百六十三話 大魔導士と呼ばれた男
ムーアは王城の地下に儂を案内する。
長い螺旋階段を下り最下層にある木製の扉を開けた。
「ほう、ここは貯蔵庫のような場所か」
「こっちだ」
扉を開けた先は大きな部屋となっており、壁や天井には氷が張り付いていた。
床には白い冷気が立ちこめ、部屋の至る所に野菜や肉がおかれている。
ムーアは振り返りもせず部屋の最奥に儂を案内する。
「これだ」
大部屋の最も奥、妙に開けたスペースにそれはあった。
いや、いたと言った方が正しいのだろう。
それを見た儂はしばし言葉を失った。
それは長方形の氷に収められた一人の女性。
お世辞にも美しいとは言えない容姿だが、どこか愛嬌があって妙に安心する。
彼女は白い服を着ており、まるで眠っているかのように胸の上で手を組んで横たわっている。だが、儂はそれよりもそれを抱くようにして凍り付いている人物に目が行ってしまう。
その者は白いローブを纏った老人、大魔導士と呼ばれしムーアだった。
「これがわしの本体だ」
「生きているのか?」
「いや、もう死んでおる」
「…………」
言葉が出なかった。
確かに彼は最下層に本体があるとは言った。
だが、生きているとまでは言っていなかったはずだ。
彼は「よっこらせ」と床に腰を下ろし、愛おしそうに氷を撫でる。
話を聞く為に儂も床に腰を下ろした。
「これがわしの一番目の妻、マリアじゃ」
「優しそうだな」
「まぁの、とびっきりのお人好しで有名じゃった。いつものほほんとして、わしがどこで何をしてこようが笑って許してくれた最高の女じゃ。最低の旦那にはもったいないほどのな」
彼はどこからともなく二つのグラスと酒瓶を出す。
ボトルのラベルはボロボロでなにが書かれているのかすら判別できず、相当に古い品だとすぐに分かった。
グラスに酒を注ぐと儂に差し出した。
「どうだ」
「いただこう」
一口飲むと程よい甘味が広がる。
それでいて強い香りが鼻を突き抜けた。
本当に美味いものは言葉がでないものだな。
「お主はすでにわしの目的を知っている。だが、わしが何者でどのように生きてきたのかは知らぬだろ」
「そうだな、だからこそ聞きたい。お前は何者だ」
ムーアがニヤリとする。
彼は儂に明確なヒントを与えていた。
必ず食いついてくるだろうと踏んで。
コトン、グラスを床に置いた彼は姿勢を正す。
「改めて自己紹介をしよう。わしの名はムーア・シゲモト。かつて大魔導士と呼ばれた男だ」
シゲモト……繁本……か。
薄々そんな気はしていたのだ。
恐らく彼は
「お主のことは父から飽きるほど聞かされていた。かつて日本と呼ばれる異世界の国で生きていたことも、東京を襲った異変のことも」
「繁さんは儂がこの世界に転生することを知っていたのか?」
「可能性の一つとして捉えていたようだ。自身だけが転生したとはどうしても思えないと言っていたのをよく覚えている。おかげでわしは父に付き合わされて、世界中を旅させられたがな」
ムーアは右手の亜空間から古びた一冊の本を取り出す。
そして、それを儂に差し出した。
「これは?」
「繁本平司――わしの父親の日記だ。もし田中真一と出会うことがあれば、これを渡して欲しいと言われていた」
受け取った儂はパラパラとめくる。
ムーアを知るにはこれを読むことが重要のように思う。
『わしは繁本平司、日本生まれの日本育ちだ。ああいや、この場合異世界生まれの日本育ちって言うべきか。兎にも角にもわしは異世界とやらに転生したようだ。正直、まだ少し混乱している』
文字は日本語で書かれていた。
次のページをめくる。
『わしは貴族に仕える使用人夫婦の三男として生まれた。長男は出来がいいので貴族の屋敷で働き、次男は勝ち気に腕っ節が強いので冒険者になったそうだ。おかげで家は比較的裕福。こうして日記を記すことができるのも両親と兄弟のおかげだ。なにか恩返しをしたいが、今のわしは幼くてまだ甘えるしかできない。なんとも歯がゆい』
ページをめくると日付が飛んでいた。
前回から一年後のようだ。
『どうやらわしには魔導士の才能があるようだ。ご当主の計らいでわしもご子息と一緒に魔法の勉強を受けることが許可された。両親も二人の兄も喜んでいる。これで恩返しができそうだ』
次のページは一ヶ月後だ。
『ご子息に殴られてしまった。わしは彼よりも魔法の才能があったようだ。おかげで妬まれてしまった。今後は目立たないようにしよう』
次のページは数年飛んでいる。
『悲しい出来事があった。冒険者だった兄が死んだらしい。この世界はあまりにも危険に満ちている。今日はこれ以上書けそうにもない』
次のページはそれから数日後のようだ。
『ご子息の従者になった。給金アップで両親と兄が喜んでくれている』
次はそこから数年後。
『剣の腕が認められご子息に役職が与えられた。わしもサポートをする為に同行することに。今日から軍人だ』
そこからしばらく軍人としての活動が続く。
どうやらご子息とやらは軍部のエリート組に入ったようだ。
『ご子息が負傷した。部隊にはわしを含めて回復系の魔法が使える者がいない。非常に厳しい状況だ。それでもなんとか元医者としてできる限りの処置をした。彼が助かることを祈る』
次のページでは子息が一命を取り留めたことが書かれていた。
そのおかげで繁さんは子息から深く感謝されたそうだ。
どうもこの時代の王国は、内戦状態が続いていたらしい。
一部の領主が反乱を起こし国王陣営と激しい戦いが行われていたようだ。
子息は国王側として着実に戦果をあげていると記されている。
次のページでようやく儂の名前が出てくる。
『二十五歳になった。今でも時々夢で思い出す。東京に起きた異変と真一の死を。わしはあの日、意識が途絶える直前に彼が殺されるのを見た。きっと彼もこの世界に転生しているはずだ。そのような気がしてならない』
次のページで子息の名前が明らかになる。
『とうとうペドロ様が全ての反国王勢力を倒された。これで血で血を洗う戦いは終わり、平和な世が訪れる。噂では陛下が彼の為に新しく”英雄”などという称号を作るそうだ。これでロッドマン家は安泰だろう』
儂は日記から目を上げてムーアを見た。
「繁さんはペドロの従者だったのか?」
「らしいの。なんせわしが物心ついた時にはすでに、父は冒険者として各地を転々としていたからの。ペドロの従者であったことも死後に知ったくらいじゃ」
次のページを開く。
『ペドロ様より領地と男爵の爵位を賜ることとなった。ただ、かねてよりやりたいことがあったので、全て長男である兄に譲ることにする。これで恩返しはできたはずだ。わしはペドロ様にお暇をいただき旅に出る。すでに準備はできている』
なるほど。この辺りから各地を転々とするようになるのだな。
『とある村で出会った娘と恋に落ちてしまった。死に別れた女房とどこか似ている。このような気持ちは久方ぶりで、どのように接すればいいのか分からない。しばらく眠れない夜が続きそうだ』
そこからしばらくその娘のことばかり綴られている。
かなり長く村に滞在したようだ。
心境が事細かに書かれていて、読んでいるこちらが恥ずかしくなる。
娘と結婚した日の日記はひどく浮かれているようだった。
『息子が生まれた。ムーアと名付けることにする。村の古い言葉で”強く長く生きる”と言う意味だそうだ。立派にならなくてもいい健やかに長く生きて欲しい』
繁さんの想いが文字から伝わる。
妻と子供と死に別れた彼だからこそ切に願ったのだろう。
次のページでは時間が数年ほど飛んでいた。
『ムーアが六歳になった。そろそろ旅を再開しようと思う。わしはこの世界のどこかにいる真一を見つけ出すつもりだ。あいつは息子のようなものだ、このまま放ってはおけない。探さなければ……』
繁さんは儂のことをそんな風に思っていたのか。
これを読むまで知らなかった。
『ムーアは魔法の天才だ。おまけに桁外れの魔力を秘めている。もしかするとこの子は世界を変えるかもしれない。わしは彼に保有する全ての知識と技術を伝えようと思う』
ムーアの天才ぶりが事細かに書かれている。
親馬鹿とは言いたくないが、ちょっと引くくらいの浮かれっぷりだ。
妻と子と三人で旅をしながら幸せな時間を過ごしていた様子が窺えた。
そこからはムーアのことばかりだった。
最初のページから四十年が経過した頃、突然その内容が変わる。
『真一が見つからない。彼もこの世界に転生していると考えていたが、その前提は間違いなのだろうか。だが、わしと死んだ時間も場所もほぼ同じの彼が、転生しないのもおかしい気がする。もしかすると死を迎えるまでの、ほんの数秒のズレが転生にも大きく影響しているのだろうか。だとすると、彼はわしが死んだ後に生まれる可能性がある』
繁さんは自分なりに解釈を加えつつ儂を探し続けていた。
実際は直樹による強引な転生が原因で儂らはばらけてしまったのだ。
だが、そんなことなど知るはずもない彼は、頭を悩ませ続けていたようだ。
そこから再びムーアの活躍が書かれ、とあるページで目が留まった。
『息子が幼なじみのマリアと結婚することとなった。正直不安だ。ムーアは魔導士や冒険者としてはかなり優秀だが、男としては呆れるほどふわふわしている。これから苦痛を強いられることになるだろう彼女には、父親として本当に申し訳ない気持ちだ』
ムーアはずいぶんとモテていたようだ。
まぁそうでなければ十二人も娶らないだろうしな。
繁さんとしては複雑な心境だろう。
ちらりとムーアを見ると露骨に目をそらす。
どうやら本人も反省しているようだ。
『案の定ムーアが浮気を繰り返している。マリアには何度も謝ったが、彼女は「ムーア君は優しいから仕方がないんです」と笑っていた。なんと強い子だろうか。我が息子はきっと後悔することとなるだろう。その大きな愛を失った時に』
繁さんはすでに先が見えていたようだ。
今のムーアを見れば彼はなんと言うだろうかな。
だから言っただろ、とでも怒るのだろうか。
そして、次のページはそこから数十年後。
『流行病にかかってしまった。もう長くはないようだ。ここに最後の言葉を記す。わしは息子であるムーアに真一の捜索を託すこととした。大魔導士と呼ばれるようになった彼なら必ず果たしてくれるだろう。今やそれだけが心残りだ。ああ、せめてもう一度あのマッサージを受けたかった。真一は上手だったからなぁ……』
日記はそこで終わっていた。
儂はパタンと閉じると日記をムーアに返す。
だが、彼は首を横に振って受け取りを拒んだ。
「それは言わば父の魂。前世の友であるお主が受け取るべきものじゃ。父もそれを強く願っていることだろう」
「いやしかし、これはお前と繁さんをつなぐものではないか……」
「もうよい。わしはこの千年飽きるほど読んだからな」
グラスをぐいっと飲み干した彼は深く息を吐き出した。
「マリアは父と同じ流行病でこの世を去ったのじゃ。それまでのわしは思い上がっていた。大魔導士などと賞賛されることに快感を抱き、金と女を欲しいがままに手に入れ喜んでいた。父との約束も忘れ、マリアの愛に気づかず、ただただ醜く欲にまみれていた」
彼は酒をグラスに注ぐ。
「彼女が死んだ時、わしは別宅で女を抱いていた。数ヶ月も本宅に戻らずにのうのうとしていたのじゃ。マリアが流行病にかかっているとも知らぬままな。なんと愚かな男だと思うだろう。わしもそう思う。大魔導士など呆れる」
ムーアはひどく後悔したのだろう。
話ながらも彼は顔の筋肉が震えていた。
儂は気持ちが痛いほど理解できた為、彼の姿をこれ以上直視することはできなかった。
「そこでわしはようやく愛というものを真に理解をした。わしはずっと彼女に生かされていたのだと気が付いたのじゃ」
「だから生き返らせようと?」
「愚かなことだとは分かっていた。じゃが、父が転生したと知っていたわしは、人をこの世に蘇らせることも不可能ではないと思い至ってしまった」
マリアを失った彼は反魂の術を探して世界中を奔走した。
同時に儂も探していたそうだ。
父親と同じ転生者なら、生き返らせるヒントが得られるかも知れないと思ったそうだ。
そして、彼は旅を続け神樹と出会った。
「わしは大迷宮の最下層に行く為にあらゆるものを捨てた。家族も子も友人も地位も名誉も。そのおかげでついに見つけたのだマリアを蘇生する術を」
魔王エヴァと取引をした彼は、結界を解く人間を連れてくるように命じられる。
だが、その頃にはムーアは精根尽き果てていた。
数年の長く厳しい旅に大迷宮の踏破。
肉体と精神の限界に達していた彼は、とうとうマリアをここに置いて力尽きる。
「死の寸前で創り出したのがわしじゃ」
「本体が死んでも存在していられるのだな」
「これは大迷宮攻略の途中で身につけた”疑似体”というスキルじゃ。今のわしは魂はなく肉体的成長もしない記憶を持つだけの人形じゃ」
エヴァの配下となった彼は地上に戻り、結界を解く存在を探し続けた。
その結果、彼は気の遠くなるような長い年月を経てついに儂と出会ったのだ。
「神樹様に案内を頼まれた時は我が耳を疑った。父が探していたあの田中真一だったのだからな。そこでわしは悟った。すべてはお主をここへ導く為の大いなる流れだったのだと」
「繁さんが過去に飛ばされたのも、マリアが死んだのも、お前が儂らを案内したのも運命だというのか?」
「そうだ。だからわしがもう満足しているのも納得がゆく」
ムーアの身体が光りながら消え始めた。
「お、おい!? なんのつもりだ!?」
「わしはマリアに愛していると伝えたかった。どんなに殴られようが蹴られようが、謝り続けたかった。ありがとうと言いたいことを教えたかった」
「待て! マリアを蘇生させるのではなかったのか!」
「最初から分かっていたのだ、それがどれほど愚かなことで傲慢なことか。じゃがわしは現実を受け入れられずもがき続けていた。マリアのためだと言い訳をしながら。彼女がそんなこと望むわけがないと気が付いていたのに」
彼の身体の大部分が消え失せた。
もう残るのは胸から上だけだ。
「そうそう、言い忘れていたことがある。あのエルフの嬢ちゃんならわしの後継者として認めるのにふさわしい。その証と言ってはなんだが、本体が着ているローブと風神の杖を譲るつもりだ。彼女にぜひ渡して欲しい」
「分かった」
「最後にお主に会えて良かった。父の言っていたマッサージを受けてから消えるべきだったと今は少し後悔している。それと、もしわしの子孫に会ったら助けてやって欲しい、今ではすっかり没落しているそうだからな」
「うむ」
笑みを浮かべた彼は光の粒子になって完全に消える。
そこには彼のグラスだけが残されていた。
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