筒井貴美 篇(穏やかな午後の美術室)

「おはよう、お姉ちゃん!」


「おはよう貴美、朝から元気いいね!」


「だってクリスマスイブだよ!」


「クリスマスって、航君と一緒に過ごせるからでしょうが?」


「ハハハ、そうだね‥バレた?」


「おはよう貴美、今日は航君と何時頃帰って来るの?」


「おはようお母さん、多分5時頃かな?」


わたしと航の初めてのクリスマスは我が家で迎えることになった。


姉はバイトの後に彼氏と食事をするらしい、わたしもいなくなると、父と母の二人だけのクリスマスになってしまう。


それはそれでいいと思ったけれど、母のたっての願いで航を家に招待することになった。


「お母さん、頑張ってご馳走作るから、お腹空かせて帰ってきてね」


「うん、わかった」


「航君によろしくね」


姉がわたしに言った。


わたしは頷くと母が用意してくれたトーストと珈琲で朝食を済ませた。


部屋に戻って制服に着替えると、洗面所で歯磨きと鏡を見ながら入念に身支度をして家を出た。


豪徳寺駅までの道はすっかり冬の彩りだった。

商店街にはクリスマスの飾り付けをしたお店のショーウィンドウが見えて、なんだか嬉しい気持ちになってくるから不思議だ。


去年のクリスマスなんて、何をしていたのかまったく覚えていない。

彼氏が出来て、眼鏡もしていないわたしを想像することが出来ただろうか?


いや、絶対に想像出来る筈がないと思った。


豪徳寺駅から小田急線に乗って下北沢で井の頭線に乗り換えをした。


久我山駅で降りると学校までの道を歩いていた。


わたしは後ろから航に声を掛けられた。


「おはよう、貴美」


「航!おはよう」


「冬休みでしかも土曜日なのにわざわざ学校に来なくても良かったのに」


「だって、美術室で勉強するの慣れたし、すごく集中出来るんだよ」


「そっか‥」


「もちろん航がいるからなんだげとね」


「貴美‥ありがとう」


「お礼を言うのはこっちだよ、航には迷惑掛けたしね」


「迷惑?」


「前に描いてくれた香穂と那由と一緒の肖像画のこと、わたしも描いてって色んな人から頼まれて‥断るの苦労してたよね、ごめんね、香穂のやつみんなに自慢して見せてまわったから‥」


「気にしてないよ、それより三嶋さんと日下君は変わらずかい?」


「うん、相変わらず仲良いよ」


「日下君は明るくなったよね」


「そりゃ、那由みたいなのと付き合ったら明るくなるよ」


「そうだね、日下君に感謝されたけど、僕は何もしてないんだけどな、鎌倉か‥懐かしいね」


「今度一緒に行ってみない?」


「初詣とかいいかもね」


「今のわたしがあるのは航が肖像画を描いてくれたおかげだよ」


「それは違うよ、貴美は元々美人なんだからって、何度も言わせないの」


「へへへ、何度言われても嬉しいの!乙女心をわかってないな〜いつも褒めてもらいたいんだからね」


他人が聞いたら惚気以外の何物でもない会話をわたしは楽しんでいる。


航はいつまでこんなこと言ってくれるのか、航の優しさはわたしの思った通りで、ついその優しさに甘えてしまっている。


冬休みの学校は閑散としていた。

部活の生徒をちらほら見かけるけどやっぱり普段とは違っていて、特に美術室はひっそりと静かな佇まいを見せていた。


航はいつものようにキャンバスに向かって筆を走らせている。

わたしはその姿を横目に見ながら参考書の問題を解いていた。


この二人っきりの静かな空間がわたしにはとても幸せで大切な場所だ。


「お母さんが、今日はお腹空かせて来てねって」


「うん、そのつもり、お父さん、お母さんに会うの久しぶりで緊張しちゃうな‥」


「大丈夫だよ、うちの両親は航のことお気に入りだから、最初に描いてくれたわたしの肖像画、今は額に入れて飾ってあるんだよ」


「そうなんだ?」


「とってもいい絵だって」


「貴美への想いを込めて描いたから‥」


「こんなに想われて幸せだねってお母さんが言うんだよ」


「お母さんが?」


「そっ、航のこと大事にしなさいって」


「そっか‥もったい言葉だな」


「さて、もうひと頑張りしたら家に行こうよ」


「そうだね、お母さんのご飯楽しみだね」


わたしと航は昼ご飯を抜いて3時過ぎに学校を出た。


久我山駅から渋谷行きの井の頭線は混雑していた。


「やっぱりクリスマスイブだね、電車混んでるね」


「うん、カップルが多いよね」


「そうだね、わたしもこんなクリスマスイブを過ごせるなんて去年は思わなかった」


「僕も同じ、まさか図書室で見かけて想い焦がれていた筒井さんと、一緒にクリスマスを過ごすことが出来るなんて夢にも思わなかったよ」


「航‥」


「本当、夢みたいだよ」


「そう言ってもらえて嬉しいな」


わたしは航の手をぎゅっと握った。

航の手はとても暖かくて、やっぱり繊細な手をしている。


わたしは航と一緒にいられる幸せを神様に感謝した。


井の頭線を下北沢で降りて、小田急線に乗り換えると、下りの小田急線は空いていた。


豪徳寺駅で降りて時計を見ると、4時ちょっと前だった。


「まだ少し早いかな」


「じゃあ、お茶でもしていく?」


航が言った。


「そうだね、カフェかファミレスがあるよ」


「カフェは混んでそうだから、ファミレスでも良いかい?」


「うん、いいよ」


わたしと航は駅前のファミレスに入った。


「いらっしゃいませ!何名様ですか?」


「二人です」


航が応えた。


「お席にご案内します!」


あれ、この元気な彼女って‥

もしかして寺坂さん?


「寺坂さん!」


「はい?」


「わたし!わかるかな?」


「あの‥どちら様でしたっけ?」


彼女はわたしのことがまったくわからない様子だった。


「わたしだよ、筒井、筒井貴美!」


「えっ!筒井さん、あの筒井貴美?」


彼女はとても驚いた顔をして言った。


「そうだよ、久しぶり!元気そうだね?」


「筒井さん!本当に筒井さんなの?別人みたいだよ‥眼鏡は?その髪型!どうしたの?」


「うん、ちょっとイメチェンしたんだ‥」


「あのガリ勉女子の筒井さんが‥嘘みたい!すごい綺麗になって‥びっくりだよ」


「へへへ、そう?」


「よくノート借りたよね!あの時はありがとうね」


彼女が少し興奮気味に言った。


「貴美、知り合いなの?」


「あっ、航ごめんね、彼女、中学の同級生なんだ」


「へ〜っ、そうなんだ。初めまして、竹本航です」


航が寺坂さんに自己紹介をした。


「初めまして‥寺坂葉月です、筒井さんにいつもノート借りて助けてもらいました‥ってもしかして筒井さんの彼氏とか?」


「うん‥そうなんだ」


わたしは少し恥ずかしかったけどそう応えた。


「え〜っ、あの筒井さんに彼氏!しかもこんなかっこいい人!二重にびっくり」


「‥そうだよね驚くよね?」


わたしは寺坂さんに応えた。


「ううん、今の筒井さん、可愛すぎる!超お似合いだよ」


「ありがとう、寺坂さん」


「でも久しぶりでびっくりした」


「そうだね、わたしも‥寺坂さんここでバイトしてるんだ?」


「うん、もう4ヶ月になるんだよ」


「そう、クリスマスなのに大変だね」


「そうなの、店長の策略で‥でも平気なんだ、彼がいるから」


「彼?」


「うん、ほら、あそこにいるでしょ、彼も一緒にいるから頑張れるんだよ」


わたしは寺坂さんが指差した方を見た。


優しそうなイケメンの男の子が別な席でオーダーを取っていた。


「え〜っ、彼って寺坂さんの彼氏なの?」


「そうだよ、とっても優しいんだ」


「あのガサツで男勝りの寺坂さんに彼氏!嘘みたい」


「あのガリ勉女子の筒井さんにこんな素敵な彼氏もね!」


わたしは寺坂さんと顔を見合わせて笑ってしまった。


「寺坂さん、幸せそうだね」


「筒井さんもね、ごめんね仕事忘れてた、ご注文が決まりましたらボタンでお呼び下さい」


「ドリンクバーを二つでいいかな?」


「もちろん、ドリンクバー二つですね?では後はご自分でお願いしますね」


「ありがとう寺坂さん」


寺坂さんはオーダーを取ると席を離れていった。


わたしと航はドリンクバーから珈琲を取って席に戻った。


「貴美の中学の友達なんだ、ビックリだね」


「本当!三年生の時に同じクラスだったんだ、彼女、何でもずけずけ物言って、いつもノート貸してくれって、減るもんじゃないでしょって!でも彼女みたいにハッキリ言われるの嫌いじゃなかった。不思議と話が合ったんだよね」


「へ〜っ、でも彼女そんなふうに見えないけどね」


「しっかりしてるんだよ昔から、わたしは勉強以外取り柄ないでしょ、彼女は逞しいって言うか、みんなの人気物だったね」


「そうなんだ‥」


「でも、あんな彼氏がいると思わなかったな、寺坂さん意外と面食いなんだな‥もっともわたしも同じこと言われてるのかな」


「そうかな?僕は普通の人だよ」


「普通の人?普通の人が何人もから告白なんてされないでしょ?」


「何それ?」


「知ってるんだからね、中学の時の子以外にもうちの学校で一年生の時、何人かに告白されたんでしょ?」


「それ‥何で知ってるの?三嶋さんから聞いたのかい?」


「航のことは何でも知ってるの!」


「そう言う貴美は僕のこと最初は苦手だったんでしょ?」


「‥航のことを誤解してたから、スケッチブックと鎌倉の校外学習のおかげ」


「あと、貴美のお姉さんのね」


「そうだった!お姉ちゃんに感謝だね、ガリ勉女子か‥懐かしいな」


「貴美の中学時代、会って見たかったな」


「わたしは航とは会いたくないよ、本当、勉強以外目立たなくて冴えない子だったから‥航はわたしなんか」


「いや、僕は絶対に貴美を好きになってたと思うよ」


「航‥ありがとう」


わたしは航の優しい言葉に感謝した。


「そろそろ貴美の家に行く?お母さん待ってるよ」


「うん、行こっか」


わたしと航は席を立って会計に向かった。


「ありがとうございました」


寺坂さんが彼氏だという男の子がレジに立った。


「あっ、寺坂さんのお友達ですね、寺坂さん!オーダー変わりますからレジお願いします」


彼はそう言うとテーブルに注文を取りに行ってレジを離れた。


「宮森君、ありがとう!」


寺坂さんがレジにやって来た。


「筒井さん、ありがとうございました」


「彼、優しそうだね」


「うん、お互いね」


「またね、寺坂さん」


「ありがとうございました」


寺坂さんの元気な声に送られてわたしと航はファミレスを出た。


辺りはすっかり暗くなっていた。


豪徳寺駅から10分程歩くと我が家に到着してインターホンを押した。


「お母さんただいま!航、来たよ」


お母さんが玄関の扉を開けて出て来た。


「お帰りなさい貴美、航君いらっしゃい、久しぶりね」


「こんばんは、今日はすいません。お邪魔します」


「遠慮しないの、航君は大歓迎なんだからね!さっ、入って入って」


「航、上がって」


わたしも航に中に入るように促した。


「お邪魔します」


そう言って航は靴を脱いで玄関を上がった。


リビングではすっかりクリスマスの準備が出来上がっていた。


「航君!さあ座って、座って、貴美、お父さん呼んで来て!」


「お父さん!航来たよ!、わたしも航もお昼抜いたから、お腹ペコペコ!早く来て!」


わたしの呼び掛けにお父さんが奥の部屋から出た来た。


「貴美お帰り、航君いらっしゃい、久しぶりだね、貴美がいつもお世話かけます」


「いえ、僕の方こそいつもすいません、今日はお招きいただきましてありがとうございます」


「航君、かたっ苦しい挨拶は抜き、さあみんなで食べましょう」


「お母さんテンション高すぎ‥」


「仕方がないでしょ、航君が来てくれたんだから、お母さん、貴美みたいなのと付き合ってくれてるだけで本当に感謝してるのよ」


「お母さん‥」


「お母さんは航君がお気に入りだからね、あの絵、大切に飾らしてもらってるよ」


お父さんが航に言った。


リビングにはシルバーのフレームの額に入ったわたしの肖像画が飾ってある。


「何か恥ずかしいです、でも嬉しいです」


航は恐縮して応えた。


「貴美がお姉ちゃんとこの姿で帰って来た時のことは今でも忘れないわよ、絶対にお姉ちゃんの友達だと思ったんだから」


「お母さん‥もうその話はいいよ‥」


「ハイハイ、せっかくのクリスマスだもんね、ドンドン食べてね」


「航、食べて、そうしないと帰れないよ」


「はい、ありがたくいただきます」


航とわたしはお母さんの手料理を満喫した。


食事が終わるとお母さんがケーキと珈琲を出してくれた。


「航君、よく食べてくれたね、ありがとう」


「どの料理も美味しくて、本当にありがとうございました」


「ううん、お礼を言うのはこっちよ、貴美のことこれからもよろしくお願いしますね」


「そんな、こちらこそ、本当に良くしていただいてすいません」


「本当、貴美にこんな素敵な彼が出来るなんて、思ってもいなかったわ」


「お母さん!」


「航君と二人っきりになりたいよね、貴美の部屋に航君を案内してあげなさい。大丈夫ちゃんとお掃除しておいたから」


「お母さん‥ありがとう」


「航、二階のわたしの部屋に行こっか?」


「いいの?」


「もちろん!」


わたしは航を二階の自分の部屋に招いた。


「何か恥ずかしな‥適当に座って」


「ありがとう、女の子っぽい部屋だね」


そう言うと航は部屋のカーペットに座った。


「何か不思議、航がわたしの部屋にいるの」


「僕も‥目のやり場に困る‥」


「どうして?」


「だって、貴美がいつもここで生活してるんだよね、何か緊張する‥女の子の部屋なんて入ったことないから」


「ふふっ、航って意外とシャイなんだね」


「悪い?」


「ううん、航らしくていい」


「貴美に渡したいものあるんだけど‥」


「何?」


航はそう言うといつも持っている画材を入れている大きなカバンから新聞紙に包まれたキャンバスを取り出した。


「はい、クリスマスプレゼント」


わたしは包まれた新聞紙の包みを開けた。


それはわたしの肖像画の油絵だった。


「すごい!写真みたい!」


「時間掛けて描いたから、クリスマスに間に合って良かった」


「ありがとう‥航、大事にするから」


「いや、僕はこんなことしか出来ないから」


「こんなこと出来る人他にいないよ‥本当にありがとう」


「そろそろ帰るよ、ご迷惑になるから‥」


「えっ?もう‥」


「うん、また明日‥」


「うん‥」


わたしと航は部屋を出ると一階に降りて行った。


「今日はご馳走様でした。本当にありがとうございました」


「航君、また来てね、いつでも大歓迎だからね」


「お母さん‥ありがとうございます」


「貴美、航君を見送ってらっしゃい」


「うん‥ありがとうお母さん」


「ここでいいよ貴美、寒いから」


「いやだ、絶対見送るからね」


「貴美‥」


「はい、仲良く行ってらっしゃい!」


母の言葉でわたしと航は玄関を一緒に出た。


夜空はとても綺麗な星空を見せてくれていた。


「寒いね‥」


「だから言ったんだ、送らなくていいって」


「こうすれば暖かいよ!」


わたしはそう言って航に寄り添って腕を組んでピッタリ身体を付けた。


「航は暖かいね」


「貴美‥」


わたしはマジマジと航の顔を見て、わたしの顔を近づけて目を閉じた。


航がそっと優しくキスをしてくれた。


航の唇はとっても暖かかった。


「とうとうしちゃった‥ファーストキス」


「あっ、いや、その‥ごめん」


「もう、手遅れだからね」


「‥えっ?」


「わたしはもう航以外と絶対しないからね」


「あの‥?」


「ずっと、死ぬまでだからね、航もわたし以外は絶対ダメなんだからね!」


「‥うん、わかった」


「素直でよろしい、わたしが歳とっても肖像画、描いてくれるよね?」


「もちろん‥」


「約束だよ航‥ずっと一緒だからね」


「貴美‥ありがとう」


「航‥大好きだよ」



 -Merry Christmas-

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