百五十五話 モヘド大迷宮2
三十三階層に到達。景色は一変して薄暗い石畳の通路に逆戻りした。
この階層では主に虫系の魔獣が勢力を伸ばしているようだった。
一メートルもあるバッタやコオロギ。
十センチほどもあるミツバチの大群などが容赦なく襲いかかる。
「神通力! 押しつぶせ!」
フレアの力によって百匹を超えるミツバチは、ぎゅうぎゅうに押しつぶされると、玉となって床を転がった。
だが、次のミツバチの群れがすでにこちらに向かってきている。
すかさずリズが闇雲を網のように変化させて通路を遮るようにして貼り付けた。
数百ものミツバチは網に次々に引っかかり、ぐるりとまとめて網で丸められる。
闇雲が一気に収束すると、捕まっていたミツバチ達はバラバラに切断され、身体の一部が床に散らばった。
「すごい数だったわね。巣がこの近くにあるのかしら?」
「かもしれないな。もしかするとこいつらが住みやすい環境が下の階層にはあるのかもしれない」
そう言いつつ儂はよだれが出そうになるのを我慢した。
ミツバチと言えばやはり蜂蜜。
しかもこれだけ大きければさぞかし沢山の蜜を集めていることだろう。
ククク、夢が膨らむな。久々にホットケーキを食べてみるのも悪くない。
「あのだらしない顔。きっと蜂蜜をどうやって食べようか考えているのよ」
「納得。でも今回はお兄ちゃんの気持ちが分かる。疲れた時は甘い物が美味しい」
「うん、確かにそろそろ疲れも出てきたかもしれないね。長い船旅から帰って来てすぐにこれだし。きっとお父さんは僕らの為に色々と考えてくれているんだよ」
仲間がこそこそと何かを言っているが、儂は蜂蜜のことで頭がいっぱいだった。
人間とは不思議なもので、いつでも手に入ると思うとどうでも良く感じるのだが、いざそれが手に入らなくなると無性に求めてしまうのだ。
まさに今の儂はその状態だった。
「ほぉ、いずれも卓越した戦士のようじゃの。お主達、モフ道には興味はないか。モフモフならばさらなる力の向上が見込めるぞ」
ムーアはペロの背中の毛をさわさわと触りながらそのようなことをのたまう。
かつては大魔導士と呼ばれた人物が、今やモフモフ仙人とは時間の流れとは残酷だな。
フレアが仙人の傍で声をあげる。
「仙人様のお言葉を聞いたか! モフナーになればさらなる強さに迫れるのだ! さぁ、みんなも私と共にモフ道を歩もうではないか!」
フレアと仙人は「モフモフッ!」と声をそろえる。
今さらだがかなり危険な二人が合流してしまったのではないだろうか。
暇さえあればずっとこの二人はモフモフ話に花を咲かせている。
儂らも知らず知らずの内に洗脳されないか心配だ。
なんせあのエドナーすら感染してしまった恐ろしい病気だからな。
「ところで仙人様、どうしてエドナー様をモフ道へ?」
「あやつは娘に買ったウサギからモフの道に目覚めたようじゃ。モフモフに悩んでいたところにお主の兄が相談に乗り、わしを紹介したと言う流れじゃの」
フレアはふむふむとうなずく。
「それなら納得です。兄上は猫好きでとてもお優しい。きっと悩むエドナー様を放ってはおけなかったのでしょう」
「今では立派なモフナーじゃがの」
フレアと仙人は何が面白いのかそろって笑い始める。
止めてくれ。話を聞いていると頭がおかしくなりそうだ。
こうなったら強引にでも話題を変えさせるしかないか。
「ムーアはなぜモフモフ仙人とやらになったのだ」
「たいしたことではない。安らぎを求めて彷徨っている内にわしは究極の癒やしであるモフモフを見つけてしまった、ただそれだけの話じゃ」
ムーアはそう言いつつミツバチの死体から羽や牙などを採取する。
そして、儂らは再び階段を目指して通路を歩き始めた。
「そうそう、真一とやらはわしの時計を使っているようだが、少し見せてもらえないかの」
儂は懐中時計を彼に渡す。
時計を見たムーアは目を細めて顔をほころばせる。
「懐かしいの。この蓋に描かれているのはわしの二番目の妻であったエリーゼじゃ。少しばかり気の強い女性じゃったがそこがまた可愛らしかった。真一はこれをどこで見つけたのじゃ」
「二十八階層にあった屋敷の隠し部屋だ」
「ああ、あそこに一時だが住んでいたことがあったな。今の今まですっかり忘れていた」
彼は儂に懐中時計を返してくれた。
どうやらムーアは自身が残した物に執着はないようだ。
あそこで見つけた懐中時計も魔宝珠も「お主の物だ」と言ってしまう。妻が描かれた懐中時計すらも手放してしまうとは、彼の態度が儂には少し冷たいように感じた。
「おっと、そうだそうだ。廃棄場とやらの秘密を話さなければならなかったの」
彼は不意に立ち止まって壁際へと移動する。
杖を右手に出現させると、いきなり壁に向かって魔法を放った。
「ぬあぁぁああっ!?」
儂らは爆発に巻き込まれて地面を転がった。
ずいぶんと驚いた。魔法を使うなら前もって言ってくれ。
ふと、顔に柔らかい感触があることに気がつく。
視界は真っ暗で顔に何かが乗っている感じがした。
「いたた、いくらムーア様でもこれはひどいわ」
「上にいるのはエルナか?」
「え? 上? きゃぁぁぁあっ!?」
暗かった視界が明るくなり、近くではお尻を押さえたエルナが儂をにらんでいた。ああ、儂の顔の上にお尻が乗っていたのか。どおりで柔らかかったわけだ。
「あぶっ!?」
「私も吹っ飛ばされて乗ってしまった」
いきなりリズがお尻で儂の顔にのしかかる。
いやいや、明らかに故意だろう! くっ、柔らかくて気持ち良い!
リズを退かせて起き上がるとリズとエルナがにらみ合っていた。
「小娘……よくも……」
「これでお兄ちゃんは私のお尻の感触を忘れられない」
バチバチと視線で火花を散らす。
また喧嘩か。いつか殺し合いに発展しないか心配だ。
「フレアさん!?」
ペロが瓦礫の山に駆け寄ると、そこには犬神家のごとく見事に足だけが出ていた。四人で慌てて掘り出すと、フレアは咳き込みながら身体についた砂埃を払う。
「けほけほっ、仙人様が魔法を撃ったまでは覚えているのだが、それ以降の記憶が途切れている。ところで皆どうしてそんな哀れんだ目で私を見るのだ?」
「「「「なんでもない」」」」
儂らはことを起こした張本人へと顔を向けた。
ムーアは瓦礫に腰を下ろして笑みを浮かべている。
「よし、全員集まったの。では説明を再開しよう」
彼は杖を壁に向ける。そこには魔法で空けられた大きな穴があった。
廃棄場を説明するのに、どうして壁を破壊する必要があったのか儂には分からず首をひねる。
が、すぐにその理由が明らかとなる。
壁から泥のようなものがあふれだし、みるみる穴を塞ぎ始めたのだ。
「こ、これは!? 何が起きている!?」
「見ての通りじゃ。迷宮が自らを修復しておるのじゃよ」
穴は十分ほどで完全に塞がり、元の状態へと再生してしまった。
儂らはその奇妙な光景に正気を疑ってしまう。
あり得ない。どうなっているのだ。
ムーアは杖で壁をコンコンと叩いてニヤリとした。
「もう分かっているのではないか? 大迷宮の正体を」
「まさかとは思うが……モヘド大迷宮とは……」
儂の言葉を先読みしてムーアが述べる。
「モヘド大迷宮とは巨大な生き物なのじゃ」
やはりか。廃棄場を見つけた日からうっすらとだがそんな気はしていた。
死体を集めて分解する作業、それはまるで生物の胃袋のようだったからだ。
だが、だとしても新たな疑問が出てくる。
どうして大迷宮はこのような姿をしているのかだ。
「お主達は神樹様からこの世界の成り立ちを聞いたな」
「うむ、神々が創った破壊神の監獄だと」
「ではあらゆるものを破壊する破壊神を閉じ込めるにはどうすればよい」
「それは…………」
彼の質問にすぐには返答できなかった。
あらゆるものを破壊する存在を閉じ込める方法なんて儂には思いつかない。
破壊神が壊せないほど頑丈なもので監獄を創るくらいしか出てこなかったのだ。
「答えは永遠に再生し続けることじゃよ。壊しても壊してもその度に修復され、直されてしまえばさすがの破壊神も出てこられない」
「いやいや、言いたいことは分かるが、いくらなんでもそれは無理があるだろう。実際にお前は壁を簡単に破壊して見せたではないか。穴が空いている間に通り抜けてしまえば……」
「通り抜けられなかったらどうする」
ハッとする、もし穴が一瞬で元通りになってしまえば、彼の言っていることは可能かもしれない。しかも行く手を遮る壁が何枚も存在しているとしたらどうだろう。たとえ破壊神であろうと脱出は困難ではないだろうか。
「破壊神の閉じ込められている場所は、実際にはこのような壁で構成されてはいない。まぁ、それはおいおい分かることじゃろう。つまりじゃ、永遠に再生し続ける監獄とは永遠を生きる生物によって創り出されているということじゃの」
儂は話を聞きながら壁に手を触れる。
とても生物とは思えない無機物的な冷たさが伝わった。
「永遠を生きる生物か……とてもそうは見えないがな」
「当然じゃ。神樹様によれば大迷宮とは、破壊神を封じ込める為に創造神が創り出した、建造物型の聖獣なのだからの」
儂らはぎょっとした。ダンジョンが聖獣なんて考えもしなかったことだ。
だとすると聖獣結界システムとは、モヘド大迷宮を含めた超巨大封印なのだろう。
神々がどれほど破壊神を恐れていたのか少し分かった気がする。
「しかし、それならどうしてこんな複雑な迷路にする必要があったのだ。ただ封じるだけなら垂直の穴でも良かったのでは?」
「封じるだけならな。お主はどうして迷宮に魔獣が生息していると思う。各階層に存在する豊かな環境は何の為だ。そして、生物が生存するに必要なことはなんだ」
「生存に必要なこと……そうか! そういうことか!」
もしかすると大迷宮は死体から必要な栄養を摂取しているのではないだろうか。
だとすると入り組んだ複雑な迷路は、獲物を捕まえて外に出さない為の仕組みであり、各階層に存在する豊かな環境は、それら生き物を繁殖させる為のビオトープだったのだ。
さらに言えば魔獣を繁殖させることによって人間がやってくる。
大迷宮にとって魔獣は食事であり人間を釣る為の餌でもあるのだ。
「ではダンジョンに微生物やウィルスが繁殖しない理由はどうなのだ」
「大迷宮はなにも死体だけで生きているわけではない。実は微量ではあるが生の気を吸収しておるのじゃ。まぁ、生存に必要なエネルギーと考えれば良い。それらを体内にいるものから集めておる。しかしじゃ、その吸収に全ての生物が耐えられるわけではない。ここまで言えばあとは分かるだろう」
生の気とは理解の難しい言葉だ。
ようするに大迷宮は儂らからエネルギーを抜いていると考えればいいのだろうか。
小さな生物はそれらに耐えられず消えてしまう。故にここでは小さな虫も病気も見かけないということか。
魔獣や人間にとっては都合の良い環境だな。
だが、それこそが大迷宮の狙いだ。
「なら、最下層には大迷宮の頭か尻があるのでは?」
「ぶはははっ! 頭! 尻!」
ムーアは腹を抱えて大笑いしながら床を転げ回った。
だんだんと腹が立ってきたので、剣の柄に手を伸ばす。
「きちんと説明してやるからそう怒るでない」
「……それで。どうなのだ」
「さっきも言ったが大迷宮は建造物型の聖獣じゃ。そもそもちゃんとした生き物の形などしているはずもない。どこかに脳みそはあるかもしれぬが、ありかなど誰も知らぬのじゃ。最下層に行ったところで、そこが大迷宮のどこの部分に当たるのかも不明なのじゃよ」
ふーむ、じっくり考えてみると確かにそうかもしれない。
そもそも建造物型の生物など見たことも聞いたこともないのだ。
儂の常識にあてはめて考えること自体が間違い。
ムーアはもういいだろうとばかりに立ち上がる。
会話にばかり時間を使っていては進みが遅くなる一方だ。
しかし、脳裏にもう一つ疑問が浮かび上がった。
「最後に一つ。転移の神殿とはなんなのだ」
「あれは神々が迷宮内を移動する為に創った装置じゃ。元来この生き物には備わっていないものらしいぞ。ま、わしが語るほとんどは神樹様からの受け売りじゃ。事実がどうかは自身の目で判断するがよい」
次々と明らかになる事実に儂は軽い目眩を覚えた。
この先にはどのような展開が待っているのだろうか。
一抹の不安を抱えつつも儂らは最下層を目指して歩き出した。
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