第八章 大迷宮とホームレス
百五十一話 再会
現れた青年はどこか母親の面影のあった。
「本当に直樹なのか……?」
「そうだよ」
儂は直樹に近づこうと手を伸ばしてすぐに引っ込めた。
どうしてここに母親と共に消えた息子がいるのか。
それよりもまずは目の前にいる直樹が本物なのかが分からなかった。
直樹は儂の心を読んだように疑問に答えた。
「父さんがそう思うのは無理もない。母親と共に消えた息子が、数十年後に突然現れたんだ。それも異世界で。けど、ボクには田中真一の息子だと証明できるものがある」
「本物だという証拠があると?」
「うん。覚えているかな、ボクが父さんと母さんの三人で初めて遊園地に行った日のこと」
忘れるはずがない。初めて家族で遊びに出かけた日だ。
帰り際に直樹が帰りたくないとだだをこねたので、儂は欲しいものを一つだけ買ってやるから今日は帰ろうと言いくるめたのだ。直樹は散々悩んだ挙げ句、イルカのキーホルダーを持ってきた。
当時の儂は大企業の社長で、金だけならそこら辺の父親よりも沢山持っていた。
息子が望めば遊園地のお土産コーナーを買い占めることだってできたのだ。
だが、直樹は千円にも満たない物を望んだ。
その時の儂はそれがなんだか無性に嬉しくて息子の頭を何度も撫でたものだ。
「今もキーホルダーは大切に持っているんだ」
直樹はイルカのキーホルダーを儂に手渡す。
確かに薄汚れ糸が所々ほつれていた。
それでも息子が大切にしていたあのイルカだとすぐに分かった。
背中の部分にあるラベルには『なおき』とつたない字で名前が書かれている。
そうだった、直樹は持ち物に名前を書く習慣があったな。
「ではやはりお前が直樹なのか」
「そう、ボクは父さんの息子だ。今さらどの面さげて会いに来たんだって思うかもしれない。それでもこれからするボクの話を聞いて欲しいんだ」
「それはお前が消えた理由とここにいる訳が関係しているのだな?」
「うん。それに母さんのことも伝えないといけない」
儂の心臓は掴まれたように収縮した。
妻。息子を連れて消えた女。世界で一番愛した女性。
何度も憎もうと思ったが憎めなかった相手だ。
振り返ると仲間達が不安な面持ちで儂を見ていた。
彼らはすでに分かっているはずだ。
儂がこことは異なる世界から転生したことを。
妻がいて子供がいてかつては幸せな人生を送っていたことを。
ペロは落ち込んだ様子で顔を伏せている。
複雑な心境に違いない。
突然現れた本当の息子。
自分は彼の代わりだったのではと疑問を抱くはずだ。
儂はペロの頭を撫でる。
「お父さん?」
「心配するな。儂は今までもこれからもずっとお前の父親だ。だから落ち込む必要はない」
「でも、僕はお父さんの本当の子供じゃない」
「血のつながりがなんだというのだ。家族とは心で繋がるものだろう。もっと堂々としていればいいのだ。田中ペロとしてな」
「……うん」
ペロの顔が少し明るくなった。
しかし、血の繋がらない兄ができたと言う事実を受け止めるには、もう少し時間がかかりそうだ。
儂は直樹に向き直り覚悟を決める。
これからどのような話がされるのかは分からないが、ありのままに全てを受け止めるつもりだ。儂がずっと悩み続けていた疑問がようやく解消されるのだから。
直樹はゆっくりと口を開いた。
「ボクも母さんも神族だ」
その一言に儂は動揺する。
脳裏には妻と過ごした日々が流れる。
妻が神だと……? 馬鹿な。
「驚くのも無理はないよね。母さんは父さんにバレないように徹底的に隠し通してきた。それこそ交際を始める前から入念に準備をしてさ」
「ど、どういうことだ? もっと分かるように説明してくれ」
直樹は微笑んでから小さくうなずく。
「かつて人間に一目惚れをした女神がいた。しかし、それは許されざる恋だった。なぜなら神々の掟により人と結ばれることは固く禁じられていたからだ。だが、女神は諦めきれなかった。偽装に偽装を重ね、神々すらも欺いたのだ。そしてその結果、恋は実った」
彼は話を続ける。
「女神は人との間に一人の男児を授かった。毎日が幸せで、それは彼女の永い人生の中で最高の時だった。けど、それも長くは続かなかった。女神は天界に帰らなければならなかったからだ。不在が長く続けば神々に怪しまれる、彼女は決断を迫られた」
直樹は空を見上げた。
その目は母を想う息子のまなざしだ。
「女神は天界に子供を連れて帰る決心をする。その子は、人でもあり神でもあったからだ。天界に向かい入れることは可能だった。だがしかし、人である夫はそうはいかない。彼女は身を引き裂かれる想いで夫と別れ、子供と共に天界へと帰還した」
「ちょっと待ってくれ! 美由紀が消えた理由はたったそれだけなのか!? 他には!? 儂が嫌いになったとか、生活にうんざりしていたとか!」
「母さんはそんなこと微塵も思ってはいなかったよ。それどころか永遠に共にいたいと考えていた。誰よりも父さんを愛していたんだ」
儂の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
ずっと美由紀に裏切られたと思っていた。
愛は冷めてしまったものだと考えていた。
そうじゃなかった。
家族の絆は切れてはいなかったのだ。
ずっとこの数十年間、自分を責め続けてきた。
美由紀の気持ちに気がつかず、仕事を優先してきた己を呪ったのだ。
直樹を失ったのは当然の報いだと何度も何度も言い聞かせて。
「その後、息子は天界で一人前の神となった。女神とその父は大いに喜んだ。謎の出自ではあるものの、非常に優秀な神だったからだ。多くの神は彼が次なる主神だと囁いた」
彼は「だが、一方で快く思わない神もいた」とさらに続ける。
「主神ゴーマだ。降って湧いたような若造に、現在の地位を脅かされると彼は恐怖した。そこで以前から考えていた計画を実行に移す。創造神暗殺計画だ。神々の頂点に君臨すればもはや誰も彼を蹴落とすことはできない。それどころか逆らう者すら現れなくなるだろうと考えた」
「なるほど……悪い意味で刺激してしまったのか」
「その通り。そして、彼は創造神の暗殺に成功する。統治者の突然の死に神々は混乱。機に乗じて反旗を翻した彼は、武力によって天界を制圧し始めた。一方で、前々から彼の行動や言動を怪しんでいた女神は、創造神が殺される前に証を持ち出し息子と共にすでに逃亡していた。彼は証がないことに気がつき激怒する」
儂は直樹の話を聞きながら情報を整理する。
女神とは儂の元妻――美由紀のことなのは間違いない。
その息子は直樹だ。
二人は神々の住まう天界に帰還し、平和な暮らしを享受していたようだ。
しかし、直樹が優秀すぎた為にゴーマの地位を脅かし始めた。
危機感を抱いたゴーマは創造神暗殺計画の実行を早めたと。
ここで疑問が出てくる。
ゴーマでも奪うことができなかった創造神の証を、どうして美由紀が持ち出すことができたのかだ。神々のことはよく分からないが、簡単に盗めるものならすでにゴーマがそうしていたはず。
それに謀反を企てていることに気がついているあたり、美由紀はゴーマのすぐ近くにいたようにも思える。宰相の近くをうろつける人物とは一体どのような地位の者だろうか。
「父さんの疑問はもっともだ。神と言えどその立場は決して平等ではない。ましてや主神ともなる人物の近くに、なんの地位もない神が近づくことなど許されはしないからね」
「だとすると美由紀は……」
「想像通りだよ。母さんは創造神の娘だ」
何度目の衝撃だろうか。
だとすると儂は神族の姫君と結婚したというのか。そんな馬鹿な。
……ちょっと待て、じゃあ直樹は創造神の孫だということになるぞ。
ゴーマが強い危機感を抱いたのも理解できる。
地位を蹴落とされるのはほぼ確実だったのだ。
「創造神はボクを次期後継者にしようとしていた。そうなるとゴーマは降格、もう創造神に気軽に近づくこともできなくなってしまう」
「暗殺には主神の地位が必要だったということだな」
「だからこそ実行を急いだ。でも、彼の計画は真の成功とは言えなかったんだ。創造神の証を手に入れられなかったからね。その後、主神ゴーマは証を持ち去った女神とその息子の捜索を開始する」
美由紀と直樹の逃亡生活は十年にも及んだそうだ。
宇宙を転々とし、その度に天使の軍勢が隠れている場所を襲った。
それでも美由紀は地球にだけは足を踏み入れようとはしなかったそうだ。
「そして、母さんは天使に深い傷を負わされ床に伏せることとなった」
儂は直樹の表情から全てを悟った。
ここに美由紀がいないのはそういうことだ。
「母さんは最後まで父さんに謝っていたよ。一緒にいられなくてごめんなさいと。なにせ父さんのことはずっと見ていたからね。会社を辞めたことやホームレスになったこと全てを。だから母さんは父さんが新しい人生で幸せになることをボクに願ったんだ」
「…………」
「父さんをこの星に転生させたのはボクだ」
涙が止まらない。
儂は……儂は……。
誰かが儂をぎゅっと背中から抱きしめた。
振り返るとエルナが泣いていた。
「その人の気持ちすごく分かるの。大好きな人と一緒に生きてゆけないなんてきっと死ぬほど哀しかったはずよ。それなのに最後まで会えないままなんて残酷すぎるわ」
「…………」
美由紀……すまない。
儂が何もできない人間だったばかりに……。
「父さん。母さんは決して悲しんで死んでいったわけじゃないんだ」
「……どういうことだ?」
「母さんが死ぬ間際に言っていた。父さんと結婚できて良かったと。確かに幸せじゃなかったかもしれない。けど、不幸でもなかったんだ。だから父さんが背負うことなんて何もないんだ」
「しかし、儂は……」
「そう言ってもあの人は素直には受け入れないだろう、とも母さんは言っていたよ。だから自分の分まで生きて幸せになってもらいたいって。それが最後の我が儘だってさ」
儂はいつしか泣き崩れていた。
地面を殴り、どうしようもない感情に胸をかきむしる。
本当に酷い女だ。勝手に出て行って勝手に死んで、あげくは幸せになれだと。
ふざけるな。田中真一は幸せだったのだ。お前と夫婦になれたことは最高の幸せだった。だから、だから儂は……お前を死ぬまで絶対に忘れない。
共にあったあの日々を。
「お兄ちゃん、これ……」
「すまない」
リズがハンカチを差し出してくれた。
目元を拭い姿勢を正す。
まだ直樹の話は終わっていないからだ。
「落ち着いたかな?」
「ああ、取り乱してすまなかった」
「じゃあ話を続けるよ」
直樹は再び語り出す。
その内容は儂らの想像を遙かに超えたものだった。
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【重要告知】
ホームレス転生の第四巻が3月9日(2019年)に発売されます。
興味のある方はぜひ手に取って楽しんでいただければと思います。
それと3月22日にはコミックス版第一巻も発売されます。
久遠まこと先生による可愛らしいエルナは必見。
漫画になった真一達の冒険をミックスジュース片手にぜひぜひ堪能してください。
それともう一点。今回から週一での更新に切り替えます。
今までは不定期更新にてまとめて公開しておりましたが、現状ではそれも難しと判断しました。なので今後は金、土、日のいずれかで一話更新のスタイルをとっていくつもりです。その方がお待たせする時間も減るのではと。
ちなみに更新時間は今まで通り20時です。
引き続きホム転と徳川レモンをよろしくお願いいたします。
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