百十二話 新しい年
今日は日本で言うところの大晦日だ。
時刻はすでに夜の7時を迎えており、儂を除いた四人は年始に向けてリビングで飾り付けをしていた。
「うん、これくらいでいいわね」
「そうだな。正月となるとこれくらいはしないといけない」
「派手」
エルナとフレアとリズがなにやら納得している。
モミの木に似た樹木には沢山の飾りが付けられており、まるでクリスマスツリーのようだった。特に頭頂部に付けられた金属製の星と、所々にぶら下がっている赤い小さなブーツはクリスマスを嫌でも彷彿とさせる。
改めて変な世界に転生したなと思わされるイベントだ。
「お父さん、ソバはできそうなの?」
「出汁はすでにできている。あとは麺だな」
横で作業を見つめるペロは興味津々だ。
四人が飾りをしていた間、儂は黙々と蕎麦作りをしていた。
大晦日と言えば年越し蕎麦である。今や異世界人となった儂だが、これだけは譲ることはできない。
練りに練った生地を自作の麺棒で引き延ばす。
大きく広がったところで、折りたたんでナイフで細く切る。
程よい量を一玉とし、すでに沸騰している鍋の中へと放り込んだ。
「おーい、丸焼きが完成したぞ!」
隠れ家に分身が鳥の丸焼きを抱えてやって来た。
ここにはオーブンがないので箱庭で焼いてもらっていたのだが、こんがりと焼き目が付いておりすでに肉汁が滴っている。思わず生唾を飲み込んでしまった。
田中βはテーブルに肉を置くと、儂にアレを出してくれと目線を送ってくる。
「菓子店に特別に作って貰った物だ! さぁ驚け!」
リングからショートケーキを出すと四人の中は歓声をあげた。
ホイップクリームの上には、イチゴによく似た果物であるイーチーを乗せており、白と赤のコントラストが目を楽しませてくれる。
この世界でもホイップクリームを使ったケーキは存在するが、日本人がよく知っているショートケーキは存在していなかった。そこで儂は菓子店に無理を言って特別に作ってもらったのだ。
「蕎麦は本体に任せて、儂らは一足先に祝うとするか」
「賛成! 早く食べましょ!」
わいわいとテーブルを囲んで食事が始められる。
分身は身体が小さい為か、エルナの膝に乗せられて食事をさせられる。
もちろん最初は嫌がっていたが、後頭部に触れる胸の感触に気が付いたのか笑みを浮かべていた。儂の分身と言うだけあって思考回路はやはり一緒だ。
「僕も手伝うよ」
「いや、あとは蕎麦を茹でるだけだ。お前は先に食べるといい」
息子の申し出に頬を緩ませつつ先に食べろと促した。
蕎麦を作りたいのは自己満足もあるのだ。
麺が茹で上がったところで器に入れて出汁を注ぐ。
あとは薬味のネギと、あらかじめ作っておいた野菜の掻揚げを乗せれば完成である。それぞれの前に置いて行くと、ふわふわと白い湯気と出汁の良い香りが漂う。
「へぇ、これが年越し蕎麦なのね」
「別に年越しに限っただけではないが、麺が切れやすい事から厄を切ると言う意味合いで昔から食べられているそうだ」
「あ、本当だ。切れやすいわ」
エルナはぎこちない手つきではあるものの箸を使って麺をつまむ。
儂が箸ばかり使うせいか、最近ではエルナもフレアも箸を使い始めていた。
ペロとリズは手慣れた手つきで麺を啜る。
「うん、美味しいよ。やっぱり鰹節が利いてるね」
「繊細な味。これ好き」
評価は上々だ。鰹節を作っておいて良かったと思う瞬間である。
ちなみに蕎麦粉はサナルジア国にて手に入れたものである。
実はかの国へ行った際に、立ち寄った店で見かけたために買い込んでいたのだ。
あの時見逃していれば、今日の蕎麦はなかったことだろう。
儂も床に座って蕎麦を啜る。
あっさりとした塩味にキレのある出汁。
さくっとした掻揚げは、出汁を吸って旨味を増幅させる。
するっと入る麺はコシがあり、あっという間に喉の奥へと流れてしまう。
もはや面倒な言葉は必要ない。ただ一言。旨いだ。
儂らはその後、肉とケーキを食べて時間を過ごした。
◇
現在の時刻は0時過ぎ。
すでに年が明けている。
「これじゃあ赤いマントを付けた不審者ではないか」
「文句があるなら仕立屋に言え。儂は言われたとおりに注文しただけだ」
「やっぱりサンタクロースの格好にすべきだったか」
分身と儂は深夜のリビングで、コソコソと打ち合わせをしていた。
儂は赤いマントを羽織っており、口には綿で作った白髭を付けている。
この世界の赤マントなる存在がいかような姿なのか不明な為に、サンタクロースのイメージを借りたのだ。
対して分身は、フード付きの茶色い上下の服に身を包み、鼻には申し訳程度の丸く赤い飾りが付いている。一応、トナカイのつもりで服を作ったのだが、どう見てもパジャマを着た子供だ。似合いすぎて可愛い。
「何だその目は。こう見えて儂はお前だぞ。可愛いとか言うなよ」
「分かってはいるが、やはり自分の幼い頃を見ているようで和んでしまう」
「どうでもいいから早く終わらせるぞ。四人が起きてきたら大変だ」
「それもそうだな。ではさっそく」
儂は白い袋を抱えて、まずはペロの部屋へと侵入する。
部屋の中は整理整頓され、机の上には積み重ねられた本が置かれている。
壁には『肉と情熱』と書かれた紙が貼られていた。
肉と情熱……なるほど深い言葉だ。
「感心している場合か。早くプレゼントを出せ」
「悪い。つい見入っていた。ではこれを」
ベッドで眠るペロの枕元へ、ラッピングされたプレゼントを置いた。
中には十二色の絵の具と画材が入っている。
息子が喜ぶ姿を思い浮かべながら部屋を出た。
「次は誰だ?」
「フレアだな。何もいらないと言っていたが、これなら喜ぶに違いない」
そっとフレアの部屋へ入ると、儂と分身はギョッとする。
白いペロに似せて作った人形が、部屋のいたる所に飾られているのだ。
さらに机には『今日のペロ様』と書かれた日記が置いてあった。
中を覗いてみたいがギリギリで踏みとどまる。
見ても良い事がない気がしたのだ。むしろ怖い。
ベッドで眠るフレアは、大きなペロ人形を抱いて眠っていた。
「ここまで来ると鬼気迫る物を感じるな」
「同感だ。この娘はどこへ向かっているのだろうな」
フレアの枕元へプレゼントを置いた。
中には猪の毛で作られた犬用のブラシが入っているので、存分にペロを可愛がることができるはずだ。
「次はどこだ」
「リズの部屋へ行く」
フレアの部屋を出ると、そのままリズの部屋へ侵入した。
中は殺風景と言っていいほど物がなく、机とベッドがあるだけだ。
ふと、壁から布のようなものが飛び出しているので引っ張ってみると、くるりと壁が回転し武器などを吊した壁が現れる。どこから手に入れたのだろうか、クナイや手裏剣などが大量に保管されていた。
さらに別の壁を探ってみると、服が収められたクローゼットなどが出てくる。
もはや忍者屋敷だ。どこに何があるのか全く分からない。
「お前にはこれだ」
リズの枕元へプレゼントを置いた。
中には猫の目が描かれたアイマスクと、ロイヤルシープと呼ばれる最高級羊毛を使った枕だ。眠りに貪欲な彼女には最適な品だと確信している。
「最後はエルナか。これで喜んでくれると良いが」
「そういえば何を用意したのだ?」
「ローブとブーツだ」
なるほどと分身は頷く。
エルナはすでにマスター級の魔導士と言っていい実力を備えているにもかかわらず、未だに紫の特級ローブを羽織っている。不思議に思った儂は一度だけ理由を尋ねたのだが、どうやら魔導士のローブは階級が上がるごとに値段が跳ね上がり、マスター級ともなると金貨十枚もの代物になるのだとか。
ただ、今のホームレスにとって金貨十枚は大した金額ではない。
儂は購入を勧めたのだが、エルナはあっさりと断った。
彼女は自分のお金で自分のローブを買いたいらしいのだ。
だったら宝石をおねだりするなと言いたくなるが、エルナにはエルナなりのこだわりがあるのだろう。
そこで儂は名案を思いついた。
赤マントからプレゼントされれば断れないだろうと。
こっそりとドアを開けて部屋へと侵入する。
すると机に向かうエルナが、一人で熱心に何かに取り組んでいた。
まだ起きていたのかと舌打ちしたくなったが、その後ろ姿は妙に楽しそうだった。
儂と分身は隠密スキルを発動させて静かに部屋の中へ入る。
ベッドの枕元へプレゼントを置くと忍び足で退室した。
「起きていたとは計算外だったな」
「いやいや、若い頃は徹夜で年を越していたじゃないか。自分を思い出してみろ」
「そうか初日の出か。よく家族で見に行っていた」
「懐かしいな。息子がはしゃいでいた」
儂と分身は昔話をしながらリビングへと戻る。
着替えを済ませると、二人で去年の出来事を思い出しながら酒を飲んだ。
◇
「真一、そろそろ起きなさい!」
「ふぁ? もう朝か?」
のそりと身体を起こし、テーブルに置かれた懐中時計を確認した。
現在は朝の4時30分だ。いつもより早い起床である。
周囲を見ると酒瓶が何本も転がっており、お腹を出した分身がソファーで熟睡している。プレゼントを配った後に、いつの間にか寝てしまったようだ。
「皆! 起きたわよ!」
エルナがそう言うと、リビングへ紙袋を抱えた三人が入ってくる。
「お父さんいつもありがとう! 今年もよろしくお願いします!」
ペロから大きめの紙袋を渡された。
開けると新品の胸当てが入っているではないか。
サイズもぴったりであり非常に動きやすい。
しかも名前が入っており『タナカ・シンイチ』とこの世界の文字で刻まれている。
「私からはこれを。今年もよろしくお願いする」
フレアから受け取った紙袋は小さかった。
中を見ると包丁が一本。
鋼で作られているのか輝くような光沢を帯びており、切れ味は良さそうだった。
普段はナイフで調理をしているので、これは非常にありがたい。
「気持ち。受け取る」
リズから受け取った紙袋は小さく薄い。
開けてみると革製の指先がないグローブだった。
色は黒で装着してみるとサイズはぴったりである。
これで剣が握りやすくなったことだろう。何よりカッコイイ。
「最後は私。これからもよろしくね」
エルナは厚みのある大きな紙袋を手渡した。
開けてみれば中から手袋にマフラーが出てくる。
しかもローブに合わせて黒色だ。
「これは?」
「一週間前から作っていたの。初めてだったからできるか不安だったけど、どうにか昨日のうちに完成させたわ」
そうか、あんなにも熱心に作業をしていたのは、これの為だったのか。
じーんと涙腺が緩む。四人からの心のこもったプレゼントに涙が出そうだった。
すると、エルナが儂の目の前で一回転する。
「どう? 赤マントからもらったブーツとローブは」
花柄の刺繍が入った焦げ茶色のブーツに、同じく焦げ茶色のローブが彼女によく似合っていた。
ペロは画材道具を抱えて笑顔。
フレアはペロの毛をブラッシングしながらだらしない表情。
リズは頭に付けたアイマスクと、高級羊毛の枕を片手に口角を少し上げている。
「儂と同じように、四人とも良い物をもらったな」
「うん。どこかの赤マントに感謝しなきゃね」
エルナの言葉に苦笑した。
こういうのは分かっていても言わないのが良いのだ。
例え赤マントの正体が儂だとしても。
「でも赤マントてどこから入ってきたんだろうね? リビングにはお父さんが居たのに」
「「「「え?」」」」
ペロは正体不明の赤マントに首を傾げる。
まさか気が付いていないのか……?
もちろんそうあって欲しいからこそ、わざわざ夜に配ったのだが、純粋すぎるペロに逆に驚かされてしまった。
「そ、そうね。赤マントは昔からすっごく隠れるのが上手なのよ」
「ペロ様、申し訳ありません。今回ばかりはお力になれそうにありません」
「赤マントはお兄――もがががっ!?」
「さぁペロ! 新しい絵の具で絵を描いてみてくれ! 儂は見てみたいぞ!」
儂は慌ててリズの口を押さえると、ペロに絵を描いて欲しいとお願いする。
「お父さんのお願いなら良いけど。何を描けば良い?」
「初日の出を描いてくれないか。この時間ならまだ太陽は昇っていないはずだ」
「うん。それなら僕も賛成だよ」
画材道具をリュックに入れてペロは一足先に隠れ家を出た。
後ろ姿を見送ってから儂はリズに注意する。
「夢を壊すようなことを言うな。せっかく信じているのだぞ」
「いずれ砕け散る。遅いか早いかだけ」
「病人だったとは思えないほど世間擦れしているな」
そんなことを言いつつ、儂らは転移の神殿を使って地上へと出た。
星の見える暗い空に地平線にはオレンジ色の光が僅かに見えていた。
ペロはすでに地面に座り込んで、画用紙に鉛筆を走らせている。
儂らは白い息を吐きながらその時を待った。
「見えた! 太陽よ!」
「新しい年の光だね。神々しいや」
「まるでペロ様のようです。美しい」
「今年も楽しみ」
「うむ、新しいホームレスの始まりだ」
闇を破るようにして差し込む光。
新年最初の朝焼けは厳かな気持ちにさせてくれた。
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