行動を目の当たりにした彼女は、


「な、何を……」


 流石に恐怖を隠しきれないのか、そう声を震わせ後ずさる。

 その様を見た男はよほど満足したのらろう。

 引きつるような変な笑い声を高らかにあげると、


「安心していいよぉ〜! うちって〜、痛いの嫌いだからぁ〜」


 そう言うと掴んだ片膝を、外側に開くようにゆっくりとねじり始めた。

 足をへし折られるのだ……瞬間的に彼女はそう思った。

 脳裏によぎる「足を捻じ切られる」という未来からくる激痛に、彼女は涙を浮かべ身を強張らせていると、

 ——カクン!


 というという音と共に襲いかかる痛み……が無い。

 恐る恐る自分の足を確認する。

 ダランと力なく地面に横たわっているも、引き千切られたようでは無いらしい。

 でも力が入らない……関節を外された?


「君って美人だけどぉ、ツンツンしてばっかりで色っぽさが足りないと思うんだよねぇ〜。だからこうやってぇ〜」


 男はもう片方の膝にも手を添えると、今度はその足を反対側に捻り始めた。

 関節を外すだけと言えど、痛みがないのはおかしい。

 常識では当然くるはずの痛みに、彼女はまた身を強張らせる。


 だがカクンという再び聞こえる間抜けな音と共に、目の前にはだらしなく横たわる自分の足。

 痛みが無い。

 羞恥心など感じる暇も無い。

 そんな何も無い彼女の心に流れ込んでくるものは、男に対する得体の知れない恐怖そのものだった。


「足開いてればぁ〜、どんな男も寄ってくるってね! ゲーヒィ! ゲーヒィ! ゲーヒィ!」


 幾度となく聞いたその引きつるような男の笑い。


 怖い……怖くて涙が止まらない……


 助けて……



 ——クラウス




  —



 静まり返る教会塔内部。

 俺とチェルノはエプローシアを救出すべく、下へ下へと歩を進めていた。


 え? 塔なんだから上じゃねえのかって?

 昔から人質は地下にいるって決まってるのだ。


『随分静かだね。みんな何処に行ったのかなぁ』


 チェルノのやつめ……隠密行動にも関わらず、普通に話しかけるとはいい度胸だな。

 だがまあ誰もいない上に無音歩行、さらに姿が消えているという隠密特化スタイルだ。

 流石の俺も警戒するだけ無駄なような気もしてきた。


「いたら背後から全員ぶっ飛ばしてやるのにな」

 

 そう言って俺は両手に持つ全長3mほどある白大剣を振り回してみる。

 しかしこの剣……振れば振るほど、つくづく奇妙な動きをするなと思わざる終えない。 

 正確には「変な軌道を描く」……いや「自在な軌道を描ける」と言うのが正解かもしれない。


 持った感じかなりの重量感があるのに、直角切りとか燕返しとか出来ちゃうからね。

 正直気持ち悪い。


「あ。そういやこの剣……いつから使えるようになったんだ?」


 俺の記憶によると確か前までは持つことだけは出来るも、振ることは出来なかったはずだ。

 今更何言ってんだとチェルノに嫌味を言われそうだが一応聞いておくことに。


『ず〜ん』


 ……何その返事。

 話したくないなら別にいいぞ?

 というか気落ちした感じを口に出して表現するやつを、俺は初めて見たよ。

 

 と思ってたが別に言いたくない訳じゃないらしい。

 まあ要するにだ。


「七房二番を食べちゃったと……」


『そ』


 七房二番というのは、葉っぱに触ろうとすると避ける花のおもちゃだ。

 一瞬先の未来を予見することのできる力「先見眼」を使って、あのおもちゃは指を避けていたらしい。

 チェルノが固有スキルを手に入れた経緯を知ることが出来た。


 だがこいつは、最初からあの花のおもちゃを取り込むつもりで購入したはずだ。

 なのに調子に乗って名前付けたもんだから情が移ってしまったと……バカだなこいつ。


『ボク自身もこんな感情があるなんて知らなかったんだよ〜、しくしく……』


 だからお前は感情を口に出して表現するなって。

 「今度一緒に露店巡りでもして新しいの買いに行こうな」と言ってチェルノをなだめる俺。

 しばらくすると泣き止むチェルノ……まるで子供みたいな奴だな。


「一瞬先を見ることの出来る力か……で? なんで先が見えたら、この白大剣が振れるようになるんだ?」


『あ〜、それは簡単だよ。ボクは武器を軽くできるのは知ってるよね? 普段は限界まで軽くしておいて、インパクトの直前で解放するだけ』


 ほー、流石の俺も理解できたぞ。

 花のおもちゃは「当たる瞬間に避ける」で、チェルノは「当たる瞬間に重く」してるわけだな。


 要するに、なんでも吹っとばせる武器ってわけか……いや強すぎじゃね?


『弱点もあるよ。相手が剣の衝撃に耐えれるほどの強大な敵だった場合……ダメージが全部跳ね返ってくる』


「なっ、なんだと……俺の腕は大丈夫なのか?」


『多分両腕が肩から吹っ飛ぶと思うよ……まあそれ以前に、そんな未来が見えたら重さを解放したりしないから、剣が弾かれた時は気をつけるんだね』


 あっはっはーと衝撃の事実を笑って誤魔化すチェルノ。

 てか武器が弾かれた時に、俺は一体何に気をつければいいんだ?

 考えただけで怖いわ。



  ・ ・



 階段を二つほど降りた頃、辺りの湿度が急激に上がり始める。

 ここが最下層なのは間違いなさそうだ。

 足の裏から伝わる独特のヌメリや鼻につくようなカビ臭い匂いが、俺にその事実を知らせていた。


 不気味なのは此処まで誰とも出会わなかったことだ。

 そのせいか俺とチェルノの口数も、今ではほとんど失われていた。

 飲み込むツバの音が聞こえてきそうなほどの緊張感。


 しばらく歩を進めていると、俺たちの侵入を阻むかのようにひっそりと佇む鉄格子の扉が見えてきた。

 鍵はかかっていないようだがそんな事はどうでもいい。

 その格子の隙間から覗く世界に俺は驚愕を覚えた。


「なんだここは……なんで教会が管轄する場所に牢屋があるんだ?」


 そう言って俺は思わず唖然とし、立ち止まると扉格子の隙間から漂ってくる瘴気とも言える異様なもの。

 腐敗臭……そして血の匂い。


『少し急いだ方が良さそうだねクラウス……この檻の扉どうする?』


「音を出来るだけ立てたくない。チェルノ、この扉食えるか?」


 俺がそう言って返事をすると、チェルノは相槌を打つこともなく目の前にある鉄格子に纏わり付き始めた。

 こいつの場合「溶かす」のではなく「取り込む」ため、その作業も早い。

 先ほどまで格子越しに覗いていた監獄とも呼べる世界も、今ではパノラマ状にはっきりと見える。


 馬車が一台通れるほどの通路の両脇には、十二畳ほどの石壁の牢獄。

 それが通路の先まで果てなく続いていたのだ。


 近場にある一室に近づき注視してみると、そこには白骨化した人間の死体が右手だけを檻の外へ出して何かを訴えていた。

 この人は空腹で死んだのだろうか。

 そのあまりにも壮絶な死を目の当たりにした俺。

 状況に思わず息を飲んでいると、


 ——ィィ……


 奥の方から微かに何かが聞こえ、俺はとっさに身構えてしまう。


 なんだ!? なんの音だ?

 女の悲鳴……いや金属か何かを引きずるような音か?



  ——



「やっぱりさあ、足開く方向は柵の向こうから見える感じがいいと思うんだよねえ」


 そう言うと男は両足に力が入らないエプローシアを右腕で持ち上げると、脇に添え付けてあったベッドをもう片方の長い腕で部屋の奥へと引きずり始める。

 そして移動を完了させると、ベッドの上に持ち上げていたエプローシアを座らせた。

 だが支えの効かない彼女はすぐに倒れそうになる。


「あー! こらこらぁ勝手に寝ちゃダメ! んもおーしょうがないなあ」


 そう言うと男は落ちていた棒切れを、後ろ手に縛られている彼女の手に持たせ、


「その棒を使ってバランスを取ってね! あと起こすの面倒くさいからぁ……倒れるたびにビンタ一発ね!」


 そう言って男は左腕を大きく振り、エプローシアの目の前で風を起こして見せた。

 当然そんなことをされては、流石の彼女もただでは済まない。

 なんとか堪えようと必死に自分の体を支えようとするも、普段とは勝手が違って力を入れる場所がわからない。

 迫り来る恐怖と原因のわからない震えに……


「ああー! こいつ……! げーひゃぁ! ゲーヒィぶヒャ! げーりひぃ!」


 男はこれ以上ないほどの高笑いを上げていた。

 彼女は思う……これほどの屈辱は今まであっただろうか。

 悔しさで唇を噛むと止めどなく溢れてくる涙と……それ。


「ねえねえ君ぃ! どう考えてもそれって……おもらし! ビンタ決定だよね! という事で一回吹っ飛んでもらいま〜っす!」


 そう言うと高らかに挙げられる男の長い腕。

 許容範囲を超えた恐怖に呆然と瞳孔を開いていると……男の背後で何かが揺らめいた。

 突然浮かび上がる白い大剣が、男の左腕と同時に掲げられると……


「吹っ飛ぶのは……お前の方だ」


 どこからか声が聞こえると同時に、


 ——ゲヒィ!!


 壁を突き破るような音と男の間抜けな声が聞こえてきた。

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