九十三話 忍者娘の進化


 ここはモヘド大迷宮の五階。

 儂はリズを連れて一階から下へと降りていた。


「三十四匹目」


 黒装束に口元を布で覆ったリズが、ナイフを片手に魔獣と相対している。

 彼女はふっと姿を消すと、敵である大型の猫の首が床に転がる。

 その様子を見て、もはや暗殺者だななどと思った。


「弱い。飽きた」


 姿を現したリズは、口元の布を下にずらすと新鮮な空気を吸い込む。

 鍛え初めてまだ三日ほどだが、彼女の成長は異常なほど早い。

 元々才能があったと言うことなのだろう。


「油断するな。お前はまだまだ初心者だ。まずは十階層を目指して実力をつけなければならない」

「分かった。けど、この格好に意味はある?」


 リズは自身の黒装束に首をかしげている。

 わざわざ街の仕立屋に作ってもらった、特注品の良さが分からないというのだろうか?

 忍者と言えば黒装束。

 選ばれた者だけが着ることを許された崇高な衣装なのだ。

 おっと、リズは女なのでくノ一だったな。

 と言うことは赤い方が良かったと言うことか。


「赤い方が良かったか」

「色の問題じゃない」


 呆れたように儂を見ている。

 色が問題ではないとなると、何が問題なのだろうか?

 今のリズはどこからどう見ても完璧な忍者だ。


「まぁいい。お前の服はそれで決まりだ」

「……分かった」


 素直に応じる彼女に、儂はうんうんと頷く。

 あとは刀があればより完璧なのだが、この世界には似た物はないようなので、その点だけは諦める必要がある。非常に残念だ。


 魔獣討伐を再開した儂らは、さらに下の階層を目指して先へ進む。

 とは言っても儂はただ見ているだけだ。全ての戦いはリズに任せてある。

 今回は彼女の訓練なのだからな。


 六階層へ来ると、通路に宝箱を見つけた。

 リズは近づいて蓋を開けようとする。

 儂は慌てて止めた。


「それはミミックだ!」

「ミミック?」

「宝箱に偽装した魔獣だ。油断して蓋を開けるとバクリと食われるぞ」


 ミミックはダンジョンに生息している魔獣だ。

 貝類のように宝箱に似た外殻を形成し、蓋を開けた人間を餌にしている。

 初心者はこのミミックに騙されて、毎年命を落としているそうだ。


「無視する?」

「いや、こいつは外殻が金になる。少し見ていろ」


 ナイフを取り出すと、宝箱の背部に刃を突き立てる。

 その際に蓋を手で押さえておく必要がある。

 儂はともかく一般人では噛まれると大けがになるからだ。

 ガタガタと宝箱が動くが、儂は押さえつけたままナイフを軽く捻る。

 すると、とたんに静かになった。


「これでこいつは死んだ。中を見てみるか」


 箱を開けると、縁からびっしりと鋭い牙が並んでいた。

 中心部には穴が空いており、そこから肉を飲み込むのだと分かる。


「気持ち悪い」

「見た目はな。こいつは肝が美味い」


 ナイフで口の部分を裂くと、中からドロリとした内臓が姿を見せる。

 儂は手を突っ込んで丸い野球ボールほどの物を取り出した。

 これが肝臓だが、熟練の冒険者はこいつを好んで食べるそうだ。

 一部の店では高値で買い取ってくれる話もあるほど。

 味は牛のレバーに似ており、儂は時々レバ刺しとして食べている。

 ちなみに日本では、レバーの生食は禁止されている。食中毒になる可能性があるからだ。

 ここは異世界なので問題ないが、日本では避けるべき行為だろう。


 儂は宝箱と肝をリングに入れる。

 肝は今日の晩酌の肴にでもしよう。


「水」


 リズは空中にアクアボールを出してくれる。

 礼を言ってから球で手を洗った。


「さて、訓練の続きだ」

「ん。次」


 スタスタと歩き出す彼女は無表情。

 冒険者になりたいと言った位なので、魔獣と戦うことは苦にはならないようだ。

 適正があると見ていいだろう。ならば第一条件はクリアーだ。


 その後もリズは迷うことなく魔獣を殺し、十階層まで到達することができた。


「忍術スキルは反則だな」

「お兄ちゃんも隠密を持ってる」

「それはそうだが、儂は基本的に隠れて戦うことをしない」

「どうして?」

「男のプライドだ」


 そう言うと、リズは「お兄ちゃんは馬鹿だった」と返された。

 実に失礼だ。男なら堂々と戦うべきだろう。

 例え仲間の力を借りる事になったとしても、隠れて戦うことだけはしない。

 これは儂のポリシーなのだ。


「儂はともかく、お前は自分なりの戦い方を見つければ良い」

「ん」


 小さく返事をすると、先を行こうとする。

 儂は彼女を止めた。


「どこへ行く? 目的は十階層だっただろ。今日の訓練は終わりだ」

「十五階層の食堂へ行こうと思った」

「そう言うことか。だったら、ちょうど良い。儂も腹がへってきていたところだ」

「ん」


 朝から訓練を初めてすでに昼過ぎ。そろそろ食事をしてもいい頃だ。

 食事は体を作る。良い筋肉をつけるためには、良い食事をしなければならないのだ。

 これは宇宙の真理である。

 リズも分かっているのだろう。


 儂らは十階層の転移の神殿を見つけると、十五階層へと転移することにした。

 神殿から食堂へはそれほど離れていないので、歩き慣れた道を辿って店へと向かう。


「此処には敵が居ない」

「それはそうだ。十五階層には儂の眷属がウロウロしている。彼らが魔獣を退治することで、このフロアの安全は確保されているのだ」

「眷属は何人?」

「フロアではなく、全ての眷属と言うことか?」

「ん」

「だいたい四十万くらいだな」


 リズは驚愕に目を見開く。

 まさかそれほど居るとは思っていなかったのだろう。

 最近まで七十万だったと知れば、どのような反応をするのか見てみたい気もする。

 まぁ言うつもりはないがな。儂はあまり自慢話は好きではない。


 食堂の扉を開けると、ふわっと食欲をそそる香りが迎えてくれる。

 店の中では数人の冒険者が食事をしており、ジョッキを片手に今日の冒険を語り合っていた。

 儂とリズは適当な席に座ると、店員が素早くやってくる。


「今日はあまり人が居ないようだな」

「カタカタ」


 店員はわずかに顎を鳴らして”今日は多くの冒険者が休暇を取っているようです”と返答があった。

と言うことは、夜に客が来るのだろうな。

 ホームレス食堂は酒も出しているので、酒場としても人気がある。

 最近ではハンバーグなどの単品料理が飛ぶように売れているのだ。


「儂はサーモンTKG定食」

「照り焼きハンバーグ定食」


 それぞれが注文すると、儂はリングから水筒を取り出す。

 店でも水を無料提供しているが、それは街で買ってきた普通のものだ。

 水筒からグラスへ注ぐとリズに差し出す。

 もちろん中身はセイントウォーターだ。


「水?」

「一人前の冒険者になりたいのなら飲め」

「分かった」


 彼女はぐいっと水を飲み干した。

 これで今日の経験が肉体に反映されることだろう。

 反則にも近い育成法だが、これで儂はエルナもペロもフレアも強くしたのだ。

 セイントウォーター様には足を向けて眠れない。


「おいしい」

「特別な水だからな。他の者には言うなよ?」

「ん」


 リズが頷くと、儂の視界に文字が表示される。



 【リズ・シュミットを進化させますか? YES/NO】


 【進化先選択】

 ・ヒューマン→ハイヒューマン

 ・ヒューマン→ネオヒューマン



 もう進化が来たのかと驚いた。まだ鍛え初めて三日だぞ。

 いずれはあるだろうと考えていたが、こうも早いと落ち着いて食事もできないではないか。


「お前の進化の選択肢が出ている。進化するか?」

「??」

「進化だ。この世界の人間なら分かるだろう?」

「ああ」


 リズはようやく理解したのか、手のひらを拳で叩いた。

 儂は進化先を教えてやると、彼女はハイヒューマンを選択する。

 念のためにネオヒューマンにしなくて良いのかと聞くが、ハイヒューマンの方がしっくりくると言って話を聞かない。

 ひとまず食堂での進化は不味いので、隠れ家へと戻ることにした。


「では進化を始めるぞ」

「ん」


 家へと戻ってきた儂らはリビングで進化を開始する。

 体がぼんやりと光り始め、彼女はフラフラと自分のベッドへと戻っていった。

 すでにハイヒューマンがどのような種族なのかは知っているので、少々つまらないと感じてしまう。

 四本腕はなかなか面白い進化なのだがな。

 儂は酒を取りだして一杯する事にした。



 ◇



「ねぇ、ずっと寝ているみたいだけどどうしたの?」


 エルナが寝室を覗きながら儂に尋ねる。

 進化を初めてすでに六時間。そろそろ終わる頃だと思うが、事情を知らないエルナは心配そうにしていた。


「進化しているのだ。ハイヒューマンになるそうだぞ」

「ハイヒューマンになるの? 意外だわ。もっと変な進化先を選ぶと思っていたのに」

「それを言ってしまうと、儂らがおかしな進化をしたみたいではないか」

「……それもそうね」


 納得したのかエルナは儂の側に座る。

 そして、フォークでツマミにしていたレバ刺しをヒョイと口に運んだ。


「あ!」

「一人だけ美味しい物を食べようなんて、このエルナ様が許さないわよ」


 くそぉ、リズが進化を終えるまで酒を飲んで時間を潰そうとしたことが仇になったか。

 それを見ていたペロとフレアが肝をつまんで口に運ぶ。


「お前達まで!」

「お父さんだけずるい」

「これはなかなか」


 結局、酒の肴は三人に全て食べられてしまった。

 またミミックを狩りに行かないといけないようだ。


「五月蠅い」


 ドアが開けられ、青い髪のお化けがずるりと出てくる。

 どうやら進化は終わったようだ。

 足下まで伸びた淡い青の髪はズルズルと引きずられ、隙間からはリズの目が周囲を覗いている。


「エルナ、髪を切ってやれ」

「うん」


 ナイフでリズの髪を切ってゆくと、その姿がさらけ出された。

 以前はなかなか整った顔だったが、進化後は美少女へと変身を遂げていた。

 それよりも気になるのは、彼女の周囲を漂う黒い塊だ。

 大きさはバスケットボールほどもあり、まるで生きているかのようにふわふわと浮いている。


「それはなんだ?」

「分からない」


 儂は黒い何かに触れてみる。

 が、雲を掴むかのように手は空を切った。

 この黒い塊に何の意味があるのか知りたい。



 【分析結果:リズ・シュミット:シュミット家の三女。面倒なことを極端に嫌う。田中真一と結婚すれば、一生をダラダラ過ごせると考えている。エルナとはライバル:レア度A:総合能力B】


 【ステータス】


 名前:リズ・シュミット

 種族:ダークヒューマン

 年齢:15歳

 魔法属性:水・闇

 習得魔法:アクアボール、アクアアロー、アクアウォール、アクアキュア、シャドウ

 習得スキル:忍術(中級)、剣術(上級)、体術A(上級)、体術B(上級)、身体強化(中級)、視力強化(中級)、危険察知(中級)、以心伝心、忍びの器

 進化:条件を満たしていません

 <必要条件:剣王術(初級)、忍術(特級)、拳王術(初級)>



 見たこともないスキルが追加されていた。

 以心伝心とはどのようなスキルなのだろうか?


「見たところでは、その黒い何かに関係するようなスキルは見当たらないな。もしかして種族的特徴なのか」

「分からない」


 そう言いつつリズは黒い球をふにふにと触っている。

 本人は触れられると言うことだろう。やはり謎だ。

 視界に文字が表示される。



 【スキル忍びの器により進化が変更されました】



 やはり忍びの器も王の器と同様に、進化先を変化させたらしい。

 薄々そんな気はしていたのだ。素直にハイヒューマンにしてもらえるほど、この世界は単純ではない。


「ダークヒューマン……」


 リズは自身のステータスを見てぼーっとしている。

 予想とは違った進化に落胆しているのだろうか。


「まぁいいか」


 と思っていたが、彼女はあっさりと受け入れた。

 考えるのが面倒になったのだろう。段々とリズの思考が分かってきた気がする。

 儂は彼女に食事と水を出してやると、腹がへっていたのか一心不乱にバクバクと食べ始めた。

 気持ちの良い食いっぷりだ。

 その間も、彼女の周りでは黒い塊が漂う。

 やはり気になる。気になって仕方がない。


「それは動かせないのか?」

「ん」


 リズが手に持った箸で方向を指し示すと、黒い球体はふわふわと移動をした。

 つまり操作ができると言うことだ。

 彼女が箸を動かすと、球体はぐにゃりと形を変えて長細くなった。

 蛇のように空中を泳ぐと、それは儂の腕に巻き付く。


「感触がある……」


 黒い何かは柔らかく、低反発枕を触っているような奇妙な触り心地だった。

 いつまでも握っていたい衝動に駆られる。

 儂はその不思議な物を”闇雲”と名付けることにした。


「もしかすると、これに乗れるんじゃないのか?」

「それは考えてなかった」


 リズは闇雲を座布団形にすると、床すれすれまで降下させる。

 上に乗ると、闇雲はリズを乗せたままふわふわと飛び始めた。


「これ気持ちいい」


 リズは雲に乗ったまま眠り始める。

 儂は彼女を止める。


「こんなところで眠るな。ベッドで寝ろ」

「ケチ」

「ケチじゃない」


 床に降りたリズは渋々自室へと戻っていった。

 するとエルナが慌てて寝室へのドアを閉めようとする。


「そんなに急いで閉める必要はないではないか」

「え? う、うん。そうだね」


 じっーとエルナの目を見ると、彼女の目が泳ぐ。

 何かを隠している感じだ。


「ちょっと入らせてもらうぞ」

「ダメ! 女の子の部屋に入らないで!」


 必死に止めようとしがみついてくるエルナを引きはがして、寝室へのドアを開けた。

 最近はトイレも倉庫も用がなかったので入っていなかったが、三人に貸してある寝室がどのように変わったのか一応確認しておかなければならない。

 家主の務めだろう。


「なんだこれは!?」


 儂は部屋の中を見て絶句した。




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