閑話 ライアンの物語1


 小さなダイニングへ足を踏み入れると自分の席に着く。

 すでにお父様は席に座って新聞を眺めており、お母様はテーブルに料理を運んでいた。いつものドリス家の光景だ。変わり映えしない一日が始まる。


「おはようライアン。貴方の大好きなスクランブルエッグよ」

「ありがとうございますお母様。今日は良い一日が送れそうです」


 お決まりの台詞を口にして彼女の頬にキスをする。

 もちろんとびっきりの笑顔を忘れてはいけない。

 母はすねると部屋に閉じこもってしまうからだ。


 皿に盛られたスクランブルエッグを口に入れれば、良くも悪くも普通の味である。

 だからこそ良い。シンプルが一番だ。

 今世の私の母はそれほど料理が得意ではなかった。

 特に料理人の息子として生まれた前世を持つ私にとって、母の料理は手が込むほど拒否反応を示してしまうのだ。それ故にシンプルイズベスト。


 部屋の中にある柱時計を見ればそろそろ出発の時刻だった。

 私はバッグを掴んで家を飛び出す。

 これから向かうのは貴族だけが通う学校である。

 名称は王立中等学校。私はそこの一年生だ。

 制服などはないので自前の服で登校していた。


「「ぎゃっ!?」」


 建物を曲がった瞬間に誰かとぶつかる。

 その瞬間、顔に柔らかい感触。

 思わぬ弾力に跳ね返され石畳に尻餅をついた。

 いたた。どこの誰かしらないが前方不注意だぞ。

 そんなこと思いつつ相手を見れば、私と同じように尻餅をついていて、信じられないことに口には直径三十センチはあろう丸いパンを咥えていた。

 なるほど。私はあのパンに跳ね返されたのか。


「ちょっと、どこ見て歩いてんのよ!」

「それはこっちの言葉だ。君こそ前を見てなかっただろ」


 囓るパンで左頬を膨らませる女性は、眉を逆八の字にして怒りを露わにした。

 赤い長髪をポニーテールにした長身の女の子。

 目は少しつり上がっているが整っていて美人と言えた。

 服装は身体にフィットする半袖のTシャツに短パンと、スタイルの良さを隠すことなく周囲に晒していた。恐らく十六歳ほどじゃないだろうか。

 腕に付けた腕章を見て高等部の生徒だと気が付く。


「その腕章……あんた中等部ね」

「ライアン・ドリスだ。君は?」

「アタシはジュリア・レーベル。と言うか態度デカいわね」

「これは私の性分だ。それを言うのなら君だってそうだ」

「おまけに生意気。ぶつかっておいて信じられない」


 ジュリアは片手に持ったパンを囓りつつ、私の態度に不機嫌な表情となった。

 そして、何かを思いだしたかのように「あっ!」と声を発する。


「今日は用事があったから急いでたのに! 急がなくっちゃ!」


 ジュリアは駆け足で走り去っていった。

 なかなか騒がしい娘だった。

 若さとはああいうことを言うのだろうな。

 私は服に付いた埃を払ってから学校へと向かったのだった。



 ◇



 王立学校は初等部から高等部までエスカレーター式に進級する。

 建前上、貴族だけ通っている事になっているが、実際はお金を払えば誰でも入学が可能となっていた。その為、校内には豪商の子供などが普通に歩いていたりした。

 とは言え身分階級がなくなったわけではない。

 男爵の息子はたとえ学校の中でもあっても男爵の息子なのだ。

 当然、子供達の間でも上下関係が発生する。

 そして、誰もがこの世は不平なのだと嫌でも理解させられるのだ。

 私もその内の一人だった。


「うげぇっ!」

「もう一発!」


 抉るようなパンチが私の脇腹にめり込んだ。

 校舎の壁に寄りかかるように座り込むと、正面に立っている貴族服を身につけた太った男子生徒がニヤニヤ笑みを浮かべて指を鳴らした。

 そいつの背後では三人の男子生徒が無表情でこちらを見ている。


「謝る気になれたかな。ライアン」

「私は……お前達の暴力には屈しない」

「まだ抵抗できるんだ。ゾクゾクしちゃうな」


 私は痛みを我慢して毅然と立ち上がる。

 会話をする相手は、私を殴る男子生徒の背後にいる三人の真ん中。

 ドサド侯爵の長男ジョニー・ドサドである。

 こうなった経緯を説明するのは簡単だ。

 陰湿なイジメをしていた奴らに注意をした私が今度は標的にされた。

 ただそれだけだ。


「ボクらは身分の違いを教えてただけなのに君は邪魔をしたよね。あれは頭にきたなぁ。頭を踏みつけて靴を舐めさせても怒りが晴れそうにないよ」

「ふん、謝罪をしろと言っておいて本当は止める気がないんだろ」

「正解。社会の仕組みは分からないのにこう言うことには頭が回るんだね」

「教師にカンニングさせてもらって成績を維持している奴よりはな」

「何を言っているのか分からないなぁ。そうだ、もっと痛めつけてあげてよ」


 私の顔面に重い拳がめり込む。

 分かってはいたがジョニーは性根が腐っている。

 目の前の連中は、女子生徒を脅して肉体関係を迫ったり、ストレス発散などと言って無抵抗な生徒を殴り殺したりとやりたい放題なのだ。

 特に中等部に上がってからはその過激さに拍車がかかっていた。


「でも、そろそろ謝罪の一つは欲しいかな。じゃないと君の家がどうなっても知らないよ」

「今度は脅しか。とことんクズだな」

「褒め言葉として受け取っておくよ。ドサド家は手段を選ばないのが家訓だからね」

「だったらここで殴られて死んだ方がマシだ。家には手を出させない」


 私は目の前にいるオークのような生徒にタックル。

 相手は身長が高く体格が良い為、小柄な私を捕まえることはできなかった。

 敵の片足をがっちり抱えて一気に持ち上げる。

 神崎靖彦かんざきやすひこ五十五歳を舐めるな。

 太った男子生徒はバランスを崩して地面に倒れる。

 そこですかさずマウントをとって顔面を殴った。

 勝てる。非力な私でも抵抗くらいできるのだ。


 が、両腕を誰かに掴まれた。

 振り返るとジョニーの両脇にいた二人の男子生徒だった。

 殴られた生徒は立ち上がって袖で口元を拭うと、羽交い締めとなった私の腹部へおもいっきり拳をめり込ませる。

 私は泣きたいほど痛みに苦しんだ。


「今日はこのくらいにしておいてあげるよ。じゃあまた明日」

「あぐ……うぐ……」


 好き放題に殴った後、ジョニーは三人を引き連れてどこかへと姿をくらます。

 ようやく災難が去ったものの、未だに全身が痛んで立ち上がることもできなかった。最悪の気分だ。第二の人生などと浮かれていた過去の自分の首を絞めたい。


 ガサリと近くで足音がした。

 ぼやける視界で誰が来たのか確認すれば、赤い髪の女が私の顔をのぞき込んでいるではないか。しかもその左手には、朝と同様の食べかけの大きなパンが握られていた。


「あんたここで何してんの?」

「ほっといてくれ」

「ふーん、その様子じゃ喧嘩かな」


 彼女は私の身体を軽く担ぎ上げてどこかへと連れてゆく。

 中等部の校舎裏から高等部の校舎に運ばれた私は、保健室らしき部屋に連れ込まれることとなった。

 そして、ベッドに寝かされた私は、絞りたてのタオルを顔に放り投げられた。


「それで傷口拭きなよ」

「荒いな。もっと優しくできないのか」

「生意気。助けてやってんだからもっと感謝しなさいよ」

「……ありがとう」


 感謝を口にして濡れタオルを顔に当てた。

 ひんやりとして気持ちが良い。

 ジュリアは近くの椅子に座って私の顔をまじまじと見つめた。


「喧嘩するようなタイプには見えなかったけど、人は見た目に寄らないってことかな」

「違う。向こうが勝手に難癖をつけて殴ってきただけだ」

「ああ、そう言うこと。あんたのところにも偉そうな奴がいるわけね。じゃあ鍛えないとダメよね。剣を教えてあげようか?」


 彼女は勝手に納得してニンマリ笑みを浮かべる。

 変わった女だと思った。

 勝手に私を助けて勝手に話を進めようとする。

 前世でも出会ったことのないタイプだった。


「どうして私を助けた。放っておけば良かっただろ」

「好きな相手にそんなことできるわけないじゃない」

「は?」

「朝にぶつかったでしょ。あの時に私の運命の人はこの人だって分かっちゃったのよ。と言うか一目惚れ? あはは」


 とんでもないことを口走って彼女は笑う。

 私はジュリアの告白にただただ呆然とするしかなかった。



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ホームレス転生第二巻が6月10日が発売されます。

Web版とは違ったストーリー展開に、黄金スケルトンのスケ太郎にモフモフ騎士のフレアも登場いたします。興味のある方はぜひ書籍版を読んでみてください。

それと近況ノートでもお知らせいたしましたが、前回同様に書籍が発売される事を記念して6月2日から6月7日まで、毎日20時に閑話を投稿したいと思います。内容は短めですが楽しんでいただけたら幸いです。



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