第3話
二回戦、三回戦と勝ち進んだところで昼休みになる。この間に、勝ち残った選手たちはデッキのカードを交換することができる。
「思ったより、遥かに【ゴブリン】一強の環境ですね」
念のために【ゴブリン】以外の中堅デッキの存在も多少念頭に入れていたが、どうやらその心配は不要だったようだ。
上に進むほど、環境デッキの割合は増えていく。中堅以下のデッキは環境デッキに比べれば安定性・地力にかけるため、対戦を重ねるうちにどこかでそのボロが出て、淘汰されてしまうからだ。ゆえに、予選ではある程度いろいろなデッキが見られたとしても、決勝トーナメントでは、基本的にトップデッキのミラー対決になることが多いのだ。
「とりあえず対【ゴブリン】デッキ以外のカードは抜いて、ミラーマッチに特化させましょう」
俺がそう言うと、ギャル子が首を傾げた。
「でもさ、白河貴文は環境以外のデッキを使ってくるんじゃないの?」
「確かに貴文は環境デッキ以外を使う率が高い。でも必ずしも環境外のデッキを使うと決まっているわけじゃないんだ。特に今みたいに一強状態なら、トップデッキを使うこともある。彼は環境外のデッキを使うことに生きがいを感じているわけじゃない。そうじゃなくて確実に勝つことにこだわっているだけなんだ。その結果として、環境外デッキを使うことが多いってわけ」
「なるほど」
「ただ、今の環境はやっぱり【ゴブリン】デッキなんだよ。俺たちは環境外のデッキを使う君津総合に勝ってる。でも、あれは別に俺たちの実力が上だったんじゃない。環境外のデッキで勝つのがあまりに難しすぎる、ってだけなんだ。だから、きっと貴文も【ゴブリン】を使ってくる」
◇
準決勝。これに勝てば関東大会へ駒を進めることができる。だが、相手は桜華院、いや白河貴文だ。
「幕張南高校、桜華院高校」
運営が俺たちの再戦を宣言した。
いよいよだ。
「勝って幕張にいくよ!」
先輩の掛け声に先導され、俺たちはテーブル前に向う。
昨年度の覇者三人と対面する。彼らから緊張なんてものは一切感じさせない。自信に満ち溢れているのだ。まさに王者の風格。
そして、今の俺たちは間違いなく挑戦者なのだ。
お互い整列して、礼をする。
「よろしくお願いします」
その後、運営によって対戦順の抽選が行われる。こちらの順番は、俺、ギャル子、先輩。そして桜華院高校の順番が画面に表示される。
――貴文の名前は、最初にあった。運命に導かれた気がした。
「まずは一勝とってきます」
俺は先輩にそう宣言した。
「頑張って!」
先輩の言葉に背中を押され席に着いた。貴文と相対する。彼と戦うのは実に二年ぶりだ。
普段、あまり喜怒哀楽を見せないクールな貴文だが、今はどこか興奮しているように見えた。といっても、本当にそれはわずかに、なのだが。
「この日を待っていたよ」
「俺もだよ」
世界ジュニアで戦ったあの日の興奮が脳裏に蘇る。身体の奥底にに刻まれた、あの時の興奮がじわじわと、汗のように内側からしみだしてくるのだ。
先行・後攻を決めるダイスロール。ジャッジが降った二色の二十面のダイスが、板状を転がる。俺の目は十。天文は一。
「先行もらいます」
お互いのデッキをシャッフル。三枚カードをドローして、脇においてあったスタハン二枚を加えて手札とする。そしてお互いのサーヴァントが呼びだされる。俺が<ゴブリンの指導者>を出した時、天文もまったく同じカードをフィールドに繰り出した。二人ともサーヴァントは<ゴブリンの指導者>。ミラーマッチだ。
トップデッキのミラーでは、相性や引きといった要素ではなく、構築力とプレイングが勝敗を分ける。デッキの相性が悪くて負けた、そんな言い訳を一切許されない試合になる。
ひとまず先行を取れたのは大きい。最初のターン攻撃できない代わりに、相手より一ターン早く展開できる。詠唱時間がある召喚アーツは基本的に初めのターン攻撃できないので、メリットのほうが大きくなるのだ。
「<ゴブリンの妨害部隊>を発動」
俺はさらに追加でゴブリンを詠唱してターンを終了。ひとまず、手札はそこそこいい。想定どおりの展開ができそうだ。
そして、貴文のターン。まずは<ゴブリンの妨害部隊>を展開して――
だが。
「<ゴブリンの先鋭部隊>を召喚」
彼が繰り出したカードを見て、俺は驚愕した。
<ゴブリンの妨害部隊>を使わない!?
いったい何が起きているのか、頭が追い付かない。
「さらに<ゴブリンの先鋭部隊>をもう一枚召喚。そして<ゴブリンの老兵>を召喚。ターン終了」
「……俺のターン」
頭の整理はつかないが、考えずとも右手が勝手に、現在のハンドから考えられる最適なプレイングをしてくれる。
「<ゴブリンの老兵>を詠唱。<ゴブリンの衛生兵>を召喚。ターン終了」
お互い事故なく展開していく。
そしてゲームが中盤に差し掛かったころ、俺はあることに気が付いた。
確かに、彼の予想外の一手に動揺はしたが、ミスはしていない。なのに、俺のライフのほうが多く削られている。
いや、まて。
そういうことか。
そこで俺はようやく自分の過ちに気がついた。
確かに<ゴブリンの妨害部隊>は極めて強力なカードだ。一枚で相手のアーツを封殺できるのだから。
そのあまりの強力さ故に、大会に参加するプレーヤーのほとんどがスタハンとして採用している。
そして、大会に参加するプレーヤーたちはバカではない。相手が強力なカードを“確実に”使ってくるとわかっているのであれば、そのカードに対する対策をしてくるはずなのだ。現に、俺たちも<妨害部隊>の影響を受けるカードに極力頼らない構築にしている。
強力なカードゆえ、皆が対策をしてくる。だから、この環境では<妨害部隊>のパワーは半減してしまっているのだ。貴文のチームは、それを見越して<ゴブリンの妨害部隊>の代わりにあえて<ゴブリンの先鋒部隊>を採用して、速攻を仕掛けるほうが有利だと読んだのだ。
彼のデッキは、いわば【アグロ・ゴブリン】。攻撃に特化してるがゆえに、他の<妨害部隊>を採用している【妨害ゴブリン】に対して優位に立てるのだ。
環境を読み切った、完璧なデッキ選択。これが白川貴文。これが、常勝無敗の男の力。
【ゴブリン】は極めて安定したデッキだ。だからデッキ構築が完璧であれば、あとはミスをしなければ勝てる。運の要素が極めて少ない。
デッキ構築で貴文に負けている。この時点で勝負は絶望的だ。
そして貴文のプレイングは正確無比。こちらもミスのなく試合を進めるが、貴文はそれに対して的確に返していく。プレイングは互角。であれば、構築でまさる貴文の勝利は確実だ。
カードゲームは何が起こるかわからない。貴文がミスする可能性はゼロではない……その僅かな可能性を信じて冷静にゲームを進める。
だが、彼は最後まで彼であり続けた。その集中力が途切れることはなかった。結果、初めに速攻をかけた分の差を埋められず。
次のターンの攻撃を防げないことが確定した時点で俺はデッキトップに手をおいた。
「負けで」
俺はそう言った後、息を吸い込み、そして大きく吐き出した。
あー負けちまった。
意外と悔しいとは思わなかった。
ついさっきまで、勝てる気でいた。でも、敗北は当然の結果。考えてみれば、彼に勝ったことがあるといっても、ただの一度だけなのだ。
五年間負けなしの男に負けた。極めて順当な結果だ。
「ドンマイ!」
と、先輩がチームを盛り上げようとする。
だが、俺もギャル子も、そしておそらく先輩も、理解していた――もう、おしまいだ。
当たり前だが、三戦中二勝しなければいけない。だが、ただでさえデッキ構築で負けているのに、初心者のギャル子が桜華院の選手に勝てるわけがない。
「すまん。あとは頼んだ」
ギャル子にバトンタッチ。
「頑張ってきます!」
ギャル子は、勢い良くテーブルに向う。だが、彼女は言わなかった――勝ってきます、と。きっと、彼女自信が一番わかっている。
そもそもデッキ構築で負けている以上、プレイングが未熟なギャル子に勝てるはずもない。彼女自身が、誰よりもそのことを理解しているのだ。
だが、ギャル子それでも完全に諦めてはいないようだった。だからだろうか。気合は空回り、いつもならしないような、本当の初心者のようなプレイミスを繰り返して、あっという間に敗北。
これでチームは二敗。もう敗退は決定だ。
だが、学生大会のルールでは、敗北が決定していても、三人目が勝負をする権利がある。それは敗者への配慮だった。
「三試合目はどうしますか」
先輩は迷うことなく、戦うことを選んだ。
「戦います」
先輩にとっては、一年間ずっと恋語かれていた戦いだ。例え、負け戦とわかっていても、戦わずにはいられないだろう。
だが、結論だけ言うと、先輩も負けた。考えもしなかった地雷デッキになす術なく、あっけなく敗北。
三戦三敗。完敗だった。
勝てると、思っていた。でもそれは幻想だったのだ。
言葉もなく立ち尽くしていると、貴文と目があった。彼の表情には、落胆の表情がにじみ出ていた。
「残念だよ」
ボソリと言った。
その言葉は魚の骨のように俺の中に刺さって抜けそうになかった。
◇
「今日はありがとうね」
先輩は、いつもどおりの満面の笑みでそういった。
だが、その言葉にギャル子はとうとう泣き出してしまう。
俺はそれを黙ってみていた。
「もう~。泣かなくていいよー」
先輩が泣きじゃくるギャル子の頭をなでる。
「二人がいなかったら大会にも出れなかった。ここまでこれたのも二人のおかげ。本当にありがとう」
どうしてだろう。その笑顔はいつものそれと何ら変わらないのに。でも作り物だとわかってしまう。
「私、部室に寄ってから帰るから」
「お疲れ様でした」
「また明日ね」
そういって先輩は部室のほうへ去っていった。
「ギャル子、ちょっと俺腹いてーから、トイレ行って帰るわ」
もちろん、嘘だ。
「じゃあ、また月曜ね」
俺はそのまま、先輩が向かったほうに歩いていく。
誰もいない廊下。
自分でも驚く。本当に冷め切った自分がそこにいた。
そして自分が冷め切っているからこそ、なぜか感情的なものに惹きつけられてしまうのだろうか。そんなことして、いったいなんの得がある。わかってはいたが、でも俺の脚は自然と部室へと向かっていた。
扉の前まで来て、小窓から中を覗く。
予想通りだった。
やっぱり来なきゃよかった。さっきまで満面の笑みを浮かべていた先輩が、机に突っ伏して涙していた。
そして号泣している先輩を見て、俺は最低なことを思ってしまった。自分でも、それがどれだけ最低なことかはわかってる。でも思わずにはいられなかった。
――たかがカードゲームで負けただけじゃないか。
どうして、涙を流せるんだ。
そして、その問の答えは一瞬で出た。
ああ、この人の頭にはカードしか無いんだ。甲子園を目指す球児たちが敗北にむせび泣くのと、まったく同じことなのだ。彼女はアーツこそがなによりも大事だと、言い切ることができるに違いない。
彼女はカードが大好きなんだ――他のことなんて、きっとどうでもいいというくらいに。
感情があふれ出ている先輩を見て、逆に俺は心が冷め切っていくのを感じた。
そのままその場所をゆっくり立ち去る。
虚しく、帰路につく。そして気がつくと地元の駅についていた。そこからもまた一瞬で家に着く。
「ただいま」
いつもなら母親の「ただいま」が聞こえるはずだった。だが、代わりに
「ちょっと優輝! こっちこっち」
そんな母の興奮した声が聞えてきた。少し急ぎ目にリビングに向かうと、母がテレビを指さしていた。
「みてみて!」
見ると、妹がテレビに映っていた。テロップによると、先日行われた大会で、大技を決めたことで注目され、特集が組まれたようだ。
テレビの中で一生懸命練習に励む“次世代のスター”。
「あんたもいい年してカードでなんて遊んでないで、妹見習って実のある事しないよ」
反射的にムッとした。自分がやっていることを馬鹿にされたから。
でも、ほぼ同時に、自分もついさっきまで同じような気持ちを、桜木先輩に対して抱いていたことに気が付いた。
わからなかった。
カードはくだらない。これが世間の評価。
それにムッとする自分。
カードに一生懸命になる先輩やギャル子。
そんな彼女たちを見て冷めてしまった自分。
それぞれ矛盾する気持ちが、俺の中には確実に二つとも存在しているのだ。
◇
「はい、止め。鉛筆置いて」
県予選から一週間。たった今、高校生になって初めての定期テストが終わり、教室が開放感に包まれてた。
といっても、今日から放課後の練習が解禁される部活組にとっては、ある意味地獄への逆戻であったりもするのだろう。
このテスト週間、授業が終わって三時には家に直帰する生活が続いたが、久しぶりに自由な時間を手に入れてみると、その開放感に感動してしまった。
まぁ当然のように、一週間を開放感に酔いしれて過ごした結果、テストの方は悲惨な結果に終わってしまったのだが。
「いやー終わったーッ!」
横の席から声高な声が聞こえてくる。おもいっきり背伸びするギャル子。突き出された胸に思わず目が言ってしまう。オレンジ色のブラが少し透けていた。
ギャル子は俺の視線に気が付き、話しかけてくる。
「どーでしたか、優輝大センセー、テストの方は」
「まぁそこそこだよね」
そっちはどうなのよと聞き返すと、
「あたしは大爆死だよねー。全然解けなかったー」
ギャル=バカ。なんとも納得感のある一言だった。
でも、次の一言は、ギャルには似つかわしくないものだった。
「テスト期間中、ずーっとアーツオンラインに潜ってたからね」
彼女のアーツに対する意識の高さには驚く。
「でも、やっぱ現実で本物のカード触りながらやるのがいいよね!」
ついこの間までカードとは縁もゆかりもなかったギャルが、いまでは一端のカードゲーマーになっていた。まさか茶髪のJKが、「カードは紙に限る」なんて。
「よーし、部室行こうか」
彼女は、いつもどおり言った。放課後部員が部室に行く。そうだ、当たり前のことだ。
だが、到底部室に行く気になどなれなかった。だから嘘をつくことにした。
「あ、俺はちょっと用事があって」
怪訝な顔を擦るギャル子。
「え、そうなの」
当たり前だけど用事なんて無い。さっさと家に帰りたい。ただそれだけだ。
「わるいけど、先輩に伝えといて」
「あ、うん」
ギャル子を置いて、早々に教室を立ち去る。エレベーターは部活へ向かう生徒たちで混んでいるので、階段を使って下まで降りる。
駅までの道には、ほとんど人がいなかった。テスト期間は部活がないので、帰路は学生であふれていた。だが、テストが終われば、また部活へ打ち込む日々に戻っていくのだ。
誰もいない道は、なんだか妙な感じがした。
と、駅のホームで待っていると、後ろから肩を叩かれる。
「おい、なにサボってんだよ」
シルバーの髪に、手首にはギラギラ光った腕輪、ついでに足元に目を向けると、靴の先は見事にとんがっていた。
っていうか、驚くべきはこれで制服姿だということだろう。こんな自己主張の強い不良が、さっきまで俺と同じ学校で授業を受けていたと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。
「桜木が悲しむぞ」
「だいたい先輩も部員でしょうが」
「経験者として、注意してるんだよ」
なんだよそれ。そう思ったけど、もちろん言わなかった。
「サボってるとこみると、桜木にフラれたのか」
「てか、俺桜木先輩のこと好きじゃないんですけど。なんで俺が先輩のことを好きな前提なんですか」
「そういう下手な嘘はやめとけって。あいつと毎日一緒にいて、あいつのこと好きにならないやつなんていねーだろ」
「ってことは、先輩も桜木先輩のこと好きだったんすか」
はい、論破。と思ったら、先輩は意外と素直に認めてきた。
「まぁ過去の話だよ」
影山先輩は突然、意外な事実を語りだす。
「俺は小学校からずっと同じ学校だったけど」
影山先輩と桜木先輩、そんなに昔から知り合いだったのか。
「あいつ、あんなに可愛いのに、今までだれとも付き合ったこと無いんだぜ」
それは、ある意味では安堵して、でもある意味ではひどく落胆する事実だった。
「それどころか、誰かを好きになったこともない。あいつは、どんなにモテるイケメンにも興味は示さない。でも、強いカードゲーマーには興味を持つ。俺も若かった。だから勘違いしたんだ。きっとコイツは俺のことが好きに違いないって」
「痛いっすね」
「超痛いな。でも、ある時気がついたんだ。コイツが本気で好きなのはカードゲームだけなんだって」
今までこの人に距離を感じてた。けど、俺と先輩はまったく同じ道を歩いてきたようだ。
「去年は四人部員がいたんですよね」
「ああ」
「他の人はどうしたんすか」
「いろいろあって夏前には辞めたよ」
ってことは、桜木先輩は、半年間、たった一人だったのか。入学した日、俺のことを待ち望んでいたと言っていたが、その言葉は本当に心の底から出た言葉だったのかもしれない。
「ちなみに、去年はどこまでいったんですか」
「去年は二回戦で“貴文に当たった”」」
無敗の男白河貴文。大会で彼と当たったものは、全員敗北してきた。そしてプレーヤーは、徐々に“敗北”という言葉を使わなくなった。代わりに生まれたのが“貴文と当たった”という言葉だった。
彼に負けるのは仕方がない、という共通認識ができたのだ。
「貴文には勝てねーし、桜木とは付き合えねーし。まああそこにいる意味はねーわな」
正直に言ってしまえば、今の俺には彼の気持ちがよくわかった。
「ま、でもお前が部活に行ったら、あいつも喜ぶんじゃない」
そうこうしているうちに、電車が来た。
「じゃぁな」
先輩は俺と反対の電車に乗って、去っていった。
◇
授業が終わった瞬間、俺は誰よりも早く席を立った。
一刻も早く教室を出ようと出口に向かう――だが、誰かが俺の腕をつかんだ。
近くの席に座っていたギャル子だった。
「ねぇ、優輝」
「何」
「今日は来るよね」
「えっと……」
行く気などなかった。さらさらなかった。
「まあ、あれだよ」
用事がある、そう言おうとしたが。
彼女の小さな手が、俺の腕をガッシリと掴んだ。
「行くよ」
クラスメイトたちはの「何事?」という視線を感じる。そういえば、クラスで俺とギャル子は毎週おうちデートを重ねる中ってことになってるってことを思い出した。
だが、そんなことギャル子は気にせず、俺を引っ張る。その気迫に圧倒されて、手を離せとは言えなかった。それこそ、浮気した彼氏に問いただすみたいな雰囲気を醸し出していた。
あっという間に部室まで来てしまう。
部室には既に先輩がいた。いつも先輩は先に部室にきている。この人より早く来れた試しがない
「お疲れ様です」
一週間ぶりに見た先輩は、やっぱり可愛かった。そう、忘れていた。俺は、この人ことがが好きだったんだ。
「優輝くん!」
練習を休んでたことを怒られるかなと思った。でも違った。
「私昨日デッキ組んだばっかりなんだ。試させてよ!」先輩はそう言ってデッキを突き出す。「結構自信あるんだ」
ほんとに何事もなかったかのようなノリで彼女はそう言った。
俺は少し肩の荷が下りた感じがした。
「どれ見せてください。……確かに<薔薇の契約>、意外と強そうですね」
「環境次第でワンチャンあるでしょ?」
いつものように、プレイについてああだこうだと言い合いならがゲームをする。
「そう考えると、一強環境なら【メタビ】とかも全然アリですね」
「うんうん」
「【メタビ】ってなんですかぁ?」
「環境デッキを徹底的に対策して、動きを縛るデッキだよ。例えば、【ゴブリン】環境なら、サモンカードを妨害するカードとか、サーチを禁ずるカードばかりを積んで、相手にアドをとる動きをさせないんだ」
プレイしていると時間はあっという間に過ぎる。下校のチャイムで、もう五時半だと気が付くのだ。
部室を出て、駅まで歩き、電車に乗っても、先輩の環境分析は続く。
俺たちはいつも通り先輩より先に電車を降りる。
「じゃあね」
先輩は満面の笑みでそう言った。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
ドアが閉まる直前。
「まあ明日、ね」
桜木先輩は俺の目を見てそう言った。
俺は答えられなかった。代わりに曖昧に頷いただけだ。
その後、数分電車に揺られていた。
と、ギャル子が俺の制服の袖を引っ張った。
「ねぇ、この後なんか用事ある?」
このパターン、デートのお誘いでないことはもうよく知っている。
「別に無いけど」
「じゃぁ練習付き合ってよ」
「じゃあうちでいい?」
「いいよ」
駅から十分弱歩く。
「お邪魔します」
「あいよ」
もう、俺の家にギャル子を入れるのも慣れてしまった。
テーブルを挟んで俺はベッド側、ギャル子は反対側に座る。これが定位置だった。
「食べる?」
とギャル子が乾パンの袋を差し出してきた。そろそろお腹が空く時間だったので、俺は無言で袋に手を突っ込んだ。二、三個まとめて口に放り込んでからデッキの準備をする。
練習なので、俺はゴブリン以外のメジャーなデッキを使う。
「あ、このデッキはここで除去っちゃダメだよ」
「え、なんで?」
「だってまだデッキに<活路への希望>が眠ってるかもしれないでしょ。そこを確実に潰さないといけないから」
そして七時頃、やっていたゲームの決着がついて、そろそろお開きにしようという雰囲気になった。
カードをケースにしまいながら、俺は彼女に尋ねた。
「なんでさ、そんな頑張ってんの? もうしばらく試合はないのに」
どんな答えを期待しているのだろう。
「私だけ役に立てなかった」
「そりゃお前は初心者で」
「だからこそだよ。何年もやってる人たちに追い付くために頑張らないと。まだまだ知らないカードや戦術がたくさんあって、自分のデッキがどんな可能性を秘めているのかもわからない。知らなきゃいけないことが途方もなく沢山あるって、それがわかったの」
この子は、本気でアーツに取り組んでいるのだ。たった数ヶ月前に始めたばかりなのに、本気で、日本一を目指しているんだ。
「それにさ」
一呼吸。そして彼女の瞳が俺を見据えた。
「負けたら悔しい。当たり前じゃん」
その言葉は、妙に心に響いた。
「ねぇ」
と、彼女は突然、
「家まで送ってよ」
そんなことを言い出した。
「いいけどさ」
俺はスマホだけ持って、立ち上がった。
家を出て、駅までの道を歩く。
家を出て数分、ギャル子は黙っていた。だが、彼女は突然、思わぬことを言い出した。
「優輝ってさ、先輩のこと好きだったでしょ」
そういえば、前にもそんなことを言われた。
「急になんだよ。大体俺が先輩のこと好きって前提はいつできたんだよ」
「いいから、そういうの。前は好きだった。それは事実でしょ」
俺は返事をする代わりに沈黙を選んだ。
「でさ、今どうなの」
その質問に、俺は考える。そして本音を言う。
「別に、好きじゃないよ」
「そう」
と、突然彼女は立ち止まった。
そして、
「じゃぁさ、あたしと付き合わない?」
何かの聞き間違いかと思った。
「えっと、それって……」
あまりに突然のことで、俺は言葉を失ってしまった。
「あたし、もし優輝が部活辞めちゃっても、いや、辞めてほしないけど、とにかく、一緒にいたい」
「えっと、つまり俺が辞めるかもと思ったから?」
と、姉ヶ崎は小さく頷く。
「優輝とカードやってるとき、本当に楽しいから」
俺はなんていえばいいのかわからず、黙り込んでしまう。本当に何か言わなければいけないって、わかっているのに、なにも言葉が出てこない。それでなんとか出した言葉は
「ごめん、返事。保留にしていいかな。突然のこと過ぎて」
そんな、情けないものだった。でも、それが俺の精一杯だったのだ。
「うんわかった」
と、姉ヶ崎は再び歩き出した。俺もついていこうとするが、
「お見送りありがとう。ここまででいいよ。じゃ、また明日」
「――またね」
◇
「……よく眠れなかった」
昨日の出来事が、頭の中をぐるぐるめぐってしまったのだ。
「夢、じゃないよな」
いつも通り朝食を食べていると、妙に頭が冷静になってきて、昨日のは全部冗談だったんじゃないかという気になってきた。
部屋に帰って着替え、カバンに教科書を詰める。最後にベッド脇で充電していたスマホをポケットに入れようすると、メッセージが入っていることに気が付いた。
姉ヶ崎からだ。
晴夏――もう家出た?
こんな朝からどうしたんだ。
一ノ瀬優輝――いや、まだだけど。
俺の返信に既読は付いたが、返信はなかった。
「なんなんだ……」
だが家を出た瞬間、その謎は一瞬で氷解した。
姉ヶ崎が、家の前の電柱に寄りかかっていたのだ。
「姉ヶ崎、お前どうして」
「いいじゃん。一緒に学校行こうよ」
「うん、まぁいいけど」
俺は困惑しながらも、歩き始める。
「……」
「……」
いつもなら、カードの話とか、もっとどうでもいいこととか、とにかく何か話すことがあるのに。今日は何を話していいのかわからない。
「明日から雨らしいな」
ようやく絞り出した話題が天気。自分でもベタすぎてビックリした。
「うん、らしいね」
本当に気まずい。
電車から降り改札を出ると、当たり前だが、幕張南の制服を着た生徒たちがたくさん学校へ向かっている。その中にはクラスメイトたちもいる。その中で、女の子と二人で歩くのは、とにかく気恥ずかしい。
「なに、お前ら付き合ってんの」
友人の一人がが俺の腕を肘でついてきた。
「たまたま会ったんだよ」
「ふーん」
やつはニヤニヤして、絶対に信じていないとひと目でわかった。
◇
雨は明日からのはずだったが、実際は今日の午後から振り始めた。
単に面倒くさいというのもあったが、姉ヶ崎と合うのが気まずくて、部活に行く気にはなれなかった。幸い、五時間目は彼女と別の教室だった。だから、俺はそのまま帰ることにした。
建物を出ると、ナマズの像だけが雨の中で立っていた。生徒たちはみな部活動にいそしんでいるのだろう。
と、その時。ポケットでスマホが振動した。見ると先輩からのメッセージだった。
桜木あおい――今どこ?
一ノ瀬優輝――校門の近くです。
すると既読が付いた。でも、返信がなかった。
俺は少しだけその場で考えてから、とりあえず帰ろうと校門の方に向き直った。
だが、その時。
「ゆーきくん!!」
俺の背中に、彼女の声がダイレクトに伝わってきたのだ。
振り返ると、桜木先輩が校舎から飛び出てきた。傘も挿さずに、びしょ濡れになりながら、駆け寄ってくる。
なぜか彼女は満面の笑みを浮かべていた。
なんで傘ささないんですか、そう言おうとしたが、その前に彼女が口を開いた。
「あのね!!」
満面の笑みは、やっぱりどうしようもなく可愛かった。ちょっと天気が悪いくらいじゃ、彼女の明るさを曇ることはないのだ。
「あのね!」
と、先輩は駆け寄ってきて、そのまま俺の両手首を握った。雨に濡れたその手は、暖かかった。
「代表校の青葉高校が、出場を辞退したの!」
耳を疑った。
「それって、つまり」
「繰り上がりで関東大会に出れるんだよ!」
雨が地面に当たる雑音に負けない声で彼女は言った。その笑顔は、これまで人生で見た中で一番っていうくらい、明るいものだった。
「もう一回貴文と戦えるんだよ!」
ああ、だめだ。
この人はカードのことしか考えてない。アーツという競技が、俺と先輩をつなげているに過ぎないのだ。そのことを、改めて思い知る。
でも、なのに。いや、だからこそか。
桜木先輩はやっぱり魅力的だ。どうしようもなく惹きつけられる。こんなにまっすぐな人はいない。あまりにまっすぐすぎて、周りのことなんてまったく見てない。
彼女は太陽のようで、でも、ひまわりでなくても惹きつけられてしまうのだ。
「先輩、風邪ひきますよ」
俺は自分の傘を先輩の上に動かす。本当はハンカチの一枚でも差し出せればよかっただが、あいにく何も持っていなかった。
「とりあえず部室に行きましょう」
「うん」
先輩はひどくうれしそうな顔をした。そんな顔するなんて卑怯だ。
「もう時間ないよ」
先輩の一方後ろを歩く。ブラが、バッチリ透けていた。水色の、いかにも清楚そうな感じ。先輩に悪いなと思いつつも、まぁこれから大会に向けて頑張るのにご褒美も必要だろう。
◇
関東大会前、最後の土曜日。俺たちは部室ではなく、カードショップ集合した。例によって、今日は新弾の発売日だ。
店に入ると、新弾発売日ということもあってか、かなり賑わっていた。テーブルの対戦席は、新弾のボックスを開封する人たちで溢れている。
「先輩は今回は何箱買うんですか」
「今回は一箱かなー。あ、でも“あれ”が当たらなかったら、もう一箱買うけどね」
今回の新弾は、再録カードが中心のパックだった。全四十枚のうち、三十枚は過去のパックに収録されたカードの再録だ。新規カードはたった十枚。
だが、その中には環境に大きな影響を与えるカードがあった。
「あ、あたし当たりました」
「ほんと?」
今回のトップレアカード。
<繁盛する酒場>
発動後3ターンの間、相手が召還アーツを使うたびにカードを1枚ドローする。
効果はたった一文。だが、往々にしてシンプルな効果を持つカードは強いものだ。
強力なサモンメタ。サモンデッキである【ゴブリン】が支配するこの環境で、このカードの強さは火を見るよりも明らかだろう。
「いいなー」
なんて言っていたが、そのうち先輩も<酒場>を引き当てる。俺は結局一箱では当たらなかったので、おとなしくシングル買いする。
「さて。デッキ構築どうしようか」
新弾の発売と同時に、新しい制限カードリストが発表された。
制限カードとは、強すぎる故に、デッキに投入できる枚数を制限されたカードのことだ。本来同じカードはデッキに三枚まで投入できるが、“準制限カード”は二、“制限カード”は一枚しか投入でず、その上をいく“禁止カード”は、公式デュエルで使用不可となる。
ゲームバランスをとるために、三か月一度リストが更新され、強いデッキが弱体化することになる。
今回の制限対象はもちろん、環境を支配している【ゴブリン】だ。デッキのアドバンテージ獲得能力を支えていた<ゴブリンの角笛吹き>と<ゴブリンの召喚士>が二枚とも制限カードに指定された。これで、ほぼ永続的だった【ゴブリン】のアドバンテージ獲得能力が限定的になった。
だが、それでもなお、ゴブリンデッキは環境トップに居座るだろう。<ゴブリンの角笛吹き>が一枚でもある限り、序盤にアドバンテージを稼ぐ能力は失われないからだ。
新弾のカードをデッキに投入して、デュエルをしてみる。
他のデッキに<繁盛する市場>を入れて試してみるが、やはり【ゴブリン】のスピードに追いつかない。
「やっぱり、デッキは【ゴブリン】以外ではありえませんね」
これまで以上に繊細なプレイングが求められることにはなるが、それでもまだデッキパワーの高さを実感する。次の環境も、どうやら【ゴブリン】環境になりそうだ。
と、
「いらっしゃませ~」
視界の奥に、一人の少年。俺の焦点は一気に彼にフォーカスする。
白河貴文。
あの大会以来の再開だった。
だが、
「やあ、優輝くん」
と、彼はそれだけ言って、立ち止まることもせず、店の奥に行った。帝王が、もはや俺に対する興味を失っているのは明白だった。
その瞬間。
あの日の記憶がフラッシュバックする。
――残念だよ。
ギャル子の言葉。
「負けたら悔しい、当たり前じゃん」
その瞬間、俺の中で何かが再び燃え上がった。
そうか。
そうだよな。
負けたら悔しい。
負けたくない。
勝ちたい。
たったそれだけのことじゃないか。
意味があるとか無いとか。
将来役に立つとか立たないとか。
そんなのは関係ないんだ。
「先輩」
俺は前向いて宣言した。
「俺、必ず勝ちます」
それはもはや独白。でも、それでもいい。
「貴文に、必ず勝ちます」
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