終わりの邂逅

@bakasawagi

第1話終わりの邂逅

 夜分遅くに失礼するよ。起きてるかい?

「……おお、これはこれは。貴方様でございますか」

 眠っているところに悪いね。気分はどうだい。

「おかげさまで。それで貴方様が出向いたという事は……」

 ああ、そういう事だ。

「なら、早速いきましょうか。準備はもう済んでおりますゆえ」

 いやいや、焦らなくていい。まだ次まで三十分ある。ちょっとゆっくりしていこう。

「左様ですか。でしたら其方の椅子にお掛けください。只今お茶を淹れます」

 気は遣わなくてもいい。

「大丈夫でございます。ペットボトルのお茶なので」

 なら頂こうか。何があるんだい?

「麦茶だけで御座います」

 成程、確かにお茶に違いは無いか。

「あっしは緑茶よりこちらの方が好みなので。ささ、どうぞ」

 うむ。

「さて、今更ですが挨拶がまだで御座いましたね。『お久しぶり』、と言うべきでしょうか。それとも『初めまして』というべきか」

 ふむ? 君と会うのは今日が初めてと記憶しているが。

「何をおっしゃいますか。乳飲み子の頃からの付き合いじゃあ御座いませんか」

 言われてみれば確かにそうだな。

「して、貴方様はそのような御姿をしていたのですね。もっとおっかない御姿だとばかり」

 職業上致し方ないところだ。意外かね?

「ええ、それはもう。ですので驚きを隠せませんよ」

 にしちゃあ冷静じゃあないか。

「曲がりなりにも一世紀を生きてきましたからね。顔に出すほど若くはございませんよ。もっとも今にも昇天しそうですが」

 それなら手間が省けて助かる。ふははは。

「いやはや、お人が悪い」

 さてと、まだ時間はある。何をしたものか。

「そうですね。なら、貴方様の事をお聞きしたい」

 私の事をか?

「ええ、今更あっしの事で話すことはありますまい。なら、冥土話として貴方様の事を聞きたいのです」

 ふむ、そこまで言われてしまえば断る道理はない。何が聞きたい?

「そうですねえ。でしたら、お仕事の事をお聞かせ願いたい」

 仕事の事か? まあ良いが。

「やはり大変で御座いましょう? ここいらの生物を管理するなど」

 私の担当はまだ良い方だ。虫や植物を担当する同僚たちの方が気の毒だ。

「虫に植物もですか。確かに気の遠くなりそうな話で」

 何も一々単体で管理しているわけでは無いが、数が人間の比ではないからな。

「ではもう一つ。貴方様はどのくらい前からこのお仕事に就いておられるので?」

 そうだな。確か君の爺様の世代からこの地区の担当になったが、仕事自体ははるか前だ。

「成程。でしたら相当な数の人間を見送ってきたのでしょう」

 星の数とは言わぬが、それほどにはな。

「因みにその時の反応は?」

君ほど迎えてくれる者は少なかったな。大半は私を見て怯える。

「でしょうねえ」

 今更だが、なぜ君はそこまで平常心を保っているのだ?

「何故かって、そりゃあ未練がないからですよ。いつでもポックリ逝ける様に身支度は済ましておきましたので」

 中々割り切れるものではないと思うが。

「何を仰いますか。死ぬ間際まで足掻くより、ありのままを受け入れ往生するほうが幸せじゃありませんか。『生きたい』も『死にたい』も生きている我々にはとても贅沢な願いで御座いましょう」

 そこまで達観するとは。君は死ぬのが怖くないのか。

「そうですねえ。まあちょいと不安ではあります。さりとて楽しみでも御座います」

 楽しみ、とな?

「ええ、これはあっしの悪い癖で御座いますが、未知なものを前にすると解明したくて気が昂るので御座います。湧き上がる知的欲求を止める事が出来ないのでさあ」

 流石は稀代の変人学者。未知の世界すら君の前では研究対象か。

「惜しむべくは、全てを証明してもこの世に残せない事でしょうかねえ」

 相も変わらず奇異な発想の持ち主よ。

「ははは、奇異ですか。あっしにからすれば全ての他人が奇異で御座いますよ」

 自分が変わっているという自覚は皆無か。

「それでは問いますが、世界には上り坂と下り坂、どちらが多いと思いますか」

 いきなり何だい?

「まあまあ、お答えくださいな」

 はあ……答えは【同じ】だ。坂は下から見上げれば【上り坂】、上から見下ろせば【下り坂】。違いは視点だけで後は変わらぬ。

「つまりはそういうことで御座います。地球人からすれば火星人は【宇宙人】のくくりですが、火星人からすれば地球人も【宇宙人】なのと同じ事です。大体ごまんといる人間が全て同じ規格だった方が不気味じゃありませんか」

さて、もうそろそろ時間だ。

「そうですか。あ、ちょいとお待ちくだせえ。最後に一つやり残したことが」

 む? 遺書か?

「いんえ。そっちはもう済ませております。ただの書置きでさあ」

 ……もし、君が望むのであれば日を改めて迎えに来るが。

「お気遣い痛み入ります。ですがお気になさらず」

 本当に良いのか?

「さっきも申したでは御座いませんか。ありのままを受け入れて死ぬのが一番幸せだと」

 見送りがいないのでは物足りぬまい。

「だからいいので御座いますよ。もし泣かれて見送られちゃあ逝ける処も逝けませんよ」

 だが最後なのだぞ?

「あっしはですね、もう満足なのです。確かに死に様は思うようにいきませんでしたが、生き様は思うがままに描けた。終わり良ければ全て良しという言葉がありますが、あっしの歩んできた道は死に様で全てが良くなるような安いものでは御座いません。いい人生だった。それで終わる話なのです」

……そうであったか。君の覚悟に水を差すような事を言って悪かった。

「覚悟だなんてそんな大層な。ただの我儘で御座いますよ」

 ……して、何を書き残したのだ?

「ええ、大体は遺書に書きましたから、とりあえず『葬式では笑って見送るように』と」

 なかなか酷な事を言う。

「良いのですよ。私はこの世に生を受けた時に両親に笑顔で迎えられました。ですので最後も笑われながら送られたいのですよ」

 君の認識がかなり変わった。なかなかどうして自分勝手な輩だな。

「うひひひ。お褒めに預かり光栄です」

 さて、そろそろ行くとするか。再三言うようで悪いが、未練はないな?

「これっぽっちも。欲を言りゃあ孫の晴れ姿を見たかったが、三歳児それを望むのは無理な話で」

 三歳児か。もしかしたら憶えていないかもしれないぞ?

「別に構いやしません。『天才学者』と言われた爺がこんなちゃらんぽらん男だと知らなくて済むのですから」

 将来の伴侶を連れてきたときは文句を言えんぞ?

「それは親の役目で御座いましょう」

 ほう、黙ってみていると。

「そうは問屋が卸しませんよ。挨拶しない輩にやるもんは何一つない。まずはこちら側にご招待ですよ」

 孫の夫を殺す気か。

「大丈夫ですよ。私のお眼鏡に敵えばちゃんと返しますよ。夫になれない奴だけ死ぬのですから」

 私の前で殺害予告とは良い度胸をしているな。

「ははは、冗談ですよ。ちょいと戯れているだけで御座いますよ」

 まったく……さて、準備は良いか。

「……ふふっ」

 今度はなんだ?

「いえ、ふと楽しみになったのですよ。盆の時期に家族にちょっかい出すのが」

 こんな先祖を持って大変だな。君の一族は。

「やっぱり枕元に立つのが定番ですよねぇ」

 こんな喜々として死んでいく者は初めてだぞ。

「何を仰いますか。死ぬことが悲しいとでも?」

 ……もう何も言うまい。

 最後に私から一言。最後までご苦労だった。

「いえいえ、こちらこそ誠に有難う御座いました。またいつか会う時があれば」

 ああ、さらばだ。解明院不知継世居士。

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