八十八話 連合軍の解散


 目が覚めると喉の渇きを感じた。

 儂は重い体を起こし、テント内を見渡す。誰もいない。

 周りは薄暗く外から兵士達の酒盛りの声が聞こえた。どうやら日が落ちてそれほど経っていないようだ。


「水……」


 リングから水の入った樽を取り出すと、一心不乱に水を飲む。

 毎度のことだが進化後はひどく腹がへるのだ。きちんと準備をしてから進化をしないと、飢餓で死ぬのでは?などと思ってしまう。


「腹がへった……」


 テントから出ると、焚き火の前では二人の人物が食事をしていた。

 一人はフレア。もう一人はペロだと思われるが、どことなく雰囲気が違っていた。

 なんというか近寄りがたい神聖な空気を纏っているのだ。

 毛の色は白色から青白くなっており、ひんやりとした冷気のようなものを感じる。

 儂はペロに声をかけるべきか戸惑った。


「あ、お父さん」


 振り返ったペロは儂を見て笑顔を浮かべた。

 雰囲気は変わったがいつものペロだと分かって安心する。

 反抗期がきた親の気持ちが少しだけ分かったかもしれない。


 儂は焚き火の前に座ると、リングからフライパンを取り出して肉を焼き始める。

 生肉でもかじりつきたい気分だが、ぐっと我慢して肉が焼けるのを待つ。

 できあがると、リングから炊きたてのご飯を取り出して肉と一緒に口の中へかき込んだ。

 空腹にご飯と焼き肉は最高だ。美味すぎる。


 ちなみにだが、儂は普段から炊きたてのご飯をリング内に保存している。

 暇なときに大量に炊いておき、必要なときだけ取り出す事に決めたのだ。

 こういったときには非常にありがたい。


「お父さん、僕の進化を見て! 強くなったんだよ!」


 ペロが立ち上がって姿を見て欲しいと声をかけてくる。

 食事に夢中でペロのことをすっかり忘れていたが、改めてみると進化後のペロはさらにたくましくなった印象を受ける。

 青白い体毛はさらさらとしており、胸の辺りにふかふかの毛が生えていた。

 手足の爪は生物的なものから金属的な質感に変わっており、青みを帯びた鋼にも見える。では牙もそうなのかと思うと、そこは違うようで、口内には真っ白な鋭い牙が生えそろっていた。より攻撃に特化した人狼とでも言うべきか。


「良い進化をしたようだな」

「うん、これで僕もお父さんを守ることができるよ」


 儂はじわりと涙腺が緩む。

 この子は儂の事を考えて強くなりたかったのだな。

 息子の心に感動を覚える。


 食事を再開すると、満腹になるまでご飯をたらふく食べる。

 気が付けば二十合もの米を消費していた。満たされるというのは幸せである。


「そういえばエルナはどこへ行った?」

「散歩をしてくるって向こうに行ったよ」


 ペロが指差した方角には大きな木が生えていた。

 儂はエルナがどのような進化を遂げたのか見るために歩き始める。


「エルナは……あれか?」


 木の足下まで来ると、少し離れた場所に一人の女性が立っていた。

 夜空を見上げ、幾億もの星の輝きをじっと見つめている。

 儂はその光景を美しいと感じた。名匠が描き上げた油絵のように、名手が奏でる楽曲のように、言葉にはできない魂を震わせる美しさがそこにはあった。


「えいっ!」


 エルナの声が聞こえると、彼女の背中から大きな羽が出現した。

 それは蝶の羽とよく似ており金色に光り輝く。

 突然の出来事に儂は絶句した。


 エルナは空高く舞い上がると、光の粒子を散らしながら星空へと昇ってゆく。

 その姿は夜の妖精。いや、変な意味ではない。言葉のままだ。儂は彼女へ声をかける。


「エルナ」

「真一? 起きたの?」


 空を飛んでいたエルナが儂のそばに舞い降りると、光り輝く羽を消して地面に着地する。

 光を反射する絹糸のような金の長髪に、宝石のような大きな瞳。

 ピンクの唇は艶やかに魅力を発しており、花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。現実離れした美貌と言っていい。もしこの世界に妖精がいるとすれば彼女のことだろう。


「また一段と綺麗になったな」

「ふふ、そうでしょ? 女の子は放っておくとすぐに綺麗になるんだから」

「なるほど。確かにそうだ」


 儂とエルナは互いに微笑む。

 彼女もまた素晴らしい進化を遂げたようだ。

 ふと、自分の変化が気になった。


「儂は……何か変わったか?」


 体を確認するが大きく変わったところは見られない。

 第三の目はあるし、体にはトライバル柄の唐草タトゥーが刻まれている。

 一応、股間を覗いてみるが男のジャングルは依然として更地のままだ。


「うーん、変わった感じはしないけど……前よりも強い事はなんとなく分かるかな……」

「そうか。今回は大きな変化はなかったと言うことだな」


 儂は右手で頭を軽く掻いた。

 するとエルナが目を見開いて口をぱくぱくさせる。

 なんだ? おかしなところでもあったのか?


「それ!」

「それ?」

「自分の腕を見て!」


 エルナの言うとおりに自分の腕を見るが、特になにも不自然なところはない。

 いつもの両腕だ。


 ……んん? 両腕がここにあるのなら頭を掻いている手はなんだ?


「私からははっきり見えないけど、真一には別の腕があるのよ!」


 儂は自分の腕の感覚を確認する。

 まずは元からある両腕だ。次に背中の辺りから延びている一対の腕の感触。

 計四本の腕が今の儂には存在する。


「腕が……あるのか? 自分の腕だが触れないぞ?」


 元の腕で見えない腕を触ろうとしても感触が伝わってこない。

 触れられないのだ。どうなっているのだろうか。


 とりあえず見えない腕を、第二両腕サブアームと名付けることにした。


「真一は何に進化したの?」

「おお、そうだまだ確かめてなかった」



 【ステータス】


 名前:田中真一

 年齢:17歳(56歳)

 種族:ホームレス(帝種)

 <ハイエルフ・ハイドワーフ・ハイ獣人・ハイ翼人・エンペラードラゴニュート・ヴァンパイア>

 職業:冒険者

 魔法属性:無

 習得魔法:復元空間、隔離空間

 習得スキル:分析(特級)、活殺術(特級)、達人(上級)、盗術(上級)、隠密(特級)、万能糸(中級)、分裂(特級)、危険予測(上級)、索敵(特級)、神経強化(上級)、消化力強化(特級)、限界突破(特級)、覚醒(中級)、衝撃無効(中級)、砂上歩行(特級)、水中適応(中級)、高速飛行(中級)、斬撃耐性(初級)、自己再生(上級)、植物操作改(上級)、金属操作(中級)、分離(特級)、圧伏(中級)、独裁力(上級)、高潔なる精神、王竜息(上級)、麻痺眼(特級)、竜斬波(特級)、眷属化、眷属強化(特級)、眷属召喚、竜化、スキル拾い、種族拾い、王の器、帝の器



 予想通りと言うべきか、儂は帝種へと進化したようだ。

 王の器を手に入れたときもそうだったので、それほど驚きはなかった。

 視界に文字が表示される。



 【スキル帝の器により進化が変更されました】



 やはりなと思いつつすぐに視界に新たな文字が表示される。



 【報告:新たなスキルが追加されました】



 ステータスを見ると”あくなき進化への道”という新たなスキルが追加されていた。

 よく分からないスキルに儂は首をかしげる。

 進化への道とはどういう意味だろうか。



 【報告:スキルあくなき進化への道によって、進化の制限が解放されました】



 制限? 本来であればホームレス(帝種)で進化は終わっていたと言うことだろうか?

 ならば儂はさらに進化を遂げる資格を得たと言うことなのだな。

 どこまで強くなれるのか興味が尽きない。


「ねぇ、何に進化したのよ」

「ああ、ホームレス(帝種)と呼ばれる種族だ。どれほど強くなったのかはまだ分からないがな」

「ふーん、また一歩先を行かれちゃったかぁ」


 エルナはそう言いつつ苦笑する。

 もしかすると儂に追いつきたいのかもしれない。別に進化の競争をしているわけではないが、仲間として実力が及ばないのは悔しいのだろうな。

 儂はエルナに笑いかけた。


「儂はお前の羽の方が羨ましいぞ。それともこの見えない腕の方が良かったか?」

「そうなの? じゃあいいかな」


 エルナは急にニコニコと笑顔になる。

 儂の言葉で機嫌を良くしたのかもしれない。


「それじゃあ戻るとするか」

「うん!」


 儂らはペロやフレアの元へと戻ることにした。



 ◇



「では帝国は敗戦を認めるのだな?」

「はい。先の戦いは前ドラグニル皇帝の身勝手に起こした無意味な戦争でした。現皇帝であるスカアハ様は、この事実に酷く心を痛めておいでです」

「そうか……」


 儂は帝国からの使者を目の前にして椅子に背中を預ける。

 皇帝を殺してから二週間が経過した。あれから帝国は早急に次の皇帝を即位させ、終戦への準備にりとりかかったのだろう。

 儂の予想よりも遥かに早い短期間で、スカアハは方針を打ち出したと言うことだ。特にさりげなく前皇帝に罪をなすりつけている辺り、あの娘はなかなかの切れ者だったようだ。


「帝国は五カ国へ賠償を払うことを約束し、田中真一様がいる国には今後一切手を出さないと誓います」


 使者は儂の前に羊皮紙を置いた。

 内容は説明のあった通りだ。帝国は儂に敗北を認めただけで、他国に負けたのではないと読み取れる。つまり降伏したわけではないといいたいのだ。

 ドラゴニュートのプライドの高さがそうさせたのだろうな。

 儂は近くに座っている獣王へ視線を向ける。


「獣王はどう思う?」

「我は別に不満はない。帝国が再び戦争をしたいのなら、望むところだからな」


 聞いた儂が馬鹿だった。獣王はむしろ、もう一度かかってこいと楽しげではないか。

 ちなみにだが、帝国は同じ内容の羊皮紙を他国にも出しているそうだ。

 つまりここにあるは王国宛のもの。

 儂が勝手に戦後処理を決めて良いのか迷うところだが、今更ローガス王に指示を仰ぐのも遅いだろう。


「ここにサインをすればいいのか?」

「はい」


 儂はさらさらとペンを走らせて名前を記入した。

 前皇帝が急死したなどと使者から聞いたが、スカアハは儂とのやりとりを公にはしない決断をしたようだ。

 聖獣が死んだことも帝都に攻め入られたことも皇帝が死んだことも、全てを闇に隠そうとしている。ただ、儂はそれでいいと思った。

 スケルトン軍は人目に晒せるようなものではない。

 闇雲に人を怯えさせる力だ。女帝が全てを伏せると言うのなら儂には好都合。

 そこまで考えて疑問がわいた。


「お前はマルセイ砦を越えてきたのだな? なにか見なかったか?」

「…………何も見ておりません。言えることは、無事に通されたと言うことでしょうか」


 使者は顔を強ばらせて言葉を絞り出した。

 きっと砦を守るスケルトン軍に驚いたに違いない。

 まぁ、むやみに手を出すなと命令してあるので、問題はなかったはずだがやはり必要以上に怯えさせてしまったようだ。

 近々、軍をダンジョンへ戻さないといけないな。


「では受け取れ。それと、王国への賠償金はローガス王宛に送って欲しい。儂には不要だ」

「承知いたしました」


 使者は羊皮紙を受け取ると、深々と頭を下げてからテントを出て行く。

 これで本当に戦争が終わった。儂の三倍返しは完了したのだ。

 面倒なことから解放されて安心して暮らすことができるだろう。

 獣王が儂に声をかける。


「これで連合軍は解散と言うことか?」

「うむ、数日中にはここを去る。ナジィ軍にもそう伝えておいてくれ」

「分かった。しかし、祭りの後は寂しいものだな」

「そう思うのは獣王だけだ」


 さりげなくツッコミを入れると、儂はテントを後にする。



 連合軍は解散し、三日後に各軍はそれぞれの国へと帰っていった。



 ◇



 連合軍解散から一週間前。

 ローガス王国王城の謁見の間にて、二人の人物が玉座に座る国王へ頭を垂れていた。


「ではその首は帝国の大将のものだというのか?」

「相違ありません。エステント帝国ドラグニル皇家皇位継承権第一位の、ガエン・ドラグニルの首でございます」


 ローガス王の目の前に置かれた男性の頭部は、真っ二つになっており壮絶な死に顔だけが見て取れる。見守る大臣や高官はざわついた。

 首を国王の元へ届けたのは二人の男女。

 一人はアービッシュ・グロリス。

 もう一人はフェリア・ベネッセ。


 彼らは戦場においてスキル隠密を駆使し、見事ガエンの首を取ってきたのだ。

 この場にいる誰もが二人がガエンを殺したと勘違いした。もちろん二人の狙いはそこにある。

 勘違いをさせ、国王から報償をだまし取ろうと考えたのだ。

 運が良ければグロリス家との縁が取り戻せる。アービッシュは頭の中で笑っていた。


「よかろう。ではアービッシュ・グロリスの功績を讃え、この国の英雄となる事を許そう。貴様は今日からこの国の生ける伝説だ」


 王の言葉にアービッシュは顔を上げた。想像以上の褒美に驚いたのだ。

 英雄。それは歴史に名を刻むことができた証。戦う者なら一度は憧れる国内最強の称号だった。


「陛下! それはなりません! このような、どこから首を取ってきたのかも分からない者達にそのような称号を!」


 メディル公爵がローガス王へ声を上げた。

 玉座に深々と座る肥え太った王は、公爵を目の端で捉えると軽く手を振る。

 ”この場から出て行け”の合図であった。


「し、失礼いたしました……」


 公爵は一礼すると謁見の間から退室する。

 その様子を見ていた大臣や高官達は口を固く閉ざした。

 公爵が出て行ったことで機嫌を良くしたローガス王は、近くに置いてある器の中からリンゴに似た果物を手に取った。

 ガブリと赤い実を囓ると、その果実をアービッシュの方へ放り投げる。


「余が囓った果物を特別に与えてやろう。食べるがいい」

「ありがたく頂戴いたします」


 アービッシュは迷うことなく果実を拾い上げ、王が囓ったであろう部分に歯を立てる。彼の口の中にほどよい酸味と、鼻を抜けるようなさわやかな香りが広がる。


「食べながらで良い、一つ余の頼みを聞いてはくれないか?」

「なんなりと」

「実はこの度の帝国との戦いにおいて、余の顔に泥を塗った輩がいるのだ。そやつは高々冒険者風情でありながら、余が集めた他国の兵を横取りした。そこで貴様にはその盗人に天罰を与えてもらいたい。必要な物があるのならいくらでも提供してやろう。どうだ? やってくれるか?」

「もちろんでございます。このアービッシュ、必ずや大罪者の息の根を止めて見せましょう」

「さすがは英雄だな。では余はその愚かな男の首が届くのを待つとするか。ぐひひ」


 ローガス王は下卑た笑いを漏らすと、ニヤニヤとガエンの首を眺める。

 彼の頭の中では、顔も知らない男が命乞いをする姿が浮かんでいた。




 第四章 <完>



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

これにて第四章は終了です。これから再び書き溜め期間に入るわけですが、私事により次章開始までに一ヶ月~二ヶ月ほどお時間をいただくことになりそうです。ミックスジュースでも飲みながら、ゆっくりと待っていただけると幸いです。



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