閑話 ライアンの物語3
後日、ジュリアに連れられてとある場所に訪問することとなった。
そこは一見すると木造の倉庫ような建物であり、中に入れば二十人ほどの子供達が木剣で戦っていた。それを見守るのは髪も髭も真っ白な老人だった。
「師匠! 連れてきました!」
「ほぉ、そこの少年が例の彼か」
師匠と呼ばれた老人は目元を隠すような白く長い眉毛の隙間から、鋭い視線で私を観察する。しかもその身には焦げ茶のローブを身に纏っている。マスター級の魔導士でありながら武術を教えているようだ。
一目でただ者ではないと私は感じた。
「そう身構えるでない。わしゃあ見ての通りただの老いぼれだ」
「冗談は止めて欲しい。貴方に見られた瞬間に貫かれるような視線を感じた」
「ふむ、基礎はできているようじゃな。よしよし、ならば自己紹介をせねばならぬな」
老人は子供達を下がらせ部屋の中央に一人立つ。
彼が杖を構えるとぴしりと空気が張り詰め、この場にいる私を含めた全ての人間が緊張から喉を鳴らした。
「魔導の道を歩み経て武術の道を極めんとする、我こそはその名も轟くモフモフ仙人なりぞ」
呆気にとられた。なんだモフモフ仙人とは。
そして、道場に数え切れない犬や猫がなだれ込んだ。同時に巻き起こる子供達の拍手。
ちょっと待ってくれ。状況の理解に追いつかない。この動物はどこから来たんだ。なぜ老人の周りにたむろする。どうして子供達は拍手をする。
「お見事です師匠! いつ見ても最高の自己紹介です!」
「そうだろう。第一印象はインパクトが大事だからのう」
老人は動物をなで回して笑みを浮かべる。
確かにジュリアの言った通り、何者であるかを答えるには時間を要する人物だった。
私はふくれあがる疑問を全て飲み込みつつ、ここで更なる力が望めることを彼に再確認した。
「強くなりたければわしの指導を受けるが良い。才能があれば誰よりも高みに上れるだろう」
「一つ質問をしていいか。強くなることとモフモフとなんの関係があるんだ」
「魔導と武術を極める為にはモフの道を極めなければならん。その逆もしかり。モフモフこそ武の真髄にして奥義である」
「頭がおかしくなりそうだ」
ジュリアを見れば興奮したように老人の言葉に何度も頷く。
彼の話が理解できるのかと感心してしまった。
私には何を言っているのかさっぱりだ。
しかしながら何事も経験なのも事実。
ひとまず老人に従ってここで訓練をする事に決めた。
◇◆◇◆
道場を通い始めて四年と数ヶ月が過ぎた。
すでに私の年齢は十八となり、もうじき高等部の卒業を控えていた。
月日が経つのは恐ろしいまでに早い。
道場に通い始めたのがまるで昨日のようだった。
道場で木剣を構えるのは私と師匠。
見守るのはジュリアだ。
しかし、今あるのは私と師匠だけの世界である。
神経を研ぎ澄ませ気を静める。
「でりゃ!」
「せいやっ!」
ほんの刹那の時に、私は師匠の隙を見つけて打ち込む。
だが、ほぼ同時に私の隙も見つけられてしまったようで、師匠の木剣が肩に叩き込まれた。勝敗はつかず相打ち。
私は悔しさを抱きつつ初めて師匠に打ち込めたことに手応えを感じた。
「成長したなライアン。モフモフを理解してないくせに剣の腕だけを上げるとは。免許皆伝だ。卒業おめでとう」
「こうして強くなれたのは師匠の教えのおかげだ。心から感謝する」
師匠からモフの書を頂いた。
これで私は晴れて道場を卒業しモフモフとはおさらばである。
振り返ってみればここは私の理解を超えた何かだった。
教えられたあらゆることにモフモフが織り交ぜられ洗脳しようとする。
正直、この四年と少しは発狂するかと思ったほどだ。
ここに通う門下生達は頭がおかしい。
ちなみにジュリアの実家であるレーベル家では、一族全員が動物狂いだそうだ。ジュリア自身も猫には目がなく、野良猫を見かけると興奮して追いかけてしまうとか。
そろそろ彼女の両親に挨拶をしようかと考えているのだが、そんなことを知ってしまうといささか不安ではある。レーベル家と上手くやっていけるだろうか。
「結局、おぬしは剣の才能はあったがモフモフの才はなかったのぉ。残念だ。それではモフモフの悟りはやれんわい」
「そのモフモフの悟りとは?」
「わしが編み出した秘奥義だ。どんな相手でも撫でられれば、あまりの快感から絶頂し無防備になってしまう無敵の技である」
「初めてモフモフを理解したいと思った」
なぜ師匠の教えが私には理解できなかったのか。
今日ほど悔しさを感じたことはなかった。
「さて、おぬしはこれから社会に出るわけだが、なにをするのかは決めておるのか?」
「父と同じ官職にと考えている。武官にでもなれば将軍への道も開けるからな」
「それは良い判断だ。おぬしなら間違いなくなれるだろう。王は愚かでも家臣が賢明であれば国は滅びぬ」
師匠は独り言のように呟いた。
私はこの国の王に会ったことはないが彼が憂うほど愚かなのだろうか。
疑問を抱きつつも私はジュリアと共に、仙人に挨拶を済ませてから道場を後にする。
◇
「早いね。ライアンと出会ってから四年も過ぎちゃった」
「そうだな。今でも君とぶつかったあの日を時々思い出すよ」
私とジュリアは広場のベンチに座って、この四年間の思い出を話していた。
彼女は学校を卒業後、実家の力を借りてパン屋を開いた。
実はいつも食べていたパンは自分で作ったものだったのだ。
今では彼女の店は行列のできる有名店である。
「あむっ、ほういへはへっほんのひほりほうふる?」
「頼むからパンを食べながら会話をしないでくれ。君の悪い癖だ」
「ごめん。でさ、結婚の日取りはいつにする?」
「ご両親への挨拶がまだなのにもう決めるのか。まぁ、うちの両親は君を気に入っているから問題はないが」
「アタシの両親なんて会う前から乗り気よ。そろそろ免許皆伝をもらうかもって言ったら、完璧な結婚相手だ。言うことはない。なんて言い出す始末よ」
レーベル家が寄せる仙人への絶大な信頼が恐ろしい。
まさかとは思うが結婚式に来ないだろうな。
ふと、足下を見ると革製のボールが転がっていた。
離れた所では子供が手を振っており、私に投げて欲しいと合図する。
軽くボールを投げて子供にパスした。
「結婚したら赤ちゃんも欲しいわね」
「焦ることはないさ。私達はまだまだ若い」
「そりゃあそうだけど、年寄りみたいなことを言うのね」
「私の中身はそんなものさ」
そう言ってからジュリアとキスをした。
私の人生の船はようやく風に乗って動き出そうとしていた。
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