百十七話 トロールとの戦い


 依頼人と会った翌日の早朝。

 僕らはトロールが出没すると言われているポイントへと向かっていた。

 目元には黒いゴーグルを装着し、両手にはストックを握っている。


「今日は一段と寒いね。まだ太陽があんな所にいるよ」


 白い息を吐きながら僕は、空を赤く染める朝日を視界の端で確認する。

 歩くたびに雪の中へ足が沈み込み、十メートルを進むだけで一苦労だ。

 後ろを振り返るとフレアさんとリズさんが雪の中に倒れていた。


「ペロ様……私を置いていかないで……」

「もう無理」


 すでに三時間は歩き通しだ。加えて慣れない雪山は精神疲労も大きい。

 そろそろここらで休憩を挟んだ方が良さそうだ。

 僕らは近くにたまたまあった洞窟で身体を温めることにした。


「ペロ様はどうしてそんなにも元気なのですか?」


 焚き火に当たるフレアさんはガタガタ震えている。

 一方でリズさんは寒いと言うよりも眠いのだろう。あくびを繰り返していた。


「僕はほら、毛が沢山生えているしなにより氷属性だからかな」

「なるほど。ペロ様は寒さに強い種族ということなのですね。それに比べて私は震えてばかりで情けない……ああ、なんて温かいモフモフ」


 フレアさんはそういつつ僕の胸毛をさわさわする。

 すると顔を埋めて本格的にモフモフし始めた。

 その顔は寒さに震えていたとは思えないほど緩んでだらしない。


「モフモフはお預け。今は仕事中だよ」

「ペロ様! お願いです! 一時間だけ! 一時間だけモフモフさせてください!」

「ダメ。そう言っていつも五時間くらい触っているよね」

「ペロ様ー!」


 抱きついてこようとするフレアさんから僕は逃げる。

 本当にこの人はモフモフ中毒者だ。いつか禁断症状が出ないか心配。

 ふと、脳裏にとある疑問がよぎった。


「そういえばリズさんって闇雲で移動できたよね。どうして歩いていたの?」

「…………」


 質問を受けて彼女は目をゆっくりと見開いた。

 あ、これはたぶん忘れていた感じだ。


「二人が歩いているからそれに付き合っていただけ」

「じゃあ闇雲は使わないんだね」

「そんなことは言っていない」


 リズさんは闇雲を出してすぐに乗る。

 しかもリュックからアイマスクと枕を取りだして眠り始めた。

 この人もフレアさんと同じでマイペースだなぁ。

 とりまとめるお父さんの苦労が少し分かった気がする。


「しかし、トロールとの戦いは難しそうですね」

「どうして?」

「歩くだけでもこれだけ苦労するのです。戦いとなると厳しいのでは」


 フレアさんに指摘されてハッとする。僕は重要なことを見落としていたのだ。

 トロールはおよそ五メートルの人型魔獣だと言われている。

 体格差を考えると、僕らは逃げながら戦わなければならないはずなのだ。

 なのに積雪は七十~九十センチと厚い。明らかに不利な状況だった。


「策が必要かな。このままトロールに挑むのは間違いなく危険だよね」

「はい。まずは私とペロ様が優位に立てる環境を整えるべきかと」


 リズさんは足場に左右されないから良いとしても、僕とフレアさんはそうはいかない。

 能力を発揮できる場を整えなければいけないのだ。

 僕はフレアさんにとある提案をする。


「フレアさんは念動力が使えたよね」

「ええ、せいぜい十メートルが限界ですが」

「それって一度に沢山の雪を動かせる?」


 彼女は質問の意味を理解したのか微笑んだ。

 そう、ないのなら造れば良い。僕らが戦える環境を。



 ◇



「最初からこうすれば良かったよ」

「まったくです。聖獣萌え下僕騎士の名折れですね」

「やめて。僕の心が折れる」


 フレアさんを先頭に僕らは進む。

 五メートル先までの雪が念動力によって吹き飛ばされ、格段に移動速度は上がっていた。加えて山の中腹まで来たことで、傾斜がなだらかになったことも大きな理由だ。

 もう間もなくトロールの出没ポイントへとさしかかろうとしていた。


「カーネギーさんは山の中腹に鉱山の入口があると言ってたよね」

「間違いありません。この辺りに居るはずです」

「すぴーすぴー」


 闇雲で僕らを追尾飛行するリズさんは熟睡している。

 前々から不思議だったけど、どうやって寝ながら操作しているのかな。

 種族特性かリズさんの特技なのか判断に苦しむ。


「ぐがぁぁああああっ!」


 それほど離れていない場所からうなり声が聞こえた。

 地面が僅かに揺れ、木々に乗っていた雪は振動で落下する。


「フレアさん! リズさん! 準備を!」

「了解です!」

「ん、起きてる」


 次第に足音が大きくなり、声の主が目視ができる距離にまで近づいていた。

 巨大な体躯のソレは、木々をなぎ倒しながら足下の雪を凄まじい勢いで舞い上がらせる。

 

 大きなグリーンの両目に顔の大部分を占める鼻。

 開いた口は鋭い牙が並び、だらりと垂らされた舌からは絶えず涎が出ていた。

 身長は十メートルほどであり、全身には灰色の毛が生えている。

 さらに愉悦に満ちている目元が気持ち悪さを倍増させていた。

 僕はけん制のためにホーリーロアを行使する。


「あぉおおおおおおおん!」


 遠吠え。それだけでトロールは動きを止めて怯む。

 聖属性の魔法であるホーリーロアは、敵意を持つ相手に絶大な効果を発揮する。

相手によっては戦意喪失をさせてしまう有能な魔法だ。

 だが、トロールには効き目が薄かったのか再び走り始めた。


「ひとまず逃げよう!」


 僕らはやって来た道を戻ることにする。

 ホーリーロアが効かなかったのは恐らく、敵意ではなく食欲で突き動かされているからだ。

 トロールは僕らを食べる気だと推測する。


「思ったよりも速い! ペロ様、このままでは追いつかれてしまいます!」


 走り続ける僕らの後ろからトロールが猛然と駆けている。

 あれだけの巨体になると雪でも足止めにすらならないようだ。


「二人とも掴まる!」


 空を飛ぶリズさんが僕らに手を差し伸ばす。

 彼女の手を掴んだ僕の身体は、一メートルほどだが宙に浮いた。

 そのまま地面スレスレを飛びながら目的地へ移動する。


「疲れた」


 とある場所でリズさんが僕とフレアさんの手を放す。

 地面に着地した僕は、未だに追ってくるトロールに拳を構える。


「うん、これなら戦えそうだ」

「はい。私とペロ様のコンビネーションを見せてやりましょう」


 ここは直径三十メートルの雪の闘技場。

 事前にフレアさんの念動力で作っておいた場所だ。

 むき出しとなった地面は、少しだけぬかるんでいるが戦うには問題にならない。

トロールは闘技場を不思議そうに見ていたが、自身にも好都合だと分かると、歓喜の声をあげて地面を踏み鳴らす。


「二人とも注意して、どんなスキルを持っているか分からない」

「ならば私が先手を!」


 フレアさんは念動力で操る二本の槍を高速射出する。

 ミスリルの槍はトロールの胸へと突き刺さった。

 すかさず僕が跳躍、巨人の顔面へ空中回し蹴りを叩き込むと奴は雪壁へと倒れ込む。


「動かない……やった?」

「いえ、あれくらいでやられるような魔獣ではありません。それに私が知っているトロールとはどこか違います」

「普通のトロールじゃないって事?」

「恐らく。一般的なトロールはあのような体毛は生えていません。それに身長も二倍ほど大きいようですし十中八九変異種かと」


 フレアさんがそう言い切ったところでトロールが起き上がる。

 胸に刺さった槍を引き抜いて地面に投げ捨てると、僕らに向かって音の壁とも言えるほどの咆哮を発した。ビリビリと空気が振動し鼓膜が破れそうだ。

 これは間違いなく怒っている。


 奴が跳躍すると僕らは散開する。

 ドシンと着地と共に地面が揺れて僕の身体も僅かに浮き上がった。


「流星突き!」


 トロールの頭よりも高く飛んだフレアさんは、手元の魔鋼の槍を高速回転させて一撃必殺を狙う。が、トロールは身体を反らして攻撃を避けてしまった。


「しまっ――ふぐっ!?」


 空中で無防備となったフレアさんへ、トロールの強烈なビンタが直撃した。

 弾き飛ばされた彼女は雪の壁へ勢いよくめり込む。


「隙あり」


 リズさんが手裏剣と呼ばれる武器をいくつも投げる。

 それらはカーブを描きトロールの背中へと突き刺さった。

 直後に爆発が起きる。どうやら火薬がセットされた手裏剣だったようだ。

 次は僕の攻撃。

 加速スキルを発動させて疾走する。


「疾風乱撃!」


 奴の胸に飛び込んで技を放った。

 風を帯びた拳が肉にめり込み、肉体の内部へとダメージを与える。

 三十発にも及ぶ連撃を受けたトロールは仰向けで地面に倒れた。


「私がトドメする」


 リズさんが魔獣に飛び乗って短剣を振り上げる。

 狙うは奴の首だ。

 これでこの仕事も終わり。

 あとはもう一泊くらいして街の絵を描こう。そんなことを考えていた。


 ――そう、僕は油断していたのだ。


「きゃぁぁああっ!?」

「リズさん!?」


 トロールの大きな手がリズさんを捕まえる。

 奴はむくりと起き上がって僕の方に視線を向けた。

 その目はまるで『お前の仲間は捕まえた。大人しく降参しろ』と言っているようだった。

 迂闊だった。僕が責任を持ってトドメをすべきだったのに。


「あ……がっ!?」


 魔獣はじわじわとリズさんを握る手に力を込める。

 早く助けなければ彼女が死んでしまう。

 だが、奴の目は僕に注視していた。動けば殺すそう言っているようだ。

 トロールは攻撃のできない僕を踏みつける。

 それも何度も何度も。

 今はなんとか腕でガードしているが、いつまでもつか分からない。


「た……耐えて……たすけ……」


 リズさんが何か言っている。

 耐えて? 助けが来る?

 こんな状況で助けなんて……。

 その時、後方から身を焼くような熱風が吹き付けた。

 トロールは後ずさりして僕らから離れる。

 振り返ると水神の槍を持ったフレアさんが立っていた。


「申し訳ありません。魔鋼の槍が折れてしまって復帰に手間取ってしまいました」

「フレアさんそれ……」

「気合いで握ったら持てました」


 ええ!? 気合い!? 宝具って気合いで使えるの!?

 状況が飲み込めないのは僕だけではなかった。

 トロールも倒したはずのフレアさんが登場して戸惑っていた。

 視線を僕と彼女の間で彷徨わせてどちらを警戒すべきか迷っている。


「待っていてください。すぐに終わらせます」

「で、でもリズさんが」

「心配無用です。今の私はあのような卑劣な獣など敵ですらありません」


 彼女がそう言うと水神の槍から高熱の水蒸気が吹き出す。

 水の魔宝珠は呼応するかのように輝いていた。


「秘技・蒸念縛ホワイトスネーク


 水蒸気は蛇のようにトロールの右手に巻き付いて、じわじわと毛と肉を焼き始めた。槍からはさらに二本の白い蛇が伸ばされ、首と左腕に絡み付く。


「ぐがぁあああああっ!?」


 トロールは寒さには強いが熱には弱いように見える。

 あっさりとリズさんを放すと、逃げようともがき苦しんでいた。

 今こそ最大のチャンス。

 装備している水の手甲に魔力を巡らせる。

 魔力に震動する手甲は、みるみるマリンブルーからスカイブルーへと色を変化させた。僕の氷属性と手甲の水属性が混ざり合っているのだ。


「奥義・氷牙殺ひょうがさつ!!」


 その場で放った渾身の突き上げは、周囲の地面を一瞬で凍らせ巨大な一本の棘を創り出した。氷柱はトロールの心臓を貫いており、真っ赤な血液が氷の上からしたたり落ちる。

 長い断末魔をあげた魔獣は程なくして動きを止めた。


「お見事ですペロ様! 最後の攻撃は最強の聖獣に相応しいものでした!」


 フレアさんは僕に抱きついてモフモフする。

 別に最強の聖獣を目指しているわけではないけど、ひとまず無事に依頼を達成出来てホッとした。これでお父さんに堂々と報告できそうだ。


「全ては私のおかげ。感謝するべき」


 ふわふわと闇雲で降下してきたリズさんがそんなことを言った。

 僕は意味が分からず首を傾げる。


「ペロ様。実は気絶していた私を、スキルで起こしてくれたのがリズなのです。あの時、呼びかけに応じていなければ倒れたままだったでしょう」


 リズさんの意味深な言葉にようやく納得した。

 トロールに捕まっている間に、以心伝心スキルでフレアさんを呼んでいたんだ。

 僕はリズさんに感謝の言葉を述べる。


「大変です! 身体が!」


 フレアさんの身体がぼんやりと光に包まれていた。

 これは進化の前触れだ。


「おめでとうフレアさん。とうとう進化が来たんだね」

「私も進化は嬉しいのですが、何になるのか分からないのです!」

「え? 突然に始まったの? お父さんが進化先を勝手に選んだのかな」


 慌てふためくフレアさんにリズさんが話しかける。


「今、連絡を取った。選択肢が出たから選んだって言ってた」

「そんな! 私の進化を勝手に選ぶなど!」

「お兄ちゃんは進化先が一つしか出なかったと言っている」

「それなら仕方ない」


 僕はフレアさんの切り替えの早さにずっこけそうになった。

 エルナお姉ちゃんも相当だけど、フレアさんもかなりのポジティブ思考だ。


「では、近くの洞窟へ戻りましょう。そこで私の進化を見届けてください」

「うん。どんな姿になってもフレアさんはフレアさんだよ」

「はい! ペロ様!」


 依頼を達成した僕たちは、洞窟に向かって歩き出した。




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