九十一話 あの日見た夕日を今も覚えている
かつて右腕だった男がいた。
出会いは儂がまだ会社を設立したばかりの頃だったか。
カフェでぼーっとしているときに、ふと気になる男を見つけた。
そいつは同じカフェで経営関連の本を静かに読んでいた。
儂は興味本位で声をかけると、不思議と意気投合し、興味があるなら我が社へ入社してみないかと話を切り出した。
彼は快く承諾し、数ヶ月後には社員となった。
それから彼と儂は二人三脚で必死に仕事をこなした。
次第に社員が増え、会社はどんどん大きくなっていった。
儂と彼の目標は高く、まだまだこれくらいでは満足できないと笑い合った事を覚えている。
会社がとうとう一部上場を果たしたときは、儂と彼は社長室から東京の夕日を眺めた。
ようやく本当のスタートラインに立ったと二人で語り合ったのだ。
彼は共に世界一の企業へと成長させましょうと言った。
儂らの目標は世界の頂点だった。
だが、彼は裏切った。
社員のミスを発端として、社長である儂の責任が問われたのだ。
たちまち株主総会での解任決議へと発展し、不自然なほどあっさりと儂はクビとなった。後で知ったことだが、誰よりも信頼していた男に裏切られていたのだ。
ただ、儂は怒りを感じなかった。
それはまるで風船に穴が空いているかのように感情が萎んでゆくのだ。
自身の惨めさと愚かさに殴られ、静かに会社を去る事を選んだ。
それからのことはあまり覚えていない。
今までの時間を取り戻すかのように散財したようだ。
気が付けば手元には百万円しか残されていなかった。
短い間だが、儂は正気を失っていたようだ。
そして、自身に何も残されていないことを知ったのもこの時だ。
儂は心機一転を決意し、新しい仕事を求めた。
しかし、得られるのはアルバイトばかり。
限界を迎えた儂はホームレスになる事を選んだ。
今ではよくぞクビにしてくれたと思うばかりだ。
「夕日か……」
マーナへやってきた儂は、街から見えるオレンジ色の夕日に目を細める。
異世界でも夕日の美しさは変わらないのだなと、ふと足を止めたのだ。
ようやく生活が安定した今だからこそ、思い出した過去だろう。
「あ、ホームレスだ!」
儂を見つけた子供達が寄ってくる。
彼らは「今日は魔獣を倒さなかったの?」などと楽しそうだ。
リングから大量のあめ玉を出すと、子供達に配ってやる。
おやつとして購入しておいたが、子供が食べる方がきっとあめ玉も喜ぶことだろう。
「ありがとう、ホームレスのお兄ちゃん!」
子供達は引き潮のように周りからいなくなった。
鮮やかな動きに思わず感心してしまった。
「さて、領主の館へと行くとするか」
儂は歩き出すと、街の中心にあるマーナ領主の屋敷へと向かう。
道行く人々は儂を見ると手を上げて挨拶する。
中には「一晩だけどうかしら?」と美しい女性が声をかけてくる。
心動かされるが、脳裏にエルナが出てきて杖を振り上げるので断る事にした。
市場を通ると、夕暮れ時の買い物客がウロウロしている。
ひときわ目立つ店はアーノルドの露店だろう。
「さぁ買った買った! 俺の筋肉に劣らない新鮮な野菜を欲しくはないか! 他にも幻の調味料であるホームレス印の醤油と味噌もあるぞ!」
ポージングをしながら客引きをするアーノルドは素晴らしい。
やはり何度見ても彼の肉体は完璧だ。
不思議なことに彼の店へ来た客は、目をそらしながら商品を購入する。
あの筋肉を見ないとは客は損をしている。
「アーノルド、売れ行きはどうだ?」
「ふはははははっ! 醤油も味噌も売れ行きは上々だ! 良い調味料を作ってくれて感謝しているぞ!」
「そうか、売れているのなら問題はないな。時間があればまた来る」
市場を離れると、ようやく屋敷へとたどり着く。
入り口を守る門番に挨拶をすると、儂に気が付いて門を開けてくれた。
館へと入るとメイドがすぐに案内をしてくれる。
一室へ通されると、ソファーには領主がすでに座っていた。
「手紙をもらったのだが」
儂は対面のソファーへと腰を下ろすと、さっそく話を切り出す。
領主は小さく頷くと、襟を正して姿勢を整えた。
「今日、来てもらったのは重要な話があるからだ」
「重要? 戦争の話か?」
「違う。私と君にとって重要な話だ」
頭の中にクエスチョンマークが浮かびつつも、まずは話を聞くことにした。
領主が重要というのならそうなのだろう。
「では改めて自己紹介をしよう。私はマーナ一帯を領地とする辺境伯である。名はライアン・ドリス」
領主の名前を初めて知った。
今まで彼は名乗ることを避けてきた。理由は定かではないが、儂に対し少し退いている印象を持っていた。
すると、領主は立ち上がり床に正座する。
何が起きるのだろうかと注視した。
「あの時のことを今ここでお詫びします!」
彼はそう言ってから土下座をした。
額が床に付きそうなほど深々と頭を下げている。
突然の事に儂は混乱する。
「頭を上げろ。儂は何のことかさっぱり分からないぞ」
領主は頭を上げない。
そして、静かに語り出した。
「かつて神崎靖彦という男がいました。彼は尊敬していた者を裏切り、地位を奪ったのです。ですが、その偽りの栄光も長くは続きませんでした。彼もまた他の者に地位を奪われることとなったのです。彼は気持ちを入れ替え、もう一度尊敬する者と共に一からやり直そうと考えました。しかし、不幸にも彼はその矢先に別世界へと転生する事となったのです」
「神崎靖彦……」
忘れるはずもない。儂のかつての親友であり右腕だった男だ。
最も信頼し期待をしていた。裏切られるまでは。
領主は話を続ける。
「彼はその後、異世界で大成を収めました。男爵家の息子が辺境伯へと成り上がったのです。歳を重ねた彼は、前世のことなどすっかり忘れておりました。ある日、彼の前にかつて尊敬していた男と同姓同名の者が現れました。彼は激しく狼狽えました。そこで本人かどうかを時間をかけて確かめることにしたのです」
「答えは?」
「本人でした。間違いなく田中真一さんだ」
領主は顔を上げると、鼻水をすすりながら涙を流していた。
悲しみではなく喜びの感情が表情から読み取れた。
「神崎……なのか?」
「はい! 神崎です! 貴方の右腕だった神崎靖彦です!」
儂の涙腺が緩む。
もう二度と会うことはないだろうと思っていた親友が、まさか異世界にいたとはなんたる偶然だろうか。奇跡と言ってもいい。
「神崎!」
「田中さん!」
儂らは抱き合うために手を広げて走り出す。
……と見せかけて、神崎の腕と首襟を掴むと、壁に向けて投げ飛ばした。
「ぶげっ!?」
壁に叩きつけられた彼は床に倒れると、フラフラと腰を押さえて立ち上がった。
「今のは儂を裏切った分だ。これで帳消しにしてやる」
「あ、相変わらずですね……」
そう言いつつ神崎はニヤニヤと笑みを浮かべている。
嬉しくて仕方がないという感じだ。
ひとまず互いにソファーに座ると話を再開した。
「お久しぶりです田中さん」
「そうだな。しかし、儂よりも老けたな」
「ええ、転生して六十年ですからね。そりゃあ老けますよ」
彼との会話は懐かしさを感じさせる。
あの頃に戻ったような錯覚をもたらした。
「どうしてそうなった? お前は確か儂の一つ下だっただろ?」
「不明です。目覚めるとこのライアン・ドリスへと転生していました。田中さんとはかなりの時間のズレがあるようですね」
「時間のズレか……神崎も東京のアレを見たのか?」
「はい。私は田中さんを探している途中で巻き込まれました。黒い布をかぶった魔獣のような生き物に殺されたことは覚えています」
「奴か」
儂の記憶が呼び起こされた。
繁さんを殺し儂をも手にかけた化け物。
神崎も奴に殺されたようだ。
「儂らはなぜこの世界で転生したのだろうか」
「それも不明ですね。神のいたずらか悪魔の仕業か。はたまた仏の慈悲があったのか」
原因は未だに解明されていないが、儂らは記憶を持ったまま転生を成し遂げたと言うことだろう。今はまだ幸運だと思っているが、この先に残酷な真実が待ち構えているかもしれない。
ひとまず話を変えることにした。
「会社はどうなった? 儂が去ってからつぶれたという話は聞かないが」
「田中さんの置き土産のおかげで一時期、売り上げは過去最高まで上がりました。ですが、現在の経営は苦しい状況です。田中さんが代表を務めていた頃の、四分の三の規模にまで縮小しました」
儂の置き土産とは、次世代の携帯電話である。
家族を失いのめり込むように開発を急いだ自社製品だったが、クビとなってしまったために、その後の動向はよく知らない。
今思えば、あの頃の儂は何かにとりつかれていたように生き急いでいた。
「今だから言えることだが、クビにしてくれて感謝する。あの頃の儂は狂っていた」
「……私は田中さんについて行けないと思っていました。だから解任の計画を立てたのです。ただ、ずっと選んだ道が正しかったのか悩んでいました」
「いや、正しかったのだ。そうでなければ、儂は此処にはいない」
ふと、窓を見ると夕日の光が差し込んでいた。
儂は立ち上がりそれを眺める。
「あのときの夕日を覚えているか?」
「はい。今でも覚えています」
「儂らは世界一になると決めた。もう一度、挑戦しようとは思わないか?」
神崎の目が見開く。
最初の会社は駄目だった。だが、次を諦めるとは言っていない。
世界は変わっても二人で描いた夢は叶えられるのだ。
「お願いします! 今度こそ、どこまでもついて行きます!」
「では決まりだな。共にマーナを世界一の日本食街にするぞ」
「は――ええ!? 日本食!?」
「何を驚く。異世界で携帯電話などあるわけがないだろう。それよりも儂は、食に未来を感じている。この世界で日本食を定着させ、マーナを世界一の食の街へと変えようと考えているのだ」
「もしかして、市場で醤油や味噌が売り出されるようになったのは……」
儂はニヤリと笑う。
察しが良いじゃないか。さすがは神崎。
しかも売られていることをすでに知っているとは耳が早い。
「計画の一環だ。マーナを食の都として発展させる。そのためには、領主であるお前が動く必要がある」
「なるほど、そういうことですか。ならば私の力を存分にお使いください」
「うむ」
神崎――ライアン・ドリス辺境伯は片膝を突いて頭を下げた。
彼は儂に忠誠を誓ったのだ。
もちろん領主であるライアンにも悪い話でもない。
マーナがダンジョンだけではなく、別の何かで人を呼び寄せることができれば、街はかつてないほどに潤う事は想像に難くない。
経済が発展すれば、この国自体が力をつけることになる。
まぁ、そんなものは二の次だがな。本音は日本食を腹一杯食べたいだけだ。
「では頼むぞ」
「はい」
話は終わり、儂が立ち去ろうとすると、領主は慌てて儂を引き留める。
「言い忘れていたことがありました」
「なんだ?」
「新しくこの国の英雄となった者の事を存知ですか?」
「英雄??」
首を捻る。聞いたことのある言葉だが、どこだったか思い出せない。
それよりもその英雄がどうかしたのだろうか。
「先の戦争で戦果をあげ、国王から英雄の称号を与えられた者です。名をアービッシュ・グロリスといい、王都で猛烈な勢いで名をあげている若者です」
「アービッシュ・グロリス……」
すぐに記憶から一人の若者が呼び出される。
儂とエルナに突っかかってきた奴だ。何処かへ行ったと思っていたが、どうやら力をつけて王都に舞い戻ってきたらしい。
あれからどのように変わったのかは不明だがな。
「実は新しい英雄が、ホームレスの田中真一を名指しで批判しているのです。奴は腰抜けの卑怯者だと。私はトラブルに発展するのではないかと予感しています」
「あり得るな。儂を恨んでいる可能性は高い。今の内に対策を考えておく必要がありそうだ」
「情報感謝する」と領主に言葉を述べると、今度こそ屋敷を出ることとなった。
まさか領主があの神崎だったとは想像もしていなかったことだが、これでおぼろげに考えていた事が確信に変わった。
儂の他にも転生者がいると。
しかも時代を超えて転生している可能性があるのだ。
偶然にも儂と神崎は近い時代だった。しかし、他にいるとすれば必ずしも同じ時間に生きているとは限らない。
遥か過去。もしかすれば遥か未来に転生した者が居るかもしれないのだ。
なぜかは分からないが、儂がこうして生きているのが何よりの証拠だ。
「繁さんもどこかで生きているのかもしれないな」
暗くなった空を見上げながら、儂は運命というものを改めて知ることとなった。
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