閑話 右腕だった男


「私をクビだと!? ふざけるな!」


 神崎靖彦かんざきやすひこは会議室のテーブルを叩いた。

 歳は五十五であり、シルバーフレームの眼鏡が知的に見せる。

 部屋の中にはスーツ姿の男達が椅子に座っており、丸いテーブルを囲むようにして神崎をじっと見つめていた。


「すでに解任は決まったことです。貴方をこのまま代表取締役の席に座らせ続けることはできない」


 男達の一人がそう言った。

 神崎はしばらく怒りに体を震わせると、何かを諦めたかのように椅子へ背を預ける。


「……分かっている。私が社長になってから契約数が急減した。今では田中社長だった頃の四分の三の規模だ。解任させるのは当然」


 先ほど株主総会が行われ、神崎代表取締役は解任となった。

 一般的に代表を解任となった場合は取締役だけが残るが、取締役を解任となった場合は代表権と取締役の二つを失うことになる。事実上のクビと言って良い。

 神崎はその二つを失ってしまった。


「そういえば神崎社長……いや、神崎君は田中さんの居場所を知らないのか?」


 でっぷりと太った男の言葉に神崎は鼻で笑う。もう社長気取りかと。

 彼は前社長である田中真一のことを思い出した。


 ホワイトリング株式会社は創業者を田中真一とし、今年で四十六年の歴史をもつ一流企業だ。主な事業は国内通信であり、そのほかにも多種多様な事業を展開している。一般市民には携帯会社のホワイトリングとして認知されていた。

 神崎は創業時からの社員であった。

 田中真一の右腕として活躍し、友として社員として真一を支えたのは間違いなく神崎という男だ。ホワイトリング社が一流企業へと躍進したのは彼の働きなくしては語れない。


「……いや、知らないな。それよりも、どうしてここで田中前社長の名前が出るんだ?」

「株主達が田中さんをもう一度社長にしろと言っている。傾きかけたこの会社を創業者なら立て直せると考えたのだろう」

「そうか。やっぱり田中さんに戻るんだな……」

「もちろん俺としては見つからなくていいと思っているが、株主の意向は聞いておかないといけないからな。居場所を知らないのならそれでいい。むしろ知っていても言うな」


 太った男は黄色い歯を見せてニヤリと笑う。

 神崎はこの会社はもう終わりだなと未来を予想した。


「今の会社を田中さんが見たらなんて言うか」

「はっ! よく言ったものだな! そもそも田中社長を引きずり落としたのは貴様だろう! 株主へ手を回して解任を突きつけたことをもう忘れたのか!」


 神崎は苦虫を潰したように顔をゆがめる。

 男の言うとおりだった。彼は株主へ働きかけ前社長を蹴落としたのだ。

 その事実は社内では有名な話だった。


「会社の行く先を考えたとき、ああするしかないと判断した。あのときの田中さんは会社を潰す勢いだったからな」

「そのおかげで我が社の主力商品ができたのも事実じゃないか! 俺はあのときの貴様を許したわけではないからな!」


 男の言葉に神崎はうつむく。

 此処にいる取締役達は全員が田中真一という男に心酔して集まった。

 誰もが心の底では真一を尊敬しているのだ。

 しかし、今ではそれぞれの立場が変わり、己の欲を満たすために会社を利用している。

 時間の流れは神崎も男も変えてしまったのだ。


「悪かった。だったら私が前社長を探してこよう」


 神崎がそう言うと、男は先ほどの勢いをなくして声を小さくした。


「それはしなくてもいいのではないかな。俺は代表取締役になるわけだし、いまさら田中さんが戻ってきても経営が上手く行くとは限らないからな」


 神崎は男の言葉に呆れた。

 結局は地位に目がくらんでいるのだ。ダブルスタンダードもいい加減にしろと彼は言いたくなった。が、それは神崎も同じ。

 真一がいなくなった11年を彼も社長として謳歌した。

 甘い蜜を吸い顕示欲を満たしたのだ。そのことを思い出した彼は、男にものを言える立場ではないことに気が付いた。同類なのだ。


「自業自得と言うことか。分かった、大人しくクビになろう」


 神崎はその場を後にする。



 ◇



 会社をクビになって半年。

 神崎は探偵を雇い、田中真一を探していた。


「これが調査報告だ。はっきり言うと、探し人は今も生きている」


 探偵事務所で向かい合う二人の男。

 神崎と雇われた探偵だ。男はすっと分厚い書類を差し出す。


「生きているのか……」


 探偵の言葉を聞きつつ神崎は書類をぱらぱらとめくった。

 そこには田中真一の生まれから育ちまで詳細に記載されていた。

 彼は「こんなものは私も知っている」と言って、現在の居場所を知るために最後のページを確認した。


「田中さんが……ホームレス?」


 最終ページに書かれていた現在の田中真一に神崎は言葉が出なくなった。

 大会社を経営し、遊んで暮らせるほどの金を手に入れたあの前社長が、ホームレスという事実に神崎は自身の正気を疑った。

 すぐにページを戻ると、なぜ真一がホームレスなのかを知った。


 田中真一はホワイトリング社をクビになった後、全ての資産を売り払い日本中の福祉施設へ寄付をしたそうだ。

 その後、金が尽きた彼は細々とアルバイトこなし、ある日突然に消息不明となった。

 探偵は聞き込みを続け、新宿中央公園に田中真一らしき人物がいることを掴む。

 調査を継続し、ようやく目的の人物を発見。

 ここで調査は終了となった。


 神崎はかつての真一を思い出した。

 いつも落ち着いた雰囲気に、時々見せる鋭い眼光。

 だが、見た目とは裏腹に情にも厚く、家族を何よりも大切にしていた。


「そうだったな。田中さんがおかしくなったのは家族を失われてからだった」


 彼は誰よりも真一の側で仕事を見ていた。

 間違いなく日本の経済界を背負って立つ大人物だと確信していたのだ。

 しかし、真一は変わった。妻と離婚をしてから、さらに仕事にのめり込むようになったのだ。

 休みも取らずひたすらに自社製品の開発に力を注ぎ込み、次々に新事業へと手を伸ばした。それは誰が見ても鬼気迫るものだった。

 限度を超えた働きぶりは会社全体に影響を及ぼし、限界を迎えた社員や下請け会社は次々に去って行った。このままでは不味いと考えた神崎は、真一を社長の座から引きずり落とす事を計画。そして、神崎は社長となった。


「私の判断は間違っていたのだろうか……」


 神崎は呟く。会社の事を考えて選んだ道が正しかったのかは不明だ。

 ただ、あのまま真一を放置していれば今のホワイトリング社はなかったかもしれない。

 この11年間、神崎は真一に会うこともせず、あのときの選択をずっと悩み続けていた。


「第三者の俺が言うのもアレなんだが、ちゃんと本人に会って詫びた方が良いんじゃないか?」


 探偵はタバコを吸いながら神崎に言った。


「謝罪か。11年も経っていまさらとは思わないだろうか? もしかすると私を恨んでいるかもしれない」

「いいじゃないか、恨まれていたって。こういうのはアンタが何をしたいのかが大切だと俺は思うね。失った信頼は取り戻せなくとも、これからもう一度築く事はできる」

「もう一度?」


 神崎はハッとした。

 探偵の言葉に封印してきた想いが蓋を開けたのだ。

 もう一度、田中さんと仕事がしたい。もう一度、あの人に信頼されたい。

 押し寄せる感情は荒波となって彼を襲った。


「田中さんは……今どこに?」

「この時間ならコンビニの裏をうろついている頃だな。ちょっと待ってくれ、地図を持ってくる」


 探偵は地図を彼に渡すと、真一がいるだろうコンビニに赤丸をつける。

 神崎は探偵に依頼料を払うと、すぐに駆け足で事務所を出て行った。


「あの人はホームレスで終わるような人じゃない! きちんと謝罪をして、田中さんと一緒に会社を建てよう! もう一度、あの人と一緒に仕事をするんだ!」


 無我夢中で走ると、目的のコンビニの周辺までやってくることができた。

 神崎は真一を探して周囲をキョロキョロし始める。


「ぎゃぁぁあああああ!」


 叫び声が聞こえた。

 それをきっかけに空から降り注ぐ隕石。

 ビルを粉砕し、衝撃によって地面はグラグラと揺れた。

 道路には逃げ惑う人々と、それを追いかける大きな獣達。

 巨大な狼は人間を咥えると、ガリガリと骨を砕いて飲み込む。


「な、なんだ!? なにが起きている!?」


 狼狽える彼はひとまず逃げることにした。

 近くの路地裏へ入り込むと、見慣れないものが宙に浮いている事に気が付く。

 は黒い布を羽織り、大きな鎌を持っていた。

 近くには二人の人間の死体。頭部が切り落とされ地面に転がっている。


「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ」


 不快な声に神崎は一歩後退した。

 明らかに普通ではない状況。ここは逃げるべきと判断した彼は、背中を向けて走り出した。


 ――が、視界は回転する。

 めまぐるしく景色が変わり、頬を地面が打った。

 すぐに意識は遠くなり、彼の脳裏には走馬燈が流れ始める。

 神崎は”ああ、自分は死ぬんだな”と悟った。

 あまりにもあっけなく、あっさりと死ぬ自分に不思議と悲しさは湧き起こらなかった。

 それどころか、真一を裏切った自分にはお似合いの最後だと笑ったのだ。





「ライアン、いつまで寝ているの!? いい加減起きなさい!」


 神崎はたたき起こされて、ベッドから飛び上がった。

 近くには見たこともない白人女性が、怒り顔で彼を見ている。


「え? へ?」

「え? へ? じゃないわよ! もう八時よ! 早く支度をして学校に行ってきなさい!」


 学校? 神崎は首をかしげるが、頭の中にだんだんと知識が呼び起こされる。

 今の自分はライアン・ドリス。年齢は13歳。

 下級貴族であるドリス家の長男として生まれた。

 今日は平日であり、貴族の通う学校へと行かなければならない。

 彼はすぐに身支度を整えると、カバンを掴んで家を出た。


「これはどういうことだ?」


 街の中を歩きながら神崎は首を捻る。

 彼の視界には日本ではない景色が広がっていた。

 海外のどこかにも見えるが、剣を持った冒険者などを目撃すると、ここが地球ではないとすぐに察する。

店のガラスに映った自身を見ると、以前の自分とは似ても似つかない白人の子供だと知った。


「生まれ変わった……?」


 そうとしか考えられなかった。

 神崎靖彦はライアン・ドリスへと転生したのだと。

 彼の中に沸々と感じたことのない熱が生まれた。


「やったぞ! 第二の人生だ!」


 歓喜に打ち震えた。疑問などを吹き飛ばして彼は喜び飛び跳ねた。

 だが、すぐに冷静になると思考をフル回転させる。


「理由は分からないが、田中さんと共に働くと言うことはできそうにもないな。ちゃんと謝罪をしたかったのだが……」


 前世にやり残した事と言えば真一への謝罪だ。

 しかし、彼は現状では不可能だと判断すると、持ち前の精神力で気持ちを切り替えた。

 すでに神崎は死に、今はライアンである。

 前世を引きずる事に意味はないと判断したのだ。


 街の中に鐘の音が響く。


「あ、やばい! 遅刻だ!」


 ライアンは急いで学校へと向かった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【重要報告】

いつも本作をお読みいただきありがとうございます。

この度、皆さまが慣れ親しんだキャラクターである『ポチ』を名称変更することになりました。詳しいことはここでは書けませんが、大人の事情と言えば分かりやすいでしょうか。

今後はポチ→ペロになりますので、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。


追伸

第五章は執筆中ですので、もう少しだけお待ちいただけると嬉しいです。


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