第17話 エプローシア陥落


 ベルトメルトの街から南に位置する森の中。

 静かなはずの広場には、男の悲鳴が聞こえて来る。


 だが……そろそろ一月ほど経とうかという頃にはその声は止み、

 地面を裂く音だけがむなしく鳴り響いていた。


「段々分かってきたぞ……軽く当てて反対側に流せばいいんだ」


 鞭を止めるとその先端が巻き込んでくる。

 だが木の棒を軽く当て、踊るように思いっきり自分の後ろに鞭を流すとかわせる。

 鞭の軌道を変えられないなら、利用してくぐってしまえばいい。

 かなりトリッキーな動きになってしまうが、二刀流とはそういうもんなんだろうな。


「どうしたエプローシア。なんなら鞭二本使ってもらっても構わんぞ」


 その左手を退けて、顔……見せちゃってもいいのよ?

 嗚呼、この優越感……俺は今日この日のために生きて来たと言っても過言ではない。

 まあ、一月もかかってしまったんだが……全身が痛い。


「中々……腕が立つようになった様れすわね。わたくしに両手を使わせる前に……まずは鞭を奪える様になってから仰ってくださいな」


 ほほお、そこまでやってもいいのかな?

 いなせるって事は、既に奪う方法もわかってるんだよな。

 凹むなよ? エプローシアちゃん。

 俺はかかってこいと言わんばかりに、目の前で手をクイクイして見せる。

 彼女は少しばかり癇に障ったのかいきなり、

 ——ヒュン!


 左やや上段から鞭が襲ってくる。

 だが振り抜き切った攻撃からは奪う事はできない。

 左手に持つ木の棒を鞭へと伸ばし、その中程に引っ掛け後方へと加速させる様に……いなした。

 パシン!

 空振りに終わった一撃が、虚しく地面を叩く音がする。

 しかも鞭は連射が効かない。

 一度引き込まないと次が打てないからだ。


 エプローシアが鞭を二本持っていれば話は変わってくるだろうが、少なくとも今は一本。

 俺は歴然とした差を見せつける様にゆっくりと前進して見せた。

 だが主力武器と言うだけあって、彼女は流れる様に二撃目を繰り出してくる。

 ——ヒュン!


 今度は真上。

 だが次は奪わせてもらう。

 一気に踏み込み土魔術クラックを放つ。

 と同時に上から来る鞭に腕を伸ばして引っ掛ける。

 いなすのなら地面に叩きつけるのだが……今回は奪うのが目的だ。

 そのまま……一気に後ろに振り下ろした。


 後方に飛ばされた鞭がマヌケな音を立てていた。

 彼女は二つの衝撃で後ろに倒れそうになっていたので……

 腰に腕を回し抱きとめる。

 それでも左手を顔から離すことはなかった。


 どんだけ隠したいの?

 そこまでされると顔を見てみたい……

 だが紳士な俺は、無理やり手を退けさせるような真似はしない。


「エプローシア……次会うときは素顔を見せて欲しい」


 そうお願いしといた。

 鞭二本でかかってこいや。



  ー



 商店街にある洋服店『あるでんて』の二階にある一室。

 その薄暗い部屋にて、乱華のメンバーたちが今日の予定を話し合っていた。


「エプローシア隊長、我々は何チームかに分かれてバルトメルトの探索に向かいますが如何なされますか?」


 ただでさえ薄暗い部屋のなか。

 日が差し込むことのないその場所に、一人たたずむ女性が振り向く。

 隊長と呼ばれている女性は仲間たちにも顔を見せることもなく、


「今日は……わたくし予定はございませんが……部屋で待機する事に致します」


 そう顔を手で覆いながら受け答える。

 それを聞いた乱華の仲間たちはいぶかしむこともなく、


「了解しました」


 そう答えると部屋を後にした。

 ギィと扉の閉まる音を最後に部屋には静寂が広がる。

 ただ一人、エプローシアは男を待つ。

 ——ピチャ……ピチャ……


 今度はハッキリ聞こえる液体の滴る音……。

 もうすぐ……隠す必要はなくなるのだから。



  ー



 宿にて昼食を済ませたクラウスたちは乱華のアジトへと向かっていた。

 エプローシアに明日来て欲しいと言われたからだ。

 本心を言うと二刀を試しに十層に行きたい。

 とても気は進まないのだが……呼ばれてる以上行かないという選択肢はない。

 二刀の修行に付き合ってもらった恩がある。

 

『顔見せる気になったのかな』


 アジトにわざわざ呼んでか?

 まあ……それなら鞭二本のエプローシアと修行続行になるな。

 ……別にいいけど。


 しばらくして見えてくる洋服店。

 その「あんだんて」と書かれた店の脇には階段が二階へと続いていた。

 最初にキャストルと一悶着あった場所だ。

 ここに来るのは……三回目になるな。

 その脇の階段を上がると見えてくる木製の扉。


 ここまでくると緊張してきた……なんでだ?

 まあ殺されることはないだろう。

 意を決して扉を叩く。


「すいません……。今日呼ばれてるんですが……。誰かいません?」


 ——バタァン!


 部屋の中からは何かを激しく倒したような音。

 無人ではないらしいが……大丈夫か?


 しばらくすると扉の施錠を解除する音が聞こえた。

 入れということだろう。

 ギィという音を出す扉を引き、中へと入る。


 日の光をさえぎる乱華はいつもながら薄暗い。

 何度も言うようだがこの部屋に来るのは三回目だ。

 さすがの俺も慣れてきていた。


 アジトの中程に設けてある椅子の対面側に座る女性。

 ブロンドカールに顔を手で覆い隠す女性……エプローシアだ。

 辺りを見回すも、彼女以外には誰もいないようだった。


 アジトには一人でいるのか?

 では施錠を外したのは彼女ということか。

 俺は対面に座るべく、添え付けてある椅子に腰掛けることにした。


「一つお伺いしますが……このアジトの合言葉をご存知れ?」


 俺が座ると同時にそう切り出してくる。

 合言葉……だと。

 初耳だ……そんなこと誰も言ってなかったぞ。

 ……だが、俺にアジトを解放したということは合っていたということだ。

 ここはハッタリで押し通そう。


 肯定の意味を込めて頷いてみせた。

 彼女の表情は判らないが……疑っているのだろうか。

 テーブルに両肘をつき、座ったままの姿勢で身を乗り出してくる。

 俺の動向をうかがい、真意を確かめようとしているのだろうか。


 上等じゃねえか。

 俺は半分以上ハッタリで生きてんだよ。


 負けじと俺もテーブルに肘をついてエプローシアの顔を覗き返した。

 そのため急接近する二人の顔。

 だがこれだけ接近しても彼女の顔はスカーフに隠れ、見ることはできなかった。


 ここで目を反らせば俺が嘘を言っている事になる。

 まあ相手の目、見えないんだけど。


 しばらく睨み合っていると、

 入口の方から、けたたましい足音と共にアジトの扉が勢い良く開いた。


「クラウス! 何をやっている!」


 背中から聞こえて来る声から推測するに、シグネが帰ってきたようだ。

 何って、呼ばれたから来てるだけだ。

 そう言ってやりたいが……

 俺は振り向かずに目の前の女に睨みを効かせ続ける。

 

 その一時の静寂を嫌うかのようにエプローシアは、

 顔を覆っていた左の手をゆっくりと浮かせる。


「そういうことは、本当のわたくしを知ってから……仰ってください」


 どういうことか分からんが……

 今まで覆い隠していた下半分の顔をさらけ出す。


 まだ部分的にしか見てはいないが……整った輪郭をしている。

 まあまあ美人なんじゃないの?

 だが、その整った顔立ちからは……薄いピンクの触手が飛び出していた。

 いや、舌だ……舌がやたら長い。

 手の平ほどある舌からはヒタヒタと唾液を垂れ流していた。


「エプローシア。やめなさい」


 シグネが語尾を強めてそう言った。

 舌が長いからってなんなんだ?


 大した反応を見せない俺に今度は、

 顔を覆っていた左手でスカーフを外して見せた。


 ……綺麗な女性だった。

 目の縁がハッキリした切れ長の目。

 整った顔立ちの美しい女性だった。


 エプローシアの顔を見まいと、シグネは慌てて目を背ける。

 そこまで酷い顔じゃないと思うがなあ。

 俺の美的センスがおかしいのか?


 しばらくエプローシアの顔を覗き込んでいると、

 段々と眼が赤く染まり始めてくる。

 なんだ? と思っていたら……

 唐突に視界が歪む。

 意識がだんだんと……薄く……希薄に……


 なっていく……が、このまま倒れるとしゃくに触るので、

 さっきから俺にアピールしてくる長い舌を、

 ——咥えてみた。


 味は別に普通だった。

 目を見開き、部屋の奥まで飛び退いていくエプローシア。


『いやそれはどうだろう』


 俺の懐から声がする。

 何がだ?

 舐められてたまるかよ……だから舐め返してやったまでだ!


 彼女の眼はすでに真っ赤に染まっている。

 あと顔も真っ赤に染まっていた、

 呪いの一種か?

 意識を持っていかれそうになったが。

 だが俺には効かないようだな。


「おいクラウス! 何をしているのか聞いているんだ!」


 いやだから、呼ばれたから来てるだけだと言っているだろ。

 というか何でお前も顔が赤いんだ?


「だから乱華と親交を深めようと思ってだな」


 そう、友好関係を築き上げるためだ。

 だが俺はその後、問答無用でアジトから叩き出された。


「俺悪い事したか? 綺麗な女に目の前で舌を出されたら、男なら誰でもそうすると思うぞ?」


 いや俺は本気でそう思ってる。

 男にされたらぶん殴るが。



  —



「エプローシア……大丈夫か?」


 クラウスを追い出すと、すぐに彼女に駆け寄って行くシグネ。

 今はもうエプローシアの顔はスカーフが巻かれていた。


「ええ、心配をおかけする以前に何もされてはおりませんよ」


 いえ……むしろ何かをしたのは、私の方なのれすから。

 久しぶりに顔を見せてしまいました……


 幼少の頃から私は人と会うのを避けておりました。

 会えば必ず言われる言葉……「気持ちの悪い女だ」。

 人それぞれ千差万別。

 多少の違いがあるのれす。

 私はただ……人より舌が少し長いだけ。


 ですがその程度なら私が我慢すれば済む話れした。

 私の持つ固有の能力「カトブレパス」……意識の邪眼。

 私に負の感情を向ける相手の、意識を刈り取る能力。


 この二つを持ってるがため、憎まれ、そしてさげすまされて来ました。

 長い舌をみれば嫌悪され……そして嫌悪すれば意識が飛ぶ。


 とても強力な力でしたが目を見なければ対処できる。

 それを毛嫌う人達からは何度も殴られ、足蹴にされ、そして罵られてきました。

 私自身はただの……か弱い女なのれす。


 もう二度と顔をさらけ出すことは無いと思っておりました。

 れすが……クラウス様は違いました。

 私の邪眼が通用しないわけは無いのれす。


 つまりあの方は、私に対して負の感情を……全く感じていないということ。

 しかも……「好きだ」なんて言われたのは初めてなのれす!


 私も……エプローシア・レヴィエルも……あなた様のことが大好きなのれす!



  —

 


『ねえねえクラウス』


「なんだ」


 乱華のアジトから宿への帰り道。

 立ち止まりチェルノの話を聞いていた。


『人間はキスをすると結婚しなくちゃいけないんだよ?』


「ははは……俺を好きになる女なんていないさ」


 そうだ。

 誰が俺みたいなのを好きになるかよ……

 もしも可能性があるとしたら、神との約束……ランキング一万を切ることだ。

 まずは手に入れた力で十層を突破する。

 話はそれからだ。



 クラウスはそう決意を新たにすると、再び歩き始めるのだった。

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