九十五話 常夏の楽園1


「忘れ物はないか?」

「うん、大丈夫だと思う」


 大迷宮の入口近くで儂らは最後の確認をする。

 ほとんどの荷物はリングの中へ収納しているが、おやつなどはリュックに入れて背負う予定だ。

 メンバーはエルナにペロにフレアにリズといつもの面々。

 儂も合わせた五人とも今日を楽しみにしていた。

 もちろん目的地は海。

 二日前に神崎に海産物の調達を頼まれたわけだが、せっかくの遠出なのだからとバカンスを楽しむ事にしたのだ。


「お父さん、海ってそんなに広いの?」


 ペロの質問に満面の笑みで答えてやる。


「そりゃあもう、とてつもなくデカい。二十二階層の湖よりもだ」

「そ、そんなに? 迷子になったりしないかな?」

「心配するな。儂がすぐに見つけだしてやる」


 そう言うとペロは安心したように尻尾をぱたぱたさせた。

 なんせ息子はこの国から出たことがないからな。初めての旅行に緊張しているのだろう。人生初の海だ。誰だって不安を感じる。


「田中殿、どうやって海へ行くのだ?」


 フレアの発言に全員が儂へ注目した。

 そういえばそのことを話していなかった。


「儂とエルナとリズは自分で飛んで行く。ペロとフレアはグリフォンに乗ってくれ」

「それはいい! 私とペロ様で空のデートか!」

「二人乗りを考えているのなら無理だ。ペロもフレアも重いからな、一人一頭が限界だろう」


 フレアは愕然とする。

 どうせ二人で一頭に乗ろうなどと考えていたのだろう。どう考えても重量オーバーだ。ただでさえペロ一人だけでも重いのに、鎧を着けたフレアを乗せられるわけがない。

 まぁ裸で乗るというのなら可能かもしれないがな。むふふ。


「海、面倒」

「おい、まだ出発もしていないのにおやつを食べるな」


 リズは闇雲に乗ったままおやつを食べていた。

 この娘は面倒と言いながら、実はかなり楽しみにしているのだ。昨日などはしきりに海のことを何度も聞いてきたからな。


「眷属召喚!」


 二頭のホームレスグリフォンを呼び寄せる。

 現在、グリフォンの総数は五頭ほどだ。今回はその中でも力と体力に優れたものを選んでいる。

 ペロとフレアがグリフォンの背中へ乗ると出発だ。

 儂は翼を羽ばたかせ、エルナは金色の羽で空を舞う。リズは黒い雲でふわふわと上昇する。二頭のグリフォンも大きな翼を広げると、一気に大空へ舞い上がる。


「うわぁ! 気持ちいい!」

「良い景色ですね!」


 ペロとフレアは眼下を覗きながら、小さくなってゆく地上の人や街に感動していた。

 今日は快晴だ。眩しいほどの太陽光に気分も晴れやかになる。

 さて、今回の目的地はナジィ共和国領土内にある海岸だ。

 王国以外の五カ国なら何処へ行っても海岸があるのだが、気候を考えるとナジィの方が良いだろう。あの国は亜熱帯のような環境なので、南国リゾートがあるに違いない。

 それに獣王から聞いたことがあるのだ。素晴らしい海があると。

 なので儂らはひとまず共和国へ行くことにしている。



 ◇



「ねぇまだ着かないのかしら」

「そろそろのはずだぞ」


 移動を開始して二日目。エルナがブーブーと文句を言い始めた。

 ペロとフレアはまだ景色を楽しんでおり、特に移動に不満はないようだ。

 リズに至っては昼寝をしながらついてきている。闇雲にはオート操作機能でもあるのだろうか。謎が深まる。


 すでに眼下は森に覆われており、位置的にはナジィ共和国領土内へと入っている。獣都ガネーシャも時期に見えてくることだろう。


「ねぇ、ガネーシャには寄るの?」

「いや、獣王には挨拶は無用だろう。ホームレスはこの国へ入ることを許可されているらしいからな。一応、許可証ももらっているし、あえて顔を見せに行く必要はない」

「ふーん、じゃあレナとは会えないのね」


 エルナは猫耳娘を思い出しているようだ。

 この国へ来たときにレナには世話になったからな、土産の一つでも渡してやりたいところだ。帰りは獣都へ寄っても良いかもしれないな。


 そこからガネーシャを通り過ぎて、二時間ほど飛行すると地平線に青い色が見えてくる。とうとう海へ到着したのだ。


「真一! あれが海なの!? すごく広いじゃない!」

「そう言っただろう?」


 エルナは眼をキラキラさせて喜んでいる。

 彼女は森で育ったために、海というものをいまいち理解していなかったようだ。

 他の三人も海に圧倒されているようだった。ペロはぽかーんと口を開いたままであり、フレアは呆然と眺めている。リズに至っては珍しく眼を見開いて興奮していた。


 儂はさっそく降りられる場所を探す。

 よく見ると海辺には街があるようだった。さらに傍にある白い砂浜には大勢の人が見え、やはりリゾート地として人気がある事が窺える。


「人の眼を避けて降りるぞ」


 街からそれほど遠くない森の中へ降下すると、二頭のグリフォンには自由にして良いと命令を出しておく。頭が良いので人を襲うことはないとは思うが、連れ添って歩くにはやはり目立ちすぎるのだ。二頭は儂へ顔をすりつけてから、大空へと再び羽ばたいていった。


「真一、早く海へ行きましょ!」

「海」


 エルナとリズが儂の手を引っ張って急かす。

 そんな二人に苦笑しつつも、ペロとフレアを引き連れて海岸へと出ることにした。


「うわぁぁあああ! すっごおおおい!」

「海! 海!」

「これが海なんだ!」

「なんて大きさ。聞いていた以上だ」


 白い砂浜へ出ると、儂以外の四人が一斉に走り出す。

 光に照らされて輝く水面。白い砂浜へ打ち寄せる波は、心地の良い音を響かせていた。

 風に乗って潮の香りが鼻へ届くと、遠くから子供の笑い声が聞こえてくる。

 何処か懐かしくも新鮮な感覚に、心は自然と感動に包まれる。


 儂は服や靴を脱ぎ捨てると、全裸で海へと飛び込んだ。

 海が目の前にあって入らないなどあり得ない。しかも底が見えるほどの透明度の高さだ。我慢できなくなるのは当然だろう。


 飛び込んだ海水はほどよく冷たく、潜ると美しい青の世界が広がっていた。

 珊瑚礁の周囲には色とりどりの小魚が泳いでおり、大きな魚の姿も見ることが出来る。

 最高だ。海に来て良かった。


「ぶはっ!」


 水面に顔を出すと、三人が木陰で服を脱いでいる姿が見えた。

 エルナはローブを脱ぐと、ピンクの三角ビキニを身につけていた。

 大きな胸に細いくびれが眩しい。恥ずかしいのか、何度も胸やお尻の部分を自身でチェックしている。

 フレアは黒のホルタービキニだ。腰には紫のパレオを巻いており、大人の色気のような物が演出されていた。恥ずかしさはないようで、全裸になってから水着を着るという男らしさだ。形の良い胸に儂は興奮してしまった。

 リズは黄色のセパレート水着だ。ワンピースを水着にしたような形であり、かわいらしさが強調されている。胸はないが、これはこれで悪くない姿だ。


「お父さん」

「おお、ペロか。お前は水着を穿いたのか?」

「うん、ところでお父さんは全裸だよね」


 息子に指摘されてハッとする。

 このまま外に出ると完全に露出狂である。すぐにリングからハーフパンツタイプの水着を取り出すと海の中で装着する。本当はブーメランパンツを買いたかったのだが、エルナから強い反対が出たので諦めたのだ。残念である。

 三人が海へやってくると、キャッキャと海水に足をつけてはしゃぐ。

 眼に優しい光景だ。眼福と言っていい。


「気持ちいいわ。でも海水って、すごくしょっぱいのね」

「海は塩が取り放題と聞いた事があったが納得だな。本当に買う必要がなさそうだ」

「海、広い。魚も食べ放題」


 エルナとフレアは海が塩辛いことが不思議のようだ。

 そもそも王国で流通している岩塩は、陸に取り残された海水が干上がったことで出来ているのだが、説明しても理解が出来ないので黙っておくことにしよう。


 海岸を見ると、大勢の人が居ることに気が付く。

 親子連れや恋人同士など、リゾート地としての人気の高さが分かる。

 常夏の楽園と呼ぶに相応しい場所だ。


 儂らは三時間ほど浜辺で遊ぶことにした。



 ◇



「おにぎりって美味しいわよね」

「僕、この四角い卵焼きが好き」

「私は変わった形のウィンナーだな。これとおにぎりを合わせて食べると絶品だ」

「おにぎりと唐揚げ最高」


 四人は儂が作った弁当に満足しているようだった。

 まぁエルナ以外のメンバーに手伝わせたので、皆で作った弁当と言ってもいいな。

 儂もおにぎりを頬張ると、ほどよい塩気がなんとも言えないほど美味である。

 遊んだ後の食事とはどうしてこんなにも甘美なのだろうな。

 しかし、年甲斐もなく子供のように遊んでしまったのは、少しだけ恥ずかしさを感じてしまう。これも体が若いせいだろう。


「お父さん、昆布ってもしかしてこれのこと?」


 ペロが浜辺から拾ってきた海藻を儂に見せる。

 説明が不十分だったので、昆布と勘違いしてしまったのだろう。


「それはワカメだ。食べられるが出汁はとれないな」

「そうなんだ。でも海藻って変わっているね。葉っぱもないし、根っこだってないよ」

「海に生える植物だからな。陸上の植物とは違っていて当たり前だ。お前の持っているそれ自体が葉っぱであり、根っこだってちゃんとあるのだぞ」


 四人は感心したように儂の話を聞いていた。

 海という未知なる環境に興味を持っているのだろう。


「じゃあ昆布は何処に生えているの?」

「もっと沖だな。どれ、儂が取ってきて見せてやろう」


 翼を広げると、沖に向かって飛翔する。

 浜辺から一キロほどのところで海面へ飛び込むと、そのまま海底に向かって潜って行く。

 視界には海面より差し込む光が底に向かって延びていた。

 透き通る海水は蒼く神秘的である。


 海底へ到着すると、白い砂がわずかに舞い上がる。

 一mを超す魚が悠然と泳いでおり、儂をちらりと見ると何処かへと去って行った。

 見上げるとキラキラと海面が煌めいており、いつまでも見ていたい気持ちにさせる。

 昆布を探さすことを思い出すと、海の森を探すために移動する。


(あれは……)


 海底から海面に向かって延びる海藻を見つけた。

 それはゆらゆらと揺れており、巨大な葉っぱが地面から生えているように見える。

 すぐにナイフで根元から刈り取ると、手当たり次第に海藻をリングへ入れて行く。

 海藻と海藻の間に伊勢エビのような生き物も見つけると、ついでにリングへ放り込んだ。


(これくらいで良いだろう)


 儂は昆布の量に満足した。

 そのまま浮上をしようとして、すぐに動きを止める。

 視界に奇妙な生き物が映ったからだ。


 それはサファイヤのような尾びれを備え、上半身は絶世の美女と呼んでも差し支えない美貌を誇っていた。黄緑色の髪は水の流れにより、ふわりと広がり彼女の美しさを蠱惑的に引き立てている。

 人魚だ。儂はすぐにそう思った。

 すぐに分析スキルを使う。



 【鑑定結果:ソフィア・ビネ:海洋国家ポセディアンの市民。凶暴な魚類型魔獣を倒すことでお金を稼いでいる。地上には昔から憧れを抱いている:レア度D:総合能力C】


 【ステータス】


 名前:ソフィア・ビネ

 年齢:25歳

 種族:ハイマーメイド

 職業:ハンター

 魔法属性:水

 習得魔法:アクアボール、アクアアロー、アクアウォール、アクアキュア

 習得スキル:流水衝(上級)、槍王術(中級)、脚力強化(中級)、聴力強化(中級)、危険察知(中級)、水中適応(上級)、歌唱術(上級)、歓喜の歌声

 進化:条件を満たしていません

 <必要条件:槍王術(特級)、脚力強化(特級)、歌唱術(特級)>


 ほぉ、海にも人種族がいるのか。

 しかも冒険者と似た職業があるようだ。


 マーメイドをじっと見ていると、向こうは儂を見てにこっと微笑む。

 どうやら友好的な感じだ。


「こんにちはヒューマンさん」


 声をかけられ、どう返事をしようかと考えたところで、儂も水中適応を持っていたことを思い出す。


「うむ、こんにちは」

「え!? 喋った!?」


 マーメイドがギョッと驚く。

 そちらから話しかけておいて、それはないだろうと言いたい。


「儂も水中適応を持っているからな」

「ああ、それで水中でも平気なのですね。ヒューマンがそのスキルを持っているのは初めて見ました」

「それは良いが、儂に何の用だ?」

「用というのは特にないのですが、仲良くしたいなと思って挨拶しました」


 ソフィアは柔和に微笑みながら円を描くように泳ぐ。

 大きな胸を隠す貝殻が実に目に毒だ。泳ぐたびに揺れる。

 額の目を開くと隠された場所が丸見えになった。ムフフ。


「それでヒューマンさんは、海藻を採って何をしているのですか?」

「これは食べるために取っているのだ」

「へぇ、地上の人間が海藻を食べるなんて初めて聞きました」


 この世界では海藻を食す習慣がないようだ。

 とは言っても、地球でもよく食べているのは日本人くらいだがな。


「お前達は食べないのか?」

「もちろん食べます。主食は海藻ですし。魚だって時々食べたりします」


 雑食と言うことか。

 下半身は魚類のように見えるが、やはり人種族とみた方が良さそうだ。

 よく見ると真珠の首飾りや腕輪などつけており、高度な文明の恩恵を受けているようにも見える。特に右手に持った三つ叉の槍は、熟練の鍛冶職人が造ったように切れ味が良さそうに見えた。


「海にはマーメイドの国があるのか?」

「はい。私が住んでいるのはポセディアンという国ですが、他にもいくつかの国があったりします。地上にも国があるのでしょ?」

「うむ、儂はローガス王国という国から来たのだ。名前を言っていなかったが、儂は田中真一だ」

「私はソフィア・ビネ。田中真一ですね、覚えておきます。また何処かで会えたら良いですね」


 ソフィアは儂の頬にキスをすると、軽くウィンクをしてから去って行った。

 海の中なのだが、彼女が近くに来たときに甘い香りがした。

 水中適応スキルとはなかなか有能だったようだ。


「おっと、そろそろ戻らないといけないな」


 儂は仲間を待たせていることを思い出して、急いで地上へと戻ることにした。



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