一話 異世界へ転がり込んだホームレス
目が覚めると早朝の肌寒さが突き刺さる。
周りはまだ薄暗く、滑り台やブランコには霜が降りてきていた。
ここは新宿中央公園。
「ふぁぁ、今日も頑張って食糧を集めるか」
背伸びをして、家である段ボールの中から這い出た。
そう、儂はホームレスと呼ばれる生活をしている。
「真一、良い物を見つけたぞ。お前も食え」
儂のところに、なじみのホームレスである繁さんがやってきた。
顔は白い髭がふさふさと生え、ボロボロの青い帽子にボロボロの茶色い服を着ている。いかにもホームレスと言った感じの見ずぼらしい格好だ。
とは言っても儂も同じようなものだ。
黒ひげに顔は覆われ、ボロボロの黒い服にヨレヨレの白いズボン。
今では立派なホームレスだ。
繁さんは儂に近づくと、コンビニ袋を放り投げて傍に座った。
袋の中を覗くと、コンビニのおにぎりが四個も入っているではないか。
「繁さん、いいのか? こりゃあ繁さんの獲物だろ?」
「気にすんな。わしはもうこんな年だからな、どうも朝は胃が受け付けん。それに恩は売っておいて損はないだろ?」
「悪いな繁さん。今度、儂の酒を乞馳走する」
「おお、そりゃあ嬉しい。わしには酒が一番の薬だからよ」
繁さんは元々、医者をしていたご老人だ。
何の因果か、奥さんも子供とも死に別れ、個人経営だった診療所も潰れてしまった。
路頭に迷った繁さんが辿り着いた場所が、ホームレスだったのだ。
孤独だった繁さんをホームレスは迎い入れ、以来繁さんの居場所はこの新宿中央公園となった。
ここには多くのホームレスが居る。
お金が無くなったからという人もいれば、孤独だからという人もいる。
そして、儂もその一人だ。
繁さんに礼を言いながら、おにぎりにかぶりついた。
やはりいつになってもシーチキンマヨは美味い。コンビニ恐るべしだな。
「ところで真一。わしの話を聞いてくれんか?」
「あいよ、繁さんの事だからそうだろうと思ったよ。じゃあ横になってくれ」
繁さんがうつ伏せになると、儂は背中や腰をツボ押ししてゆく。
「ああぁ、やっぱり真一はツボ押しが上手いの。会社経営より、マッサージ店を開けばよかったんじゃないのか?」
「儂もそうすればよかったと思っているよ。けど、もうそんな気力もないさ」
儂こと田中真一は現在56歳。元々はとある大会社を経営していた。
嫁も子供もいたが、全ての情熱を会社に注ぎ込み家族は離れていった。
そんな人生の結晶とも呼べる会社も、他人のミスで責任を追及され代表取締役から引きずり落とされた。いうなればクビだ。
儂が建てた会社が儂をクビにするなんて想像すらしていなかった。
会社を失った儂は全てを失ったも同然だった。
知り合った社長仲間も金が無くなればすぐに離れて行き、周りに残ったのは誰もいなかったという訳だ。実に滑稽な話だ。
だが、再起を望んだ儂はハローワークへ行き仕事を求めた。
アルバイトをこなし、日々仕事をこなしたのだ。
顔が有名だったせいか、多くの者に笑われた。
そして、とうとう限界を迎えた。
どこか遠くに行きたいと東京を走り、宛ても無くただただ走り続けた。
もう限界だ。儂の人生は何だったのだ。
会社にすべてを注ぎ込み、家族すらも犠牲にした結果がこれか。
人生を返せ! 儂の人生を返してくれ!
いつしかたどり着いた場所が、新宿中央公園だったのだ。
ホームレスたちは儂を温かく迎え、話を親身になって聞いてくれた。
誰もが苦労を理解してくれた。皮肉にも高級車の中から笑っていたホームレスこそが、一番の理解者だったのだ。
儂はホームレスになることを決意した。今の生活に後悔はない。
「とろこで真一、聞いてくれんか。今日、起きてから変な感じなんじゃ」
「変な感じ? なんじゃ繁さんはもうボケたのか?」
「わしゃぁまだ78歳だ! まだボケとらんわい!」
繁さんが地面でジタバタと抗議する。
確かに痴呆を発症するには少し早い。だとするならお得意の霊感だろうか?
繁さんは昔から霊感が強かったそうだ。
あまりに見えすぎて、人と間違えて話しかけたこともあるらしい。
それに時々だが、儂には見えない猫や犬を追い払う姿も見たことがあった。
そんな繁さんだからこそ、感覚的な話は興味を感じる。
「それで変な感じとは?」
儂は声をかけつつ繁さんの肩甲骨のあたりを指で押した。
血流が悪いのか、筋肉が固まっている感じだ。
「おおぉ、そこじゃ。そこが一番効くの。それで話の続きなんじゃが、朝起きてからずっと背中のあたりがゾワゾワというか、ゾクゾクと言うかそんな感じで違和感を感じているんじゃ。こんなことは初めてだ」
「繁さんの気のせいじゃないのか?」
「わしもそう思ったんだが、どうも空気がおかしい。まるで巨大な化け物に飲み込まれたような感覚なんじゃ」
「化け物ねぇ……」
繁さんの背中をマッサージしつつ、空を見上げた。今日は曇り空。
今にも雨が降ってきそうな予感を感じさせた。
きっと低気圧が繁さんをそんな気分にさせたのだろう。儂はそう思う事にした。
「うし、マッサージは終わりじゃ。体の調子はどうだ?」
「うん、いいの。やっぱり真一はマッサージ店でも開くべきだったの。うひひひ」
繁さんは首や肩を回すと、ゆっくりと立ち上がって去っていった。
背中を見送ると、儂も公園から出るための準備をする。
ホームレスなんていつも寝ているばかりだと思ったら大間違いだ。
儂らも生きる為に仕事をしているのだ。
とはいってもほとんどは日雇いのアルバイトばかり。
教会などで出される炊き出しなどを利用しないと、とてもじゃないが生きて行けない。
そこで役に立つのが人との縁というものだ。
儂はコンビニの店長と仲良くなり、廃棄物をタダで融通してもらったりしていた。もちろん食中毒になっても文句を言わないのが暗黙の了解だ。
儂は今日もなじみのコンビニの裏口へと行くことにしていた。
路地裏を進むと道ばたにパンが落ちている。儂は拾い上げると呟いた。
「飽食の時代か。いずれは終わりもあるだろう……」
そう呟いたところで、地面がぐらぐらと揺れ始めた。
「な、なんじゃ地震か!?」
そして、聞いたこともない轟音が耳に届いた。
路地裏で壁に背中を預けていた儂は、すぐに表参道へ飛び出す。
空から真っ赤に光る何かが降り注いでいた。
それはビルに当たり、建物を粉砕する。
瓦礫が道路に降り注ぎ、人々は悲鳴を上げながら逃げまどっていた。
それだけではない、遠くに見えるビルや道路が降り注ぐ何かによって破壊されていた。そのたびに轟音が響き、地面が揺れる。
儂はすぐに何が起きているか理解した。
「隕石だ……」
恐怖が足元から這い寄り、儂の脳まで届いた。
すでに目の前を大勢の人々が逃げている。
誰もが泣き叫び、その顔は他人を気にする余裕などないように見える。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
一際大きな悲鳴が聞こえた。
そちらに目を向けると、赤黒い狼のような生き物が女性を襲っていた。
全長約十五mもあるだろう化け物だ。儂は目を疑った。
狼は女性に噛みつくと、がりがりと骨を砕き血を滴らせながら飲み込んだ。
そして、再び狼は動き出した。
逃げる人々に牙を立て、その胃袋を膨らませる。
次第に一頭だった狼も数を増やし、二頭三頭と姿を見ることが出来る。
なんだこれは? 何が起きている?
呆然と立ち尽くす儂に、大きく肩を叩いた者が居た。
「真一! 何をしている! 早く逃げるぞ!」
「繁さん……」
路地裏を儂と繁さんが逃げ始めると、悲鳴は遠ざかっていった。
「繁さん、これは何が起きている!?」
「わしにもわからん! 急に隕石が降ってきたと思えば、化け物が至る所でうじゃうじゃ現れだした! もう東京はおしまいだ! どこか遠くへ逃げるしか――」
目の前を走っていた繁さんの首が、ポロリと地面に落ちた。
ドサリと身体が地面に倒れ、アスファルトにみるみる血が広がる。
「繁さん!?」
繁さんへ駆け寄るが、すでに絶命していた。
何が起きたと思ったところで、真後ろから風切り音が聞こえる。
「くっ!」
その場から避けると、儂の居た場所は深い切り傷が出来た。
「ぐげげげげ」
声に振り向くと、奇妙な生き物が儂を見ていた。
黒い布を羽織り、隙間からは黄色い眼が覗いている。
布から延びる緑色の皮膚をした手は、大振りの鎌を握り宙を浮いていた。
まるで小さな死神だ。
「ぐぎゃぁ!」
死神が鎌を振ると、離れた場所にある電柱が切断され、火花を散らせながら倒れた。繁さんを殺したのは奴で間違いなさそうだ。
地面に落ちていた鉄の棒を握ると、死神へ振りかざす。よくも繁さんを!
「ぐぎゃぎゃぎゃ!」
死神はスイッと攻撃を避けると、鎌を儂の首めがけて切り上げた。
「あ…………」
視界が回転し、思考が何十倍にも引き延ばされる。
生まれた家や家族の映像が流れ、小学校、中学校、高校、大学と学生生活の思い出が流れた。匂いも音も会話も全てが動画のように再生されるのだ。
大学のキャンパスで一際美しい女性が目に留まる。儂の後の妻だ。
あの時はお互いに愛し合っていた。今頃はどうしているのだろうか。
妻は儂に駆け寄ると笑顔でキスをした。
子供が生まれた。儂にはもったいないほどの宝だ。しかも男の子。
この子の為に働こうと思った。儂のすべてを捧げてもいいと思えた。
妻と子供が出て行った。儂には何も残らなかった。
子供を取り戻そうと走り回ったが、妻も子供も消息が途絶えたのだ。
だから儂はますます仕事に打ち込んだ。
もう止めてくれ! 思い出させないでくれ! 儂はもう……もう……!
「痛い!?」
尻を打ち付けた。
なんだか裸で尻を打ったような痛みだ。
「なんじゃ一体……いたたた」
尻を擦ると、やはり何も履いていない。
体を触ると服も着ていない。裸なのだ。
周りを見ると、薄暗くどこかの通路のように見えた。
床も石畳のようで、古めかしい岩のブロックが敷き詰められている。
どこだ此処?
壁に背を預けると途方に暮れた。
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