コバヤシの場合
共依存 コバヤシの場合
鍵の回る音で目をさます。泥棒にしては無遠慮な足音に、知り合いだろうと推測が立つ。さっきまで飲んでいた誰かが忘れ物でも取りに来たのだろうか。二日酔いのような気だるさがまだ寝とけよとささやく。俺は来客に構わずそれに従った。とろとろと夢の中へと溶けていく。至福のひととき。
突然、それを阻むように荒々しいカーテンレールの騒音が襲いかかった。驚いて目を開けると赤々と燃える夕日に目がくらむ。その中に窓枠にもたれかかる男の背中。中肉中背。セーターにジーンズという地味な格好。このダサさ、オカンか。
春先だが風はまだ冷たい。開け放たれた窓からどんどん入る風に俺は身を丸めた。寒い。だがしかしここで起きれば一緒にやらされるのは目に見えていた。どうせ今日も掃除しに来たのだろう。ほら、ゴミ袋を広げる音がする。
ずいぶん乱暴に開かれたゴミ袋に次々と空き缶がいれられる。カラン、カランとあっけらかんとした軽快な音がメロディーを刻む。それに合わせてゴミ袋も鳴る。もう何度聞いただろうか。なんだかその音を待っていたようなそうではないような気がした。
オカンこと康太とは同じサークルであった。特段仲が良かったわけではない。挨拶をする程度であった。それでも同じサークルにいたことで仲間意識が芽生えたのだろう。授業が被ると康太は決まって隣に座った。最初はちょっと面倒だなぁ。と思っていた。が、話してみれば案外面白く、オカンは、まぁ不器用だが良い奴であった。それからはことあるごとになんとなく一緒にいるような間合い柄になった。後でサークルの仲間に聞いたのだが、どうやらオカンも同じ時期にサークルを辞めていたらしい。それが余計に俺への親しみを感じさせたのだろう。だが、それ以上オカンをよく知る人はいないみたいだった。
薄く目をあけ、オカンの背中を眺める。せっせと缶を拾う姿は息子の部屋を掃除する母親、そのものだ。と、スマホにLineの通知。開くために、まさに今起きましたよ。という体で声をかける。
「あれ、康太?」
「おう」
父親のような返事に吹き出しそうになる。
「今何時?」
「夕方。」
「あーーーもうそんな時間かぁ。」
なにとなしの返事にピタリとオカンの動きが止まり、俺の方へ向き直る。まずいぞ。オカンの小言が
「お前さ………。」
始まった。こうなると面倒なのは経験上分かっている。俺はスマホに逃げる。
「いい加減に学校こいよ。」
「……うん。」
「もう何回目だよ。」
「うーーん。」
「単位落とすぞ。」
「うん。」
「留年すっぞ。」
「うん。」
「もうプリント取ってこないぞ。」
「えーー。」
「……なぁ。」
オカンの声色がワントンーン落ちる。
「聞けよ。」
「うん。」
「なぁ。」
「聞いてるよ。」
「聞いてねぇよ。」
「え、なに、どうしたの。」
いつもよりも食い下がりの悪いオカンを伺う。だいたいいつも流せば勝手に治るのに今日はそうではない。なにがそんなに気に障ったのか分からず首をかしげる。なんかしたか、俺…?
オカンの苛立ちは目に見えてわかった。もうなんか面倒臭い。
「冷たっ。」
急に空き缶を投げつけられる。こぼれた中身がTシャツにかかり、酒臭い。あ、シミ……。そんなことより急な出来事に頭が追いつかない。なんでこんな怒ってるんだ。
ときたまオカンにはそういう面倒臭いところがあった。癇癪持ちなのだろう。その面倒臭さがもとで周りに敬遠されていることを彼は知っているのだろうか…。
急にオカンが帰り支度を始める。
「もう帰るの?」
なんだかんだ夕飯も一緒に食っていくだろうと思っていたのでちょっと拍子抜けした。へそを曲げたオカンは返事をしない。
「せっかく来たのに。」
オカンのご飯が食べたいという魂胆は隠しておく。オカンはオカンの名の通り料理ができる。しかも美味い。いつぞやか酔っ払ったときに渡した合鍵は、飯を作ってくれるといったからだ。でもそれを言えば機嫌をさらに悪くするだろうことはわかっていた。
「寂しかったの?」
オカンに友達はいない。それは確かだ。俺はなんだかそれが可哀想であまり他の奴らといる時には出くわさないようにしていた。でも、さすがにこの質問はデリカシーがなさすぎたかな。
「………ねぇ、ごめんって。」
もう訳が分からず謝った。俺は諍いが苦手であった。いがみ合うよりかは愛し合いたいタイプの人間だ。平和主義者なのだ。だからこういう空気には滅法弱い。居た堪れなくなる。どうにかしてこの空気を打開しなきゃと考えるが、どうにも浮かばない。あぁ、面倒臭いと心のどこかが悲鳴をあげる。そうなるともうダメだ。思考停止。口をまごつかせることしかできない。そうしてやっと出てきた言葉は
「なぁ。」
それだけだ。あぁ、もう面倒臭い。非常に面倒臭い。もはやなげやりであった。
「明日は、来いよ。」
さっきとは打って変わった声色に思わず耳を疑った。訳がわからない。機嫌が直っている。何故だ。なんかもうまともに取り合ったのがアホらしく感じる。
「………うん。」
我ながら気の抜けた返事だなと思う。
「じゃあな。」
と、足取り軽くオカンは家を出る。何を満足したのか、顔は今日一ほころんでいた。
「おう……またな。」
反射的に閉じゆくドアに声をかけると、閉まった玄関をぼうと見る。嵐の後のようだ。部屋の静けさがよくわかる。
俺は困惑していた。本当、訳がわからない。きっと、考えるだけ損だ。唯一分かるのはオカンがまた来るだろうということだけだ。多分、明日にでも。
部屋に残されたゴミ袋を眺めながら、無造作に床に転がる。家の合鍵は相変わらずオカンの手の中だった。
共生 穂張 はる @Houbari_haru
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