百五十八話 モヘド大迷宮5

 三十八階層に到着した儂らは、意外な光景にぼーっとしていた。


 そこはフロア全体がのどかな草原だ。

 草木が風に揺られて天井からは柔らかな陽光が照らしている。

 例えるなら春の陽気に満ちた原っぱだ。実に気持ちが良い。


「お主達、油断するでない。ここがもっとも危険な場所なのだと先に言っておくぞ」

「ふむ、そんな風には見えないがな」

「だからじゃ。風景に油断を誘われ隙を突かれる。今までが過酷だっただけに、恐ろしいほど人間を上手く絡め取るのじゃよ」


 なるほど、今までの道のりはここに至るまでの前座のようなものだったのだな。

 だとすると敵の姿も油断を誘う姿に違いない。

 例えば植物に偽装して隠れているとか。


 儂は足下の草を適当に抜く。

 だが、至って普通の雑草だった。


 索敵スキルを発動させると、視界に現れたマップにはいくつもの赤い点が表示される。

 ムーアの言うとおり、このフロアには敵が潜んでいるようだ。


「これが敵なのか?」


 索敵を頼りに敵を見つけ出す。


 それは一本の樹だった。


 どこをどう見ても普通の樹のように見えるが、雰囲気がなんとなく普通の樹とは違う気がする。

 触ってみると生暖かく、どくんどくんと鼓動が伝わってくるのだ。

 解析スキルで正体を見ればなんなのか一目瞭然だった。


 どうやらこれはドリアードと呼ばれる植物魔獣らしい。



【解析結果:ドリアード:通常時は樹木の姿をしているが、夜になると女性の姿で男性の前に現れて誘惑する。噛みつかれると麻痺性の毒を流し込まれ、生きたまま新しいドリアードの栄養源にされる:レア度A:総合能力C】


 【ステータス】


 名前:ドリアード

 種族:ドリアード

 魔法属性:土

 習得魔法:ロックバレット

 習得スキル:索敵(初級)、脚力強化(中級)、催眠ガス(中級)催淫ガス(上級)、神経毒(中級)、成長促進

 進化:条件を満たしていません

 <必要条件:索敵(特級)、催眠ガス(特級)、統率力(初級)>



 仲間に伝えると女性陣はなぜか怒り始めた。 


「燃やせ! こんなものは根こそぎ燃やせ!」

「激しく同意! 駆逐する!」

「断じて許さん! 私のペロ様を誘惑しようなどとは!」


 三人は手当たり次第に樹を燃やして破壊する。

 何が彼女達に火を付けたのだろうか。

 ドリアード達は危険を察知したのか、根っこを足のように動かして逃走を始めた。

 残念だ。どのような魔獣かしっかり見ておきたかったのだが。


 儂らはここで一度、休息を取ることにして食事を始める。


 取り出すは上の階でとれた蛇の肉。

 しょうが、ニンニク、塩、こしょう、醤油、酒、卵、小麦粉を用意。

 下味を付けて油の中に落とせば蛇の唐揚げの完成だ。


 本来なら蛇は叩いて小骨を砕くのだが、大蛇ともなると骨自体も大きく抜きやすい。

 しかも、このコールドスネークは脂が乗っていて、肉質は意外にも柔らかい。

 通常なら固く噛みちぎりにくいのだが、そんな感じはしなかったのが驚きだ。


 もう少しコールドスネークを狩っておけば良かったと後悔した。



 ◇



 三十九階層へ到達。

 そこはフロア全体が沼地のような場所だった。


 水深は一メートルから三メートルほどで、至る所に植物が浮島のように浮いている。

 水の中を覗けば、数多くの魚類が泳いでいる姿が窺える。

 雰囲気としては何かいる感じだ。

 迂闊に泳げば得体の知れない生き物に食われる気がする。


「ここにはマンイーターが生息しておる」

「それはどのような生き物なのだ?」

「そうじゃのう……おお、あれじゃあれ」


 ムーアが指さしたのは大きな浮島だ。

 そこで身体を乾かしているのは、全長十五メートルにもなろう巨大なワニだった。

 なるほど、名前の通り人食いらしい生き物だ。


 しかもよく見れば至る所にマンイーターがいるではないか。

 恐らく無理に船で通過しようとすれば奴らの餌になるのだろうな。


「リズ」

「合点承知」


 リズが闇雲を出して全員を乗せる。

 わざわざ沼を渡る必要などないのだ。


 すぐに階段を見つけた儂らは、四十階層へと至る。



 ◇



「ふぅ、なんだか暑くなってきたわね」


 階段を降りつつエルナが防寒着を脱ぐ。

 マントを脱いでみると、確かに身体に熱気がまとわりついた。

 何というかサウナに入ったような暑さだ。


「ペロ様の毛がまたもや大量に抜けています!」

「暑くなってきたから生え替わっているのかな?」


 ブラッシングしていたフレアが驚愕するほどの毛の抜け方だった。

 心なしかペロの体格が二回り縮んだ気がする。

 フレアはペロの背中を触りながら悔しそうに涙を流す。


「あのモフモフだったペロ様の毛が……こんなに短く……」


 大量の毛に喜んでいただけに短く生え替わったのは悲しい出来事なのだろう。

 儂にはその気持ちはさっぱり分からないがな。


 階段を降りるとさらに気温はぐんと上昇する。


 温度計が手元にないので正確な数値は分からないが、四十℃前後はあるのではないだろうか。先ほどからペロがけだるそうに舌を出してへっへっへっと息を吐いている。


「なんじゃ、若い者がしゃきっとせぬか。まだまだ先は長いのだぞ」

「だってムーア様~、さっきからすんごく暑いのに~」

「弱音は吐くでない。わしの真の後継者と認められたくば、魔導士としての気骨を見せてみよ」

「!? 私、頑張ります!」


 ムーアの言葉はエルナを強烈に元気づけた。

 やはり長年憧れていた相手からの激励は心を強くするものなのだろうか。

 瞳に炎を宿した彼女は突如として駆けだした。


「私が敵を全てかたづけてくるわ!」

「おい、一人では危ないぞ」

「大丈夫! ムーア様、私の活躍を見ていてください!」


 エルナは通路の先にある、光の中へと姿を消した。


 若干心配だが、彼女も高い実力を備えた強者だ。

 危険かどうかはきちんと判断できるはず。

 まぁ、不味いと踏んだら戻ってくるだろう。


 そんなことを思いつつ四十階層へと足を踏み入れると、儂はがらりと変わった光景に開いた口が塞がらなかった。


 ここは今までと同じくフロア全体が一つの部屋のようだった。

 ただ、少し様相が違っていた。

 ゴツゴツした岩肌が床や天井にむき出しになっており、乱雑に岩が転がっている。

 加えて地面からは、時々蒸気のようなものが吹き出し、至る所に黄色い硫黄のようなものが付着している。

 腐った卵のような独特の臭いもあるので硫黄で間違いないだろう。


 フロアに入った途端、ペロがだらーんと力の抜けた状態になった。

 気温が高すぎて処理しきれなくなったのかもしれない。

 ひとまずリズに闇雲を出してもらい、ペロは休憩させることにする。


「ごめんなさいお父さん。僕がこんな状態で……」

「そうなったのはお前のせいじゃない。気にするな」


 とは言ってもリズもフレアもかなりキツそうだ。

 気温は五十℃に達していると思われる。

 いくら進化して肉体が強化されているとは言え暑いものは暑い。


 ふと、儂は道中で気になるものを見つけた。


 それは地面から湧き出るお湯である。

 ぼこぼこと沸騰している為、湯に浸かることはできそうにもないが、儂はそれを見てニュータイプのごとく何かを察した。


「温泉か……ここはどこまでも儂をときめかせてくれる」


 気がつくと儂は走り出していた。

 もっと大きな湯だまりがないか探すのだ。


「あったぞ! うほほほっ!」


 儂はそれに酷く興奮する。

 川のように流れる源泉を見つけたのだ。

 対岸には、いくつもの湯だまりができており、白い湯気がもうもうと辺りに立ちこめている。

 その中で大きめの湯に手を突っ込むと、六十~七十℃ほどに感じられた。

 悪くない。これなら充分には入れるぞ。


「田中殿は何をしようとしているのだ?」

「さぁ? お兄ちゃんはいつも何を考えているのか分からないから」

「ふぉふぉふぉ、わしには分かるぞ。手に取るように分かる」


 儂は投げ捨てるように服を脱いで、腕輪から大量の水を湯だまりに流し込んだ。

 いいぞ、程よい温度になってきた。これなら最高の温泉が楽しめる。


 ざばぁ、湯に身体を浸せば骨身にしみる。


 おっと、ペロも入れてやらねば。

 闇雲から息子を持ち上げて運んで湯に入れた。


「……あれ、なんだかすっきりしてきた」

「くくく、暑い時は風呂に限る。しっかり身体を休めるのだ」

「うん。ありがとうお父さん」


 儂らの様子を見ていたムーアが服を脱いで湯に浸かった。


「むおおおお、これはなかなかじゃの。疲れが吹き飛ぶわい」

「お前はほとんど何もしていなかっただろ」

「なんじゃと。わしはお前達の為に最上級の案内人を務めておるというのに」

「よく分からないが、そんな感覚はないな」


 すると岩場でごそごそしていたリズとフレアがこちらにやってくる。

 二人はビキニを着ており、少しだけ恥ずかしそうに湯に浸かった。


「なるほど。天然のお風呂と言う奴だな」

「不思議と疲れが吹き飛ぶ」


 そうだろうそうだろう。温泉は心の洗濯だからな。

 儂も温泉に入ったのはどれほどぶりだろうか。まさかダンジョンでこのような嬉しい出来事が、待っていたとは想像もしていなかった。はぁ~極楽極楽。


 儂らは湯に浸かりながらとろーんとまぶたが重くなる。

 リズなどはすでに寝息を立てて熟睡していた。


 しかしエルナはどこまで行ったのやら。

 いざとなればリズのスキルで連絡を取ることはできるが、あまり一人で奥地に行って欲しくはないものだ。


「きゃぁぁあああああっ!」


 思わず湯から立ち上がった。

 あの悲鳴はエルナだ。


 数秒後、地面が僅かに揺れ始める。


「誰か! 助けて!」


 悲鳴が近づくにつれて揺れは大きくなり、儂はじっとりと嫌な予感が湧き起こっていた。


 グォオオオオオオオオオッ!!


 空気を震わせる咆哮。

 全裸のままで剣を掴んだ儂は構える。


「エルナ!」

「真一!? どこにいるの!?」

「こっちだこっち!」

「見つけ――きゃぁぁあ!?」


 岩場から姿を見せたエルナは、儂を見た途端に顔を真っ赤にしてしゃがみ込む。


「なぜ恥ずかしがっている?」

「近づかないで! ぶらぶらしてるからっ!!」


 ぶらぶら? 何のことだ?


「それよりも大丈夫か? 先ほどからするこの振動は?」

「だから近づかないでって! まだ私、心の準備ができてないし!」


 心の準備? 本当にエルナは何を言っているのだ?


 しかし、近づくなと言われると困るな。

 今すぐにでも事情を聞きたいのだ――が?


 儂は巨岩の影から顔を出したそれに身体が固まった。

 なるほど……エルナはあれと出会って追いかけられていたのか。


「グルルルル」


 それは赤い鱗に覆われたドラゴンだった。

 体高はおよそ二十メートル。

 頭部から背中にかけて棘が生えていてフォルムは飛竜ワイバーンに近い。

 鋭い牙の並ぶ口を開けば滴る涎と共に、ちろちろと炎が見えていた。


「まったくあんなものを連れてくるとは。仕方のない奴だ」

「あわわわわわわ……」


 ん? やけにエルナが目を丸くして儂の下の方を見ているな。

 そこでようやく気がつく。そうだ、今は全裸だった。


 バタンと倒れた彼女は「キノコ……キノコ……」と茫然自失で呟く。


 ふむ、エルナには刺激が強すぎたか。

 事故とは言え申し訳ないことをしてしまったな。


「グガァァァァアッ!」


 ドラゴンが大きく空気を吸い込む。

 やはりそうくるか。


 儂は魔宝珠を発動させて、雷撃を迸らせた。


 刹那、ブレスと雷撃が衝突する。





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