三十一話 倍返しだ!
「く……くくくっ……あはははっ! あいつらの顔を思い出すと笑いが止まらない!」
「アービッシュ様、笑い過ぎですわよ。まだ死んだかどうかも分からないのに……」
アービッシュは止まらぬ笑いを何とか押し殺し、テーブルに置いてある紅茶に口をつけた。
向かい側に座るフェリアも優雅に紅茶を飲んでいる。
「フェリアの言う事も一理あるが、あれだけの深さだ。帰って来ることは不可能だろう」
「そうかもしれませんわね」
フェリアは興味のない様子で紅茶を飲んでほほ笑む。
だが、内心ではエルナが死んだことを心から歓喜していた。
やっとあの邪魔者を排除できたと笑っていたのだ。
エルナとフェリアの関係はそれほど複雑ではない。
サナルジア大森林国においてエルナの家は誰もが知る名家である。
対してフェリアの家は貴族ではあるものの、可もなく不可もなくの目立たない家であった。それゆえ、フェリアはエルナに強い敵対心を持っていた。言うなれば嫉妬である。
そんな黒くドロドロした嫉妬も次第に消えて行く。
対象が死んでしまっては、フェリアもどうしようもないからだ。
なにより勝利したという感情がそれを打ち消していた。
コンコンと部屋のドアをノックする。
音に気が付いたアービッシュが返事をした。
「誰だ?」
「執事でございます。坊ちゃま、お客様がお見えでございます」
「客? だったら応接間に通せ」
「ですが……かしこまりました」
執事は歯切れの悪い返事をすると、ドアの前から去って行く。
その様子にアービッシュは疑問を感じた。
「いつもの執事にしては妙な返事だったな。客とはどんな奴だ?」
「会ってみれば分かるでしょ? もしかすると、あの銀髪の男の幽霊が来たのかもしれませんわよ」
「ははっ、なかなか面白い冗談だ。とりあえず応接間に行ってみるか」
アービッシュとフェリアは応接間へと移動する。
そこで待ち構えていたのは、三十人もの人間だった。
「あんたがアービッシュ様か?」
代表者らしき人物が話し始めた。
「ああ、それでお前たちはなんなのだ?」
「なんなのだじゃねぇよ。依頼されたものをちゃんと持ってきたんだぜ」
男がテーブルに袋に入った物を置くと、それを皮切りに残りの二十九人も次々に、麻の袋や革の袋などをテーブルに乗せて行く。しかも、部屋の外から次々に他の袋も運び込まれ、あっという間に部屋の中は袋の山が作られた。
「な、なんだこれは……」
アービッシュは袋を開けてみると、中には干し肉や野菜などが大量に入っていた。
血の気が引いたのは胡椒の袋である。
それに砂糖を詰めた袋も見られ、明らかに自身の手に余る物ばかりだった。
「それじゃあこれ伝票な。しかし、昨日注文されて納品が今日なんていうのは、今後は止めてくれよ。こっちも貴族様だけと商売をしている訳じゃないんだ」
「納品……?」
アービッシュはすぐに出された伝票を確認する。
そこには確かにアービッシュ・グロリスが依頼と書かれていた。
「俺はこんなもの注文していない!」
「あ? 注文をしてねぇだと?」
部屋の中に居た男達が殺気立った。
「なんだその眼は! 俺は侯爵家のアービッシュだぞ! すぐに持ち込んだものを持ってでてゆけ!」
「なんだ、それじゃあ注文は悪戯ってことかい」
男達は臆することなく淡々と話す。アービッシュはますます怒りを見せた。
「そうだ、どこのだれか分からない者の悪戯だ! さぁ早く帰れ!」
男は一枚の紙を取り出すと、アービッシュへ見せる。
「これは注文書だ。よく見てみろ」
「確認するまでもない!」
「いいからよく見てみろ」
アービッシュは注文書を確認する。
名前の横にグロリス家の印が押されていた。
「これは……当主だけが持つ印じゃないか……」
「それが押されているってことは、俺達が納入した物は正式に取引される物だってことだ。これを断るんなら、俺達は組合に申し出るつもりだ」
「組合!?」
アービッシュは狼狽える。
商売人だけが登録する労働組合は、王都では非常に大きな組織だ。
元々は不当な取引に対抗するために作られたのだが、その影響力は貴族でも軽視できない程である。
しかし、アービッシュは驚きはしたもののすぐに反論する。
「申し出るなら好きにするが良いさ! 俺はお前らの持ってきた物に金を払うつもりはない! 印を押してあろうと、俺とは無関係だ!」
「そうかい。じゃあこっちも商売人として引けねぇな」
男は立ち上がると、商品を部屋から運び出してゆく。
他の男達も同じ考えなのか、同じように商品を外へと持ち出していった。
その様子を見たフェリアは沈黙していた。
「ふん、何処の誰かは知らないが、嫌がらせつもりなのだろう。探し出して死刑台に送ってやる」
「アービッシュ様、これって不味くありませんこと?」
「は? 不味い?」
「ええ、グロリス家の印が押されていると言う事は、あの商人が言ったように正式な取引だと思われます。そうなると、この国の法律によって規制されている取引違反や業務妨害などに引っかかりますし、なによりこの国の流通を支配しているのは組合です。逆らえばタダでは済まないことは明白ですわ」
フェリアの説明にアービッシュは「それがどうしたと言うのだ」と返答をする。
彼はグロリス家の三男である。
武術に関しては幼き頃から神童ともてはやされてきたが、経済などは平民の子供よりも興味を持っていなかった。
「このままではアービッシュ様は、法律で罰せられ、さらにグロリス家は組合の制裁によって食べ物に始まるすべての物が購入できなくなる、と考えられますけど?」
「なんだと!?」
二人だけになった部屋で、アービッシュは驚愕のあまり立ち上がった。
そして、すぐにグロリス家当主の部屋へと飛び込んだ。
「父上! お話があります!」
机で書き物をしていたグロリス卿は、ちらりと彼を見るとすぐに視線を書類へ戻した。
「なんだ騒々しい。ここへは客人も招くこともあるのだ、もっと貴族らしく入室しなさい」
「それどころではありません! 俺の話を聞いてください!」
アービッシュは先ほどの出来事を話すと、グロリス卿はすぐに引き出しを開けて確認した。
「私の印章がない! どういうことだ!?」
「この屋敷に盗みに入った奴が居るのです! そして、それを使って俺に大量の商品を送りつけて来たのです!」
グロリス卿は机を拳で叩いた。
大きな音にアービッシュは黙り込む。
「……お前の名前で送られてきたと言う事は、印章を盗みだした者はお前に恨みを持っているのではないのか?」
「そ、それは……」
「お前への私怨で、我がグロリス家が被害を被るのは断じて許さぬ。よってお前には印を見つけ出して来るまで、この家に戻ってくることを禁ずる」
「父上! それだけは!」
「組合とは私が話をしておこう。必ず印を見つけ出してくるのだ。それまでは私を父と呼ぶことも禁ずる。分かったなら出てゆけ」
部屋を出たアービッシュは、血管が切れてしまいそうなほど怒りに震えていた。
ガリガリと歯ぎしりを繰り返し、握った拳からは血がしたたり落ちる。
「フェリア、俺は怒りでどうにかなってしまいそうだ……」
「心中お察ししますわ。でも、当主様の印章を盗みだすなんて相当の実力者じゃないかしら?」
言葉に彼は思考を巡らせて一人の人物を思い浮かべた。
「奴は殺したはずだ……まさか、生きていると?」
フェリアは少し考えると、アービッシュへ返答した。
「ではギルドへ行ってみましょう。生きていれば、目撃者がいるはずですわ」
「なるほど、じゃあ調べに行くか!」
アービッシュとフェリアは屋敷を後にした。
◇
儂は椅子に座ったまま、手の中にある物を眺めていた。
それはドラゴンを模して作られた小さな判子だ。
「ねぇ、そろそろギルドへ行きましょ」
「うむ、そろそろペロもやってくる頃だろう」
テーブルに判子を置くと、傍にある紅茶に口をつける。
「あれ? この印章どうしたの?」
「拾った」
「落ちてたの? じゃあ落とした人は大変だね」
「そうだな。落とし主が見つかるまで儂が預かっておくとしよう」
儂は判子を握ると、リングの中へ収納した。
実はこの判子はとある屋敷から借りたものだ。
アービッシュの代わりに多くの店に注文を行い、屋敷へ届けるように指定した。
もちろん儂はローブのフードを深くかぶり、顔は誰にも見せていない。
今頃は多くの品が届き困っている頃だろう。
そう、これこそが儂の仕返しだ。こっちは殺されかけたのだ、倍返しが妥当だろう。
そもそもなぜこんな方法をとったかというと、経営者だった頃にされた嫌がらせを思い出したからだ。
会社経営が上手く行きだすと、何処からともなく邪魔をする人間が現れる。
しばらくは嫌がらせの注文にお金を払っていたが、六回目にもなるとさすがに警察に行かざる得なかった。
結局、嫌がらせをしていたのはライバル会社の社員だったことが分かったが、あの時のいらだちはなかなかのものだった。なので、経験を活かした嫌がらせをすることにしたのだ。
そもそも奴がああも傲慢なのは貴族だからだ。
ならば、グロリス家という後ろ盾を失くせばいい。
まず、嫌がらせを発端にして、家族からの信用を失い溝が生まれるはずだ。
それにグロリス家の評判も落ちるだろう。
大量の品を注文をしておいて断るなど、情報が早い商人の間ではすぐに広まる。
この世界では相当な迷惑行為だ。
最後に判子の消失だ。
一族にとって大切な判子が奪われたとなると、どう転んでも大問題である。
そこへ、アービッシュの名前で判子を使われた注文が届けば、嫌でも誰を標的にしたものか分かるはずだ。ますます家族との溝は深まる。
売られた喧嘩は買うつもりだ。
今なら腕っぷしで買う事も出来るが、それでは儂の気が済まない。
奴をあんな風に育てた親にも怒りを感じたのだ。よって、儂はグロリス家に倍返しした。
「わうぅ!」
部屋のドアが開けられ、ペロが入って来た。
どうやら今日の役目は終えたらしい。
さらにペロに続いてメディル公爵が入って来る。
「おお、ここに居たか。真一君を探していたのだ」
「うむ? 公爵殿が儂を探すとは珍しいな」
「いやな、明日で君たちは此処を出て行くだろう? その前に話しておきたいことがあってな」
公爵はそう言って儂の傍に座る。
「話したいこととは?」
「実はエステント帝国が不穏な動きを見せている。君たちは辺境に住んでいて、国境も目と鼻の先だろう? なので十分に気を付けた方がいい」
「ぇえ!? エステント帝国が戦の準備をしているってことですか!?」
エルナの言葉に、公爵は人差し指を立てて静かにするようにジャスチャ―する。
確かに大声で話すような事ではない。
「あの国に住む者の多くはドラゴニュートだ。彼らは高い身体能力持っているだけに野心も大きい。今までは大人しく周りに合わせていたが、これからもそうするとは限らない」
「……ドラゴニュートか。噂ではヒューマンとは桁違いの能力を持っていると聞いたが、むしろ今まで大人しくしていた方が不思議ではないのか?」
「ああ、かつてはヒューマンに対抗するために各種族が一致団結したが、それももはや大昔の話だ。噂ではこの国だけでなく、各国が戦の準備を進めていると聞いている」
「戦争か……」
かつて日本も大きな戦争を経験した。
小さな島国が大国から売られた喧嘩を買ってしまった戦争だ。
儂は戦後に生まれた者だが、幼き頃はまだまだ爪痕は深く残っていたものだ。
できるなら戦争とは無縁で生きてゆきたい。それが儂の気持ちである。
「承知した。十分に警戒をしておこう」
「もし、危険だと思えばいつでもこの屋敷へ避難してくれ。私は君たちをいつでも歓迎する」
「重ねての心遣いに感謝する」
儂は深々と公爵に頭を下げた。
「話は以上だ」
公爵は部屋から出て行った。
息子を亡くしても公爵には休まるときはないようだ。
儂らも彼の力になれればと思うが、冒険者の身ではそれも難しいことだろう。
「戦争かぁ、じゃあ私の国も危ないのかなぁ」
「サナルジア大森林国も戦の準備をしているのではないのか?」
「多分そうだと思う。そうなるとやっぱり帰らないといけないよね……」
「まぁそう悲観するな。まだ戦争になると決まった訳ではない」
エルナは「そうだね」と頷くと、テーブルにあるクッキーを摘まんで口に入れる。
言葉と行動が合っていないぞ。
「さて、そろそろギルドへ行くか」
「うん、明日にはマーナに帰るわけだし、王都での依頼は今日で最後だね」
儂らは屋敷を出ると、ギルドへと向かった。
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