百三十四話 戦いの前に1

 ギルド総本部での首脳会議は三日で終わった。

 各指導者は自国へと帰還後、軍を戦いの場とするサナルジアへと派兵した。

 一方の儂らはと言うと、現存する六大聖獣の輸送任務をこなしていた。

 ダルタン国からはジルバ。

 ナジィ国からはアイラーヴァタ。

 キシリア国からはマビア。

 これら三体の聖獣をサナルジア国の世界樹へと運ぶ。

 ちなみになぜ世界樹トレントの元かと言えば、奴は大地に根を張っていて動かせないからだ。それにサナルジアは広い領土を誇っている為に戦闘もしやすい。

 そして、聖獣達を無事に森都ザーラへと運んだ儂らは、各国の軍が揃うまでしばしの休息をとることとなった。


「会議から一週間が過ぎたけど天使の動きはないわね」

「向こうにもすぐには動けない理由があるのだろう。こちらには好都合だ」

「いつ来るかも分からないし敵の戦力も不明だなんて。目隠して戦わされるのと一緒よね。白旗を揚げる準備だけはしておいた方が良いんじゃないかしら」


 エルナはそう言いながらソファーでクッキーをかじる。

 ここは彼女の実家であるフレデリア家の屋敷だ。

 フレデリア夫人のご厚意で戦いが始まるまで宿泊させてもらっている。

 相変わらずの豪華な造りに若干落ち着かないのは仕方のないことだろう。


「ねぇお父さん。街に買い物に行っても良いかな?」


 窓から食い入るように外を見つめるのはペロだ。

 そう言えばサナルジアに来るのは初めてだったな。

 尻尾をいつも以上に振って嬉しそうにはっはっと舌を出している。

 その姿があまりにも可愛かったので、頭を撫でてやると息子は耳を伸ばして目を細めた。


「お父さん?」

「よし、皆で買い物に行くか。せっかく来たのだから楽しまなくてはな」

「うん。美味しいものを沢山食べよう」


 そうと決まればすぐに支度だ。

 必要な物だけ身につけ他の三人も買い物へ誘う。

 執事であるセバスチャンに出かけることを伝えると、儂らは徒歩で市街地へと向こうことにした。



 ◇



「うわー! ここからだと世界樹がよく見えるね!」

「ずっと見ていると遠近感が狂いそうになるな」

「お父さん見て! あの枝のところにジルバさんがいるよ!」


 五人でベンチに座ってアイスを食べる。

 ペロの指差す場所には確かにジルバの姿があった。

 各聖獣は世界樹の近くで寝泊まりしているそうだ。

 聞いた話によると御神木の知覚範囲は桁外れに広いらしく、百キロ先でも誰が何をしているのか知ることが出来るそうだ。

 天使から身を守るには最適の宿だろう。


「ところで田中殿、この度の戦いに眷属は呼ばないのか?」

「奥の手として準備だけはしている。正直、人の目に触れさせたくはないからな」


 できれば最後まで出番がないことを望む。

 儂の眷属は性格が良く勤勉な者が多い。だが、それを理解するには時間がかかるのだ。ましてやアンデッドは魔獣の中でも嫌われている。すぐに仲間として戦力として受け入れるのは難しいだろう。なにより天使との戦いを前に余計な波紋を広げるのは愚かだ。

 いつか眷属の存在が世間に露呈するかもしれない。

 だが、それは今ではないはずだ。儂はそう考えていた。

 その時、街の入り口で角笛らしき音が響く。


「ローガス軍が到着したらしいぜ!」

「マジかよ! ヒューマンの軍ってどんなのか見てみようぜ!」


 子供達が目の前を駆けて行く。

 そうか、ようやく王国から軍が到着したのか。

 他の軍もこちらに向かってきているだろうが、サナルジアに近いローガスが一番乗りなのは当然と言えば当然だ。

 なにより分身がしっかり王の仕事をこなしていて安心する。


 しばらくすると街に馬に乗った男性が目の前を通り過ぎた。

 いや、すぐに引き返して儂の前で足を止める。

 馬に乗っていたのはエドナーだった。

 装飾の施された鎧と蒼いマントがよく似合っている。

 まるで将軍のようだ。


「おお、陛下の言う通りすでに到着していたか」

「久しぶりだなエドナー。もしや出世したのか?」

「陛下が俺を将軍に任命したのだ。まさかこの年になって将軍になれるとは想像もしていなかったがな。前回同様に今回も君の下で指揮をとらせてもらう。よろしく頼む」


 エドナーは将軍に相応しい威厳を備えていた。

 男子、三日会わざれば刮目して見よ。そのようなことわざを思い出す。

 エドナーになにがあったのかは不明だが、以前とは比べものにならないほどの自信を付けているように見えた。

 ふと、彼がペロを見つめていることに気が付く。


「ペ、ペロ君、君のモフモフを触っても良いかな?」

「え? エドナーさんがモフモフ?」

「ちょっとだけだ。その胸毛の辺りを少しだけ」


 馬から飛び降りたエドナーはペロの胸毛に顔を埋める。

 その顔は至福を感じているようだった。


「まさかエドナー様……」

「悪いなフレア。俺はもはや以前のエドナーではない。モフモフを愛するモフモフ将軍だ」


 不敵な笑みを浮かべるエドナーと衝撃で顔を強ばらせるフレア。

 あのモフモフに一辺の興味も抱いていなかったあの彼が。

 儂も少なからず動揺する。エドナーに一体になにがあったのだろうか。


「わふっ、エドナーさんの手が気持ちいい」

「ペロ君の毛並みは最高だ。これほどのモフモフの持ち主だったとは」

「ええいっ! それ以上触れるな! ペロ様に触って良いのは私だけだ!」


 フレアがぱしっとエドナーの手を払う。

 赤く染まった顔は明らかに嫉妬していた。

 その様子を見ながらエルナとリズが「三角関係だ」などと興奮している。


「その程度の腕でペロ君を満足させられるのか?」

「五月蠅い! 私は誰よりもペロ様のことを知っているんだ! ペロ様を満足させられるのは私だけなんだ!」

「モフモフの悟り」

「!?」


 エドナーがそう言っただけでフレアが絶句する。

 モフモフの悟りとはなんだろうか。


「俺は会得したぞ。免許皆伝だ」

「嘘だ……天才と呼ばれた私ですら体得できなかった奥義を……」

「モフモフ仙人は言っていた。フレアは確かに天才だが、モフモフに愛されたのは俺であると。私利私欲にまみれた君のモフ道では俺には決して敵わない。モフの暗黒面に落ちた君ではな」


 なんだモフの暗黒面とは。さっぱりだ。

 フレアは力なく両膝を地面に突いた。

 ペロが二人の顔を見ながら間に割って入った。


「とりあえず争いは止めましょ。そもそも僕はモフモフはあまり好きじゃないし」

「ペロ様……」


 涙目でペロにすがりつくフレア。

 エドナーは呆れた様子で首を左右に振ると「急ぎなのでこれにて」と言って馬に乗って走り去った。全く理解のできない状況だが、辛うじてフレアが負けたとことだけは察することができた。

 と言うかモフ道ってなんなのだ?


「ペロ様、ペロ様! フレアは負けてしまいました! 申し訳ありません!」

「ごめん。僕にはどこで勝ち負けを判定していたのか分からないよ。とにかく元気を出して。尻尾や胸毛を触って良いからさ」

「はぁぁあああっ! なんと寛大なお心! いつか必ず私も奥義を会得して見せますから! エドナーには絶対に負けません!」


 くんかくんかと胸に顔を埋めて叫ぶ。

 機嫌が直ったようでなによりだ。

 ひとまず買い物を再開することにした。


「真一、見てみて! 可愛い帽子!」


 エルナが麦わら帽子をかぶってくるりと回る。

 世界樹から差し込む木漏れ日が彼女を美しく見せる。

 すると誰かが後ろでクイクイとローブを引っ張る。

 振り返ると三つの下着を持ったリズが立っていた。

 一つは可愛らしい熊の刺繍が入った白いパンツ。

 一つはリボンの付いた淡いブルーのパンツ。

 一つは黒いレースの紐パンだ。


「お兄ちゃんはどれが好き?」

「儂か? こっちの黒だな」

「やっぱりお兄ちゃんはスケベだったか」


 彼女は下着を持ったまま帽子店の隣にある下着店へと戻っていった。

 気になって店内を覗いて見ると、リズは店員らしき女性と話をしている。


「言った通りスケベだった」

「でしょ。黒の紐パンを選ぶのはドスケベだから。でも相手の傾向を知ることは戦術では大切なことよ。ライバルよりも一歩前に進むには情報が命。ただ突撃するだけでは得られない物があるのよ」

「なるほど。さすがは師匠。さらなるご教授お願いします」


 見なかったことにした。

 最近気が付いたのだが、どうもリズも儂に好意を抱いているようなのだ。

 きっかけはエルナの告白だ。

 長らく恋愛というものから離れていた身としては、そこに思い至るのはかなり苦労した。

 ただでさえそういったことには鈍感だと言われていた人間だ。先ほどの会話も以前の儂なら、下着店を経営する戦闘のプロフェッショナルから指導を受けているとでも勘違いをしたに違いない。

 ……いや、でもその可能性も捨てきれないな。

 本当に戦闘の指導を受けていたのかもしれない。


「お父さん、こんなの売ってたよ!」


 ペロが耳に布らしきものを付けてこちらに駆ける。

 話を聞けばそれは耳カバーと呼ばれる物だそうだ。

 エルフの耳は長い為に帽子からはみ出しやすい、そこで日焼け防止の道具としてカバーも売っているのだとか。その姿を見たフレアが息を荒くする。


「はぁはぁ、ペロ様よくお似合いです」

「絶対にお前の目は曇っている」


 そこへすっと真上を巨大な何かが通過した。

 街の住人は空を見上げて「飛竜ワイバーンだ!」と悲鳴をあげる。

 見上げれば角のないマスタード色の竜が一頭だけ飛翔していた。

 頭から尻尾にかけておよそ十五メートル。

 翼を広げた幅は二十メートルにも及ぶ。

 竜は街の上を旋回してから北へと飛んでいった。


「飛竜はこの辺りでは良く出没するのか?」

「たまにね。北の山に大きな巣があるらしいわよ。この街は御神木様が守っているから飛竜も迂闊には手を出さないって聞くけど」

「巣か。面白い。そろそろ本格的な飛行部隊が欲しいと思っていたのだ」

「ちょ、まさか……」


 エルナの想像する通りだ。

 そう、儂は飛竜を眷属にすることにした。

 それに密かに抱いていた野望があるのだ。

 いつかドラゴンを眷属にすると。

 それにこれから迎える戦いの戦力にもできるはずだ。

 儂は急遽予定を変更して北の山へと行くことにした。




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