百八十話 東京強襲
トントントントン。小気味よく野菜を切る音が聞こえる。
儂は目が覚め布団から出た。
寝室はキングサイズのベッドがあるだけの簡素なもの。
一応確認するが、すでにエルナとリズの姿はなかった。
あくびをしてから部屋を出る。
階段を降りると一階ではすでに味噌汁の良い香りがしていた。
それとコーヒーの香りも混じっていて、朝が来たのだとぼんやりした頭で認識する。
リビングの扉を開ければ儂以外勢揃いしていた。
「なんだ、ずいぶんと早起きだな」
「まだこっちの世界に慣れないのよ。なんて言うか旅行中の気分?」
テーブルに着くとエルナがご飯と味噌汁を出してくれる。
さらにリズが目玉焼きとほうれん草のおひたしを一緒に置いた。
正面の席ではすでにペロとフレアが食事をしていて、どんぶりに山盛りのご飯をむしゃむしゃ食べている。
少し身体を傾けて見れば、黒姫やリベルト達がソファーでTVを見ながら食事をしている。台所ではエルナ、リズ、ユグラフィエ、直樹がせわしなく動き、それぞれの役割をこなしているようだった。
ふと、食事をするフレアを見て思う。
「少し太ったか?」
「!?」
カラン。彼女は青ざめた顔で箸を落とした。
同時に栄光の剣の女性達もざわつく。
錯覚ではなく確実に丸みを帯びた気がする。
こちらに来てからまともな運動もせずに高カロリーなものを食べまくっていたのだ、当然と言えば当然。おまけに彼女達の身体は体質的に栄養吸収に優れている。そりゃあ太るはずだ。
「私は悪くない! こちらの食事や菓子が美味しすぎるのがいけないんだ!」
「ピザとコーラを飲み食いしながらゲーム三昧していた奴がよく言えたものだな」
儂は食事を済ませると、テーブルに置いてある新聞を開いて一息つく。
エルナが出してくれたコーヒーはは香りが良く落ち着く。
ここは東京から遙か東の山奥。
廃工場を後にした儂らは山を一つ購入し、そこに二階建ての一軒家を建てた。
しかも今度は結界を張った上に幻をかぶせて、ここに家があることすら分からなくした。
もう一人の直樹に見つかることはほぼないだろう。
「直樹達は朝食は済ませたのか?」
「これからだよ。今は皆の弁当を作ってるから」
直樹とユグラフィエはせっせと人数分の料理を作っている。
意外なのは息子が料理をできたことだ。
なんでも美由紀に色々と仕込まれたらしく趣味も料理だというから感心する。
この前食べさせてもらったパスタはプロ顔負けの腕前で驚いたほどだ。
「完成だ」
三つの重箱を布で包んで息子が笑みを浮かべた。
儂はそれとなく部屋の時計を確認する。
現在は午前七時。今日の予定を思うと心がざわつく。
今日は例の『あの日』だ。
儂と繁さんと神崎が死んだ日。
とうとうこの日を迎えたのかと思うと緊張してしまう。
調理を終えた四人はペロ達がいなくなった場所に座り朝食を取り始めた。
庭ではフレアと栄光の剣の女性が戦いの備えて訓練を始めている。
ただ、妙に鬼気迫る感じなのはなぜなのだろうか。
「それでやるべきことはもう決まってるの?」
「まぁな。とはいってもそう難しいことではない」
流れはこうだ。儂らは東京を襲う天使共の軍勢を叩き、現われる主神ゴーマを倒す。もし逃げられてもユグラフィエと直樹を地球に残し、儂らは追撃する形で一気に天界へと攻め入る計画だ。
そもそも天使達がゴーマに従っているのは天界を治めているからであり、ゴーマ自身にではない。天使を止めるには天界を奪い返すことが最も近道なのである。
「でも戦闘の際の被害は甚大。それはどうする」
リズの質問に儂は腕時計型携帯電話デジタルフィットをテーブルに置く。
それを見た彼女は首をかしげる。
「お前達は知らんだろうが、こういうものには災害を知らせるシステムが組み込まれている。例えばだが、地震なら気象庁が携帯会社のサーバーに緊急報告を送り、そこから基地局を経由してそのエリアの携帯電話に警戒報告が飛ぶようになっている」
「それってつまり?」
「避難指示を出せると言うことだ」
だがしかし、これは直前に行うことはできない。
未知の生物が現われたなどと知らせが来ても、なにかの間違いだと一蹴されてしまうからだ。故に事態が発生してから即座に出すのが最適だと結論が出た。
その為に多少の犠牲が出てしまうのは少々心が痛むがな。
儂は自室に戻り身支度を整える。
着慣れた服と防具。その上に黒いローブを羽織り指には黒い指輪をはめた。
未だにこの指輪が何に使えるのかは不明であるが、ゼファが所有していたことから特別なものであることは確かだろう。
一階に再び降りれば装備を身につけた仲間が待っていた。
「覚悟はいいな?」
全員が静かに頷く。
今日この日の為に戻ってきたのだ。
誰も欠かすことなく終わらせたい。
儂はドアを勢いよく開けた。
◇
「おっきいわねぇ」
「どうやって建っているのか不思議」
見上げるエルナ達。
そこにはそびえ立つビルがあった。
株式会社ホワイトリング。一般的には携帯会社として名が知られている。
まぁ簡単に言えば儂が作った会社だ。
すでに神崎も代表取締役を降りており今は別の人物が経営をしている。
小さなビルから出発した最初期の頃と比べると、ずいぶん成長したのだとしみじみ思ってしまう。
儂らは路地に入り転移。
会社の屋上に移動して景色を眺めた。
「儂はここで予定時刻まで待つつもりだ。各自自由時間とする」
「そう言えば父さん。繁さんには会いに行かなくていいの?」
「あ、ん……」
会いたくないと言えば嘘になる。
だが、会えばきっとこれから起きることを止めたくなってしまう気がした。
それではムーアは誕生することはない。そうなると歴史は大きく変ることだろう。儂はできるだけ歴史を変えずことを収めたかった。
「会わないつもりだ」
「そっか」
直樹はごろんと横になって空を眺めた。
ここはぬるい風が吹いていて気持ちがいい。
気が付けばペロとフレアは寝息を立てて眠っていた。
少し離れた位置ではリベルト達が訓練を続けている。
黒姫とユグラフィエは地図を広げて、戦闘開始後の拠点作りを話し合っていた。
空はどんよりとした曇り空。
湿った空気が流れ込み嫌な雰囲気が東京全体を覆っている感じだ。
繁さんが背中がゾワゾワするとか言っていた感覚を今頃になって理解した。
「はい、真一」
「ありがとう」
エルナが水筒からコーヒーを注いで渡してくれた。
するとリズもコーヒーを差し出す。
「ちょっと邪魔しないでよ」
「邪魔なのはエルナ」
「どっちらも飲むから喧嘩をするな」
ずずずっ、ほどほどに熱いコーヒーが身体の芯を温める。
儂はコーヒーを飲みつつ屋上から街を見下ろした。
さて、そろそろ始まる頃だな。
「儂はサーバールームに行く。各自戦闘準備」
「分かったわ」
「了解」
屋上の扉を開いて階段を降りる。
儂の前では施錠などあってないようなもの、次々に施錠を解いて社内の奥へと進む。
もちろん姿を消しているので見つかることもない。
不意にある人物とすれ違った。
「田中真一を探し出せとあれほど言っただろうが! その程度のことなぜできん!」
「それが現在は失踪してどこにいるのかも……」
「神崎はどうした! あいつなら知っているかもしれんだろ!」
「彼も姿をくらましていて足取りが追えない状況でして」
「いいから早く見つけろ! 今の我が社にはデジタルフィットのような革新的な商品が求められているのだ! このままでは海外資本に買収されてしまうぞ!」
人目も気にせず部下に怒鳴る人物、彼には見覚えがあった。
儂のかつての部下だった男だ。昔よりも身体に肉が付いていてすっかりメタボ腹である。あの頃は痩せていて好青年だったのだがな。時間とは残酷なまでに人を変えてしまう。
(父さん、天使共が集結を始めた)
直樹の念話に足を速めた。
サーバーのある部屋の前に付くと、ロックを解いて素早く中へ入る。
そこではずらりと並んだサーバーが稼働していた。
ここにあるのは全体のほんの一部だ。
大部分のサーバーは別の場所で稼働している。
サーバーの覆いを外し内部に手を当てる。
(こちらの準備は完了だ。いつでもいけるぞ)
(分かった。予定まであと一分だよ)
それから少し待つ。
(攻撃が始まった!)
(うむ、避難誘導を始める)
魔法でプログラムに割り込む。
ここから基地局へ強制的に介入し、東京都の携帯電話に『避難指示:未確認生物が都内に出現。ただちに最寄りの避難所へ避難を開始してください』と警告を飛ばした。
信じて動いてもらえるかは微妙なところだが、少なくとも混乱状態で被害が拡大することだけは防げるのではないだろうか。
そこから屋上に転移。
すでに街ではいくつもの黒煙が昇っていた。
空からは降り注ぐ隕石。
「行くぞ!」
飛翔して現場へと向かう。
表参道では巨大な獣が人々を襲っていた。
街を満たす悲鳴と恐怖。
「ぎゃぁぁあああああっ!」
全長十五メートルの赤黒い狼のような生き物が女性に襲いかかる。
儂は抜刀、一瞬にして狼を真っ二つにした。
「早く逃げろ」
「は、はい!」
女性は立ち上がって走り出す。
ふと路地裏に目を向ければそこには昔の儂がいた。
彼は儂と目が合うも状況が飲み込めず呆けている。
そこへ繁さんが駆けつけ彼の肩を叩く。
二人は路地の奥へと走って行った。
「真一」
「あ、ああ。すまない」
獣共は道に溢れていた。
自動車を踏み潰し人を喰らう。
降り注ぐ隕石によって建物は破壊され爆発が起きる。
かつて見た光景を再び見ることになるとは。
「出でよ我が眷属」
一瞬にしてスケルトン軍が都内に出現する。
ずらりと並ぶ我が軍勢。
獣どもは動きを止めた。
「天使共を掃討せよ!」
「カタカタッ!」
瓦礫を。車を。死体を。あらゆるものを踏みつけ、一斉にスケルトンが波のごとく敵に押し寄せる。
眷属は都内に散らばり戦いの場を拡大した。
人間の集まる場所には防衛戦力を配置し、敵の侵入を阻止する。
指示を出した後、儂は路地へと入った。
そこでは二つの死体が転がっている。
「自分の死体を見るとは不思議な気分だな」
さらに先へ進めば少し広い道へ出る。
そこでは神崎の死体が転がっており、そばに見覚えのある存在が浮いていた。
「ぐげげげげ」
「ようやく会えたな」
黒い布を羽織り、隙間からは黄色い眼が覗く。
布から延びる緑色の皮膚をした手は、大振りの鎌を握り宙を浮いていた。
そう、かつて儂を殺した小さな死神だ。
刹那に鎌が振られる。
儂は難なく剣でそれを防いだ。
「魔物のフリは止めたらどうだ。二級天使のザジ」
「!?」
黄色い目が見開くのが分かった。
浮かべていた笑みも消え失せ冷や汗を流す。
「何者だ? なぜ正体を知っている?」
「なぜとは奇妙なことを言う。さっきお前が殺した相手ではないか」
「私が殺した??」
言ったところで分からないだろうな。
タイムスリップしてきたなど。
鎌と剣は幾度も交差する。火花を散らし金属音を響かせた。
その度に標識が倒れ看板が落下する。
建物の壁には深い剣痕が刻まれアスファルトは削られた。
向こうは必死で攻撃を繰り出しているが、こっちは片手で軽くいなしていた。
あっさり殺されたあの時とはまったく違う。
儂は強くなって今日という日に戻ってきたのだ。
「貴様、さては神族か!」
「さてな。どう思うかはお前の自由だ」
「くっ、こんな奴がいるなど聞いていないぞ!」
「教えていないからな」
ほんの一瞬、速度を上げてすれ違う。
ザジはぽろりと頭部を落とす。
儂は軽く剣に付いた血を払い、振り返りもせずその場から去った。
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