九十七話 常夏の楽園3
「なんだあのデカいイカは……」
「クラーケンです。本来は深海に住む魔獣だけど、最近はこの辺りをウロウロしているようなのです。ハンターとして討伐するつもりだったのですが無理でした」
ソフィアは悔しそうに槍を握りしめる。
海の住人でも手こずる相手が、あのクラーケンなのだろう。
ただ、見た目通りの怪物なので船にとりつかれると厄介だ。
「エルナ、船の護りは頼んだぞ。儂は奴と戦ってくる」
「分かったわ」
船酔いでダウンしていたエルナは、ゆっくりと体を起こして笑みを見せた。
彼女には悪いが、少しの間だけ頑張ってもらうことにする。船が沈んでは大問題だからな。
儂はクラーケンと戦うために、海の中へと飛び込んだ。
「どうして逃げないのですか!? 貴方はヒューマンでしょ!」
寄ってきたソフィアは儂の周りをグルグルと回りつつ、なぜ逃げないのかと質問する。
ヒューマンでは奴に勝てないと思っているのだろう。
「決まっている。奴を倒して鰹を手に入れるためだ」
それにあれほどデカいイカをみすみす見逃すのは惜しい。
久しぶりにイカの天ぷらでも食べたいからな。ククク。
リングへブルキングの剣を収納すると、代わりに鉄製の剣を二本取り出す。
剣と剣と重ねると、金属操作スキルで融合させた。
鉄はグニャグニャと形を変え、一本の
さらに額の目を開くと、視界が一気に広がった。
クラーケンはちょうどこちらへと向かってきているようだ。
「ソフィアは離れていろ」
「それは聞けません。私もハンターの端くれ、ヒューマンの貴方だけを戦わせるなんて出来ないことです」
三つ叉の槍を構えると彼女は儂に微笑む。
マーメイドと言うが、地上の人間となにも変わらないのだと嬉しくなった。
「来たぞ!」
クラーケンは魚雷のように猛スピードで海中を進んでいた。
すれ違いざまに攻撃を仕掛けようとするも、巻き起こった激しい海水の流れに押し返されてしまう。あっという間にイカは通り過ぎてしまった。
「くそっ、失敗した」
「落ち着いてヒューマンさん。あいつは必ず戻ってくるわ」
ソフィアの言うとおり、クラーケンは方向を変えて再びこちらへと向かってきていた。
どうやら腹が減っているのだろう。獲物を見つけて喜んでいるようにも見える。
儂は奴へ分析スキルを行う。
【分析結果:クラーケン:深海に生息する軟体生物。最大で五十mもの大きさに成長し、マーメイドの間では警戒すべき生物として名を馳せている:レア度C:総合能力B】
【ステータス】
名前:クラーケン
種族:クラーケン
魔法属性:水
習得魔法:アクアボール、アクアキュア
習得スキル:牙王(初級)、視力強化(上級)、消化力強化(中級)、索敵(中級)、衝撃吸収(中級)、水中適応(上級)、自己回復(中級)
進化:条件を満たしていません
<必要条件:牙王(特級)、消化力強化(特級)、索敵+(初級)、水中最適応>
陸上ならこの程度の相手は余裕だろう。
しかし水中となると話は違う。ここは奴の独壇場だ。
「また来たわ!」
巨大なイカが儂らの横を凄まじい速度で通り過ぎる。
水の流れが巻き起こり、儂とソフィアはグルグルと回転した。
「きゃぁぁああ!」
「ソフィア!」
咄嗟にソフィアを抱き留めると、
その時、違和感を感じた。
サブアームで掴んだ海水がまるで土を握ったような感触なのだ。
例えるなら、地面に指を突き立てた感じだろうか。がっちりと海水を掴んでいる。
「これは……」
思わぬ発見に笑みがこぼれる。
よく分からないが、これは好都合だろう。
「あ、ありがとうございます」
ソフィアは頬をピンクに染めつつ慌てて儂から離れる。
フォローされたのが恥ずかしかったのかもしれないな。だが、今はそんなことを言っている場合ではない。一刻も早く、あの敵を仕留めなければならないのだ。
「儂が正面から奴を止める。ソフィアはその間に攻撃をしてほしい」
「そんなの無茶です! いくらクラーケンが軟体だからといっても、向こうは百キロを超えるスピードで泳いでいるのですよ! ぶつかればただでは済みません!」
「心配するな。儂の体は特別だ」
話をしている内にクラーケンがこちらへと戻ってきた。
恐らく儂らを弱らせてから食べようという考えなのだろう。その作戦を逆手に取ってやる。
「さぁ来い!」
ドンッとイカの先端が儂へぶつかった。
サブアームで海水を掴みブレーキをかける。
それでも儂の体は後方へと押し込まれた。十m以上もの距離を使ってようやくイカの動きを止めると、ソフィアがすかさず攻撃する。
「流水衝!」
突きだした槍から衝撃が放たれた。
それはクラーケンの胴体を貫通する。
すると傷口から墨が漏れ出し、奴の口からも大量に吐き出された。
辺りは黒く染まり、ソフィアの悲鳴が聞こえる。
「ソフィア!」
額の目で透視すると、ソフィアはクラーケンの触手に絡め取られていた。
ギリギリと締め上げられ、苦痛の表情を浮かべている。
「あぐっ……」
「すぐに助けるからな! 待っていろ!」
銛でイカに攻撃を加えようとすると、儂を警戒したのか奴は急速に離れて行く。
逃がすまいと、サブアームで勢いをつけて前方へ飛び出すと、奴の腹部へとしがみついた。その間にもクラーケンは深海へと潜ろうとする。
暗く深く冷たい海の底へと、ソフィアを連れてゆこうとしているのだ。
「この! この!」
銛で胴体を何度も突くが、巨体なだけに効いた様子はない。
だったらと、銛を金属操作スキルで形を変える。
棒のようだった銛が”し”の字へと変形すると、先端をクラーケンの体に突き刺した。
武器の端には穴が空いており、その部分に糸を巻き付ける。
「このまま釣り上げてやる!」
儂はサブアームで海上へ向けて自身を打ち上げると、針の先にいるイカも一緒に引っ張られる。何度も何度もサブアームで加速を繰り返し、いつしか速度は三百キロを超える。
勢いよく海面から飛び出すと、空高く儂とクラーケンとソフィアが舞った。
「ソフィア! 今助けるぞ!」
リングからブルキングの剣を取り出すと、今もなお触手に掴まれているソフィアへ切っ先を向ける。繰り出すは竜斬波。伸びた刀身は触手を突き刺し切断する。
「きゃぁぁああああ!?」
落下を始めたソフィアを儂は高速飛行で移動し、空中で抱き留めると、船にいるエルナへ声をかけた。
「エルナ!」
「分かっているわよ! ライトニングサンダー!!」
エルナの体から放出された高密度な魔力は杖に収束し、頭上で紫の雷光を創り出した。
強烈な閃光と共に、空気を震わせる雷鳴は光の蛇となりクラーケンへ直撃する。
一瞬にして巨大イカは焼かれ、白い煙を纏いながら海面へと落下した。
「すごい魔法……」
儂の腕に抱えられたソフィアは、エルナの魔法を見て驚愕しているようだった。
あのクラーケンを一撃なのだから当然の反応だろう。
ソフィアを海へ下ろすと、怪我はないか質問する。
「私は大丈夫。それよりもヒューマンさんは?」
「儂の体は特別だと言っただろう。それよりも、奴を倒したことでこの辺りに鰹は戻ってくるのか?」
「カツオがどのような魚なのかは分からないですが、一週間くらいで戻ってくるはずです」
「む、一週間もかかるのか……」
想定外だった。もっと早くに戻ってくると考えていたのだがな。
街へしばらく泊まるか、マーナへ一度帰るべきだろう。さて、どうするべきか。
「私が歌いましょうか?」
「歌?」
「私たちマーメイドは、歌うことで魚たちを呼び寄せます。もし、この辺りにカツオという魚が居るのなら、きっと引き寄せられるはず」
歌で魚を引き寄せるとは興味深い種族だ。
ぜひ試してもらいたい。
ソフィアは大きく息を吸い込むと、美しい声で歌い始めた。
心地よくも心に喜びを与えるメロディーだ。近くで小魚が跳ねたと思うと、次々に魚たちが海面をジャンプする。
海のお祭りと言えば良いのか、ソフィアの声に合わせて魚がダンスを踊っているかのようだった。
「あれは鰹か!?」
それほど遠くない場所で、海面で大型魚や中型魚が飛び跳ねていた。
どうやら戻ってきたようだ。
すぐに糸で網を作ると、魚たちの周りをぐるりと取り囲む。
儂の糸は遠隔操作が可能なので、場所さえ分かっていれば捕まえるのはそう難しくはない。
百匹以上の大型魚が得られると、ソフィアに礼を言った。
「これで儂の目的は達成された。感謝するぞ」
「私の方こそ。助けてくれてありがとうございました」
ソフィアは儂の口にキスをすると、恥ずかしそうに頬をピンクに染めた。
そして、手を振って「また何処かで会いましょう」と海へと潜って行く。
「思わぬプレゼントだったな」
儂はソフィアの唇の柔らかさを思い出してニヤニヤする。
キスなどどれほどぶりだろうか。久々にかなり興奮してしまったぞ。
船に戻ると、エルナとリズが儂を睨んでいた。
「あのマーメイドにキスされていなかった?」
「私、見た」
「き、気のせいではないか」
口笛を吹いてごまかす。
別に誰とキスをしようが儂の勝手だが、女性からすると印象が良くないだろう。
なので儂はしらを切ることにする。
エルナとリズはしばらくジト眼で見ていたが、諦めたのか別の話をし始める。
「ところでカツオって魚は獲れたの?」
「うむ、これを見てくれ」
リングから網を取り出すと、甲板の上に大量の魚が出現する。
鰹だけではなく、マグロやブリなどがビチビチと跳ねているのだ。大収穫だろう。
「マグーロンまでいるにゃ。こりゃあ大漁だにゃ」
「美味しそうニャ! 食べたいニャ!」
船長とレナがマグロを見て涎を垂らしていた。
猫らしく魚が好物なのだろう。だったらと儂はマグロを一匹解体することにした。
剣で素早く三枚に下ろすと、ナイフで薄く切って刺身を作る。
調味料はもちろん醤油だ。
船員や船長は生魚に戸惑いつつも、刺身を口に入れると大喜びした。
「この調味料は何処で売っているにゃ!? これほど魚と相性の良いものは初めてにゃ!」
儂はローガス王国のマーナで販売していることを伝えると、彼らはナジィでも売って欲しいと言い始める。仕方がないので、サラスヴァディーへ来たときだけ醤油を販売する事に決めた。今後も昆布や鰹は必要なので、漁師との親交は深めておいて損はないだろう。
「マーメイドって架空の生き物じゃなかったニャ。驚いたニャ」
レナが大トロを食べながらそんなことを言った。
儂は不思議に感じつつ質問する。
「マーメイドを見たことがないのか?」
「当然ニャ! マーメイドと言えば、船乗りの間で伝説になっている生き物ニャ! 女の子なら誰でも憧れるニャ!」
「お、おう……」
知らなかった。この世界では人魚は一般的な種族だと思っていたが、勘違いだったようだ。ならば、儂とソフィアが出会ったのは本当に幸運だったのだろう。また何処かで会いたいものだ。そして、再びキスを……ヌフフ。
その後、二時間ほどかかって港へ戻ると、ペロとフレアと合流し宿へ泊まることとなった。
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