百六十二話 ブラッドフォール王国
馬車は紅い川にかかった石造りの橋を越えて町へと入る。
窓から見える景色は地上の町とそれほど変わらないものだった。
多くの人々が買い物をしながら笑顔を浮かべている。
「平和だな」
「ええ、この王都は比較的穏やかに人々が暮らしています」
「そうじゃない場所もあると?」
「残念ながら。魔族と言っても皆が皆仲が良いというわけではありませんので」
人間も魔族も中身に関しては大して変わらないみたいだな。
ふと、通り過ぎた市場らしき場所で、大量の食材が売られているのが見えた。
「魔界産の食材を買いに行きたいのだが」
「女王陛下との謁見のあとにきちんと町をご案内いたしますので、今だけはどうかご容赦ください」
なら仕方ないか。
かなり気になるが我慢するとしよう。
「ちなみに聞くが、儂らがここへ来た目的を女王は知っているのか?」
「もちろんです。証を手にし、次なる破壊神様になることですよね」
「お前はそれについてどう思う?」
「これはあくまでも私の個人的な意見なのですが、今の生活が継続されるのならどのような方が神であろうと受け入れてもいいと思っています。主たる方に直接お会いしたことがないからこそ言える言葉でしょうけどね」
アリムはここで生まれ育ったそうだ。
物心ついた時にはもう破壊神は封じられており、配下としての忠誠などないまま今に至るとか。
神々との戦いを経験した者達も今では数が少なくなり、今では破壊神の威光も細々と伝承のように語り継がれているらしい。それほどまでに彼らは気が遠くなるような時をここで過ごしているのだ。
「魔族の血は少しずつ確実に薄れています。もはや神々と争っていた頃の力は我々にはほとんどないのです」
彼が窓から外を見ると、ちょうどそこにはヒューマンらしき家族の姿があった。
かつてここまでたどり着いた者達の子孫だろうか。
「最下層にたどり着いた冒険者を取り込んだのか」
「そうなりますかね。我々ヴァンパイアの血筋は、元を辿ると全て女王陛下に行き着きます。自然と血が濃くなってしまうのですよ。だからこそ冒険者が現れれば盛大にもてなし、家族を持たせてここを離れられなくするのです」
「そんなことを儂に言っていいのか?」
「周知の事実ですよ。ここに来た方全員にお伝えしていることです」
ここへ来た人間には特別な権利が与えられるという。
国からの高額な支援が受けられること。
肉体関係を結ぶ相手は既婚者以外なら自由に好きなだけ選んで良いこと。
いつでも好きな時に地上に戻っていいこと。
ただ、帰還する際には二つ条件が付けられる。
それは最下層のことを誰にも言ってはいけないこと。
戻ってくる度に新しい人間を連れてくること。
ムーアが事前に最下層のことを口外するなと言っていたのはこのことか。
「しかしどうして言ってはいけないのだ?」
「ふぉふぉふぉ、その方が冒険心をかきたてられるじゃろ? まぁ、ダンジョンの最果てに魔物と魔王がいるなどと知れば、誰も来なくなってしまうからのぉ」
つまりあえて秘密にすることで冒険者を最下層に招き寄せていると。
それにもし言ったとしても地下世界があるなど誰も信じてはくれないだろうな。
話をしている間に、馬車は町の中心にそびえる黒い王城へとやってきていた。
堅牢で豪華な門をくぐり抜け、厳めしい悪魔の彫像が彫られた正面玄関へと到着する。
待ち構えていた兵士がドアを開け、先にアリムとムーアが外へと出た。
「魔王の居城にふさわしい威容だな」
いかにもラスボスがいそうな雰囲気の城だ。
ただそこにあるだけで威圧される。
おまけに城の上の方からは妙な感じがした。
得体の知れない何かがいる。
「んー、ずっと座ってると肩がこったわ」
「同意。胸が重くてすぐにこる」
「なぜそのような嘘をつく。よけいな見栄は自己嫌悪に陥るだけだぞ」
「止めてあげてフレアさん。リズさんはあれでも頑張って対抗しているんだ」
もう一台の馬車から仲間が降りてくる。
どこへ行ってもギャーギャーと五月蠅い奴らだ。
だがそれが妙に安心させる。
「それでは救世主様を女王陛下の元までご案内いたします」
アリムは一礼して颯爽と歩き出した。
◇
城内は床も壁も黒一色だった。
漂う空気はひんやりとしていてお香を焚いたような心地の良い香りがする。
それでいて厳かな緊張した雰囲気を抱かせる。例えるなら大きな美術館に来たような感じだろうか。
時折、芸術作品なのか絵や彫像が飾られているのをみたが、どれも適当に作ったようにしか見えない難解なものばかりだ。言うなれば初めてピカソの絵を見たときみたいな。
「これはとても腕の良い画家が描いたに違いない。なんかこう絵の中から感情が伝わってくるんだ」
「ペロ様は確かな目があるようですね。この絵は『ああ、我が肉』と言う作品です。かの奇才ルーバーが最後に描いた名作ですね」
その絵は白地に黒い油絵の具が豪快に荒々しく塗りたくられていた。
とてもではないが素人目では絵とタイトルが結びつかない。
だが、我が息子には理解できるようだ。
アリムも絵の素晴らしさを笑顔で語っている。
芸術とは難しいな。
その後、エルナ達とは途中で別れ、儂は謁見の間らしき広い部屋へと案内された。
玉座に座るのは一人の女性だった。
光を反射するほどの長く艶やかな鴉色の髪。見る者に畏怖を抱かせ魅了する、妖艶で美麗な容姿と紅い双眸。金の無駄に装飾が施された防具を身につけ、やけに布面積の少ない黒の衣服を纏っている。
それだけにスタイルの良さが異様なほど目をひいた。
エヴァとうり二つの姿を予想していただけに大きく裏切られた形だ。
女王は強烈な色気を放つ大人の女性であった。
「女王陛下、救世主様をお連れいたしました」
「そうか。ではお前は下がれ」
「はっ」
アリムは女王に一礼して退室する。
女王は次に片膝を突いて頭を垂れているムーアに視線を向けた。
「よくぞ成し遂げ戻ってきてくれた。其方の希望に今度こそ妾は応えてやろうぞ」
「なんとありがたきお言葉。わしの千年に渡る苦労も報われます」
「よいよい。して……」
視線が儂を捉える。
なぜか女王はじっと観察しながら無言だ。
恐らく解析スキルのようなものでステータスを見ているのだろう。
だったらこちらも覗いてやる。
【解析結果:エヴァ・クライス:ヴァンパイア一族を束ねる四魔王の一角。破壊神の忠実なる配下。ブラッドフォール王国の永世女王:レア度SSG:総合能力SSG】
【ステータス】
名前:エヴァ・クライス
種族:クラウンヴァンパイア
魔法属性:風・闇・邪
習得魔法:―
習得スキル:真理の目、空間転移、血操、魂魄干
進化:―
思ったよりもスキルが少ない。
その代わり強力なのがなんとなく伝わる。
おまけにレア度も能力もSSGときているではないか。これは恐らくGODのGなのだろうな。
だとすれば儂が戦った一級天使よりも格上と見るべきだろう。
「妾の分身と知り合いのようだな。加えて裏でユグラフィエが動いている。そうか、外では主が案じていたことがとうとう現実となったのだな」
女王は儂を通り越し、その後ろを見ながらぶつぶつと呟く。
どうも話が進まないので儂から切り出すことにした。
「儂は田中真一だ。すでに知っていると思うが、破壊神の証をもらい受けに来た」
「存じている。しかし、其方に一つ問おう。何故に我が主の証を求めるのだ。この世界が危機だからか? それとも息子を救いたいからか? はたまた故郷である地球を救うためか?」
問いに儂は即答する。
「儂自身のためだ。お前が言ったこと全てを叶える為に今は力が必要なのだ」
「なるほど。実に傲慢で気持ちの良い答えだ」
女王は玉座から立ち上がり、儂の前に歩み寄る。
そして、大きな瞳で儂を正面からまじまじと見た。
「さすが我が主に認められただけのことはある」
「何を言って……」
彼女は儂の腕を掴んではめている腕輪を見た。
「そのローブとこの腕輪には破壊神様の意志が込められている。そして、真の持ち主でなければ同時に身につけることはできない仕組みとなっているのだ」
「つまりこれらは破壊神の持ち物だというのか?」
「そう、あの方は封じられる前に三つの道具をこの星の大地に投げ捨てた。この牢獄を抜け出した際の助けとするために」
三つ? だとすればもう一つ道具があるというのか?
女王は話を続ける。
「二つが一カ所に集ったということは、主は其方を次代の破壊神とお認めになったのも同然。ついにあの方の念願が叶ったのだ」
「待て、話が飛びすぎて追いつけない。ちゃんと説明してくれ」
「あの方は永く永く後継者を望んでおられた。破壊神という役目から解放されたいといつもおしゃっていられたのだ。だが、条件を満たす者は誰一人として現れはしなかった」
彼女は玉座に再び座り足を組む。
「当然だ。破壊神とは他の神々に疎まれる存在。罪を犯した神を裁き、愚かな知的生命を滅する究極の審判者だ。それ故に神にも神以外にも与しない孤高と慈愛の精神が必要不可欠だった。だがしかし、果たしてそのような者がいるだろうか。神は身内には甘く。人となれば容易に神に下る。あの方はもはや疲れ果てていた」
つまり要約すると、破壊神は証を誰かに譲り渡したいと考えていた。
だがそれにふさわしい人物がいなかったと。
そこに破壊神本人、もしくは後継者の素質を有する者にしか同時に身につけることができない三つの道具の内、二つを携えて儂がやってきた。
導き出される結論は、腕輪をはめた時点で儂は破壊神になる運命だったということだ。
「と、とにかくそういうことなら話は早い。儂も破壊神になりたいのだからな」
「妾としても是非主の希望を叶えてもらいたいと思っている」
「ただ……」と女王は表情を曇らせる。
「他の魔王は反対するだろう。あの者達は主が破壊者でなくなることが許せぬのだ」
「もし儂が他の魔王と会えばどうなる?」
「間違いなく主を解放する鍵に使われ、その後に殺されるだろうな」
どうも破壊神を封じている封印を解くには、人間である以外に必要とする条件があるようだ。そうでなければとっくの昔に解放されているはずだ。
その条件を儂は満たしているのだろう。
だからこそユグラフィエも直樹も儂を送り出した。
女王ですらそのような口ぶりだしな。
「しかしながら主の封印場所は我が領土にはない。どちらにしろ他の魔王を説得することとなるだろう」
「危険を承知で会うしかないということか」
女王は静かにうなずく。
ようやくここまで来たのだ、今さら退けるわけがない。
「話は分かった。では他の魔王と会う為の段取りをそちらでしてくれ」
「承知した。それまで我が国でゆっくりするとよい」
女王との謁見が終わり、儂とムーアは退室する。
「魔王と言うよりは魔神だな」
「ステータスを見たか。あれはわしらでは踏み込めぬ神の領域にいる者じゃ。しかも女王はその上位に位置する御方。存在そのものの次元が違う」
直接会ってみて分かった。確かにアレは格が違う。
これはたとえなのだが、ユグラフィエや直樹が人間ならアレはドラゴン。
実は先ほどから儂の手の震えが止まらないのだ。
本能が、魂が、恐怖を抱いているようだった。
儂は通路が十字に交差するど真ん中で立ち止まった
「ところでムーアよ。そろそろ何者なのか教えてはくれないか?」
「…………ふむ」
立ち止まった彼は振り返って髭を撫でる。
質問の意味を理解しているようだ。
「まぁよいか、伝えるには頃合いかと思っていたしな」
彼は呟いて納得するようにうなずく。
そして、「見せたいものがある」ととある部屋へ儂を案内した。
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