閑話 モフモフへの道


 ペロ様が王都を去ってから数日が経った。

 私は今日もまたメディル公爵家近衛騎士見習いとして日夜職務に励んでいる。


「近衛騎士には慣れたか?」


 目の前で食事をするのは団長のエドナー様だ。

 パンをちぎりながら彼の質問に冷静に答える。


「ええ、職務に励んでおります」

「にしては上の空だな。原因は聖獣か」


 エドナー様の指摘は当たっていた。

 ペロ様と離れてから数日。毎日毎日彼のことばかり考えている。

 あのモフモフをもう一度触れたい。くんくん匂いを嗅ぎたい。私の本能がずっとそう叫んでいた。


「一層のことマーナへ行けば良い。なんなら長い休暇として俺から当主様に報告しておいてやろう」

「い、いえ! そこまでしていただかなくとも大丈夫です! 私はきっちり職務を全ういたします!」


 慌てて否定するがエドナー様は疑いの目を向けていた。

 彼はフォークで突き刺した肉を頬張ると、飲み込んでから話しを続ける。


「一部の者から君が仕事に手を抜いているのではないかと言う報告があった。無論、君自身は手を抜いているわけではないだろうが、確実に以前よりも覇気がないことは明白だ」

「そ、それは……」

「無類の犬好きであり動物好きなのは私も承知している。しかしだ、我々は公爵家というこの国の大きな柱を守る役目を担っている。どのような理由があろうとも気を緩めることは許されない」

「はい……」


 私は団長の言葉にひどく落ち込んだ。

 騎士としての職務を全うできない。それは騎士をやめろと言われているのに等しかったからだ。


「君は優秀な騎士だ。公爵家にしても俺にしても手放したくはない。その上で改めて提案なのだが、しばらくマーナで長期休暇を取ったらどうだ」

「クビにはならないのですか?」

「数年くらいなら大目に見てやろう。それに聖獣に会いに行くと言うことはホームレスにも会うと言うこと。できれば彼らの動向を観察してほしい」

「では表向きは休暇で実際は任務だと?」

「ああ」


 私は晴れやかな気分になった。

 ペロ様に会えて自由な時間も得られる。最高の任務ではないだろうか。

 しかしながら仕事と分かった以上は、何に注意すれば良いのか知っておかなければならない。


「目的は二つ。聖獣を近くで守ること。場合によっては保護しろ。その辺りは君の判断に任せる。もう一つはホームレスの、特に田中真一の調査だ。もし彼が公爵家にとって害悪ならば始末しろ。不可能と判断したのなら報告書を送れ」

「了解です」


 さすがはエドナー様だ。まさかそんな事を計画されていたとは。

 考えてみれば田中真一が、ご子息であるノヴァン様を殺害していない証拠は何も出ていない。クロではないがシロでもないのだ。そうなるとやはり長期間の調査が必要なのは妥当な判断と言える。私としてはペロ様の親として適切なのか判断もしたいところだ。


「では、明日からマーナへ行け。当主様への報告は俺がしておく。それとホームレスには騎士を辞めたと伝えておけ。その方が油断する」

「はい。感謝いたします」


 席を立つとさっそく、身支度を調えるために自宅へと戻ることにした。

 ようやくペロ様に会えるのだ。

 楽しみで今夜は眠れそうにないな。



 ◇



 ウキウキした様子のフレアを見送った後で、俺は深い溜息を吐いた。

 先ほどまでしていた話はすべてデタラメだ。

 いやまぁ、確かに田中真一の調査は割と本気なのだが、彼女に話したほど彼を疑ってはいない。人というのは話せば性格が分かる。一週間も見ていたのだから悪人でないことくらい良く理解していた。

 しかしながらああでも言わないと、彼女は長期休暇を取らないだろうと思ったのだ。

 それに冒険者へ送り出すことで一皮むけて帰ってくる気もした。

 騎士には判断力や統率力の他に何より戦闘力が必要だ。

 それらを磨くのにもホームレスへ預ける方が効率が良いような気がしていた。


「逆に取り込まれて本気で騎士をやめるかもしれないな」


 皿にのったステーキをナイフで切りながら呟く。

 フレアは猪突猛進な性格だ。思い込めば一直線。

 聖獣と添い遂げるなどと言い出すような気は何となくする。

 とはいえ本人がそう決断したのなら止める権利は自分にはない。

 所詮は上司と部下という関係だ。


 とは言えそんなにもモフモフとは良い物なのか?

 正直、フレアの気持ちがいまいち良く理解できない。

 そりゃあ猫でも犬でも可愛いと思うが、特別な何かを感じることはない。


「……動物か。ちょうど良いかもしれない」


 俺は仕事を終えて帰宅する。

 自宅では妻と娘が出迎えてくれた。


「お父様お帰りなさい! 今日は遅かったね!」

「悪いな。その代わり良い物を持って帰ってきたぞ」

「ねぇ貴方。その抱えている箱は何かしら」

「開けてからのお楽しみだ」


 二人をリビングへ誘導すると、俺はテーブルに乗せた白い箱を目の前で開けてやる。すると娘が嬉しそうな声を上げた。


「可愛い! ウサギさんだね!」


 薄茶色のウサギを抱いて娘は飛び跳ねた。その様子に妻も微笑んでいる。

 俺からすればウサギなんて食材以外の何者でもないが、子供や女性には愛玩動物として映っているようだ。

 今日は娘の誕生日だ。

 ウサギはそのプレゼントである。


「ちょっと貸してくれ」


 娘からウサギを受け取ると、俺はその小さな背中に顔を押し当ててみた。

 フレアが言っていたモフモフとやらを、一応だが体験することにしたのだ。


「こ、これは……」


 ふわふわした毛に顔が包まれる。

 それままるで超高級絨毯である。いや、それでも言葉が足りないかもしれない。

 ドクンドクンとウサギの鼓動が伝わる。それは小さな生き物が、生きている事を伝えようとしているかのようだ。頬には動物の温かさが感じられ、俺もコイツも生きているのだと強烈にイメージさせられた。

 それれでいて独特の匂いが鼻腔を刺激、頭の奥の奥のドアが開く気がする。

 本能だ。獣を狩り獣と生きてきた人の本能が、モフモフは快感であることを教えてくれる。


「お父様、そろそろ返してよ!」

「お、おお……」


 ウサギを娘に渡すと、俺はソファーに腰を下ろした。

 先ほどの感覚こそがモフモフか。これはフレアを虜にするはずだ。

 俺ですら一瞬、ずっとモフモフしたいと思ってしまったからな。

 これは禁断の世界かもしれない。


「明日、もう一匹ウサギを買ってくる」

「もう一匹? 繁殖して増えると困るわよ」

「心配するな。次も雌だ。とにかく使用人に二匹の世話を頼んでおいて……」


 ハッとした。俺は何故二匹目を飼おうとしている?

 一匹を娘用にしてもう一匹は俺のモフモフ用だとでも言うのか。

 そんな馬鹿な。二匹の方が娘が喜ぶからだ。そうに違いない。

 自分の心に言い訳をしながら先ほどのモフモフを思い出していた。

 強烈で鮮烈な癒やし体験が俺を支配していたのだ。


 こうして俺はちょっとした好奇心によって、モフモフ道を歩むこととなってしまった。この数ヶ月後、モフモフ仙人からモフモフの悟りを体得したのはまた別の話だ。



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これにて書籍化記念企画連続閑話投稿は終了いたします。

本編の更新はしばらくお待ちください。



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