九十六話 常夏の楽園2


 海から上がると、四人がスイカを食べていた。

 三十分も潜っていたので待ちくたびれたのだろう。


「儂にも寄こせ」

「いやよ、これは私のスイカなの」

「良いから寄こせ! 儂にも食べさせろ!」

 

 エルナからスイカを奪うと、しゃくしゃくと口に入れる。

 隣でギャーギャー言っているが、儂に黙って美味い物を食べようとは言語道断だ。


「私が持ってきたのに! ひどいじゃない!」

「では聞くが、これは何個目だ?」

「うっ……三つ目です」


 やはりな。積み重なった皮を見れば分かる。どうせ儂の分も食べてやろうと考えたのだろう。このスイカのように考えが甘いぞエルナよ。


「お父さん、昆布は採れたの?」

「うむ、これがそうだ」


 リングから採ってきた海藻を取り出すと、ペロに手渡してやる。


「思っていたよりも大きいね」

「そうだな。この辺りの昆布は育ちがいいようだ」


 日本では北海道が昆布の生産地として名を広げている。

 豊富な栄養と冷たい海水温が昆布を大きく育てるらしいのだが、異世界の昆布は少し違うようだ。勘を頼りにナジィへ来たが、いきなり当たりを引くとはラッキーである。

 ペロはしげしげと昆布を見つめてから、がぶりと噛みついた。


「……不味い」

「そりゃあそうだ。昆布は乾燥させてから食べる物だからな。生ではあまり美味くないだろう」


 ちなみにだが昆布は生食も可能だ。

 ただ、足が早く腐りやすいので、あまり魚屋では仕入れない物になる。産地である北海道以外では乾燥した昆布が最も一般的な姿だろう。


 儂はリングから何本かの木材を取り出すと、砂浜に棒を突き刺して行く。

 その間に糸を張ると、ほどよい大きさに切った昆布を糸へ貼り付けた。

 日差しに風量も最適だ。このまま昆布を乾燥させる。


「ペロとフレアは昆布が乾くのを見ていてくれ。儂は街の方へ行ってくる」

「うん、待ってる」

「私も街へ行くわ!」

「街、行く」


 エルナとリズが儂についてくるようだ。

 一人でぶらぶらしようと思っていたが仕方がないだろう。三人で散策することにした。


 砂浜を歩くと、日焼けをしている獣人の女性がパラソルの下で眠っていた。

 そのほかにもスタイルの良い女性達が、キャハハウフフと波打ち際で水遊びをしている。

 額の目を開こうと思ったが、すぐに閉じることにした。

 時には隠された場所を想像しながら、景色を楽しむのも悪くないからである。

 それに水着が女性達を二割にも三割にも美しく見せているのは事実。

 海辺では水着も含めた姿こそが至高なのだ。


「ねぇ真一?」


 じろりとエルナが睨む。

 女性ばかりを見ていたのがバレたようだ。公共マナーとしては明らかに儂が悪い。

 慌てて目を逸らすと、なぜかリズがポーズを取っていた。


「何をしている?」

「私の方が魅力的」


 リズの発言にエルナが鼻で笑う。


「そのツルペタな体でよく言えたわね」

「ライバル殺す」


 二人がにらみ合いを始めた。

 これは不味いと、儂は砂浜にある露店に駆け寄る。

 三つの果汁で作られたアイスを購入すると、エルナとリズへ渡した。


「二人とも機嫌を直せ」


 二人はアイスを受け取ると、静かにぺろぺろと舐め始めた。

 これでしばらくは喧嘩もない事だろう。

 だいたいリズはまだ成長途中だ。これから色々と大きくなるのだから焦る必要はないのだ。


 浜辺から階段を上って街へ入ると、幾人もの住人が水着姿で歩いていた。

 日焼けした褐色の肌の女性が、きわどい水着で堂々と道を歩いている。同じように日焼けした男達は、女性を見るたびに口笛を吹いて声をかけていた。

 海が見えるカフェには、カップルがお茶を飲みながら過ごしている。

 建物の多くは白亜であり、地中海のリゾート地へ来たような印象を受けた。


 街の奥へと進むと、市場らしき場所へとたどり着く。

 新鮮な魚や海老や貝類が置かれ、店員は通りすがりの人間へ客寄せを行う。


「へい、らっしゃい! 先ほどとれたばかりの新鮮なものだかりだよ!」

「ふむ、どれも見たことのあるものばかりだな」


 店の品を見ると、アワビやサザエなどが置かれていた。

 実際は地球のものとは種類が違うのだろうが、経験上それほど変わらないことは知っている。儂は店員に質問することにした。


「この辺りでは鰹はとれないのか?」

「カツオ?? なんだそれは?」


 地球名で言っても分からないようなので、リングから紙とペンを取り出すと魚の絵をさらさらと描いて見せた。マグロのような魚の胴体に横線を入れるだけなのだがな。


「ああ、こいつは”カトゥーオン”だな。ここから数十キロ沖へ出ると獲れる魚だ」

「そのカトゥーオンはないのか?」

「残念だが、この街ではしばらく獲れてない。なんでもこの辺りの漁場を荒らす魔獣が居るそうで、大型の回遊魚がみんな逃げちまっているらしい」

「魔獣か……では、そいつを倒せば獲れるのだな?」

「まぁ早い話がそうなるな。けど、その魔獣がとんでもなくでかくて凶暴らしいぞ。もし戦うのなら止めた方が良い」


 儂は店員からさらに詳しい話を聞こうとしたが、それなら漁師達に聞いた方が早いと断られた。情報をもらった礼にサザエやアワビを購入すると、店のすぐ横で食べることにする。

 なんとこの店、客のために七輪のようなものを用意してくれているのだ。

 購入してすぐに食べられるのは嬉しいサービスである。


「アワビが踊ってるわ」

「サザエ、ぶくぶくしてる」


 網の上で焼かれる貝類をじっと見つめる二人は、子供のように興味津々である。

 リングから取りだした醤油を数滴ほど貝に垂らすと、香ばしい匂いがふわっと広がった。

 仕上げにアワビの上にバターを乗せると完成。

 薄く切ったアワビの切り身を口に入れると、思わず歓喜の息が漏れる。


「美味しい! なにこれ!」

「サザエも美味」

「美味しいニャ! 旨いニャ!」


 そうかそうか、やはり醤油バターは最高の組み合わせだな。

 ……ん? 一人多くないか?


「ウミャー! 何するニャ!?」


 猫耳の女の耳を摘まむと顔を確認する。

 盗み食いをしていたのはレナだった。


「レナじゃないか。どうしてこんなところにいる?」

「ニャニャ!? その顔は真一!? よく見ればエルナも居るニャ!」


 レナはぱぁぁあっと表情を明るくすると、儂に抱きついてくる。

 体に柔らかい感触がダイレクトに伝わって来るので、思わず鼻の下を伸ばしてしまった。今の儂は水着だが、レナも上半身はビキニのみである。ウホホ。


「レナ、消されたいの?」

「ひぃ、エルナの眼が怖いニャ! すぐに離れるにゃ!」


 いつの間にか杖を掲げるエルナを見て、レナはブルブルと尻尾を丸めた。

 今のレナの格好は、上半身は青色の三角ビキニに下半身は短パンだった。一応、その下にも水着を穿いているようだが、パンツが見えているようで妙に興奮させる。

 それにしてもいつの間に儂らに紛れていたのか。


「良い匂いがしたから、つい食べてしまったニャ。ごめんなさいニャ」

「それは良いが、どうしてこんなところにいる。レナはガネーシャで冒険者をしていたのではないのか?」

「私の故郷はサラスヴァティーニャ。真一達こそ、この街に何の用ニャ?」


 サラスヴァティーとはこの街の名前なのだろう。レナの故郷だとは知らなかった。

 街に知り合いにいたとは非常に好都合である。


「儂らはカトゥーオンを探してここまで来たのだが、強力な魔獣が居るらしく獲れないらしいのだ。詳しい話を聞きたいのだが、レナの知り合いで漁師は居ないか?」

「私のお父さんが漁師ニャ! もしかすれば船だって出してもらえるかもしれないニャ!」

「それはありがたい! 是非、会わせて欲しい!」

「しょうがないのニャ。知り合いの頼みは断れないのニャ」


 レナはそう言いつつアワビをつまみ食いする。

 最後の一切れだったので、エルナとリズがレナを睨んでいた。


「こっちニャ!」


 軽い食事が終わると、レナが街を道案内する。

 港へと来ると、多数の帆船の中でもひときわ大きな船へ駆け寄った。

 船体には”ニャーチラス号”と書かれており、船首には猫をかたどった像が飾られていた。レナが船へ声をかけると、白髭に白と赤のストライプ柄の服を着た男が出てくる。

 口にはパイプを咥えており、いかにも海の男だ。


「おいレナ、そいつらは誰にゃ?」

「友達ニャ! カトゥーオンを獲りたいって言っているニャ!」

「カトゥーオンだとにゃ? 魔獣の噂を知らねえのにゃ?」


 レナの父親らしき男は儂らをジロジロ見てから、納得したように頷いた。

 どうやら儂らが実力者であることに気が付いたのだろう。


「船を出しても良いにゃ。ただし、タダでは船は出せねぇにゃ」

「ローガス金貨で良いのなら二十枚だそう」

「決まりだにゃ! 魔獣が出る漁場へと案内してやるにゃ!」


 一発でOKが出た。金の力は偉大だと思うばかりだ。

 さっそく乗り込むと、たたんでいた帆を広げて船はゆっくりと動き出す。

 目指すはカトゥーオン。海の幸を求めていざ出発だ。



 ◇



 眩しい太陽が海と船をギラギラと照らす。

 三百六十度全てが水平線であり、波によって木製の帆船はわずかに上下しつつも前へ前へと進んでいた。遠くでは魚が飛び跳ね、青い空に白い雲のコントラストが気持ちいい。


「お前ら運が良いにゃ。今日は追い風で速度が速い。このままならあと一時間で漁場に着くにゃ」


 舵をとる船長が笑いながらそう言った。

 男らしい海の男だが、なかなか気さくな人物のようだ。この辺りではどのような魚が獲れるなど、色々と教えてくれたりもする。

 肝心の娘は釣り竿を持ったままぼーっと海を見ていた。


「何か釣れそうか?」

「うーん、分からないニャ。釣りは賭けみたいなものニャ。獲れる日もあれば全く釣れない日だってあるニャ」


 そのとき、レナの釣り竿に反応があった。

 ぐいっと糸を海中へと引き込み、竿が山なりにしなる。


「なかなかの大物ニャ!」


 彼女が力を込めて引き上げると、釣られた生き物が甲板の上でびちびちと跳ねる。

 表面は液晶画面のように模様がめまぐるしく変わり、大きな二つの目は儂ら人間をぎょろりと見ている。

儂はすぐにイカだと認識した。


「あー外れニャ」

「んん? どういう意味だ?」

「そのままニャ。イーガは食べられないニャ」

「??」


 首を傾げる。イカを食べられないとはどういうことだ?

 すぐに察したレナが説明をしてくれた。


「イーガは寄生虫が多い生き物ニャ。それに見た目も気持ち悪いし、昔から皆避けている奴ニャ」

「イカを食べない? 嘘だろう?」


 唖然とする。これほど美味い海の幸を食べないとは、この世界の人間はどうかしている。この調子ならタコも同じ理由で食べていないのだろう。

 儂は五十㎝ほどのイカを掴むと、ナイフで捌くことにした。


「まさか食べるつもりニャ?」

「そのまさかだ。イカはちゃんと調理をすれば食べられるものだ。さばき方をよく見ていろ」


 まずは目と目の少し上の間をナイフで突く。その後、目と目の間も突く。

 これが〆ると呼ばれる行為だ。

 神経を切ることにより、コリコリとした食感を残すことが出来る。釣った直後は〆なくとも味は変わらないそうだが、時間が経つとその違いがはっきりとでるらしい。

 腹の部分を切り開くと、内臓をとりだして全体をバラす。

 皮を剥がすと、腹部を食べやすい大きさに切る。

 注意する点は、大きな切り身ほど切れ込みを入れておかなければならないことだ。

 隠し包丁と呼ばれる技術なのだが、切り身の表面に薄く切り込みを入れる。

 これにより、寄生虫が殺され醤油などを絡ませやすくなるという利点があるのだ。

 皿に切り身を乗せると、その上から醤油を垂らして完成だ。


「食べてみろ」

「大丈夫ニャ?」


 レナが恐る恐るイカの切り身を口に運ぶ。

 儂も食べてみると、コリコリとしていて実に美味だった。


「……悪くないニャ」

「見た目だけで避けるのは勿体ない事だ。寄生虫も調理の仕方でどうにでも出来る」

「そうだったのかニャ。知らなかったニャ」


 ふと、エルナとリズを見ると、二人は船酔いでダウンしていた。

 揃って甲板で横になっており、リズの闇雲がパラソル代わりに日差しを遮断している。


「もういや……陸に帰りたい」

「海は好き。船は嫌い」


 二人とも顔が青くなっており、ブツブツと呟いている。

 初めての船の上に酔ってしまったのだろう。反対に儂は種族的特性なのか平気だ。


「この辺りが漁場にゃ」


 船長の声に周囲を見渡すと、問題の魔獣らしき姿は見かけない。

 やはり魚類系魔獣なのだろう。


「んん?」


 海中を覗いていると、巨大なものが船の下を通ったように見えた。

 やはり噂の生き物がこの辺りに潜んでいるのだろうか。

 すると、船から一キロ先で魚のようなものが跳ねた。

 マーメイドだ。儂の目は確かに人魚がジャンプしたように見えた。


「逃げて!!」


 が、そのマーメイドは海面から顔を出すと、両手を振ってこちらへと向かって来る。

 人魚は船へ近づくと、声を荒げて警告を飛ばした。


「早く逃げて! 奴が来る!」


 儂は身を乗り出すと、海にいるマーメイドへ声をかける。


「奴とはなんだ?」

「貴方……田中真一さん?」

「む、お前はソフィア・ビネか」


 どうやら知り合いのマーメイドだったようだ。

 広い海で一日に二回も出会うとはなんたる偶然か。

 だが、今は彼女の言葉の真意を知りたい。


「ここから逃げないと奴が来るの! ほら、姿を見せるわ!」


 ソフィアが指差した方向に、巨大な何かが海中から姿を現した。

 それは二つの三角の耳を持ち、長い胴体がロケットのように思わせた。

 十本の触手には大きな吸盤があり、獲物を決して逃がさない事が窺える。

 全長約三十mほどのとんでもなくデカいが、船からそれほど離れていない位置で跳ねたのだ。



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