百四十三話 ザニャス家

 レナの自宅は港から歩いて一、二分のところにあった。

 周囲と同じ白亜の石で造られた小さな家。

 儂は玄関の木製の扉をノックしようとして動きを止める。

 叩く前に扉がひとりでに開いたからだ。


「お兄ちゃん達は誰だにゃん?」


 猫耳の生えた幼い女の子が、扉の隙間から覗いていた。

 そういえばレナは兄弟が多いと言っていたことがあったな。

 この子も妹か何かだろうか。

 するとエルナがしゃがみ込んで話しかける。


「お姉ちゃんのお友達よ。レナは家にいるかしら?」

「うん、いるよ。呼んでくるね」


 幼女は扉を開けたまま、家の奥へとぱたぱたと足音を響かせて走って行く。

 ちらりとしか見えなかったが、ずいぶんと可愛らしい女の子だったな。

 ロリコンとやらがこの場にいれば、恐らく極度に興奮していただろう。

 家の奥からはレナらしき声と先ほどの幼女の声が聞こえた。


「ウニャ? 私の友達?」

「うん、お友達って言ってたにゃん」

「人数は?」

「えーっとね、ひとつ、ふたつ、みっつ……沢山!」

「ルナに聞いた私が愚かだったニャ」


 玄関までやって来たレナは、少しだけ開いていた扉を一気に開く。

 そして、儂らの顔を見た瞬間に眼を見開いた。


「みんな久しぶりだニャ!」

「う、うむ、バカンス以来だな」


 レナは目の前にいた儂に飛びついて頬ずりする。

 相変わらず上はビキニだけで下はホットパンツだ。

 儂の身体に柔らかい物が押しつけられ、思わず鼻息を荒くしてしまう。

 これはいい。実に最高だ。ムフフ。


「レナ? ここで灰になりたいの?」


 エルナは微笑みながら怒気を放つ。

 おまけにリズの右手にはクナイが握られていた。


「ひぃぃ!? ごめんなさいニャ! 嬉しくてついやってしまったニャ!」

「分かればいいの。無駄な争いはしたくないもの」

「その通り。私も親しい友人を消すのは悲しい」


 エルナとリズはそう言ってから互いににらみ合った。

 レナは儂の背後に隠れて戦慄していた。


「再会の挨拶はほどほどにして、どこか落ち着いた場所で話をさせてもらえないか。今回は休暇ではなく仕事としてきているのだ」

「遊びに来たんじゃないのニャ? じゃあとりあえず中で聞かせてもらうニャ。小さくて汚い家だけど遠慮せずに入るニャ」


 レナに導かれて儂らは家の中へ。

 小さくて汚いと言う割にはどこも整理整頓されていて綺麗だった。

 どちらかと言えば物が多い印象だ。家族が多いのだから当たり前か。

 リビングと思わしき大部屋に案内されると、それぞれ適当に丸い座布団のようなものの上に腰を下ろす。

 ただし弟子は立たせたままだ。これもトレーニングである。

 しばらくして母親らしき女性が、儂らの前に飲み物を出してくれる。

 歳は四十代前半と言ったところだろうか。

 三十代と言っても通用しそうな綺麗な女性だ。

 残念なことにレナとは違って露出の少ない服を着ていた。


「ザニャス家特製のジュースです。お口に合えば良いのですが」

「とんでもない。ありがたく飲ませてもらう。ところで奥さんは語尾に”にゃ”を付けないのだな」

「それは父親――バージャの影響です。海猫族の全てがそのような語尾を付けるわけではないのですよ。ああ、ごめなさい。娘と大切なお話があったのでしたね。では私は退散します」


 母親は軽く挨拶をしてから部屋の扉を開ける。

 儂らをこっそり観察していたのか、母親が開いた扉の向こうで数人の小さな子供が慌てて逃げていた。

 確か兄弟は二十人ほどと言っていた気もする。

 突然の来客はさぞ迷惑だったに違いない。

 後でお詫びの品でも渡すとしよう。


「それで仕事ってなんなのニャ?」

「厳密に言えば仕事ではないが、まぁ似たようなものだ。ところでレナは天使のことについては耳にしているか?」

「獣王様が戦いに備えて兵力をかき集めていたから、噂話ていどのことなら知っているニャ。とは言ってもナジィ国民は、アイラーヴァタ様を殺そうとする敵は、無条件で倒すと決めているからそこまで敵の正体に興味があるわけじゃないニャ」

「なるほど。ならば最初から説明した方が良さそうだな」


 儂はレナに天使との遭遇から、先日行われた戦いについてまで大まかにだが語って聞かせた。もちろん彼女だけでなく、この場にいる栄光の剣のメンバーにも聞かせるつもりで行ったことだ。

 島へ行く彼らにも全容を知る権利があると思っていた。

 加えて何も知らずに危険な場所へ飛び込むよりは、多少なりとも使命感を帯びた方が気持ちも引き締まるのではとも考えていた。

 案の定だが、レナと栄光の剣は絶句する。


「――私達は、か、神様を相手に戦っているのニャ? 信じられないニャ」

「信じるか信じないかは自由だ。とにかく儂らはお前の父親から島の話を聞かせてもらいたいのだ」

「そうしたいのは山々だけど難しいと思うニャ。実はパパはお祖父ちゃんと仲が悪かったらしくて、昔のザニャス家の話をすごく嫌がるニャ」

「そこをなんとか。これは世界の存亡に関わる重要なことなのだ。レナからも説得して欲しい」

「…………」


 レナは眉間に皺を寄せて悩んでいる様子だ。

 腕を組んでちらちらとこちらを見ている。

 なんとなく何を言いたいのかは察することができた。


「今月は家計が苦しいニャ~。きっとパパも相当に頭を悩ませているニャ~」

「これでどうだ。金貨一枚」

「ウチは養育費もばかにならないニャ~」

「金貨十枚」

「話を聞かせてもらったにゃ。何を知りたいにゃ」


 扉が開けられてレナの父親が突然に姿を現わす。 

 レナは素早く金貨十枚を懐に収めて父親に席を譲った。

 笑みを浮かべたバージャ・ザニャスがどかっと腰を下ろし、レナのザニャス家特製ジュースを一気に飲み干した。


「騙したな。いつから家にいた」

「一時間ほど前からにゃ。気が付かなかったおめぇらが悪いにゃ」

「さては祖父と仲が悪かったと言うのも嘘か」

「そいつぁ事実だ。俺は親父とはよく喧嘩してたにゃ。金がなけりゃ昔話なんか話そうとも思わねぇにゃ」


 レナは「ウチの家計は本当に苦しいニャ。お金が必要だニャ」と儂らに謝罪する。

 まぁ、貴重な情報料を払ったと思えば大した問題ではないのかもしれない。

 それでもかなり高い気はするがな。


「で、話というのは祖父が行ったという島についてだ」

「幻の島にゃ。親父は酒を飲みながらよくそう言ってたにゃ。俺も詳しいことを知ってるわけじゃねぇけど、行き方は死ぬほど聞かされたから覚えているにゃ」

「なっ! 島に行けるのか!?」

「それを聞きたがっていたんだろ? 親父は生前、もう一度あの島に行きたがっていたが、どうも海の住人に二度と来ないと約束させられたらしいにゃ。その海の住人ってのがなんなのかは最後まで教えてはくれなかったが、多分マーメイドだと俺は睨んでいるにゃ」


 ここに来て一気に進展を迎えた。

 まさか島へのルートを知っていたとは。

 ならば話は早い。彼にその島まで連れて行ってもらおう。

 儂は腕輪から金貨百枚を取りだした。

 そして、派手な音を鳴らして目の前に置いてやる。


「ここに金貨が百枚ある。島まで連れて行ってくれ」

「にゃ、にゃんだこの大金は……この前といいあんた一体何者にゃ?」

「儂はホームレスの田中真一だ」

田中真一にゃ!? そりゃあ失礼しましたにゃ! お恥ずかしいところをお見せしちまって、おい、早く上等な酒を持ってくるにゃ! ヴィシュ様のご親友が我が家にお越しになられているにゃ!」


 父親に命令されてレナは、そそくさと隣の部屋から一本のボトルを持ってくる。

 グラスを用意した彼は、娘から酒を受け取って並々と琥珀色の酒を注いだ。

 受け取った儂はさっそく口を付けてその味に頷く。確かに上等な酒だ。


「私は前もってホームレスってちゃんと言ったのにニャ」

「ば、馬鹿野郎、パーティー名じゃなく個人名を先に言えにゃ。ご友人を騙したとなりゃぁヴィシュ様にぶっ飛ばされちまうにゃ」

「パパは一回、獣王様に殴られるべきニャ」


 バージャは先に受け取った金を返そうとしたがあえてそれを断った。

 儂は正当な情報料として支払ったのだ。返されては逆に困る。

 それに彼の抱く罪悪感は儂にとって都合の良いことでもある。

 航海は長い旅となるだろう。

 色々な問題も出てくるに違いない。

 故に船上で最大の発言権を持つ船長と、今の内に対等もしくはそれ以上の関係を構築しておくべきだと思うのだ。その方がトラブルに対処しやすいし、彼も協力的な姿勢でことに当たってくれるかもしれない。


「それで島までは連れて行ってもらえるのだろうか?」

「にゃははははっ! これだけ積まれたからにゃぁ断る言葉も見つからねぇにゃ! この仕事、ナジィ一番の船乗りバージャ・ザニャスに任せるにゃ!」


 ドンと胸を叩く彼に儂は安堵した。

 これで島まで行くことができる。

 後は神樹とやらに会って話を聞くだけだ。


 ふと、脳裏にとある疑問がよぎる。

 港にいた老人が言っていた話のことだ。


「一つ聞きたいのだが、祖父が持ち帰ったと言う果実は今もこの家のどこかにあるのか?」

「あー、あの不思議な実だにゃ。あれは親父が帰ってきてから一週間後に腐っちまったにゃ。親父はそれを酷く悲しんでしばらく塞ぎ込んでいたにゃ」

「腐った? いくら食べてもなくならなかった果実がか?」

「今考えても不思議だにゃ。まるで親父が帰ってきたことで役目を終えたかのようだったにゃ。もしかするとアレには意思のようなものがあったんじゃねぇかにゃ」


 果実に意思のようなものか……。

 もしかすると神樹とやらの実だったのだろうか。

 目的の樹が桁外れな存在であることはすでに理解している。果実に永続性を付与するなんて奇跡も神樹には可能なのかもしれない。それが事実ならある意味では化け物だな。


 話がまとまったところで、後ろに立っていた弟子の五人が疲れ果てて座り込む。

 疲労の度合いで言えばマーガレットが一番へばっている。

 次にリベルトとドミニク。その次はティナ。最後にレイラだ。

 大盾使いと言うだけあって持久力は五人の中ではダントツだ。

 それでも器具の重みには耐えきれなかったようだがな。

 レイラはリベルトに寄りかかるようにして休憩をしていた。


「ところでその人達は誰だニャ? 新しいメンバーニャ?」

「彼らは儂らの弟子だ。王国では栄光の剣と言う名前で活動しているらしい」

「へー、物好きもいたもんだニャ。真一達に弟子入りしたら培った常識がガンガン壊されると言うのに」

「どう言う意味だ。それは」

「そのままニャ。自覚がないのがなおさら怖いニャ」


 失礼な。儂はこの世界の常識を尊重しながら生きているのだぞ。

 猫娘の言うことはいいがかりだ。断固抗議する。


「おめぇら二、三日はウチに泊まっていけにゃ。航海の準備をしねぇといけねぇし、ルートについても話し合いをしなきゃいけねぇにゃ」

「それはありがたい。準備費用についてはこちらにつけておいてくれ。それと土産と言ってはなんだがこれを受け取ってくれ」


 腕輪から肉と野菜を取りだしてザニャス家に提供する。

 一瞬にしてリビングが食材で埋まり、バージャと栄光の剣は度肝を抜かれたように硬直していた。


「こんなに沢山ありがとうニャ。今夜はママに御馳走を作ってもらうニャ」

「友人の家に世話になるのだ。これくらいは当然だろう。ああ、見ての通り食料の心配は無用だ。船の上で一年生活できるだけの蓄えはある」

「だから言ったニャ。常識を壊されるって。じゃあ私は台所に食材を運ぶニャ」


 レナは野菜を抱えて部屋を出て行く。

 儂の後ろでリベルトが「俺達、ヤベェ人の弟子になったかも……」などと呟いていた。




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