百五十七話 モヘド大迷宮4


 三十五階層に到達した儂らは一面の銀世界に歓声をあげた。

 なだらかな雪の山ができていてさしずめ白い砂漠。

 所々に針葉樹林の森が見えた。


 足を踏み出せば、ぎゅむりと積雪の感触が伝わる。


 思った以上に足が沈むので、専用の道具か何かがないと歩きにくそうだ。

 儂は数本の木の枝と紐を取り出して即席の『かんじき』を作る。

 まぁ、丸くくっつけた枝に糸を張るだけなのだがな。

 全員分の準備が整えば再出発だ。儂らは雪を踏みしめながら進み出す。


「雪原っていいわよね。なんかこう、ときめきがありそうな予感」

「そうなのか? 儂にはまったく感じないが」

「寒い中で身を寄せ合う恋人同士を想像しちゃうからかな。お互いの体温で温め合うって素敵じゃない」

「あんな風にか?」


 儂が指を指した方向には、ペロの腰に抱きつくフレアの姿があった。

 だがとても恋人同士が温め合っているようには見えない。

 どちらかと言えば一方的な体温の搾取だ。

 エルナはあのような非道な行為を求めているのだろうか。


「違う。私はああいうのを求めているんじゃないの。もっとこう甘く切なくて」

「ぐぅ」

「あんた、いつまで寝てるのよ! そろそろ替わりなさい!」


 儂の背中で眠るリズにエルナが腹を立てる。

 尻を叩かれたリズは、うっすらと目を開けてからすぐにまた寝た。


「ふぉふぉふぉ、どこに行っても騒がしい連中じゃの。見ていて飽きぬわい」

「ところでムーアよ、ここは本当に数々の冒険者の命を奪ったフロアなのか。どう見てもただの雪に覆われただけの場所に見えるが」


 ムーアはヒョイヒョイと雪を歩きつつニヤリとする。


「言っておくがお主達のように、都合よく防寒具を持ち合わせている冒険者など普通はおらぬからな。故に冒険者はまずは寒さにやられる」

「……なるほど。それもそうだな」

「第二に、ここには危険な生き物が生息しておる。それらを相手するにあたって、この足場の不安定なフィールドは非常に厄介じゃ」

「ふむふむ、で、その危険な生き物とは?」


 儂がムーアに尋ねた瞬間、足下の雪がぼこりと膨れ上がった。

 そして、膨らみから飛び出したのは巨大なムカデだった。


「あ! アイスセンチピード!」


 青色をしたムカデは立ち上がって儂らを見下ろす。

 ふむ、ずいぶんと懐かしい生き物だ。

 以前に倒した二股ムカデはここから来ていたのだな。

 儂は抜刀して一瞬でムカデを両断する。


「全員警戒態勢。敵が来るぞ」


 いたるところで膨らみが出現、儂らに向かって近づく。

 なるほど、このフロアはムカデの巣なのだな。

 透視スキルで全体を眺めれば一目瞭然だった。


 すさまじい数のムカデが雪の下でひしめいている。


 普段は眠っているのだろう。

 動かない個体が大部分だ。

 なんらかの大きな刺激を与えるとこれらが目を覚ますに違いない。

 例えば大規模な魔法攻撃などがそうか。


「フレイムバースト!」


 ドンッ、と爆発が起きて黒煙が昇る。

 エルナが魔法を使ったおかげでムカデ達は一斉に活動を開始する。


「全員飛べ! 下から一気に来るぞ!」


 それぞれが飛翔すれば、雪を突き破ってムカデが顔を出した。

 フロアはあっという間にムカデの海と化す。


「はわわわ……なんなのここ……気持ち悪い」

「エルナが魔法を使わなければ目覚めさせずに済んだのだがな」

「な、何よ! 私のせいだって言うの!?」

「…………」


 さて、どうしたものか。

 エルナに責任を取らせる形で全てを焼き払ってもいいが、それではせっかくの雪が全て溶けてしまう。たまには雪遊びもしてみたいと思うのだがなぁ。


「お父さん、ここは僕に任せて」


 ペロがそう言って息を吸い込む。

 発したのは空気を震わせるような咆哮だった。

 恐らくホーリーロアだろう。

 敵意のある者だけを退かせる聖属性の魔法だ。


 効果はてきめんだった。

 ムカデ達はぶるりと震えて雪の下へと逃げて行く。

 攻撃の意思をなくした彼らは再び眠りについたようだった。


 地上に降り立ってもムカデ達に反応は見られない。

 敵は儂らを無視することにしたようだ。


「うへぇ、穴だらけじゃない。生理的に受け付けない光景だわ」

「同意。虫は嫌いじゃないけどこれは酷い」


 そう言いつつエルナとリズは雪をかき集めて小さな雪だるまを作っていた。

 ペロは雪の上を楽しそうに走って遠吠えする。

 

 儂はと言うと雪をガラスの器に入れてハチミツをかけていた。

 口に入れれば冷たい甘さが堪能できる。

 様子を見ていたフレアがドン引きしているようだった。


「こんなにも寒いというのにかき氷とは……正気とは思えない」

「そうか? むしろ寒い時だからこそ美味いと思うのだがな」


 しゃくしゃくと食べつつ、儂らはしばしの雪を楽しんだ。



 ◇



 三十五階層で無事に階段を見つけた儂らは、三十六階層へと移動をしていた。

 ちなみに三十五階層では転移の神殿も見つけているので、いつでも帰還が可能だ。


「そろそろ暖かい場所に行きたいわね」

「同意。眠くて仕方がない」

「僕はむしろこのままでいいかなぁ。ちょうど良い気温だし」

「ペロ様には申し訳ありませんが、私も暖かい場所を希望します」


 ペロ以外の三人は布にくるまって寒そうだ。

 逆に薄着のムーアは平然としているのが印象的だった。


「寒くないのか?」

「わしは万能適応スキルを保有しておる。これくらいの寒さはなんともないわい」


 なるほど。儂と同じく適応スキルを持っているのか。

 さすがはムーアと言うべきか。


 長い階段を下りきると、三十六階層の光が見えてくる。

 また一段と気温が下がったらしく、エルナ、リズ、フレアはガタガタと震えていた。当然と言えば当然か。冷気は下に逃げるものだ。より寒くなるのは自然である。


 フロアに足を踏み入れると、儂らは三十五階層と同様に驚かされた。


 一面が氷に覆われた真っ平らな世界。

 いや、ところどころ亀裂が入り、動いているようにも見える。

 足下の氷の下を覗くと、魚らしき生き物が泳いでいるのが観察できた。

 だとするとここは凍り付いた大きな水たまりか。


「またムカデのような生き物がいるのか?」


 儂の質問にムーアは笑う。


「ここにはそのようなものはおらぬ。単純に環境が人を殺すと言うだけじゃ。あーいや、訂正しよう。一種類だけとんでもない奴がいた」


 彼の言葉の後に、氷を砕いて一匹の獣が出現する。

 それは体長が十メートルにもなる四本腕のシロクマだった。


 そいつは口にトドのような生き物を咥えており、白い毛をところどころ赤く染めていた。

 こっちには気がついていないのか、夢中で生肉を食らっている。


「あれはホワイトデスベアーじゃ。一匹で町を滅ぼすほど凶暴で獰猛なのじゃが、お主達には大した敵ではないかの」

「ふむ、確かに脅威にはならないが、複数で追いかけられると厄介かもしれないな」


 ペロに目配せすると、彼は一瞬で理解して動き出す。

 シロクマには申し訳ないが、通行の邪魔なので立ち退いてもらおう。


「……!? グガァァアアッ!」


 ペロに気がついたシロクマは二本足で立ち上がって威嚇する。

 しかし、ペロは臆した様子もなくホーリーロアを放った。


「――グガッ!?」


 ホワイトデスベアーは恐怖からこの場を逃げ出した。

 食事を邪魔したのは少し可哀想に思えたが、儂らも先へ進まなければならない。

 障害となるものはどのような敵であろうと排除する方針だ。


 氷の上を歩き始めた儂らは、下を覗きながら進む。

 それにしても実に透明度の高い氷だ。

 一応、拾った欠片を舐めてみたが海水ではないようだった。


 クレバスを飛び越えつつ階段を探す。


 氷は常に移動を繰り返しており、時々氷同士が擦れる音が聞こえる。

 遠くではトドのような生き物の集団がひなたぼっこのようなことをしており、ちょっとした見物ができた。

 だが、そんなものはどうでもいい。

 儂らは素晴らしい生き物を見つけてしまったのだ。


「グワワワ!」


 それはペンギンだった。


 何百羽という群れが集まり鳴いている。

 しかも儂らが近づいても恐れることなく向こうから近づくのだ。


 色はコウテイペンギンに似ているだろうか。

 大きさもだいたいそのくらいだ。


 ペンギン達はエルナやリズに身体をすり寄せる。

 反対にペロには一切近づこうとはしなかった。

 肉食獣と認識されているのかもしれない。


「僕も触りたいのに……」


 ペロが近づくと蜘蛛の子を散らすようにペンギンは逃げる。

 息子は心が折れて、ガクッと両膝を折った。


「はぁはぁ、これはなかなか」

「ぐふふ、良いの。良いの。このモフモフ感」


 フレアとムーアはペンギンの雛にだらしない顔をしている。

 灰色の毛に包まれた雛は見るからにふわふわ可愛らしい。

 一匹の雛が儂の足下に寄ってきて鳴き声をあげた。


「よしよし、頑張って大きくなれよ」

「キュイ」


 よちよち歩く姿はなんとも微笑ましいものだ。

 フレア達がモフモフと騒ぐ気持ちが少しだけ理解できる。


「そろそろ行くぞ!」


 儂らが先へ進むとペンギン達は鳴き声をあげて見送ってくれた。

 またここに来てもいいかもしれないな。



 ◇



 三十七階層へ到達した。

 そこは今までのフロアとは打って変わり、氷の迷路のような場所だった。

 壁も天井も氷で覆われ氷柱が突き出しており、床はツルツルとしていて滑りやすい状態。

 儂らは闇雲の一部を靴の裏に貼り付けて滑り止め代わりにすることにした。


「ここに出てくる魔獣も強いのだろう?」

「まぁの。見ておれ、獲物の体温を感知して顔を出す」


 ずるずる。


 ずるずるずる。


 バリバリと氷を砕きながら、何かがこちらに近づいていた。

 進行速度は次第に速まり、しゅるるると独特の音が聞こえる。


 通路の奥からずるりと現れたのは、巨大な水色の蛇だった。


「あれはコールドスネークじゃ」


 全長はおよそ二十メートル。

 長い舌を出し入れしながら鎌首をもたげる。


「ひぃぇえええええっ!? 蛇!?」


 エルナは急いで儂の後ろに隠れた。

 しかし、見事な大蛇だ。

 切り身にすればどれほどの肉になるのか楽しみである。

 儂は剣を抜いて前に出る。


「言い忘れていたが、そやつは冷気と毒を吐くぞ」

「問題ない。儂には毒は効かんからな」


 大蛇はさっそく儂に毒を吐きつけた。

 皮膚が僅かにぴりぴりしたが、特にこれといって大きな問題は起きなかった。

 強いて言うのならベタベタして気持ち悪いくらいか。


「ふぉふぉふぉ、さすがは神樹様に認められし男じゃの。肉を溶かす毒も平然と受け止めるか」


 お、おう……そんな猛毒だったのか。

 ちゃんと聞いてから身をさらすべきだったな。

 まぁ、ひとまず結果オーライということだ。


 儂は刹那に大蛇との距離を詰め、剣を斜め上に切り上げる。

 大きな頭部が宙を舞い、ドスンと地面に転がった。


 さっそく殺した大蛇の解体を始める。

 腹をかっさばいて内臓を取り出すと、皮を剥いで肉を適当な大きさに切り分ける。

 後でじっくり焼いて食べるとしよう。


 危なげなく三十七階層を突き進んだ儂らは、無事に階段を見つけて下へと降りた。


 次は三十八階層。

 何が待っているのか少し楽しみだ。





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