百六十八話 神への進化


 夢を見ていた。

 目の前には美しく幻想的な花々が咲き乱れ、その先の眼下には緑に覆われた豊かな大地と、透き通るエメラルドグリーンの海が広がっていた。

 どうやらどこかの島の山の上のようだ。


『悪いとは思っている。だが、もうこうするしかないのだ』


 振り返ると髪も髭も純白な精悍な男性が立っていた。

 身につけているのは眩く輝く光の鎧。

 男性は儂に近づいて悲しげな表情を見せる。


『とうとう兄上でも神々を押さえられなくなったか。嫌われ者は辛いな』


 儂の口が勝手に開き言葉を紡ぐ。

 よく見れば儂の身体には黒いローブ、黒い腕輪、そして黒い指輪がはめられていた。

 これは破壊神――ゼファのかつての記憶だろうか。


『破壊神はこの世界に絶対に必要な存在。それは神々も理解している。だが、いつか消されるという恐怖が其方を遠ざけようとしている』

『だから正面から戦って白黒はっきり付けようと?』

『もうこのやり方しか残っていないのだ。我々が勝って破壊神なき世がどのようになるのかを思い知るのか、其方が勝って恐怖をさらなる恐怖で上塗りするのか』

『まったくひどい話だ』


 海から吹く風に儂は目を細める。

 ゼファの感情は分からない。だが深く憂いていることは伝わった。


『もし……もし私が負けたら配下達は見逃してもらえないか』

『それは難しいだろう。ただし、我の権限で不自由のない生活を送れるようにはしよう。もちろん限定的な範囲でのみと言う事にはなるだろうが』

『…………』


 儂は深く息を吐く。

 不意に歩き出し咲き乱れる花達を静かに眺める。


は今回の件になんの反応も?』

『分かっているはずだ。あの方々は我々には干渉しないと、もし干渉があったとしても我々には悟らせない。そういう次元にある存在なのは其方もよく知っているだろう』

『ああ、我々とはただになるために創られた存在。それ以下もそれ以上もない。神々が真実に気が付き、あの方々の存在を知れば絶望するかもしれないな』

『これは創世にたずさわった我々兄弟だけの秘密だ。神は神であるからこそそこにいられる。もし仮に真実が露呈すれば、この宇宙は崩壊を迎えることとなるだろう』


 あの方々? 踏み台? 真実? 何を言っているんだ?

 それに先ほどから話をしている相手はもしかして創造神なのか?


『兄上。私がいなくなあったあとは、くれぐれもゴーマに注意を払っておくことだ。奴は野心家でありその身に消えぬ欲望の炎を秘めている』

『其方まさか!?』

『私はこの美しい世界が大好きだ。特に私が創ったこの星が。もし私が負けたらこの大地に封じてもらいたい。これは弟としての頼みだ』

『ゼファ……』


 足下で何かが動いているのに気が付く。

 それは小さな小さなトレントだった。


『ナニカ、ダイジナ、オハナシシテル?』

『何でもないよ。さぁ仲間の元へ行こう』


 儂は小さなトレントを拾い上げ、創造神をその場において歩き去る。






 ぱちりと目が覚めた。

 直後に訪れる喉の渇き。

 それはまるで先ほどまでミイラだったような感覚。

 とにかく水が欲しい。水、水、水。


 腕輪から水瓶を取り出して飲み干すが、いくら飲んでも渇きが満たされない。

 水瓶が二十個に達した辺りでようやく満足した。


 ぐぅううううううううっ。

 次に訪れたのはすさまじい空腹だ。

 儂は部屋から飛び出して城の敷地に向かう。


「あ、真一起きたの――ぬわぁぁあああっ!?」


 途中で何かを弾き飛ばした気がしたが気にかける余裕などない。

 一週間ほど何も食べていなかったような飢えに頭がおかしくなりそうだった。


 城内にある広い敷地では、ペロとフレアとリズがBBQらしきことを行っていた。

 レンガで作られたかまどではアリムが肉や魚を焼いている。


「お父さん! 起きたんだね!」

「今日もペロ様の背中の毛はモフモフで最高です、はぁはぁ」


 ペロが立ち上がる。その背中にはフレアがしがみついて恍惚とした表情をしていた。

 儂は返事もせずに網の上で焼かれている分厚い肉を掴んで口に入れる。

 もっちゃもっちゃ、噛む度に肉汁があふれ出し舌の上で旨味が爆発する。

 空腹は最高のスパイスだと言うが、もはや麻薬にも近い。脳みそから脳内麻薬が大量に出ているのが感じられた。


「お兄ちゃん、これ」

「すまん」


 リズが箸と器を持ってきてくれる。

 テーブルを見ればおにぎりと卵焼きがあるではないか。

 儂は席に座っておにぎりをむさぼりつつ卵焼きを口の中へ放り込む。


「これをどうぞ」


 アリムが焼けたソーセージをそっと出す。

 ペロはどこからか味噌汁を持ってきてきてくれた。


「どこに行ったかと思えばこんなところに!」


 エルナが怒り顔で走ってくる。

 ほどほどに腹が埋まり始めていた儂は、ようやく冷静になっていた。

 なぜ彼女が怒っているのか分からず首をかしげる。


「私を弾き飛ばして走って行ったでしょ!?」

「そうだったか?」

「そうよ! しかも私の分まで食べてるし!」


 すでにおにぎりはなくなっていた。

 卵焼きも残るは儂が箸で持つ囓った物だけ。


「これをやるからそう怒るな」

「食べかけなんていらないなよ!」


 いらないなら仕方ないな。

 最後の卵焼きを口に入れる。

 怒り顔のエルナは再びどこかへと歩いて行った。


「それでお父さんは破壊神になったの?」

「あまり変わったようには見えないが、田中殿は神になったのだよな」


 隣に来たペロとその背中から覗くフレアが声をかける。

 そういえばそうだった。儂は進化したのだったな。

 最近は面倒でまったく見ていなかったが、久々にステータスを開くとしよう。



 【ステータス】


 名前:田中真一

 年齢:17歳(56歳)

 種族:ホームレスゴッド(破壊種)

 職業:冒険者

 魔法属性:無

 習得魔法:破壊の波動

 習得スキル:真理の目、空間転移、神殺し、魂魄干、あくなき進化ヘの道



 あれほどあったスキルがすっかり消えていた。

 しかも魔法の復元空間も隔離空間もなくなっており、種族もたった一つだけだ。

 おまけに第二両腕サブアームもなくなっていて普通の人間の身体のような感覚だ。


 もう空を飛べないのか……。


 そう思って落胆すると、身体がふわりと浮き上がった。

 飛行スキルがないのに飛んでいるのだ。

 念のために糸が出るか試してみる。

 すると指先からビシュッ、糸が出るではないか。

 どうやら今までのスキルは使用可能らしい。


 真理の目とやらを使用してみると、遙か遠くにいるはずのヴィシュが鼻歌交じりで宝具を磨いている姿が見える。しかし下手くそな歌だな。誰か指摘しないのか。


「誰だ!? 我の歌が下手だと言った奴は!」


 おっと、このスキルは声も伝わってしまうのか。

 一気に現在地にまで視点を戻す。

 かなり便利なスキルのだようだ。

 今まで通りステータスも見られるようなので非常に優秀だ。


 魂魄干を発動すると、視界が真っ白になる。

 次の瞬間、紫色に染まった広大な空間へと投げ出される。


『なんだこれは?』


 なぜか裸だ。

 身体は漂い無重力にいるようだった。

 遠くには銀河のような超巨大な渦がいくつも見える。

 近づこうと思った直後に、儂はすでに渦の端にいた。


 ここは違った理に支配されている空間のようだ。


 渦は小さな光の球体によって構成されている。

 それらがゆっくりと一定の方向へと移動していた。

 渦の中央には輝く巨大な球体が存在しており、近い位置にある光の球は吸い込まれて行く。


 なるほど、これこそが輪廻の流れか。


 スキルを解除し、儂の意識は通常のものへと戻る。

 ムーアがどうやっても人の身では成し遂げられないと言っていた意味が、今になってようやく分かった。あの場所へ行くのも、あの膨大な魂から目的の魂を探し出すことも、魂をあの場所から持ち出し肉体へ封じ込める方法も、人にはできないことだ。

 いや、不可能と言い切るのは不適切かもしれない。

 少なくとも現時点で人が踏み込むことはできない領域と言うべきか。


 次に儂は破壊の波動を使用する。


 直後に右手に無色透明な球体が出現した。

 周囲の空間が僅かに歪んでおり、輪郭がはっきりと確認できる。

 試しに拾った石を入れると、石は瞬時に溶けて消えてしまった。

 これが破壊神の力か……なんとも恐ろしいな。


「進化を果たしたようだな」


 笑みを浮かべながらゼファがやってくる。

 その右手には酒瓶が握られ、少し酔っているのか顔がほんのり赤い。


「そう言えばお前は倒れないのだな」

「神格までは失っていないからな」

「どう言う意味だ?」

「証は最高位の神格を与える。それは相手が神であろうと人であろうと同じこと。私はもとより神族であったというただそれだけのことだ」


 今のゼファは中位の神族ほどの力を有しているそうだ。

 考えてみれば当たり前か、本来なら証は神から神へ渡されるもの、証を失おうが神の地位から転落するわけではないのだ。

 むしろ人間である儂が所有したこと自体が特異なことなのである。


「それであの四人は?」

「そろそろ目覚める頃だ。今の君なら軽くあしらえるはず、できれば我が配下を殺しては欲しくないな」


 儂は「できる限りそうする」とだけ返事をした。

 二人で会話をしている間、エルナ達はスケルトン達と一緒に料理を作っていたらしく、大量のおにぎりやらを抱えて戻ってきた。

 テーブルに置かれると儂は早速おにぎりを掴む。


「まだ食べる気なのっ!?」

「まだ半分も満たされていないぞ」

「どれ、私もいただこう」


 儂とゼファでおにぎりを頬張る。

 ふんわりとしていて絶妙な塩加減だ。

 これはエルナが作った物ではないな。


「かたかた」


 スケルトン達がすっと『どうぞこちらも食べてください』と山盛りの唐揚げを大皿で差し出す。

 ふむ、どうやらスケルトン達がせっせっと調理をしているようだ。

 そこでようやく儂は、目の前のスケルトンが少し変わっていることに気が付く。


 聖獣化したはずの彼らは再び漆黒のボディに戻っており、頭部からは鬼のような角、腕は二対、お尻からは長い尻尾が生えていた。さらに胸にはほんのりと光る紫玉が備わっている。

 心なしか顔つきも凶悪になっており、紅い眼は紫色になっていた。


「お前達、いつの間にそんな変化を……」

「真一が目覚める五時間くらい前だったかなぁ、突然スケルトン達の姿が変わっちゃったのよ。まぁでも中身は同じだし頼りがいができたってことでいいんじゃない」


 反応が軽いな。確かに今さら感はあるが、この見た目はさすがに無駄に周囲を怯えさせるデザインだぞ。


「君が破壊神になったことで眷属も進化したのだろう。なんせ彼らは主の影響を受けやすい存在だ。こうなっても仕方がないと言える」

「そういうことか。だとすれば呼び出していない他の眷属も変化している可能性が高いな。特にスケ太郎あたりは少し心配だ」


 あいつはマーナの町で商売をしている。

 変に姿が変われば隠すのも苦労するはずだ。


 儂はポケットから四つの結晶を取り出す。


「これはどうすればいい?」

「好きな相手に使用するがいい。そうすれば神格を与えられる」

「ふむ、一つ聞くがこれは他にもないのか」

「ないといえばないしあるといえばある」


 要領を得ない返答だな。


「神格を与える結晶、それは私の兄である創造神が創り出した物だ。彼だけが唯一神族以外に神格を与えることができる」

「それだと証を創ったのは創造神ということになるが?」

「悪い、紛らわしい説明をしてしまったな。正確に言えば創造神の証が唯一神格を与える物を創れるということだ。言ってみればそれらの結晶は、証の劣化コピーみたいなものだな」


 ほうほう、つまり二つの証こそがオリジナルで、そこから端を発しているということか。

 だったらその証はどこから来たのだ。

 神に創れない物を誰が創ったのか実に気になるところだ。


「やってくれちゃな下郎めぇ!」


 とことこ小さな女の子が儂の足下へと走ってきた。

 金短髪にピンクのワンピースを着た可愛らしい子だ。

 彼女はポカポカと儂の足を叩く。


「やめるのだケロ! いまやその方が破壊神しゃまだケロ!」

「いましゃら怒ってもしかたにぇよ。主の決めたことは絶対だじぇ」

「らってらって! こんな姿になるなんて悔ちいやろ!」


 その後に小さな人型のカエルとリーゼント頭の男の子がやってくる。

 どちらも三歳児程度の身長に、可愛らしいイラストの入ったTシャツとハーフパンツを穿いていた。

 まさかとは思うが……四魔王か?


「ふん、わらわ達はあるべきしゅがたに戻っただけだ。これからも主にちゅうしぇいを尽くすことに変わりはない」


 最後に現れたのは、なぜかスクール水着を着たエヴァらしき女の子だった。

 胸元には白い布が縫い付けられ『えう゛ぁ』とつたない文字で書かれている。

 事態が飲み込めない儂はゼファに視線を向けた。


「ぷ、ふふふっ、可愛らしいだろ? まだまだ子供だったのを神格を与えることで無理矢理大人にしていたのだ。それに彼らも早く大人になりたいと五月蠅かったからな」

「今は普通の子供なのか?」

「普通というのには語弊があるな。神格こそ失ったものの彼らは未だ最強クラスの配下だ。あと二十年ほどすれば立派に成長して一族を見事に率いることができるだろう」


 抱きかかえたサタナスはふくれっ面だ。

 まさか女の子だったとはな。すっかり騙されていた。


「主、だっこ!」

「よしよし」


 エヴァはゼファに抱きかかえられてご満悦の様子だ。

 ただ、未だに彼女がなぜ水着を着ているのか分からない。

 他の三人も「俺も!」とゼファの元へ駆けて行く。


 彼は魔王達を抱えて幸せそうだった。




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