Girl Meets Boy (The day of Christmas Eve)
神木 ひとき
沢井健美 篇(チョコクッキー)
今年のクリスマスイブは土曜日ということもあって、新宿の街はとても賑やかだ。
たくさんのカップルが楽しそうに腕を組んで歩いていて、世の中はクリスマスムード一色だけど、わたしには朝から予備校の冬季講習が待っている。
受験生にクリスマスもお正月もない、ただ合格という春を目指してひたすら頑張るだけだ。
予備校のビル入るとエレベーターホールで彼は待っていてくれた。
「おはよう、沢井さん」
「おはよう、衛‥」
「どうしたの?浮かない顔してるよ」
「そりゃそうだよ、衛は合格判定Aだからいいよね、わたしはまだB判定だから‥気が抜けないよ」
わたしは衛に応えた。直近の模試の結果が伸び悩んでいたわたしはかなり落ち込んでいた。
「沢井さんは大丈夫だよ、こんなに頑張ってやってきたんだから、必ず合格出来るよ」
衛の優しい言葉に少しだけ気持ちが楽になった。
「わたし絶対に衛と同じ大学行くんだから、恋する乙女の力を見せてやるんだからね!」
「その意気だよ、僕も沢井さんと同じ大学に行きたいからね‥」
「うん、最後まで見捨てないで面倒みてね」
「もちろんだよ、今日も頑張ろうね!」
エレベーターを10階で降りると、わたしと衛はカードをかざして10Aの教室に入った。
教室の中はまだ五割程度しか席が埋まっていなかった。わたしと衛は通路側の空いている席に並んで座った。
この春に衛をこの教室で見かけて一目惚れをしたあの頃がちょっと懐かしい。
まさか衛があのまもる君だったということ、わたしの世界で一番のお気に入りだったチョコクッキーをまた食べられたこと、付き合い始めた頃はまだ新緑が眩しい穏やかな季節だったのに、あれからいつの間にか8ヶ月の月日が過ぎていた。
衛と出会ったこの予備校とも、あと少しでお別れなんだ‥そう考えると少し寂しい気持ちになった。
今は思い出に浸っている余裕はない。
講師が教室に入って来ると、わたしは講義に集中してテキストに目を向けた。
集中していると時間はあっという間に過ぎていく、90分の講義がとても短く感じる。
わたしの隣で衛も集中しているのかテキストに相変わらず繊細な文字で解答をびっしりしと書き込んでいた。
数学の講義が終わって次の物理の講義までの休憩時間、わたしは衛に話し掛けた。
「衛は本当に数学が好きなんだね?」
「うん、小さい頃から問題解くの好きだったな」
「わたしも衛の影響で数学が相当好きになったよ、それにかなり得意になったしね」
「そうだね、沢井さんは本当に頑張ってるって思うよ」
「誰かさんの為だからね〜」
わたしがそう言うと、衛は恥ずかしそうにわたしから視線を逸らした。
こういうところは付き合いだした頃から変わっていない。
「今日、予備校が終わったら母さんのとこ行かない?」
衛がわたしに言った。
「三軒茶屋のお店に?」
衛のお母さんが働いているお店は三軒茶屋にあって、衛と付き合い始めてからわたしはもう何度も行っている。
我が家のお祝い事のケーキは、今はそのお店が定番になった。
わたしの母はとてもびっくりしていた。
わたしに彼氏が出来たこともそうだけど、その彼氏があのまもる君だって話した時の母の顔は一生忘れないだろう。
母と一緒に三軒茶屋の衛のお母さんのお店を初めて訪ねた時の母の喜びようといったら、衛のお母さんに何度も何度も頭を下げて、娘をよろしくお願いしますって‥
まだ嫁に行く訳でもないのに、母の気持ちはそれに近い思いだったのかもしれない。
「衛のお母さん何だって?今日はお店、相当忙しいんじゃないの?」
「クリスマスイブだからそうだと思う、沢井さんに例のチョコクッキーどうしても渡したいんだって」
「えっ、本当に!」
わたしはとても嬉しくなった。世界で一番のお気に入りがまた食べられる!
受験だろうと何であろうと、あのチョコクッキーだけは譲れない。
「もちろん行く!行くに決まってる!」
「じゃあ、母さんにメールしておくよ」
衛はそう言ってスマホをポケットから取り出した。
次の物理の講義が終わると、わたしと衛は予備校を出て新宿駅から山手線で渋谷へ向かい、田園都市線に乗り換えて三軒茶屋で降りた。
駅から程近い所にあるそのお店は、今日はクリスマスイブだから大賑わいだ。
衛がお母さんにメールを入れて暫くすると、衛のお母さんが手提げ袋を持ってお店から出て来てくれた。
「健美ちゃん、これいつものね!」
「ありがとうございます。いつもすいません」
「今日はちょっと忙しくてお相手出来ないけど、衛のこと、これからもよろしくね、勉強頑張ってね!風邪引かないようにね」
「はい、ありがとうございます、お母さんも無理しないで下さい」
「健美ちゃんありがとうね、わたしは大丈夫!衛、今日は忙しいから少し遅くなるけどよろしくね、あなたは幸せ者よ、こんな素敵な彼女がいて、健美ちゃんに感謝しなさいよ!」
そう言うと、衛のお母さんはお店に戻っていった。
「衛のお母さん、感謝しなさいって」
「‥」
「感謝してる?」
「してる‥してます」
「本当に?」
「本当だよ‥」
衛は相変わらず口下手だ。
「世界一のチョコクッキーも頂いたし、わたしは世田谷線で帰るね」
わたしは衛に手を振った。
「あの、沢井さん‥」
「何?」
「‥良かったら、今日は送っていってもいいかな?」
「うん、もちろん‥でもいいの?」
「受験生にクリスマスもないんだけど、今日はもう少し沢井さんと一緒にいたいんだ‥」
「ありがとう‥衛」
衛は口下手だけど、わたしの気持ちを良くわかっている。
とても優しくて‥
そんな衛がわたしは大好きだ。
衛がわたしの手を握って歩き始めた。
わたしと衛は三軒茶屋駅から世田谷線に乗って山下駅で降りた。小田急線の豪徳寺駅は目と鼻の先だ。
時計を見ると既に午後3時を過ぎていた。
「衛、お腹すいたね?」
昼ご飯を食べていなかったわたしは衛に聞いた。
「そうだね、少し遅いけどお昼ご飯くらい食べて帰ろうよ、そこのファミレスでいいかな?」
「もちろん喜んで!」
わたしと衛は豪徳寺の駅前にあるファミレスに入った。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
元気のいい、同い年くらい思われる可愛らしい女の子が接客で迎えてくれた。
「二人です」
衛が応えた。
「はい、こちらのテーブルへどうぞ」
そう言って彼女がわたし達を席に案内してくれた。
「はい、メニューです、お決まりになりましたらボタンでお呼び下さい」
そう言って彼女はわたし達の席から離れていった。彼女の胸のネームプレートには寺坂と書かれていた。
「衛、今の女の子、とっても元気な子だね?」
「うん、でもクリスマスにバイトって大変だね」
「受験生のわたし達だってクリスマスなんてないよ、でもこうやって一緒に食事が出来るだけでもいいかな」
「そうだね、沢井さんと一緒に過ごす初めてのクリスマスなんだね」
「そうだよ!初めてのクリスマスが受験で一緒に遊びにも行けないなんて最悪だね、うちも今年は恒例のクリスマスパーティーはしないって」
「受験だからね、仕方ないよ」
「来年のクリスマスは必ず一緒にどこか行こうね‥約束だからね」
「うん、沢井さんと同じ大学に通って、楽しいクリスマスにしようよ」
「衛は、わたしをいつまで沢井さんって、何で名前で呼んでくれないの?」
「深い意味ないけど‥嫌かな?」
「だって、わたし達付き合ってもう8ヶ月になるんだよ‥わたしは衛の彼女なんだよ、名前で呼んで欲しいな」
「付き合ってるのは間違いないけど‥僕なんかに沢井さんみたいな素敵な人が彼女だなんて、今だに信じられないって言うか‥」
「わたしのこと信じられないの?」
「そうじゃなくて、沢井さんには本当に感謝してる。でも時々怖くなる‥いつか僕なんかって」
「わたしはずっと衛から離れないよ‥」
わたしはオーダーをするためボタンを押した。
「ご注文どうぞ」
さっきの寺坂という女の子がやって来た。
「ハンバーグを二つ、サラダとライスを付けて、あとドリンクバーも二つお願いね」
「かしこまりました、ご注文を確認します。ハンバーグ、サラダ、ライスとドリンクバーがそれぞれお二つですね?」
「それでお願いします。あなた元気がいいね?」
「はい!最近とってもいいことがあって」
「へ〜っ、彼氏が出来たとか?」
「あれ、わかっちゃいました、ハハハ」
わたしは彼女の嬉しそうな顔を見て、
「そうなんだ、良かったね!」
と応えた。
「はい!ありがとうございます。暫くお待ち下さい。ドリンクバーはご自分でお願いします」
彼女は笑顔でそう言うと、オーダーを伝えるため厨房の方へ向かっていった。
「沢井さん、先にドリンクバー行ってきて」
「衛の分も持ってくるよ、いつもの珈琲でいいかな?」
「うん、ありがとう」
ドリンクバーコーナーに行くと、わたしは珈琲と紅茶を作って席に戻って衛の前に珈琲を置いた。
「ありがとう‥あのさ‥」
衛が何かを言いたそうにしている。
「どうしたの?さっきからちょっと変だよ衛、落ち着きないっていうか‥」
「あの、これ‥プレゼント」
そう言うと衛が恥ずかしそうにテーブルの下に隠すようにしていた袋を取り出した。
「えっ!プレゼント?」
「うん、クリスマスだから‥」
「わたしは何も用意してないよ」
「それはいいんだ、9月の誕生日も何もしてあげられなかったから‥母さんと選んだんだ」
「そんなの‥いいのに」
「どうしてもあげたかったんだ、僕なんかの彼女になってくれた沢井さんに‥どうしても」
「中、見てもいいかな?」
「もちろん」
わたしは袋の中から赤いリボンと緑の包装紙でラッピングされた包みを取り出して開けた。
とても暖かそうなグレーのチェックのウールマフラーだった。
「ありがとう‥衛」
「大事な時期だから、風邪引かないようにね」
「うん」
「お待たせしました、ハンバーグとサラダとライスです。ご注文は以上でよろしかったですか?」
「ええ、ありがとう」
わたしは彼女に応えた。
「いいですね、プレゼントですか?」
彼女が羨ましそうに聞いた。
「うん、でもね、わたしも彼も受験生で、クリスマスも無いんだ、今日も朝から予備校だったんだよね」
「そうなんですか、それは大変ですね、頑張って下さい、きっといい春が来ますよ」
「ありがとう、あなたも頑張って」
「はい、ありがとうございます。伝票置いて置きますね、ごゆっくりどうぞ」
彼女は一礼すると笑顔で席を離れていった。
「さあ衛、食べよう!お腹ぺこぺこだよ」
「うん、いただきます」
食事が終わって席を立つと会計に向かった。
さっきの女の子がレジに立った。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました、またお越し下さい」
「衛、ここはわたしが払うからね、プレゼントもらっちゃったし」
わたしはカバンから財布を出して支払いをしようとした。
「そうはいかないよ、僕が払うよ」
衛がわたしを遮って支払をしようとした。
「いいの!」
「ダメだよ」
わたしと衛はレジの前で押し問答になってしまった。
「‥別々の会計でいいですよ、千三百六十円づつお願いします」
彼女が笑顔で言った。
「わたしも揉めるんです。だからいつも彼とは割り勘です」
「ふふふ、そうだね!ここは彼女に従おうよ」
衛が提案した。
「うん、そうしようか」
「ありがとうございました、お二人とも受験頑張って下さい」
「あなたもバイト頑張ってね!」
「ありがとうございました」
わたしと衛がファミレスを出ると外はすっかり暗くなって街灯の灯りが綺麗だった。
「経堂まで一駅このまま歩かない?」
「そうだね歩いても結構近いよね」
「マフラーしても良いかな?」
「もちろん、してみて」
わたしはマフラーを自分の首に巻くと、衛に寄り添って衛の首にもマフラーを巻いて、そのまま腕を組んで歩き出した。
「こうした方が暖かいでしょ?」
「うん、そうだね‥とっても暖かい」
衛が恥ずかしそうに、またわたしから視線を逸らした。
「衛、ちょっとこっち向いて‥」
衛がわたしの方に顔を向けた瞬間、わたしは衛に顔を近づけてキスをした。
「‥」
衛は驚いた顔をしていた。
「わたしのファーストキス、もうこれで立派な彼女なんだから、信じられないなんて言わないでね!もっとぴったりくっついて!それとこれからはちゃんと名前で呼んでよね」
「健美‥健美が大好きだよ」
「そんなのわかってる‥わたしも衛が大好き、明日からまた受験生だけど、今日、これからの時間はちょっとだけ忘れてクリスマスを楽しもうよ」
「そうだね、神様も今日だけは許してくれるよ、なんたって神様の誕生日なんだからね!健美‥メリークリスマス」
「うん、衛‥メリークリスマス」
わたしはマフラーの暖かさと衛の手の温もりでとても幸せな気持ちになった。
-Merry Christmas-
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