百六十一話 モヘド大迷宮8

 五十階層から下は今までとは比にならないほど過酷な地であった。

 ただ極端に環境が変わったわけではない。

 出てくる魔獣の強さが格段に跳ね上がったのだ。


 土穴のような赤茶の土がむき出しとなった通路。

 そこで儂は雷撃を放つ。

 身を焼いたデスオーガが倒れた。


 身の丈四メートル。

 浅黒い皮膚に額からは一本の角を生やしている。

 こいつはオーガの上位種だ。

 ドラゴンとすら対等に戦える怪物。

 そんな化け物がここにはごろごろしていた。


「はぁ、そろそろ地上に戻りたい。いつになれば最下層に着くのよ」

「ふぉふぉふぉ、もう間もなくじゃよ。そこまで深くないと最初に言ったじゃろう」


 エルナとムーアは壁により掛かって座る。

 かれこれ出発して三ヶ月、こんなにダンジョンに長く潜っているのは儂とエルナの二人だけで生活していた時くらいだ。


「父さん、これなんか食べられそうだよ」

「うむ、では乾燥させて保存食にしよう」

「田中殿。こっちの肉はなかなか脂がのっていて美味そうだ」

「悪くないな。今日の昼飯にするか」

「……ん」

「そうだな、素材も忘れずに取っておかないとだな」


 四人で解体しつつどこが食べられそうか話し合う。

 魔獣が強くなったとは言ったが、今の儂らにとってはまだまだ雑魚だ。

 天使ほどの強さにはほど遠いな。


 さっそくとったばかりの肉を焼く。

 デスオーガの肉は意外に脂がのっていて美味だった。


「ムーアよ、そろそろ何階層がゴールなのかはっきり言ったらどうなのだ」

「あむっ。ふぉふぁふぇは」

「何を言っているのか分からん」


 質問したタイミングが悪かったようだ。

 すると索敵スキルに複数の反応が見られた。

 そろそろ来る頃だと思っていた。


「エルナ」

「分かってるわよ」


 立ち上がったエルナは杖を構えて、通路の奥からやってくる大群に備える。


 がさがさがさ。複数の足音が近づいていた。

 最初に姿を現わしたのは一メートルほどの一匹の蟻だった。

 次第に数を増やし、壁や天井などに張り付いて埋め尽くす。


 この魔獣の名はヘルアント。


 蟻系最上位の魔獣だ。

 性格は極めて獰猛、目に付く生き物は全て餌にしようとする。

 その身体は非常に硬く鋼の刃などは跳ね返してしまう。

 重ねて厄介なのは集団行動をするところだ。常に十匹以上で行動し、一匹でもやられると危険を知らせる臭いを発する。

 そうなると一気に仲間が巣穴から飛び出して押し寄せてくるのである。


 地上では災害級の魔獣として認知されているとびきり危険な存在だ。


「この三ヶ月、私はムーア様の指導の下、新たな境地に足を踏み入れたのよ。見よ我が強力無比な魔法を。フェアリーアロー」


 無数に出現する白銀に輝く矢。

 聖獣防衛戦において天使ザジを倒した魔法だ。

 それが三十ほど。


 音もなく発射された矢は、蟻達を次々に貫通してゆく。

 追尾機能がある為、決して一匹たりとも逃しはしなかった。

 残るのは山となった蟻の死体だけ。


「もはや彼女の力はわしに届こうとしている。早い内に追い抜かれてしまうだろうな」

「またまたご謙遜を。私はムーア様に遠く及びませんよ」

「……わしはお主ほど優れてはおらぬよ」


 ムーアは「先を急ぐとしよう」と蟻をまたいだ。



 ◇



 五十四階層に到達。

 ここまで来ると敵はほとんど出現せず、見慣れた石造りの通路だけが延々と続く。壁には仄かに光る青い結晶が備えられており、異様な静けさだけが横たわっていた。


「変な感じだね」

「田中殿、索敵には反応は?」

「ないな。気味が悪いほど敵がいない」


 ちらりとムーアを見るが、彼は何かを語ることもなく淡々と先を進む。

 じきに最下層に着くと言っていたが、もしかするともう目前なのかもしれない。


「!?」


 不意に索敵に反応が現れる。

 だがしかし、それは敵意を示す反応ではなかった。

 しかも一つだけ。

 それは迷うことなくこちらへと向かってきている。


「ムーア、何かがこちらに近づいてきているぞ」

「案ずるな。恐らくそれは出迎えだ」


 出迎え? まさか最下層にいるという破壊神の配下か?

 だとすれば相手がどのような存在か見極める良い機会ではないだろうか。


 カツカツカツ。


 足音がだんだんと近づく。

 そして、角を曲がって現れたのは黒い鎧を身に纏った男性だった。


 青白い肌に紅い目。

 長く黒い髪は後頭部でくくられ前髪は綺麗に切りそろえられていた。

 思わず女性と見間違えてしまうほど端正な顔立ちだった。


 彼は儂らの前で立ち止まると、片膝を突いて頭を垂れる。


「お待ちしておりました。我らが救世主」


 男性の目は儂をはっきりと捉えている。


「おい、ムーア! 救世主とはどういうことだ!?」

「落ち着くのじゃ。彼らはただ単に封印を解いてくれたので、お主をそう呼んでいるだけじゃ。他意はない」


 長く封じられてきただけに儂に感謝したい気持ちがあるのは理解はできるが、いくらなんでも救世主というのは恥ずかしすぎる。

 後ろを見るとエルナ達がニヤニヤしていた。


「真一って救世主なんだー」

「僕は父さんが救世主で嬉しいな」

「ホームレスがメシアとは興味深いな」

「破壊神な救世主……斬新」


 くっ、何を言われても傷つかないはずの儂の鉄のハートが……。

 救世主と呼ばれることがこんなにもダメージがデカいとは予想外だ。


「そ、それでどうやって儂らが来たことを察知したのだ」

「我が女王のお力です。あの方は玉座にいながら、いかなる存在がこの地に足を踏み入れたのか把握しておられます。故に救世主様が封印を解き、ここへ来られたことは既知とするところなのです」


 ほう、索敵スキルみたいなものだろうか。

 それならば儂がどのような要件でここへ来たのかも知っていると見て良さそうだ。

 今のところ敵対する意思は見られない。

 付いていって問題ないと判断するべきだろう。


「では僭越ながら私が主の元へとお連れいたします」


 男は立ち上がって歩き始めた。

 一応、解析スキルで彼のステータスを覗いてみれば、どうもヴァンパイアのようだった。それもそうか、エヴァの種族はヴァンパイアだ。その配下もヴァンパイアに決まっている。


 儂は道中気になったことを質問する。


「この先には何があるのだ?」

「貴方方が魔物と呼んでいる者達の国があります。まぁ、我々は自分達のことを魔族と呼んでいますがね」

「魔族……」


 魔物という総称はあくまで人間が付けたものだ。

 違っていて当然だろう。


「多分皆さんは地上の者達と地下にいる私達を、同じように見られているかもしれません」

「どこか違うのか?」

「大きく見れば同じでしょうが、実際は少し違います。我々は人の血を欲しがらないと言う点でしょうか」

「血を欲しがらない?」


 彼の言葉に儂だけでなく仲間もざわめいた。

 ヴァンパイアが血液を欲しがるのは当たり前のことだからだ。

 あのエヴァですら人間の血を飲んで生きている。

 なのにここのヴァンパイアは血を求めないと言うのだ。

 とても信じられる話ではない。


「我々をここに閉じ込めた神々の話をご存じでしょうか?」

「神樹からおおまかには聞いたが」

「それでは創造神が我らを封じることを反対していたことは?」

「初耳だ」


 神樹から聞いたのは本当に大筋だけだ。

 創造神がどのような感情を抱き、破壊神がどのようにして倒され封印されたのか詳しくは知らない。


 だが、地下にいるヴァンパイアが血を欲しがらないのと、その話とどのような関係があるのかいまいち繋がりが見えない。

 男性は微笑んでから、腰にある水筒を儂に差し出した。


 水筒を開けてみるとキツい血の臭いがする。

 中に入っているのは血液のようなどろりとした紅い液体だった。


「それは我が国で湧き出る水です」

「地面から血が出ているのか?」

「血液というのには語弊がありますね。言うなればこの巨大な聖獣の排泄物ですよ」


 彼は壁に手を当ててそう述べる。


「創造神は我らを封じる際、不自由なく生きてゆけるような環境を用意しました。ヴァンパイアだけではありません。種族の違う他の魔族にも同じだけの物を与えてくれたのです」

「どうしてそんなことを?」

「さすがに当時を生きていない私では詳しいことは分かりませんが、もしかすると創造神はご兄弟である破壊神様とその眷属に情けをかけたのかもしれません」


 なるほど、それで地下のヴァンパイアは飢えることなく生きていられると……ん? いま、破壊神と創造神が兄弟だって言わなかったか?


「兄弟ってどういうことだ!?」

「あ、そろそろ階段ですね。それについては現地に着いてからご説明いたしましょう」


 するりと質問を躱され、男は階段へと儂らを誘う。

 儂らは最後となるだろう階段を下りた。






「おおおっ!!」

「これが大迷宮の最下層!?」


 階段を下りた先には、異様な光景が広がっていた。


 そよ風に揺れる広大な紫色の草原。

 空に輝くのは煌々と朱く輝く満月だ。

 微かに星のように光が瞬いている。


 儂はすぐになにかがおかしいことに気が付く。

 地面がなだらかに歪曲しているのだ。

 それも内側に。


「まさかここは……」

「はい、お察しの通り球体状の空間になっております」


 そう、儂らがいるのは巨大な球体の内側だ。

 大迷宮の地下にこんな場所があるとは。


「ではあの星のように光っているのは人の明かりか?」

「ええ、ここでは星空というのは存在いたしません」


 言葉が出ない。

 いやはや転生して様々な物を見てきたが、こんな物を見るのは初めてだ。

 都市伝説で地球に地下世界があるとかないとか耳にしたことはあったが、それを異世界で実際に見ることになるとは。


「うわっ!? なにこの生き物!?」


 エルナの足下にボールのような濃緑の生き物がいた。

 大きさは三十センチほどで、一つだけ大きな目があった。

 周囲にはにょろにょろと触手が生えていて、一部の長い触手を器用に手足のように使っている。


「それは魔界で可愛がられている愛玩動物です。ニョロピーと言って人なつっこい性格なのですよ」

「へ、へぇ、ここではこれがペットなんだぁ……」


 男性がしゃがんで手を差し出すと、ニョロピーは近づいて触手をすりすりさせる。

 儂は密かにどんな味がするのだろうかと考えていた。


「度々質問して申し訳ないが魔界というのは?」

「我々が付けたここの名称です。名前がないとなにかと不便ですから」


 フレアの問いに答えた彼は苦笑する。

 魔物の世界だから魔界か、考えてみればそうかもしれないな。


「自己紹介が遅れましたが、私は救世主様とそのご一行をお世話させていただく、フェルム公爵長男アリム・フェルムと言う者です。以後お見知りおきを」

「儂は田中真一だ。そっちはエルナ、ペロ、フレア、リズだ」

「救世主様とそのご一行様のお名前確かに拝聴いたしました。それではこちらへ」


 彼が案内した場所には二台の馬車があった。

 黒塗りで金細工が施されている。

 それを引くのは漆黒の六本足の馬だ。

 儂とムーアは一台目に。

 エルナ達は二台目に乗せられる。


 儂と同じ車に乗り込んだアリムは、黒い外套に身を包んだ御者に指示を出す。

 するとゆっくりと馬車が走り始めた。


「魔界はいかがでしょうか救世主様」

「その呼び方は止めてくれ。恥ずかしい」

「では田中様とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「それでいい」


 窓から見える景色は異質だ。

 紫の草に黄緑色に発光する花などが見える。

 川は紅く血のようで、空にはコウモリらしき大群が飛んでいた。


「地上に出た魔族はどうして戻ってこない? ここの暮らしは良いのだろ?」

「戻りたくても戻れないと言うのが真実でしょうか。皆様も見たと思いますが、ここに来るまでの道のりは長く険しい。生半可な実力ではとても行き来などできないのです。少なくとも上位魔族と呼ばれる方々でなければ地上には出られないでしょう」


 聞けば上位魔族と呼ばれる者達は封印である網に引っかかってしまうそうだ。

 よって地上に出られるのは、下・中級魔族のみ。

 だが彼らは単身で地上まで上がることはできないそうだ。群を成してようやくなのだとか。

 つまり一度地上に出てしまうと、再び群を成すまで戻ってこられないというわけだ。


「エヴァ様の分身は魔界と袂を分かってしまいました。それ故に同行した多くのヴァンパイアは地上で生きるしかなくなってしまったのです」


 フェデラーはここに戻ろうとしていたのかもしれないな。

 しかし、あの実力ではどう考えても不可能だ。

 エヴァの国に戻ることもできず、魔界に帰還することも叶わず奴は大迷宮を彷徨っていたと言うわけか。今思うと可哀想な奴だったのかもしれない。


「見えてきました。あそこが我らが王都です」


 地平線に大きな町が見えた。

 その中心部にそびえ立つのは黒い王城。

 ここからでも分かる禍々しさ。


「とうとう戻ってきたか……」


 ムーアは目を細めて呟いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同時連載中の【魔界賢者のスローライフ】と【センスゼロの錬金術師】も、もしご興味があるのなら読んでみてください。ホム転とはひと味違った楽しみのある作品達です。

引き続き本作と徳川レモンをよろしくお願いいたします。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る