百六十話 モヘド大迷宮7

 五十階層に到達。

 そこは今までとは違い五十メートル四方の、がらんとした小さなフロアだった。

 かつてここまで小さな階層があっただろうか。逆に不自然に感じてしまう。


 部屋の中央には台座に浮かぶ紫の球。

 そして、それを中心として発生する魔法陣だ。


 またあの痛みに耐えなければならないのかと思うと憂鬱になる。


「ふぉふぉふぉ、どうやら先客がいたようじゃの」

「先客?」


 部屋の隅からツカツカと足音を鳴らして現れたのはエヴァだった。


「久しいのムーアよ」

「そちらこそ元気そうで何よりじゃ」


 ムーアとエヴァは軽く挨拶を交わしてこちらを見る。

 儂らは現状が把握できずに混乱していた。


「なぜここにお前がいる」

「そう警戒するでない。妾はお主にどれほどの覚悟があるのかを聞きに来ただけじゃ」

「覚悟とは?」

「一つ目の結界を解いたのはすでに知っておる。だが、お主はこれを解く意味を真に理解しておるのか?」


 真の意味だと?

 ムーアを見れば彼はやれやれと首を横に振る。


「エヴァよ、お主は仮にも四魔王の一柱ではないか。まさか結界を解くことに反対しておるのではないな。二度の裏切りは許されぬぞ」

「勘違いするな。妾は別に裏切ろうというわけではない。ただ、何も知らされぬままあの者達まで解き放つことには賛同しかねると言っておるだけじゃ」


 ムーアは頭をぽりぽりと掻きながら眉間に皺を寄せる。


「ふーむ、言いたいことは理解できる。じゃが、真一が神となれば嫌でも知ることじゃ。わしが説明したところで早いか遅いかの違いでしかないと思うがのぉ。どうせ選択肢は決まっておるのだから」

「相変わらず自分勝手なジジィじゃ。他人への配慮がまるでなっていない。この千年に一体何を学んだのか」

「なんじゃとこのババァ。お主こそわしの気も知らず好き放題言いおって。昔からそうじゃ、高慢ちきで小さいことばかりめざとく言ってくるその性格は治っておらぬようじゃの」


 二人は拳を構えてしばらくの間、にらみ合う。

 が、お互いにため息をつくと拳を収めた。


「好きにせい。わしはもう言い合うほどの力もない」

「ふん、千年を経てようやく自分の愚かさに気がついたか」

「分からぬ。永く待ちすぎたせいかもしれぬな」


 二人だけの会話が何度か続いた後、ムーアは床にごろんと転がってふて寝する。

 エヴァはその姿に「愚か者め」と呟いてから儂へと近づいた。


「あんな自分勝手なジジイは放っておいて、妾が丁寧に説明をしてやろう」

「それはありがたいのだが……ずいぶんと仲が良いのだな」


 エヴァは儂の言葉を軽く笑う。


「なんてことはない。あやつは妾の夫だった男じゃ」


 お、夫だと!?

 儂らは驚きの余り冷や汗を流す。

 信じられないとばかりにエルナが声を発した。


「で、でも、ムーア様には十二人の奥さんがいて、その中にエヴァ様のお名前はなかったように思いますけど……」

「よく知っておるの。最初の妻はマリア。その次がエリーゼ。妾は三番目の妻じゃった。その当時はリリィと名乗っておったので、記録にはエヴァと言う名前は記されておらぬはずじゃ」


 なるほど。若き頃のムーアはずいぶんと精力的だったのだな。

 まさか魔物も妻にするとは恐るべしと言うべきか。

 彼を見ると、ぽりぽりとお尻を掻きながらオナラをしていた。


「今でこそあのような老いぼれじゃが、昔は美形で頼りになる男じゃった。妾もそこに惚れたのじゃが、ああなってはもうゴミじゃな」

「「「「「ゴミ」」」」」


 酷い言われようだ。

 年を取った夫婦とはこのようになるものなのだろうか。


「あやつが変わったのはマリアを亡くしてからじゃ。死んだ者を生き返らせようと、大迷宮の最下層にまで行くとはな。本当にどこまでも愚かな男だ」

「やはり生き返らせたい相手はマリアという女性なのか?」

「…………」


 エヴァはしばし黙る。

 無言の肯定と言うべきか。


「あの阿呆の気が変わっていなければ、今でもそれを果たす為に動いておるはずじゃ。だからお主達にあえて最下層の秘密を伏せておったはず」

「それはどう言うことだ」

「最下層にいる者に取引を持ちかけられたのじゃ。二つの結界を解くかわりに、マリアを生き返らせるとな。千年経っても諦めておらぬとは」


 彼女はムーアを横目で見ながらそう言った。

 対する彼は「へっ、わしはどうせ勝手な男じゃよ」とこちらを見ずにぼやいている。


 だとすればムーアは神樹に頼まれたこととは別に、儂らを最下層に連れて行くべき目的があったということになる。

 彼と取引を結んだ相手とはどのような人物なのだろうか。

 そして、なぜ結界を解かせたがっているのか。


「お主はすでに妾のステータスをのぞき見ているのだろう?」

「まぁ、一度だけではあるが……」

「知っての通り、妾は破壊神の復活を望んでおる。それはあのお方の忠実なるしもべだからじゃ」


 ふと、脳裏に神樹の言葉がよぎる。


 ”かつて神々と戦った破壊神の配下も、この星に封じられているのです”


 そうだ、破壊神の配下もこの星に封じられているのだ。

 ならばそれらはどこにいる。

 どこに今も封じ込まれているのか。


 答えはすでに出ていた。

 ここ、モヘド大迷宮の最下層なのだろう。


「我ら四魔王はあの方に創られし、忠実にして最強なる配下じゃ。数万の軍勢を従える魔の絶対的支配者。お主はそれらを再び世界に解き放とうとしている」

「しかし、かつての大戦で三人の魔王は死んだと聞いたが」

「そんなわけなかろう。妾を含めた四魔王の本体は今も健在じゃ。やられたのは所詮スキルで創られしまがい物。日に照らされてできた影にすぎない」


 そうか、そういうことか。納得した。

 破壊神の配下は未だに結界の内側にいるのだな。


 そして、本体が越えられない”網”を分身ですり抜けて地上へと出た。


 結果、引き起こされたのがかつての人魔大戦。

 魔王達は聖獣を殺し、結界を解くことで自分達と破壊神を解き放とうとしていたのだ。

 ここにきてようやく話が繋がった気がする。


「だとすれば結界を解くのは大問題なのではないのか?」

「いや、お主が考えているような事態は起きぬと妾は予測しておる。そもそも我ら配下は、破壊神の復活を望んでいるだけで、それほど世俗に興味や未練があるわではない。主が正義面した神々共に封じられているのが気にくわないだけなのだからな」


 そう言いつつエヴァの目は怒りに染まっていた。

 つまり魔王達は結界さえ解ければ、地上の人間に危害を加える可能性は低いと言うことか。

 むしろ味方にすら引き込めそうな気がしてきたな。

 敵の敵は味方とも言う。魔王が神々に怒りを抱いているのなら、ゴーマを討つ為になんらかの協力関係が結べるかもしれない。


「それこそお主が破壊神になれば、そのようなことはならぬはずじゃ」

「もっと分かりやすく言ってくれ」

「魔王は破壊神に仕えておる。お主が次代の破壊神となれば、自然と我らも配下となろう。ただ、それよりもまずはお主が本当に神族になれるかどうかにかかっておる。いくら復活を望んでいるとは言え、奴らが素直に主を差し出すとは思えぬからな」


 エヴァは「だからこそ事前の説明が必要なのじゃ」と微笑んだ。

 儂はようやく理解した。彼女は邪魔をするであろう魔王達の存在を警告しに来たのだ。

 確かにこれは先に教えてもらわないと、後で泡を食うことになっていたかもしれない。


 ムーアを見ればあぐらをかいてこちらに顔を向けていた。


「わしは別にお主達を騙そうとしたわけではない。わざわざ事前に伝えなくとも、わしが魔王の間に入って裏で上手く事を運ぶつもりじゃった。余計な知識は目を曇らせてしまうからの」

「何を調子の良いことを抜かしている。クソジジィ。どうせこやつらを魔王に売り渡すつもりじゃったのだろう」

「んわけあるか。わしはそこまで人でなしではないぞ。少しくらい説明を省いたくらいでチクチクと言いおって、このクソババァ」


 いがみ合っている二人を見ていると、やはり仲が良いのだなと思わされる。

 ただ、そろそろ結界をどうするかだけは、はっきりさせてもらいたい。

 話に飽きたエルナ達は、トランプを広げて神経衰弱をしている。


「これとこれ! 当たり!」

「しまった、そこにあったのかぁ」

「よく見る。このエルフ、カードに傷を付けてる」

「なんと卑怯な! 反則で減点十!」


 楽しそうなので儂も混ざりたい。

 だが、今も喧嘩中のムーア達も放ってはおけない。

 もう面倒なので、儂が勝手に決めるとするか。


 儂は魔法陣に踏み入り、球へと歩みを進める。


 激しい痛みに重みがのしかかって骨がきしむ。

 すでに二度目だ。どれだけのダメージがあるのかも分かっているので、そこまで苦しさはなかった。


 どうせ結界を解かなければなければならないのだ。

 だったらさっさと済ませるのがいい。


「ふぅ、なんとか耐えきったか」


 球の元へと到達したところで息を大きく吐く。

 ムーアも仲間もこちらには気がついていないようだった。

 時間にしてみれば数分の出来事。当然と言えば当然か。


 球を手に取ると、魔法陣が消え失せる。

 すると、察知したエヴァが目を点にした。


「結界が解けた……のか?」

「うむ、お前達が喧嘩をしている間に、さっさと済ませることにしたのだ」

「そうか……これで妾の全ての役目も終わったと言うことかの」

「役目?」

「妾が地上に出てきたのは、聖獣を抹殺し結界を解かせることじゃった。今や聖獣は味方になりつつあり、結界は全て解かれた。もはややるべきことはなくなった。これで憂いなく人の世に骨を埋められそうじゃ」


 エヴァは憑き物が落ちたかのように柔和に微笑む。

 不覚にも儂は胸がときめいてしまった。

 ムーアもこの笑顔にやられたのだろうな。


「ちなみに分身には寿命はあるのか?」

「一応はな。本体によってかなり上下すると聞くが、妾の場合は一万年前後となっておる」


 一万年!? なんて長さだ!

 驚きすぎて開いた口が塞がらない。

 そこへムーアが話に入ってくる。


「無事に結界を解いたようじゃの。これでわしの念願も叶えられると言うわけじゃ」

「ふん、今さらマリアを蘇らせてどうしようというのじゃ。まさかあの娘が、年老いた貴様を愛するとでも?」

「五月蠅い。わしにはもうこれしか目的がないのじゃ。もう何もないのだからの」

「ただ生きる目的の為にあの娘を取り戻そうとしているとは、とことん落ちぶれたなムーア。かつての大魔導士として輝いていたあの男とは思えぬ」

「なんじゃと。もう一度言ってみろババァ」

「何度でも言ってやる。このクソジジィ」


 再び険悪なムードになりつつあったので、儂は間に入ってなだめた。

 仲が良すぎるのも問題だな。

 いや、これは本当に仲が良いと言って良かったのだろうか

 もしかすると儂らが勝手にそう決めて付けているだけで、実際は顔も合わせたくないほど嫌い合っている可能性だってなくはない。


「伝えるべきことは伝えた。妾は地上へと帰るぞ」

「それだけの為にこんなところにまで来たのか」

「別にお主達と共に最下層へ行ってもいいのだが、できれば本体とは会いたくないのでな。それとくれぐれも妾と本体を同一視しないことじゃ。別れて数千年、向こうもこちらも性格に大きな違いが出ておるはずじゃ」


 儂はエヴァの言葉にうなずいた。

 彼女と同じように本体へ接するなと言いたいのだろう。


 エヴァはツカツカと足音を鳴らして上へと向かう階段へ向かった。

 その背中にムーアが声をかける。


「地上へ戻ったら、たまには一緒に酒を飲むか」

「またくだらぬ昔話か? ふっ、よかろう。ジジィの泣き言に付き合ってやる」


 彼女は振り返りもせず階段を上っていった。

 ムーアはぼーっと階段を見つめ続ける。



 その後、儂らは五十一階層を目指して出発した。





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