百五十六話 モヘド大迷宮3
三十四階層に到達。
そこで儂らを待っていたのは見たこともない光景だった。
「これはすさまじいな。下は楽園だが上は地獄か」
「どうするお父さん。これだと先に進めないよ」
三十四階層は一つ部屋のフロアだ。
地上部は色とりどりの花々が咲き乱れていて、儂が想像する楽園そのものと言えた。
だが、見上げると天井部を埋め尽くす蜂の巣。
宙を黄色い煙のように舞うのはミツバチの集団だった。
これにはさすがの儂も頭を抱える。
フロアに踏み出せば確実に襲われることだろう。
かといって全滅させるには数が多すぎる。
ざっと見てもミツバチの数は数百万はくだらない。
「ふぉふぉふぉ、悩んでおるようじゃの。まさかこの程度で引き返そうなどとは思っておらぬだろうな」
「一つ聞くが、他の冒険者もここを通っているのか?」
「当然じゃわい。と、言っても正面から向かって行くような馬鹿な真似はせぬがな」
ふむ、だとするとなんらかの通過手段があると言うことか。
すぐに思いつくのは魔退香だ。
あれを焚けばだいたいの魔獣は嫌がって離れてくれる。
しかしながら儂は不必要と考えて数個しか持ってきていなかった。
加えて階段を見つけるまでにどれほどの時間がかかるのかも不明、手持ちの魔退香だけに頼って先に進むのは危険だと思われた。
儂だけならなんとかなるのだがなぁ。問題は仲間だ。
無駄に危険にはさらしたくない。
「僕が皆を抱えて一気に通り抜けるって言うのは?」
「無謀だな。そもそも階段の位置が分からん」
ペロの提案を却下する。
何か大きな物でミツバチを防げればいいのだが……ん? 大きな物?
そこで脳裏によぎったのはリズの能力。闇雲ならミツバチがいくらいようが寄せ付けないはずだ。
「リズ、お前に頼みたいことがある」
「ん、だいたい察しが付いた。任せろ」
リズは闇雲を出現させ、黒い霧状のまま儂らを覆い隠す。
ただ、視界が真っ暗で何も見えない。
透視スキルでもこの雲は見通せないようだ。
仕方がないので唯一見えているリズを先頭に、儂らは一列に並んで前の人間の両肩を掴む。
名付けて電車ごっこ作戦。
これで天井のミツバチ共をやり過ごす。
「せーの、いち、に! いち、に! いち、に!」
先頭から二番目にいるエルナが号令をかける。
ちなみに儂は最後尾だ。ムーアの肩を掴んでいる状態である。
足並みをそろえてホームレス電車は進み出す。
真っ暗だが、足下で花を踏んでいる感触だけは伝わった。
時折、近くを羽音が通り過ぎて行くが、ミツバチは気がついている様子はない。
作戦は順調、このまま行けばこのフロアも無事に通過することができるだろう。
しかし、本当にこのまま通り過ぎていいのだろうか。
儂はハチミツが欲しかったのでは?
ホットケーキにとろりと垂らすハチミツ。
うぐぐ、食べたい。このまま逃すのは勿体ないぞ。
「ずいぶんと深く悩んでおるようじゃが、わしでよければ相談に乗ってやろうか?」
「それはありがたい。実は儂はハチミツが食べたくてしょうがないのだ。しかし、外に出れば仲間を危険にさらす。どうすればいいか教えてくれ」
「…………聞かなかったことにしてやろう」
な、なんだとっ……儂が真剣に悩んでいると言うのに。
やはり千年も生きると食への情熱も冷めてしまうのだな。
可哀想に。さぞつまらない日々を送っているに違いない。
「真一、足並みが乱れてるわよ!」
「すまない。いち、に、いち、に」
エルナに怒られてしまった。
「気になっていたのだが、ムーアには家族はいないのか」
「それは現在ということじゃの。そうじゃの、ペットが数匹いるくらいか」
「ずいぶんと孤独な余生だな」
「永くを生きる者にはそれが一番の救いじゃ。深く関わりすぎれば、それだけ失った時の悲しみも大きくなる。お主も心得ておけ」
彼の言葉は妙に重みがあった。
千年を生きると言う事は多くの別れもあったということ。
流した涙は数え切れないはずだ。
だが逆に、なぜそうまでして永きを生きなければならなかったのかが気になる。
そもそも彼の求めていた反魂は成功したのだろうか。
どうして自ら地上に戻らなかったのだろう。
ムーアに関する疑問はまだまだ尽きない。
「ふと思ったんだが、田中殿が女王蜂を眷属化すればいいのでは?」
「「「「あ」」」」
フレアの指摘に、儂を含めた四人が声をそろえた。
その考えはなかった。盲点だ。
考えてみれば蜂を従えている大本を、味方に引き込めばいいだけの話だったのだ。たとえ他のグループ蜂がこちらに来ようと、仲間にした蜂で守らせれば問題はない。
しかもこれの一番のメリットは、ハチミツが簡単に手に入ることだ。
ムフフ、最高のアイデアじゃないか。
「儂は巣にひとっ飛びしてくるので、お前達はここで待っていろ」
闇雲を抜け出して背伸びをする。
花の海は遙か遠くまで続いていて良い景色だ。
さて、どこの巣を狙うかな。
見上げればびっしりと蜂の巣が張り付いている。
飛び交うミツバチはこちらに気がつき、ブーンブーンと羽音を立てながら数百匹が降下を始めた。
ふむ、ではあの最も大きな巣を狙うか。
儂が狙いを定めたのは、フロアの中心部に存在するひときわ大きな巣である。
周囲の巣と比べると十倍くらいは違う。さしずめ大国の巨城だな。
危険を察知した巣から、次々に煙のように蜂の集団が飛び立つ。
飛翔した儂は蜂の群れに頭から突っ込んで突き進んだ。
身体にまとまり付くミツバチは、針を身体に刺そうと躍起になっていた。
だが、どうしても突き刺すことができず、ただただしがみつくことしかできない。飛行速度を上げれば、風圧に絶えきれなくなって蜂達はぽろぽろと身体から落ちる。
群れを突破した儂は目前に迫る巨大な巣に一直線に向かった。
天井から垂れ下がる楕円状の巣は、何層にも分かれていて人が通れそうなほどの隙間があった。
層と層の間に入ると、すさまじい数の穴が視界に入る。
そのどれもに幼虫が入っていて、もぞもぞと顔を出していた。
幼虫の大きさはだいたい七、八センチほど。
中には成虫と同じ大きさのもいた。
「さぁて、女王蜂はどこか……」
子供を産む為にどこかでうろうろしているはずだ。
すると巣壁にしがみつくひときわ大きなミツバチを見つける。
解析スキルを発動。
視界に表示された説明には女王蜂の文字があった。
発動! 眷属化スキル!
儂の視線が女王蜂の複眼に捉えられる。
すると、みるみる黒く染まってゆき、黒いミツバチができあがった。
眷属となった女王蜂は触角をぴこぴこ動かして、遠くの何かと交信しているようだった。残念ながらスケルトンのように高度に言葉を解することはできないようだ。
ぼんやりと単発的な意思だけが伝わってくる。
『従う』『貴方』『ここ自由』
自由にしていいと言うことだろうか。
ならば遠慮なくハチミツをいただこう。
儂は空の瓶を取り出して、巣穴に満ちているハチミツを掬って入れた。
ついでに指に付いた蜜をなめると、ねっとりとした独特の甘さが香りと共に口の中に溢れる。
これだ。儂はコレを求めていた。
「用は済んだ。また来る」
『歓迎』『待つ』
こうしてみると蜂もなかなか可愛いものだ。
女王の頭を軽く撫でてから儂は巣の外へと出た。
蜂の群れは巣の周りを飛んでいるが、あからさまに儂を無視するようになっていた。
それどころか別グループの大群すらも。
まさかとは思うが、このフロアの蜂の巣にはそれぞれ上下関係があって、儂は最上位の女王を眷属化してしまったのだろうか。それを証明するかのように、儂に襲いかかるミツバチ達は一匹もいなかった。
「おかえりなさい! やったわね!」
地上に戻れば闇雲から顔を出しているエルナが見えた。
なんというか気持ちの悪い光景だ。
黒いなにかにエルナの顔だけがぽっかり浮かんでいる。
もう大丈夫だと伝えると、仲間達がぞろぞろと闇雲から出てきた。
「へぇ、本当に襲ってこないや」
「これでのんびり進むことができるぞ」
「じゃあここで絵を描いてから出発しても良いかな」
「ではこの辺りで一泊するか。もう夕方だ」
時刻はすでに六時。
そろそろ夕食タイムである。
「なんじゃ、もう休むのか。先ほど休息を取ったばかりではないか」
「数時間前の話じゃないか。もう夕方だ。寝る為の準備をしなければならない」
「徹夜で先を急ぐつもりはないと?」
「悪いがこれがホームレスのやり方だ。食う時に食って寝るときに寝る。どのような状況であろうとペースを崩すつもりはない」
ムーアは「なるほど、それがホームレスか」とニヤリとして自身の髭を撫でた。
彼は適当に地面に座り、懐から本を取り出して読み始める。
これは勝手にしろという意味だろうか。
まぁ、違っていても儂らは勝手にやるがな。
ホットケーキの材料は主に、薄力粉、膨らまし粉、砂糖、卵、牛乳である。
儂はフライパンを取り出して油を入れる。
程よく熱したところで作っておいた生地を流し込んで焼く。
軽く焦げ目が付いてぽつぽつと表面に穴が開き始めると、ひっくり返して裏面も焼けば完成だ。
後は皿に載せてバターとハチミツを好きなだけかけるだけだ。
エルナ達に渡してやれば、四人は目をキラキラさせて焼きたてのホットケーキにかぶりついた。
儂もさっそく一口食べる。
外はカリッとしており中はしっとりしていて甘い。
おまけにバターの塩味とハチミツの甘みが重なり合って相乗効果をもたらしていた。
これだ。これを求めていたのだ。もぐもぐ。
「はぁぁ、なにこれ。すんごく美味しい」
「ふわふわであまあま」
エルナとリズには大好評だった。
一方でペロとフレアには不評だった。
「うーん、僕には甘すぎるかな。できれば肉が良かった」
「確かに美味しい。だが、所詮はデザート。騎士たる私の胃袋を満足させるつもりなら、もっと重くて食べ応えのあるものを求む」
ふむふむ、それもそうだ。
これを夕食にするのは物足りない気がする。
もう一枚だけ焼くとムーアに渡した。
「なんじゃ、わしにもくれるのか?」
「当然だ。仮とは言え今は儂らの仲間だからな」
「仲間か……懐かしい響きじゃの。では一ついただこう」
頬張ったムーアはカッと目を見開く。
「こ、これは! なんと甘く美味であろうか! このようなものがこの世に存在したのか! ぬははは、長生きはしてみるものじゃの!」
彼は無我夢中でホットケーキをむさぼる。
どうやら甘味がムーアの好みらしい。
あとでレモンのハチミツ漬けでもプレゼントしてやるか。
その後、儂らはハチミツで味付けした肉を食べてから就寝した。
◇
翌朝、儂らは無事に階段を見つけて三十五階層へと向かう。
長い階段を下りつつ次のフロアのことを考えていた。
「多くの冒険者はどの階層で死ぬのだ?」
「わしも調べたわけではないので詳しくは知らぬが、だいたい三十五~四十の間で力尽きるのではないだろうかの。とはいってもそこから先も過酷じゃがの」
だとするとこれからが本番か。
モヘド大迷宮が最悪のダンジョンと呼ばれる所以が知れるわけだ。
「やけにペロ様の毛がよく抜ける」
「あれ? ほんとだ。いつもはこんなに抜けないのに」
歩きながらブラッシングしているフレアが呟く。
彼女の持つブラシには異様な数の毛がくっついていた。
よく見ると、心なしかペロの身体が一回り大きく見える。
いや、違う。毛の量が増えているのだ。
「なんだか寒いわね。息が白くなってる」
はぁぁ、とエルナが息を吐けば白く変じる。
試しにマントを脱いでみると、確かにずいぶんと肌寒い感じがした。
念の為にメンバーに防寒具を配っておく。
「光が見える。フロアに着いた」
もこもこの防寒着を着たリズが光の差し込む方を指さす。
ここまで来ると寒さは氷点下レベルだ。
フレアががたがた震えながらペロの腰に抱きついている。
そう言えば彼女は寒さに弱いのだったな。
「へっくちゅ!」
エルナがくしゃみをしている。
するとがくっと膝を折るようにして倒れるリズ。
「おい! どうしたんだ!?」
「眠い……ぐぅ」
「こんところで眠るな!」
仕方なく儂はリズを背負う。
ウチのメンバーは寒さに弱すぎやしないか。
「何をしておる。早く来ぬか」
ムーアはすでにフロアの入り口に立っていた。
後に続いて儂も行けば、この寒さの理由に納得が行く。
一面が銀世界だった。
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皆様のおかげでコミック一巻が早くも重版いたしました!
本当にありがとうございます!
こうして執筆が続けられるのも、読んでくださる方がいるからです。
引き続き徳川レモンとホームレス転生を、どうかよろしくお願いいたします。
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