百七十五話 旅立ちに向けて5
儂はエルナとリズを連れて大迷宮の十九階層に来ていた。
あの頃とは違い、オーク共は神となった儂らを見るなり恐怖して逃げ出す。
今では触れることなく倒せる相手だと考えると妙な感じだ。
「この辺り懐かしい。私が運悪くオークと遭遇したときの場所だわ」
「私はまだいなかった」
「ぷふっ残念ね。真一と出会ったのは私が最初なの。私こそがパーティーの最古参なのよ」
「お兄ちゃんは優しすぎる。こんな女捨てていけば良かったのに」
「喧嘩売ってるのなら買ってあげるわよ」
エルナとリズがにらみ合う。
仲が良いのか悪いのかよく分からない二人だ。
儂はムーアの地図を見ながら先を進む。
そうだ、この辺りでエルナのリュックを見つけたのだ。
儂はそれを回収し、彼女の後を追った。十字路を左に曲がる。
「でもなんで急にこんな場所に来ようっていいだしたの?」
「もう一度肌で感じたかったからだろうか。儂がこの世界を歩き出した頃のあの感覚を再確認したかった。言うなればこの世界の記憶を五感に刻みつけようと考えている」
「そうね、私達が過去に行けばここは消えるものね。たとえ同じ場所でもそこは違う場所だわ」
そう、過去のその場所は儂らにとってあくまで似た場所だ。
今ここにあるものこそが唯一でありいずれは消える物。
ほどなくしてエルナと儂が出会っただろう場所へとやってきた。
壁では青い水晶が輝き、スポットライトのように床を照らす。
あそこで座っていたエルフに声をかけたのだ。
「そうそうここよ! ここで私と真一は出会ったの!」
「拾ったの間違い」
「よーし、いますぐ殴り合うわよ!」
ぎゃーぎゃー騒ぐ二人をそのままに儂は明かりの下へと移動する。
懐からとある物を出すと後ろに隠した。
「エルナ」
「うん?」
真剣な顔で語りかける。
「儂にはかつて心より愛した女性がいた。だが、彼女は突然に息子と共に消えた。儂のそれからの人生は目も当てられない物だった。落ちぶれ、とうとう人生という時間を過ごすことに意味を見いだせなくなっていた」
「うん」
「そんな儂はある日出会ったのだ。少し変ったエルフに。魔法もまともに使えず、浪費癖もあり、口うるさくて、けど本当は負けず嫌いでなんにでも一生懸命で心優しい女性に。儂はいつしかその女性に心惹かれていた」
エルナの目に次第に涙が溜められる。
それでも彼女は静かに話を聞いていた。
「儂は息子と再会し、かつての妻がまだ愛していたことと姿を消さなければならなかった事情を知った。正直儂は混乱した。整理ができていた物が一気にひっくり返されたのだ。どうしたら良いのか分からなかった」
リズも話を聞きながら沈黙している。
彼女の目には別の意味で涙が溜められていた。
「そこで儂はずっと考え続けていた。どうすればいいのかを。そして、考えて考えてその末に一つの結論をだした。愛した人を捨てられるはずがないと。だから儂は元妻を愛しながらも、エルナをそれ以上に愛することを決めた」
後ろから取り出した小箱を彼女の目の前で開けてみせる。
それはシンプルなデザインの指輪だった。
明かりに照らされ眩しく輝いている。
「こんな儂だが結婚してくれるか」
「…………」
エルナは口を押さえ、目元からつぅううと涙がこぼれた。
声にならない声を漏らし涙が流れる。
彼女は小さな声で「はい」と答えた。
「リズ。お前にもあるのだ」
「「え!?」」
すっと懐からもう一つの小箱を取り出してリズに見せる。
「実は儂にはもう一つ悩んでいたことがある。それはエルナとリズのどちらを愛するべきかだ。二人とも儂にとって魅力的でかけがえのない存在。どちらか一人など選べないほどに愛してしまった。優柔不断だと罵ってくれてもいい、儂は二人と結婚することにしたのだ」
「……やっぱりこうなるのね」
「なんとなく予想はしてた」
二人から呆れた顔で見られる。
儂だって考えに考え抜いて出した結論なのだ。
どうか我が儘なこの男を許して欲しい。
「末永くよろしく。真一」
リズは指輪を笑顔で受け取ってくれた。
エルナも「やれやれ」と言いながらも笑っている。
パァン。
二つのクラッカーが鳴らされる。
ペロとフレアだ。
突然の出現にエルナもリズも驚いた様子。
「どうして二人がここに?」
「まさかはめられた??」
ククク、その通り。お前達は儂の罠にかかったのだ。
一気に景色が変わりとある場所へと転移する。
「結婚おめでとう!」
パァン、パァンパァン。
無数のクラッカーが打ち鳴らされ、遠くではドンドンッと花火が打ち上げられる。
待機していた演奏隊が軽快な音楽を奏で、正装をしている見知った者達が儂らを取り囲んで歓声をあげた。
「なに!? なんなの!?」
「エルナは察しが悪い。私達だけ知らない状況が作られてた」
「てことはもしかしてこれ――サプライズプロポーズだったの!?」
儂らが現在いる場所は海の上。巨大客船のデッキの上だ。
それほど遠くない位置には禁断の島が見えており、陽光によって照らされるエメラルドの海が眩く輝いていた。
ちなみに花火はユグラフィエが島から打ち上げてくれている。
「ああ、エルナ! おめでとう!」
「お母様!? え? えぇ!?」
わけもわからないままエルナは母親に連れて行かれた。
リズの方も正装をした家族が来ており、問答無用で別室へと連れて行く。
さて、儂も準備をするか。
客船の一室へ行くと、ソファーにはヴィシュとドドルが酒を飲んでいた。
もう飲んでいるのか。これから式だというのに。
一瞬で白いタキシードに着替えると、ソファーに座った。
「ぶははははっ、結婚式くらいそのローブをとったらどうだ!」
「ぎゃはははははっ! まったくだ! けどよぉ、その方がおめぇらしいぜ!」
「それは褒めているのか貶しているのかどっちだ」
儂も緊張してきたので一杯だけもらう事にした。
結婚式など美由紀とした以来だ。
あの時も儂は極度に緊張していたな。
前日などは一睡もできなかったほどだ。
パシャパシャ。
シャッター音に振り向けば、カメラを持ったペロがいた。
そういえば撮影を頼んでいたな。
他にも客人用にフレアが撮影をしており、動画撮影には直樹が買って出ている。
「なんでぇい、こんなところにいたのかよ」
「おおっ、ダルじゃねぇか! おめぇもきてたのか!」
「おうよ。つーか、まだ酔っ払うには早すぎるだろ」
「かてぇこというなよ! ほらお前も飲め!」
ソファーに座ったタキシード姿のダルは、ドドルから酒瓶を受け取って一口呷る。
それから部屋には次々にロッドマンなどの見知った者達が集まり、挙式前だと言うのに宴会が始まっていた。
「なんだこの酒臭さは! おい、貴様! これは一体どうなっている!」
様子を見に来たエルナの父親がさっそく激怒する。
不味いところを見られてしまった。
だが、ヴィシュとドドルは強引に部屋の中へ引き込み酒を飲ませた。
「――ひぐっ、私の可愛いエルナが嫁いでいくと思うと……なんとも複雑で」
「分かる分かる。娘を持つ父親ってのは寂しいもんよ」
「貴様にも娘が?」
「おう、三人の娘がいたんだが皆嫁いで行っちまった。さっぱりしたと思っててもなんだか胸にぽっかり穴が空いたような気がするんだよなぁ」
「ダルタン王!」
「フレデリア卿!」
がしっと二人はなぜか抱き合う。
まさかここにきて一気に仲が良くなるとは思ってみなかった。
「貴方! 何をしているかと思えば! エルナの準備が終わったから早く来て!」
「おおお、ようやくか! では失礼する!」
フレデリア卿は足早に退室した。
入れ違いにリズの父親がやってきたので、儂は立ち上がって握手を交わした。
「この度はまことにありがとうございます。まさかあの子が田中殿とこのような形で結ばれることになろうとは」
「こちらこそ。彼女には何度も助けられてばかりで、素晴らしい女性に育てていただいたご両親には深く感謝しております。式ではどうかよろしくお願いいたします」
そこから彼もドドルに引き込まれ酒を飲むことに。
フレデリア卿と同じように、母親がやってきて引きずられていった。
「そろそろ時間だ」
「うむ、では行くとするか」
エドナーが儂を呼びに来たので立ち上がる。
それとなく酒を飲んでいた奴らもぞろぞろと付いてきていた。
挙式が始まる。
まず新郎が先に入場。
儂は神父の前でエルナとリズの入場を待つ。
ドアが開けられドレス姿の二人が足を踏み入れた。
純白のウェディングドレス。
エルナは華やかでそれでいて品のあるふんだんに布を使ったものを着ている。
リズはおしとやかにそれでいて両目を釘付けにするような、可愛らしくも美しく格の高いドレスを着こなしていた。
二人の顔にはベールがかかっており、うっすらとだが化粧を施した顔を見ることができる。
ただでさえ緊張していたのにここからさらに緊張する。
両手にはじっとりと汗が噴き出し、とうとうこの日が来たのだと何度も頭の中で反芻した。
この船内教会は二人が並べるようにあえて広めに作ってある。
静かな足取りでエルナとリズが儂の前に並んだ。
「――誓いますか?」
ハッとする。しまったぼーっとしている間に宣誓の儀式が始まっていた。
「はい、誓います」
神父はエルナとリズに述べる。
「汝、いかなる時であろうとも田中真一と共に歩み、その命ある限り真心を尽くすことを創造神に誓いますか?」
「「誓います」」
指輪の交換が訪れる。
エルナとリズは手袋を外し、細く白い指を露わにした。
先に儂が……。
指輪をエルナの妹から受け取る。
震える手でエルナの薬指へとはめた。
エルナは泣きそうな表情で左手を見ている。
次にリズへゆっくりと指輪をはめる。
リズは相変わらず無表情だが、その目は嬉しさをにじませ口の端が僅かに上がっていた。
エルナが儂の指輪を手に取る。
薬指にはめられると銀色に輝いた。
次にリズが指輪を同じようにはめると、二つの指輪は一つの指輪へと融合する。
「誓いのキスを」
エルナのベールをあげる。
その顔は今まで見てきたどんなものよりも美しく神々しかった。
そっと、唇を重ねる。
吸い付くような柔らかい感触が気持ちいい。
ずっとこうしていたい気持ちにさせる。
顔を離すとエルナは真っ赤になっていた。
たぶん儂も真っ赤なのだろう。顔が熱い。
次にリズのベールをあげると、目も覚めるようなとんでもない美少女がそこにた。
このような娘と儂は結婚するのだと再確認させられる。
彼女と唇を重ねた。
すると儂の頭を掴んで舌を入れてくるではないか。
ぎょっとしつつ顔を引くと、リズはふふんと嬉しそうに唇を舐める。
なんて奴だ。挙式でやるようなことじゃないぞ。
「ちょっと、ずるいわよ!」
「知らない。私が見たキスはこんな感じだった」
「誰を参考にしたのよ! 教えなさい!」
「秘密」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ初めて空気は和やかになる。
結局いつもの感じになってしまったな。
でも儂ららしい気もする。
こうして挙式を終えたあと、盛大な披露宴が行われた。
集まったのは各国の首脳と準ずる有力者達。
それに今まで出会った多くの人々を招いて総数は六百人にもなった。
最高に派手で盛大で思い出に残る結婚式である。
儂は予定を変更して数日ほど出発の日を遅らせることにした。
もう少しだけこの時間を感じたかったのだ。
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