【Episode:08】 ある少女の過去 - Past of a Certain Girl-

昼下がりの休日


 夏休みを明後日に控えた月曜日の昼下がり。

 ハルキは、ノアと一緒に、繁華街の通りを歩いていた。

 今日は、プラセンタの設立記念日で祝日となっているため、学校や会社などはほとんど休みをとっている。

 そのため、繁華街はいつも以上に人混みに溢れ、賑わっている。


 青く澄み渡る空では、スカイウェイをエアカーがひっきりなしに飛び交っている。

 エアカーは高価な代物で、セレブの象徴の一つみたいなところがあるが、さすがにプラセンタ一の繁華街として知られるここなので、他の区画よりもより多くのエアカーを見ることができるというわけだ。


 そのエアカーが飛びかう空からは、燦々と夏の陽光が降り注いでいる。

 ただそれは、天蓋を覆う特殊金属に投影された青空同様、あくまで疑似的アーティフィシャルな日光でしかない。疑似太陽ASが生み出す、ただのイルミネーション。


 ここプラセンタでは、温暖湿潤気候をベースに、環境システムインフラが整備・運営されているため、夏にはそれなりに暑い日差しが降り注ぐものの、適度に調整されており、熱中症などを引き起こす程にまで気温が上がることもなく、湿度も低くすごしやすい。

 年中一定の気候にしないのは、環境の変化が人体や精神に与える影響というものを加味されてのことである。それ以外にも、やはり季節というものがあった方が、より人間らしい生活が送れるだろう、という観点からの配慮でもある。



「ねえ、今度は、この先に新しくできたブティックに行ってみようよ」

 後ろ手に組みながら歩くノアが、楽しげに言った。ずっとごきげんである。


「この暑いのに、よくそれだけ動き回りたくなるよな」

 暑さに辟易としながら、ハルキが零す。

 手にした袋に入っているのは、ノアが購入した品々ばかり。それを持たされて歩くハルキのシャツは、べっとりと汗で滲んでいた。


「これくらい、なんてことないでしょ」

 ノアが澄まし顔で。

 先日、廃ビルに拉致されていた後は、ショックで心底落ちこんでいたようだったのに、立ち直りの早いことだ。そこがノアのいいところでもあるし、そうであってくれた方がいいわけではあるが。


「なあ、ノア。その前に、そこのカフェで、ちょっと休憩しないか?」

 先程から紙袋を持つ腕が痺れてきている。足もじんじんとする。


「もうへばったの?」

「そりゃあノアは、ポーチを腰に巻いてるだけだから楽だろうけどさ。俺はこれだけ荷物持たされてるんだぜ? それも自分が買い物したわけでもないのに」

 不平を呟くと、

「しかたないなあ。それじゃあ、お茶しようか。丁度喉も渇いてたところだし」


 ノアの了解を得て、二人でテラス席のテーブルに向かい合って座った。


 すぐにウェイトレスがやって来て、

「ご注文はなにになされますか?」

「俺はカプチーノを」

「私は、レモンティー」

「かしこまりました」


 注文を受けたウェイトレスが離れると、ノアが、

「今の、STHのウェイトレスだよね」

「ああ、胸のタグに、そう書いてあったな」


 STHとは、『Similar to Humanシミラー・トゥー・ヒューマン』--『人間に近しい存在』という意味で名づけられた、プラセンタ一の大企業であるパラ・ロジスティクス社が開発した人造人間アンドロイドの製品名である。

 容姿は人間のそれとなんら変わるところがないが、人造人間アンドロイドであることの証として、先程のウェイトレスのように、仕事に従事している者は、制服などにその証を記すことが義務づけられており、そうでなくとも、手の甲には、個体識別が可能なICタグが埋めこまれている。

 人造人間アンドロイドの歴史はかなり古く、旧時代に世界人類共同体ユニオンが世界を統治していた頃から、日常に普及していた。

 ただ、その利便性の高さから、悪用されることも度々あり、地下テロ組織『デア』が三年前に起こした、前大統領であるダヴィデが殺された爆破テロにおいても、そのSTHが使われたとされている。


 いつの時代にも、どのような社会形態であったとしても、闇というものがどこかに存在する。

 便利な道具であれなんであれ、使う人間次第で、生活を豊かにすることもあれば、誰かを傷つける武器となることもある。

 なので、その管理は、行政によって徹底されているものの、そのすべてをとり締まることはできていないというのが現状だ。


     * 


 二人で会話しながら待っていると、STHであるウェイトレスが、二人が注文した飲み物をもって席にやって来た。

 トレイにのせた、カプチーノとレモンティーが注がれたカップを、「お待たせしました、どうぞ」と席に置き、店内に戻って行った。


 ノアは、レモンティーを一口飲んだところで、

「ちょっと、あれって、美那川会長じゃない?」

 ハルキの背後に目を向けながら言った。


 ハルキは顔を後ろに向け、

「そうみたいだな」


 ハルキ達の座るテーブルとは少し離れた席で、美那川サクヤは、飲み物をテーブルに置きながら文庫本を読んでいた。今日は眼鏡を嵌めている。学校では嵌めていないから、普段はコンタクトだったんだろう。


「ちょっと、話しかけてみない?」

 ノアは言うと、ハルキが答えるのを待たずに席を立ち、そのサクヤの席へと行くと、

「美那川会長ですよね?」


 サクヤはその声に、手にした文庫本に落としていた視線を上げて、

「ええ。あなたは、二年生のノア・ラティスフールさんね?」

「えっ、私のこと知ってるんですか?」

「もちろんよ。そちらのあなたは、秋南ハルキ君ね?」


 声を向けられて、「はい」


「それで、ジョシュアとガイオスの候補生二人が、一緒なのはどうしてなのかしら? 二人で仲良くデート?」

「デートって言うか……明日からの夏合宿に向けて、買い出しに来ただけですよ」

 ノアが答えると、サクヤは、「そう」と返してから、

「立ち話もなんだから、あなたたちもこっちの席に座ったらどう?」


 促されて、ノアと一緒に、サクヤの対面の席に並んで座った。


「美那川さんはここに、読書しに、ですか?」

 ノアが尋ねた。

 そのサクヤの手に握られている文庫本は洋書のタイトルは、『Alsoアルゾ sprachシュプラーハ Zarathustraツァラトゥストラ』と記されている。サクヤがよくその言葉を引用するドイツの哲学者ニーチェの著作だ。


「ええ。私のお気に入りのカフェなの。家で一人で読書しているよりも、街中での方が、内容が頭に入ってくるのよ」

 サクヤは答えると、寂しげにしながら、

「でも、もうこのカフェにもそうそう来れなくなるかもしれないの」


「どうしてですか?」

「私、明日終業式が終わった後に、引っ越しすることが決まってるから」

「えっ、もしかして、学校、辞めちゃうんですか?」

 ノアが、驚きに片手を口元にあてながら。

「ええ。W4区画に引っ越して、そこにある高校に転校することになっているの」


 W4区画と言えば、メサイア高校のあるこのB12区画からかなり離れている。そこからこの街へとやって来るとなれば、エアカーに乗っても、一時間弱の時間を要するだろう。気軽に足を運べるというわけではない。


「親の仕事の都合とかですか?」

 ハルキが尋ねると、

「ええ。私の父親は、パラ・ロジスティクス社のシステムエンジニアなんだけど、W4区画に新しく立てられた支社への異動が決まってね」


「だったら、生徒会は、どうなるんですか?」

 ノアが尋ねると、

「私が退いた後は、桧川君が、私の後継となってくれる手はずになっているの。彼は、文武両道の極めて優秀な生徒だからね。安心して任せられるわ。稲城書記役も、有能な子だから、彼を上手くサポートしてくれるはずよ。空いてしまう副会長のポストについては、まだ検討中だけどね」

 サクヤは答えると、腕時計をちらりと見やってから、

「もうこんな時間なのね。読書に集中して時間を忘れていたわ。そろそろ引っ越しの準備をしないといけないの。そろそろお邪魔させてもらうわね」


「また、会えますよね?」

 席を立ったサクヤに、ノアが寂しげに尋ねると、

「ええ。私はメサイア高校とこの街が大好きだから、たまには戻って来るつもりでいるから。そうしたら、あなたたちともまた会う機会があるでしょう」

 美那川は微笑みを浮かべながら答えると、

「それじゃあね。明後日からの合宿、頑張って」

 と言い残し、ハルキ達の元から去って行った。

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