百二十一話 国王の日々1


 ローガス国王である儂の朝は早い。

 午前四時に目が覚めると、寝室に用意されている水桶で顔を洗う。

 次に自分で寝間着から服に着替え、部屋の窓を全開にしてからラジオ体操を行う。

 身体がほぐれたところで王城の中庭へと移動。

 もちろんだが護衛の騎士が二名同行している状態だ。

 城内とは言え国王が無防備のままウロウロすることは許されない。


 中庭には小さな畑が存在する。

 自らくわを持って耕した儂だけの畑だ。

 肩にかけたタオルで額を拭いてから収穫した野菜に齧り付く。

 艶々とした真っ赤なトマトは、瑞々しく酸味と甘味に満ちあふれていた。

 二人の騎士にもトマトを渡せば「陛下から野菜を!? か、家宝にします!」などとのたまう始末だ。腐るから今すぐ食べて欲しい。


「陛下! おはようございます!」

「おお、リーナか。今日も元気そうだな」


 畑にやって来たのはメイドのリーナと言う娘である。

 儂が野菜の面倒を見れない時は、彼女が代わりに世話をしてくれているのだ。

 童顔とも言える容姿に明るめの茶髪をツインテールにした姿は、元気はつらつで非常に可愛らしい。


「トマトを収穫したのだが、お前も食べるか?」

「はい! 陛下のお野菜食べたいです!」


 彼女にトマトを差し出すと秒速で齧り付いた。

 まだ儂が手に持った状態なのだが……。


「おい、使用人! 陛下に不敬だぞ!」

「ああっ! ごめんなさい! ついやっちゃいました!」


 リーナは持っていたハンカチで、果汁にまみれた手を拭いてくれる。

 儂は憤慨する騎士をなだめて今度はもぎたてのキュウリを彼女に差し出す。

 すると再び条件反射のように野菜に齧り付いた。

 小動物に餌をやっているようで和んでしまう光景だ。


「またやっちゃった! ごめんなさいごめんなさい!」

「気にするな。儂の作った野菜を美味しそうに食べてくれるのは気持ちの良いものだ」

「陛下がお優しい方で良かった! 昔からの癖なんです! 直そうと気をつけてはいるのですけど、ついつい油断すると出ちゃって!」

「ほほぉ、癖なのか。ほれ」

「あむっ。へいは、わはひへあほんへまふ?」


 これは面白い。差し出せば驚異的な反応速度で野菜に齧り付くのだ。

 いつしか二人の騎士もリーナの行動と言動に笑っていた。


「はははっ、良い特技を持っているではないか」

「うわーん! 陛下が意地悪する! 直したい癖だって言ったのにぃ!」


 からかった詫びとして、彼女には取れたての野菜を何個か持たせることにした。

 涙目となっていた表情がコロッと変化し笑顔に変わる。

 もしかすると前世は犬だったのではないだろうか。

 見えない尻尾がぶんぶんと振られている気がしてしまう。

 儂は畑をリーナに任せ、ひとまず朝食をとる為にダイニングへと行く事にした。



 ◇



 広いダイニングでは、ナイフとフォークのこすれる音だけが響く。

 食事をしているのは儂を合わせた王室の六人だ。

 妻が二人に子供が三人。

 今は亡きローガス王の家族である。


「また畑なんてものを触っていたそうね。国王ともあろう者がそのようでは民に示しがつきませんわよ」

「あれは儂の趣味だ。口出しは無用だと言っただろ」

「ずいぶんとお変わりになったこと。以前は酒に女と好き放題していたくせに、今になって野菜を収穫して喜んでいるなんて。誰かに洗脳でもされたのかしら」


 第一王妃がいつものように儂に不満をぶつける。

 上級貴族から嫁いでいる彼女にとって、農作とは平民のする仕事であり貴族や王族のすることではないと認識しているようだった。

 一方で第二王妃は儂の趣味に肯定的だ。


「務めを果たしている以上、私達があれこれと口出しするのはどうかと思いますわ。なにより陛下はこの国の王。全てが自由のはずですもの」

「貴方はそう言っていつも甘やかす。陛下の行う全てが、子供達に降りかかるのを理解しているのかしら。私の可愛いセシルが、畑の王子などと言われでもしたらどう責任をとってくれるの」

「私におっしゃられても困ります。嫌なら息子共々王室を出るとよろしいのでは?」


 二人の妻がこうして言い合う流れは毎度のことだ。

 もしローガス王に同情するとすれば間違いなく家族問題だろう。

 朝っぱらから小競り合いを聞かなければならないとは苦痛だ。

 険悪な空気を壊すように長男のセシルが発言する。


「父上、たまには槍の稽古をつけていただけませんか」

「それはいい。最近は身体がなまっていたところだからな」


 セシルは母親譲りの金の長髪を後ろで束ねた美男子だ。

 青を基調とした貴族服を着こなし、いつも着用している赤いマントが様になっていた。

 おまけに性格も良く知能も高い。

 なぜあの王からこのような息子が生まれたのか不思議なほどだ。

 ただ、おかげで儂が後継者作りに励む必要性は皆無でもあった。


 儂は食事を再開し、パンの上にスクランブルエッグを乗せて口に入れる。

 王族といえど朝食は平民とそれほど変わらないものだ。

 豪勢なのは夕食くらいである。

 まぁそれも美味いかと聞かれれば、断言できない微妙なものではあるがな。

 ダンジョンで食べていた食事の方が断然美食だった。



 ◇



 朝食のあとは政務の時間だ。

 儂はやってくる者達へ応対する為に、玉座で何時間も過ごすこととなる。

 そのほとんどは役人や商人で、彼らは長々と無駄な話をしてからようやく本題を話し始める。顔を覚えて貰おうと必死なのは分かるが、こっちは一日に何十人と会わなければならないのだ。いちいち話など聞いていられない。

 なので二人目から説明を省いて用件だけ聞くことに決めていた。


「陛下、レーガン辺境伯がお越しになられました」

「分かった。ここに通せ」


 大臣が耳打ちして新たな来訪者を知らせる。

 レーガン辺境伯とは東の辺境を領地とする有力者だ。

 領地から出てこないことでも有名な人物だが、そんな彼が遠く離れた王都にやってくることは非常に珍しい。

 王の間に静かに入室したレーガンは、赤い絨毯の上で片膝を突いた。


「面を上げよ。この度は何用で来たのだ」

「恐縮ながら陛下にお願いがありまして登城した次第であります」

「まずは要望を言え。どうするかはそれから決める」

「ナジィ国から我が領地と取引をしたいとの申し出がありました。それにつきまして獣人の出入国を正式に認めていただけないかと希望しております」


 ほぉ、ナジィからの交易の申し出か。それは面白い。

 是非とも許可を出したいところだ。

 しかしながら手放しで歓迎と言うわけにはいかない。

 なぜなら他国の者が大量に入国すれば、大きな問題となる懸念があるからだ。

 下手をすれば種族間の軋轢を生むかも知れない。

 そこで儂は一つの方針を出すことにした。


「東の辺境にのみ許す。入国したナジィの住人には率先して便宜を図るがいい。その結果によって今後の対応を考える」

「私の領地で様子を見ると言う事でしょうか」

「悪く言えばそうだ。中には移住をする者もいるかも知れない。そのことを踏まえての考えと思え」

「かしこまりました」


 彼は深々と頭を下げてから退室する。

 これでナジィから堂々と海産物などを手に入れる事ができると思えば、今回の判断は悪い気はしない。ひとまずは東の辺境での経過を見守ることにしよう。



 ◇



 時刻は午後の三時。

 本日の政務が思ったよりも早く終了した為、長男と約束していた槍の訓練を行うことにした。


「父上から直々に訓練を受けるのは何年ぶりでしょうか」

「構ってやることもできずに悪かったな」

「いえ、こうして話ができるだけでも僕は嬉しいのです」


 セシルは表情を緩ませて微笑む。

 本当の父親はもういないのだと伝えられないことが心苦しい。

 しかし、一度始めたことは最後までやり通すのが儂という人間だ。

 この命が尽きるまでローガス王としての仮面をかぶり続けよう。


 互いに木槍を構えて戦いに備える。

 ここには審判などいない。

 試合は武器を構えた瞬間から始まっていた。


「ふっ!」

「ていっ!」


 セシルの鋭い突きが心臓を狙う。

 儂は攻撃を躱しつつ同時に突き返した。

 が、彼は反射的に後方へ飛び退く。良い動きだ。

 手加減しているとは言え儂の動きをよく見ている。


「これならどうでしょうか!」


 そう言って繰り出すは五連突きだ。

 的確に急所を狙い一撃一撃に重みがあった。

 それを儂は槍の柄で弾く。

 実力で言えば出会った頃のフレアくらいだろうか。


「隙あり」

「うわっ!?」


 意識が攻撃に向いたことで容易に足払いできた。

 セシルは打ち付けたお尻をさすりながら立ち上がる。


「父上はやはりお強い。今の僕でも手が届かないようです」

「当然だ。まだまだ負けるつもりはないからな。精進しろ」

「はい。いつかの父上のような立派な国王になるつもりです」


 彼の言葉は含みがあるように思われた。

 少なくとも以前の父親には、憧れは感じていなかったと言う事だろう。

 気持ちは分からなくもない。あの男が父親は儂だって嫌だ。


 その後、儂とセシルは共にダイニングへと行き、少し早めの夕食を取ることにした。



 ◇



 あくびをしながらベッドへと入る。

 国王である儂は、いつも夜の九時に就寝しているのだ。

 ここにはTVもなければ興味を引くような小説もない。

 つまり起きていても暇なのである。

 そんな時はさっさと寝るに限る。

 コンコン。

 不意に部屋のドアを誰かがノックした。

 警備をする騎士だろうか?


「陛下、お入りしてもよろしいでしょうか」

「うむ、入室を許可する」


 それは若い女性の声だった。

 どこかで聞き覚えがあったがすぐには思い出せない。

 するとドアを開けて一人の女性が入ってきた。

 メイドのリーナだ。


「どうしたこんな夜に」

「あの……夜伽を賜りたくて……」

「は? 伽??」


 心底驚いた。

 いつも明るいリーナが、そのようなことを言い出すとは思いもよらなかったからだ。

 もしかすると何か複雑な事情があるのだろうか。

 とりあえず彼女を椅子に座らせ、温かいお茶を出してやることにする。


「このお茶……美味しいです」

「それで突然に部屋に来たのはなぜなのだ」

「夜伽を……」

「理由があるのだろう?」


 儂がそう言うと、彼女は目に涙を溜めて話し始めた。


「お父様の計らいで侯爵家に嫁ぐことになりました」

「めでたいではないか。何が問題なのだ」

「相手はあのドサド侯爵です。陛下なら噂をご存じですよね」

「ああ、あの者か」


 ドサド侯爵は悪名高い人物だ。

 賄賂、恐喝、暗殺と利益を得る為なら手段を選ばないことで知られている。

 そして、その性癖も特殊なことで有名だ。

 なんでも妻や妾にした者達の身体へ針を突き刺すことにより、性的興奮を感じると言うのだ。儂が聞いた話では、小さな針から始まり次第に太く長い針へと変えて行くそうだ。それすら満足できなくなると、最後には杭で心臓を貫き息の根を止めてしまうとか。

 彼が殺した女性の数は二十人とも三十人とも言われている。

 ただし、これはあくまでも噂だ。

 証言者も証拠もないので侯爵を糾弾することはできない。


「私の家はドサド侯爵に借金をしていて、明後日が返済期限なのです。ですが払える目途もなく、侯爵は借金の帳消しの代わりに私を要求しました」

「借金はいくらなのだ」

「金貨五百枚です。下級貴族の我が家ではとても返しきれる額じゃありません」


 五百枚となると……およそ五億円くらいか。

 恐らく侯爵は返済できないと踏んで貸し付けたのだろう。

 だとすれば最初からリーナが目的だったと見て間違いなさそうだ。

 それはそうとなぜそのような話から儂の夜伽になるのだろうか。


「私、考えたんです。陛下の妾になれば侯爵も諦めるんじゃないかって。それにお母様がよく言ってました。既成事実に男は逆らえないって」

「女とは恐ろしい生き物だ」

「でも私がこんなことをしたのは家の為だけじゃありません。優しくて一緒にいると楽しい陛下が好きだからです。お願いしますどうか私を妾にしてください」

「なるほど。そう言うことだったのか」


 ようやく合点がいった。

 二十代にも至らない生娘が、オークと見間違えるような男の元へ来る理由が。

 そうでもなければ儂の妾になりたいなどと言うはずがないのだ。

 ただ、男としては嘘だとしても嬉しい言葉ではあるがな。


「ならば儂が侯爵から買い取ってやろう。お前は王室付きとなるのだ」

「へ? 王室付き? め、妾は??」

「悪いがそれはできない。その……儂はEDなのだ」

「ED!?」

「馬鹿! 声がデカい!」


 慌ててリーナの口を押さえる。外の騎士に聞かれていないか不安だ。

 もちろんだが彼女に言ったことは真っ赤な嘘だ。

 覚悟を決めて来た彼女を悲しませない為である。

 と言うのも儂は未だに別れた妻にみさおをたてているのだ。

 それは生まれ変わった今でも継続している。


「それなら仕方がないかも……」

「すまないな。妾は諦めてもらうしかない」

「でもこんな私をどうして王室付きにすると言ってくれたのですか?」

「畑の面倒を見てくれているだろう? どうせなら儂の直属の使用人にした方が色々と都合が良さそうと思ったからだ」

「畑……陛下は王様には向いてないですね」

「かもしれん」


 クスクスと二人で笑う。

 彼女はまだまだ若いのだ。儂のような者と一生を共にする必要はない。

 いつか本当に心の底から愛せる人と幸せな結婚をするべきなのだ。


「じゃあ私がこのまま帰っちゃうと陛下のEDがばれちゃうんじゃ」

「む、不味いな。では今夜だけは添い寝をしてもらおう」

「添い寝!?」

「何を驚く。それくらいできるだろ」

「そうですよね。ただの添い寝ですもんね。あははは」


 頬をピンクに染めたリーナは恐る恐る儂のベッドへと入る。

 そうか。考えてみれば王様のベッドで寝るだけでもとんでもないことなのだ。

 彼女の緊張もそれが原因なのだろう。成り行きとは言え申し訳ない。


「あの……手を握って貰っても良いですか?」

「うん? それくらいはお安いご用だ」


 小さな手を握るとリーナは安心したように寝息を立てる。

 こうして女性と寝るのはどれほどぶりだろうか。

 かつて妻と共に枕を並べていたことを思い出して笑ってしまった。

 あいつは綺麗な顔の割にイビキが五月蠅かったんだ。

 その音によく起こされていた。


「もう過去の話だな。寝るか」


 瞼を閉じると深い眠りの沼へと身を沈めて行く。

 いつしか儂は熟睡していた。



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