第五章 忍者娘とホームレス

八十九話 とうとう醤油を手に入れた


 深夜12時。モヘド大迷宮周辺は暗闇に満たされており、獣の鳴き声だけが木霊する。

 儂は転移の神殿から静かに歩き出すと、徐々に足を速め目的地である森へとたどり着いた。そのまま森の中へ踏み入ると、風に乗って嗅ぎ覚えのある懐かしい香りが感じられた。


「順調のようだな」


 ぼそりと呟きつつさらに奥へと進む。

 苔の生えた地面に、木々の太い根が迷路のように張り巡らされている。

 ここはマーナの街から十キロほど離れた”ショユの森”と呼ばれる場所だ。

 名前の由来だが、かつてこの森にショユさんが住んでいたそうだ。なのでショユの森。

 妙な偶然の一致に、ショユさんを他人だとは思えなかった。

 もし、会って話ができるのなら親友になりたい。


 森の中心部へ到達すると、円形状に原っぱが広がっていた。

 匂いはまた一段と強くなる。


「確かこの辺りに……」


 原っぱを歩くと記憶を頼りに手を伸ばす。

 端から見ると、目的もなくフラフラしている奇人に見えることだろう。

 だが、それは大きな勘違いだ。

 儂は原っぱにあるだろう隔離空間を探しているからだ。

 隔離空間は指定された空間を隔離する代わりに、周囲から目視することができなくなる。

 しかも許可された人間以外は入る事ができない。

 ふと、手に綿の塊を触ったような感触が伝わってきた。


「では今日も作業をするか」


 隔離空間へ入ると、見慣れた景色が現れた。

 原っぱに造られた木造の工場。煙突からはモクモクと白い煙が吐き出され、白い作業服を着たスケルトン達が大量の豆を倉庫へと運び込んでいた。


「カタカタ」

「うむ、作業は順調か?」


 スケルトン達が儂に挨拶をすると、手を上げて応える。

 質問には”順調です”などと返答があった。

 工場内へ入ると、儂も白い作業服を身につけ専用の長靴を履いた。

 奥へ進むと、大きな木樽が並んだ場所へと到着する。


「カタカタカタ!」


 スケ次郎が走ってくると、儂へすぐに敬礼した。

 彼の後ろにはリッチAが付き添っており、同様に敬礼している。


「今日で完成だと思っていたのだが、出来はどうだ?」

「カタカタ」


 スケ次郎は申し訳なさそうに”我々は味が確かめられません”と答える。

 確かにそうだなどと納得して、ひとまず樽へ近づくと、中に入っている黒い液体を指ですくい取った。

 舐めると記憶と同じ味が口の中に広がる。

 間違いなく醤油だ。


「完成だ! これなら文句なく醤油と呼べる!」


 儂の声に見守っていたスケルトン達が、顎を鳴らして歓声をあげた。

 そう、とうとう儂らは醤油を完成させたのだ。


 思えば道のりは長かった。

 まず大豆を探し出し、箱庭や二十四階層にて育成。

 収穫した豆を一度リングへ保存し、今度は醤油を作るための工場を建造した。

 建物を造る際に使用したのは、サナルジア大森林国の御神木からもらった木材だ。

 世界樹トレントと言うだけあり、その木質はほどよく湿気を含み非常に頑丈だ。

 建物だけではなく、醤油樽も同じ木材で作成しており、完成品を見る限りでは醤油造りには適した木材だったと言える。


 さて、なぜ儂がダンジョンではなく外で醤油造りをしているかを説明しなければならないだろう。

 モヘド大迷宮は知っての通り微生物が繁殖できない環境にある。

 つまり醤油造りに必要な麹菌が作り出せないのだ。

 そのため、儂は大迷宮から近い森の中へ工場を建設した。

 今では立派な醤油工場として稼働している。


 醤油造りの話をしよう。

 麹菌を作ると、大豆に塩水と小麦と麹を混ぜて毎日かき混ぜなければならない。

 それを繰り返すとだんだんとドロドロとした茶色い液体ができあがる。

 ドロドロの茶色い液体を人は”もろみ”と呼ぶ。

 さらに一年ほど発酵をさせると、誰もが知っている醤油となるのだ。

 実際はもっと細かい作業が存在するが、ここは割愛させてもらおう。


 儂が醤油造りを初めて約二ヶ月。

 世界樹トレントの建物と樽のおかげか、発酵は異常に速くあっという間にできあがってしまった。そして、今日は念願の醤油を瓶に詰める日。


「では、もろみを絞って醤油に火を通せ!」

「カタカタ」


 スケルトン達はドロドロとしたもろみを布で包むと絞ってゆく。

 真下に設置された桶には、ぽたぽたと黒い液体が溜まる。

 これが一般的に知られている醤油だ。

 集めた醤油を今度は沸騰しない程度に鍋で火を通すと、冷ましたあとに作っておいた黒い瓶へと注いでゆく。


 儂はできあがった醤油瓶を受け取ると、茶碗一杯に盛ったご飯に生卵を乗せて、その上から醤油を垂らした。

 正真正銘のTKGたまごかけごはんだ。

 口いっぱいにかき込むと、興奮しているせいか鼻息が荒くなる。


「だばごがげごばんだ……」


 一心不乱に茶碗のご飯を食べ終えると、至福の溜息を吐いた。

 喉から手が出るほど欲していたものを、とうとう手に入れたのだ。


「よくやった! これで売れるぞ!」

「カタカタカタ!」


 スケルトン達は飛び跳ねる。

 そう、なぜ醤油を作るためだけに工場まで造ったのか。それは売るためだ。

 この世界には醤油がない。誰もが醤油という最高の調味料を知らずに死んでゆくのだ。

 悲しいことではないだろうか。

 ならば儂が造って売れば良い。

 この素晴らしい日本の調味料を世間に広めるのだ。


「カタカタ」


 スケ次郎が小さな箱を持ってきた。

 中を開けると、赤茶色いねっとりとした物が詰められている。

 軽く指でつまむと口に運んだ。


「うむ、こちらも十分だ」


 儂の評価にスケ次郎は深く頭を下げる。

 これは味噌だ。

 スケルトン達は醤油造りと平行して味噌も造っていた。

 とは言っても味噌造りもなかなか大変だったがな。

 造ってみてわかる醤油会社と味噌会社の苦労だ。


 スケルトン達は本格的に醤油を瓶詰めし始めると、作っておいたラベルを貼ってゆく。

 ホームレス印の濃い口醤油だ。

 もちろん味噌にも同じラベルを貼ってある。


「カタカタ」

「そうだな、作業が終われば祝杯だ」


 儂の言葉にスケルトン達が嬉しそうに飛び跳ねる。

 箱詰めは一時間ほどで終わると、儂は大きな酒樽をいくつも用意する。

 体を洗ったスケルトン達は列をなして今か今かと待っていた。


「よし、入って良いぞ!」


 開始の合図と同時に先頭のスケルトンが樽へ飛び込む。

 すると、彼の赤い目がピンクへと変わった。酔っているのだ。

 最初の一体が樽から出て行くと、次のスケルトンが入る。

 スケルトンは骨故に飲み食いはできないが、実は体の表面から水分などを吸収していることが分かっている。

 この事実を知った儂は、慰労もかねて彼らに酒を出すことに決めた。

 いくら給料を必要としない者達とはいえ、今までの働きぶりには報わねばならない。

 魔獣とはいえ人格を持っているのだからな。


「これで全員か」


 工場内にいる全てのスケルトンが酒樽に入ったことを確認すると、スケ次郎に宴会はほどほどにしておけと注意して儂はダンジョンへと戻る


 モヘド大迷宮十五階層へ来ると、歩き慣れた道を迷うことなく進む。

 ドーム状の開けた部屋にたどり着くと、入り口にいた灰色の布を羽織った人物が儂にお辞儀をした。

 顔には仮面を装着おり、手袋とブーツを身につけている。

 一見すると人に見えるが、彼は紛れもなくホームレススケルトンだ。

 部屋の中はテーブルや椅子が置かれ、何人もの灰色の布を羽織ったスケルトンがこまめに掃除をしている。


「全員集まってくれ」


 儂の声にスケルトン達は集合する。

 数は十人程度か。部屋の外にいるスケルトンも合わせると三十人ほどになるが、用があるのは室内の彼らだけだ。

 スケルトン達は顎を鳴らして”もしかして完成したのですか?”などと質問してくる。


「そうだ、醤油と味噌が完成した。一週間後にこの店はオープンするぞ」


 骨達は抱き合って喜ぶ。

 そうだ。一週間後に、このがオープンする。


 なぜこの大迷宮で食堂か。

 理由は簡単だ。ダンジョンをウロウロする冒険者達を相手に、小さな商売をしようと考えたからだ。

 もちろん今のままでも十分に生活をする事はできるのだが、冒険者の死体を漁って稼ぐのはやはり不安が大きい。安定した生活を送るためには、安定した収入を得ることが大切だ。

 そこで考え出したのが食堂だった。

 出される食事は和食をメインとしており、それには醤油や味噌が欠かせない。

 さりげなく店内で醤油や味噌を売る予定でもある。


 儂はリングから醤油や味噌を取り出すと、スケルトン達に渡しておく。

 彼らはこれから和食の作り方を覚える。

 食堂で出される料理は三種類程度なので、それほど苦労はしないはずだ。

 それに冒険者もそこまで多くは来ないことだろう。

 あくまで食堂は小さな商売なのだ。


「では調理の練習をするか」


 さっそく眷属に料理を教えることにした。



 ◇



 マーナの街にある酒場にて、二人の男性冒険者が会話をしていた。


「なぁ知っているか?」

「あ? 知っているってなにを?」

「最近、ダンジョンに食堂ができたって噂だよ」

「はぁ?」


 男は「あり得ねぇよ」などと言ってエールを口に含む。

 もう一人の男は、その様子を見ながら話を続けた。


「まぁ聞けって。俺も噂で聞いただけなんだが、十五階層の奥にひっそりと食堂があるらしいんだ。しかも、出される料理が美味いらしい。この街で名の知れた奴らはみんな、食堂のことを口にしているんだ」

「ダンジョンに食堂ねぇ。本当にあるのか?」

「さぁな。けど、もし本当にあるとしたら、俺たち冒険者にはありがたい話じゃないか」

「そうだな……ダンジョンで一休みできるところがあるなら、確かに嬉しい話だ」


 男はそう言ってからエールを一気に飲み干した。

 ドンッとテーブルにグラスを置くと、話を始めた男へ笑みを見せた。


「じゃあ今から探しに行こうぜ?」

「今からか?」

「ああ、十五階層なら俺もお前も転移できるしな。本当かどうか確かめてこようぜ」

「……それもそうだな。俺も気になっていたし、真偽を確かめるにはちょうど良い機会か」


 二人の男は酒場を後にすると、装備を整えて大迷宮へと潜ることにした。

 転移の神殿を使って十五階層へと行くと、彼らはすぐに違和感を感じることとなる。


「……なぁ、静かすぎやしないか?」

「ああ、以前の十五階層とは違う。敵の気配が一切しない」


 二人は剣を抜いたまま魔獣の気配を探る。

 しかし、一向にそれらしき生き物は見かけなかった。


 カタカタ。


 音が聞こえて二人はすぐに構えた。

 通路の向こう側からは足音が聞こえ、何者かがこちらへと近づいている様子がうかがえる。二人は固唾をのんで待つ。人か魔獣か。その正体がもうじき分かるからだ。


「カタカタ」


 現れたのは灰色の布を頭から羽織った人だった。

 顔には仮面を付けており、両手には手袋。足にはブーツを履いていた。

 腰を見ると剣を装備しており、彼らはなんとなく冒険者だと認識した。


「悪い。魔獣かと思った」


 男がそう言うと、灰色の布をかぶった人物は”気にしない”とばかりに軽く手を振る。

 二人は安心したのか、この場からすぐに立ち去ろうとすると、謎の人物は不意に一枚の紙を彼らに差し出した。

 男は紙を受け取って内容を確認した。


「ホームレス食堂オープン? 今なら三割引?」


 店までの地図までも書かれており、二人は現在地から近いと考えた。


「あの……これは……」


 男が謎の人物に声をかけようと顔を上げるとすでに姿はなかった。

 二人は恐ろしさを感じつつも、渡された紙を頼りに食堂へと行くことにする。


「……匂いがしないか?」

「そうだな。良い香りだ。急に腹がへってきたよ」

「俺もだ」


 二人は話をしつつ指定された場所へ来ると、そこには一枚の扉があった。

 向こう側からはガヤガヤと大勢の話し声が聞こえる。

 二人は意を決して扉を開けた。


「わぁお! すげぇ!」

「なんだこりゃ!」


 扉の向こうには広い部屋があり、五十人近くの冒険者達が会話をしながら楽しそうに食事をしていた。

 人と人の間を慣れた動きで進むのは、灰色の布を羽織った者達だ。

 彼らは料理の乗ったトレイを持っており、無駄のない動きでテーブルへと配膳してゆく。二人は光景に驚きつつも、空いている席へと腰を下ろした。


「カタカタ」


 灰色の布を羽織った店員らしき者が二人へ注文を尋ねる。

 テーブルにあるメニュー表を見ると、料理は三つしかないようだった。


 ・照り焼きハンバーグ定食 銅貨五枚

 ・刺身定食 銅貨三枚

 ・野菜炒め定食 銅貨二枚


「じゃあ俺は照り焼きハンバーグ定食で」

「俺は刺身定食」


 店員は一礼すると、テーブルから離れていった。

 二人はすぐに聞いたこともない料理に首を捻る。


「値段はかなり安いが、名前からどんな料理か想像ができないな」

「ああ、野菜炒めなら分かるが、刺身ってのは初めて聞く」


 周りを見ると、大勢の冒険者は酒を飲みながら料理を食べているようだった。

 中には白い何かを黒い液体につけて食べる姿も見られる。

 二人の冒険者は恐怖心を感じながらも、抑えられない好奇心も感じていた。


「カタカタ」


 店員が料理を運んできた。

 男と男は目を見開く。

 見たこともない料理に盛り付け。食欲を増進させる良い香りが彼らの鼻腔をくすぐる。


「食べてみるか……」

「そうだな……」


 ひとまず木器に入ったスープを啜ることにした。

 二人は温かい汁を口に含むと「んぐっ!?」と声を漏らす。


「なんて複雑な味なんだ! 塩加減がほどよくなおかつ優しい! こんなものを食べたのは初めてだ!」

「おい、この白いツブツブと一緒に食べるとなかなかいけるぞ!」


 スープとライスをガツガツと食べ始めると、それぞれのメインのおかずも口を付けた。


「うめぇ! ハンバーグにかかっているソースがめちゃくちゃうめぇ!」

「これは生の魚か! 黒い液に浸して食べると絶品だ!」


 二人の冒険者は無我夢中で定食を食べると、満腹になるまでひたすらに食事を続けた。

 食べ終わると店に料金を支払い、転移の神殿へと帰って行く。


「……噂は本当だったな」

「ああ、最高の料理だった。また来たいな」


 二人は満足そうに地上へと帰還した。



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