百四十五話 海の住人
船は東へと進み続けようやく予定航路の半分に到達した。
この辺りになってくると無人島をよく見かけるようになる。
大陸から遠すぎるのが主な原因かもしれない。
後は生息する魔獣が大陸のものよりも凶暴だということか。
あの最弱であるゴブリンですらオーク並みなのだ。
島では時々ドラゴンを見かけた。
一番弱く小さいのはイエロードレイクだ。体長はおよそ三メートルほど。
反対に最も強く大きいのがレッドドレイクである。
体長は十メートル以上、異常なほど嗅覚が鋭く一度噛みつくと相手を殺すまで放さない。おまけにスキルや魔法まで使うので、普通の人間ではまず勝ち目がない。
「ひぃぃぃいいいっ! し、師匠、助けてください!」
島の浜辺で肉を焼いていた儂らの元へ、狩りに出かけていたリベルト達が猛ダッシュで帰還する。
ベキベキベキベキッ。
森の方から無数の鳥が飛び立つ。
木々のへし折れる音が聞こえると、森を抜けて浜辺にレッドドレイクが出現した。
状況から見るにリベルト達は、獲物として目を付けられてしまったようだ。
「ぐぉおおおおおおっ!」
ドレイクは立ち止まって咆哮を響かせると、鼻をすんすん鳴らしてから儂らの方へと走り出す。足を降ろす度に地面が揺れ、逃げ続けるリベルト達のすぐ後ろにまで迫る。
「フレア、リズ、五人を助けてやってくれ」
「承知した。行くぞリズ」
「面倒。でも弟子の為なら仕方ない」
二人は立ち上がってリベルト達の方へと歩いて行く。
五人は助けてもらえると分かると、すぐさま二人の背後に隠れた。
「私が神通力で動きを封じ込める。リズが仕留めてくれ」
「了解。ドレイクの肉をお兄ちゃんにプレゼントする」
フレアが左手を突き出して握りしめる。
ドレイクはふわりと浮かび、その両足は空を切った。
すかさず闇雲が敵の身体を包み込み、口の中から強引に侵入してゆく。
次の瞬間、レッドドレイクの身体の中から黒い無数の棘が突き出た。
息の絶えたドレイクはドスンッと地面に落とされる。
リベルト達はその光景に唖然とする。中位のドラゴンがあっさりと殺されたのだ。
レッドドレイク一匹で大きな街を火の海にできると考えると、彼らの驚く気持ちも理解できなくもない。
ただ、ドレイクは比較的倒しやすいドラゴンでもある。
飛竜などは飛行する為、同じ階級であってもドレイクの方が若干弱い。
◇
「うぅ、気持ち悪い。早く陸に帰りたい……」
「大丈夫? 吐きたいなら無理しないで」
「ありがとペロ。もう胃の中が空っぽで吐く物がないのよ」
船室ではやつれたエルナがペロに背中をさすられていた。
すでに二週間以上が経過しているが、未だに船旅に慣れず船酔いの真っ最中だ。
隣のベッドでは寝息を立てるリズの姿があった。
彼女の方はすっかり慣れたみたいである。
カツオ釣りの時はあれほど船は嫌だと騒いでいたのにな。
椅子に座ったフレアが、槍の矛先で器用にリンゴの皮を剥いていた。
それを切り分けて皿に載せるとエルナに差し出す。
「果実なら食べられるだろ。少しは食べた方がいい」
「いつもありがとうフレア。貴方にはお世話になってばかりね」
「止めてくれ。まるで死ぬ前のような台詞だぞ」
「きっと私、死んじゃうんだわ。この酔いは本当は不治の病なのよ。そうに違いないわ」
弱ったエルナは船室の窓から海を見て空笑いをする。
重症だなこれは。もう少しで船酔いにも慣れるとは思うが、それまで彼女の精神が保つかどうか。あとで元気づけてやるとしよう。
ガチャリと部屋の扉が開けられてマーガレットが入ってくる。
その顔はなぜか怒っているようにも見えた。
「いい加減に復活してくれない? 魔導士としての師匠はあんただけなんからさ。毎日毎日戦士みたいな訓練をさせられるのもう嫌なの。それとも私に劣ってるから教えられないわけ?」
「そんなことは……ないわ。今は不調なだけよ」
「じゃあその焦げ茶色のローブを、身に纏うに相応しい実力を示して欲しいわ。マスター級魔導士らしくね。私、自分より劣った人間に教えを請うのキライなの。そう言うことだから」
マーガレットは手をひらひら振って部屋を出て行った。
出会った時からエルナに妙な対抗意識を燃やしていると気が付いてはいたが、まさかこのタイミングで挑発してくるとはな。
ふと、エルナに視線を向けると、彼女は杖を持ってベッドから出ようとしていた。
「お、おい、まだ安静にしていた方がいいぞ」
「休んでなんかいられないわ。魔導士としての私を馬鹿にされるなんて悔しいもの。実力を示して欲しいなら見せてあげるわよ。この大魔導士エルナの魔法を……っつ!?」
儂は倒れようとするエルナを抱き留めた。
どうやら思うよりも弱っているようだ。
彼女をベッドに寝かせて布団を掛けてやる。
「ごめんなさい。立ちくらみをしちゃったわ」
「いいから寝ていろ。マーガレットの修行は酔いが収まってからでも遅くはないぞ。どうせ今の修行に対する不満をぶつけに来ただけだろうからな」
儂がそう言うと、エルナは小さく頷いて微笑む。
「でも、あの子がああ言った気持ちは少しは分かるの」
「どう言う意味だ?」
「ヒューマンの魔導士ってエルフの魔導士とよく比較されるの。ほら、エルフって魔法が得意じゃない? だからマーガレットもエルフに負けないように魔導の道を歩んできたと思うの」
言われてみれば確かに、そう言った傾向が王国内にはある気がする。
エルフと言うだけで強力な魔法が使えると期待されるからだ。
だとすればマーガレットが、エルナに敵意に近い物を抱くのも分からなくもない。
エルナに嫉妬しているのだ。魔導士として。
「それでも今は休め。お前は大切な仲間であり戦力だ」
「仲間……か。はぁ」
「た、大切な人でもある。とにかく安静にしていろ」
「今、なんて言った? ねぇ、なんて言ったの?」
「ええい、しがみつくな! 元気ではないか!」
儂はエルナの顔を手で押し返して引き剥がそうとする。
失敗した。余計なことを言ってしまったようだ。
「……何しているニャ?」
扉を開けて入ってきたレナが呆れた顔でこちらを見ていた。
◇
儂とバージャは互いに酒の入ったグラスを持って地図を眺めていた。
今までの道のりとこれからの航路を話し合う為だ。
「航海を初めて三週間、予定よりも早くに目的地に着きそうだにゃ」
「ではあとどれほどで島に到着できる?」
「トラブルがなけりゃぁ一週間ってところか。順調過ぎて怖ぇくらいだにゃ」
「……海の住人か。恐らく島に近づけば現れるだろうな」
「むしろ今すぐに出てきてもおかしくねぇにゃ。島の奴らの言っていた入ってはいけない海域に入っているにゃ」
地図には彼が目的地とする島の位置に、赤い×印が付けられていた。
そこを中心とする広い範囲で侵入禁止エリアが存在しているのだ。
とは言っても入ったところですぐに何かあるわけではない。
現時点で儂らの乗る船は問題もなく航行しているのだからな。
ドンッと船が大きく揺れる。
バージャは椅子から転げ落ち、儂も酒を飲もうとしている真っ最中だった為に、グラスに入った液体を顔面にかけてしまった。
な、なんだ!? 何が起きた!?
儂は咳き込みつつ船長室から甲板へと飛び出す。
「師匠……こいつらがいきなり船に……」
甲板ではリベルトが両手を上げて固まっていた。
彼の首には三つ叉の槍が添えられ、それを持つのは青い鱗の生えた男だった。
両目は鮫のように鋭く、両手両足の指の間には水かきのような物が見られ、その身には金属の防具を身につけていた。
他にも五人ほど同じような男達が船に上がり込んでおり、リベルトと同様に栄光の剣のメンバーの首筋には刃物が突きつけられている。
男はぎょろりと儂を睨み口を開く。
「ヒューマンがこの海域に何の用だ。内容次第ではこの場で殺す」
「待て。正直に話すからその者達を殺すな」
「それは約束できない。嘘をつかず目的だけを話せ」
男は槍の矛先をリベルトの首にぐいっと押しつける。
相手が何者であるか不明なだけに下手の動きはできない。
ここはひとまず奴らの要求に応えるしかないか。
「儂らは禁断の島に向かっている。目的は神樹に会う為だ」
「神樹様にだと? ヒューマンがなんの為に?」
「話せば長くなる。だが、あえて強引にまとめるとすればこの世界の為だ」
「意味が分からない。我ら海の民を馬鹿にしているのか」
男の機嫌を損ねてしまったようだ。
そもそも要点だけを話すなど難易度が高い。
当事者である儂ですら全体像を把握し切れていない状態なのだぞ。
天使、結界、世界樹、神……聞きたいのはこっちの方だ。
「世界樹と言うのは知っているか?」
「知らん。我らは陸のことには無知だ」
「この世界を守る結界を作り出している存在だ。ああ、正確には神樹がそうなのだが、世界樹は要柱の六聖獣の一つと呼ばれていて最近殺されてしまったのだ」
「要柱の六聖獣……」
ようやく男に動揺が見られた。
彼は他の男達に顔を向けて目で言葉を交わす。
「お前は嘘を言っている。陸に六聖獣はいない」
「待ってくれ! 儂はちゃんと真実を話している!」
「でたらめを語った貴様らに制裁を。我らが領域に侵入した罰だ」
男が矛先に力を入れようとしたところで、「待て、マルス」とどこからともなく声がかかる。
「リヴァイアサン様がこのようなところまでお越しになられるとは」
「客人が来ると言うので出向いてきたのだ。その方ら我輩に預けよ」
「はっ、六聖獣様の頂点に御座されるリヴァイアサン様のご命令とあらば」
マルスと呼ばれた男はリベルトの首筋から矛先をひかせた。
しかしながら声の主はどこにも見当たらない。
六聖獣と言っていたが、本当なのかも疑わしいところだ。
「ヒューマンよ、客人というのなら歓迎しよう。だが、もしリヴァイアサン様に無礼な真似をすれば即刻その首をはねてやるからな」
「無礼も何も、そのリヴァイアサンとやらの姿が見えないのだが?」
「くく、くははははっ! 陸の人間には偉大なるお姿が目に入らぬか!」
マルスは身を乗り出して船の真下を覗く。
儂も同じように覗き込むと、巨大な物が海面下で動いているように見えた。
いや、これは胴体だ。船を横に四つ並べたほどのとてつもなく太い胴体が、船の下で蛇のように身体をくねらせているのだ。全長は不明だが見たところ数キロにも及ぶ、長い身体を有する海の生物のようだった。
鱗が見えるので辛うじて魚類だということは分かるが、サイズがその枠に収められないほどである。まさしく人間では勝てない怪物だ。
「なんて馬鹿げたデカさだ。本当に聖獣だと信じてしまいそうになる」
「聖獣のようではなく聖獣だ。まぁいい、貴様と問答をしたところで時間の無駄だ。せいぜいリヴァイアサン様の崇高なるお姿を、存分にその目に焼き付けるのだな」
マルスはそう言い残してから仲間と共に海に飛び込む。
儂は寸前で彼らに解析スキルを使ってステータスをのぞき見た。
結果を言えば奴らの種族はマーマンだったようだ。
ステータス的にはリベルト達よりも少し強い程度である。
ひとまず気持ちを切り替え、海面下で泳ぐリヴァイアサンとやらに話かけることにした。客人とは言っていたが、彼の目的が現時点では不明だからだ。
「儂らはこれからどうすればいい? できれば禁断の島へと行きたいのだが」
「心配には及ばぬ。我輩は神樹様より貴殿らを迎えに行くようにと言いつけられているのだ。島まで最短距離にて案内をしてしんぜよう」
「それならありがたい。ところでお前が六聖獣というのは事実なのか?」
「如何にも。この世界の海には我輩を含めた裏六聖獣というものが存在する。通常、世界を守る結界の生成は陸の六聖獣が担っているが、非常時には我輩ら海の聖獣が結界のエネルギー源となる」
「裏六聖獣だと……?」
ではこの世界の主要な聖獣は全部で十二体だったと言うことか。
考えてみれば陸にだけ聖獣が集中するのもおかしな話である。
海にも生物はいるのだからむしろ当然。
ようやく結界が修復された理由が判明したわけだ。
「貴殿――田中真一に会わせたい人物が島で待っている」
「儂に会わせたい人物だと? 神樹ではないのか?」
「行けば分かる。ついて参れ」
リヴァイアサンは儂らを連れて悠然と進み始める。
禁断の島で待つ者とは一体どのような人物だろうか。
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これにて今回の更新は終了です。
残り五話は今月中にも更新する予定ですので、今しばらく待っていただけると嬉しい限りです。
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