第2話

「……リー、マリー起きて」

 目の前にお母さんがいました。周りを見て、わたしがベッドで眠っていたことを知ります。くまさんはわたしの腕の中にいましたが、一言もしゃべりません。ひょっとしたらわたし以外の人に話すところを見られてはいけないのかもしれません。この前お母さんが読んでくれたご本に登場する妖精さんも、たしか同じようなことを話していました。

「何をしているの、早く着替えて朝ご飯を食べて。忙しいんだから」

 お母さんはそう言って、お部屋から出て行きました。わたしはもそもそとベッドから這い出て、お部屋のドアを開けます。

「うわっ!」

 お部屋の外は汚れていました。廊下の端っこの方は埃が積もっていて、壁も黒くなっています。一体どうしたのでしょうか。

 変なのは家だけではありません。朝ご飯もです。

「……お母さん、何これ」

「何って、朝食よ。どうしたの?」

 お皿の上には真っ黒で小さなパンが一個あるだけでした。見るからに硬そうです。

 わたしはくまさんの言葉を思い出します。そうです。くまさんによれば、きっとこのパンもいつも食べているものよりおいしいはずなのです。わたしは真っ黒なパンを持って一気にかぶりつきました。

「……」

 やっぱり硬いです。でもお腹が減っていたので、わたしは我慢してそれを食べきりました。

 とその時、ウゥ~~~とサイレンが鳴りました。まだお昼の十二時には早いです。今日は何かの記念日だったのでしょうか。

「何をしているの! 早くこっちに来なさい!」

 わたしが椅子に座ったままぼうっとしていると、お母さんが大きな声を上げてわたしを抱え上げます。驚くわたしを無視して、お母さんは床の板を外してその中にわたしを押し込みました。続いてお母さんもやって来て板を床の穴に被せました。真っ暗です。

「お母さん、何――」

 わたしが言いかけたその時です。ドンドンドンドン、ドォンという大きな音が上からやって来ました。お母さんは覆い被さるようにわたしを抱きしめます。お母さんは震えていました。

「そうだ、ねえお母さん、お父さんは大丈夫なの?」

 何が起こっているのか分かりませんが、とにかく上でとても怖いことが起こっていることだけは分かります。お父さんはここに来なくて良いのでしょうか。

「何を言っているの、お父さんはもうここにはいないでしょう!? お父さんは戦争に行っているの!」

 ここはすでに真っ暗ですが、目の前がそれ以上に真っ暗になりました。十秒くらい経って、ようやく頭が動き始めました。

 戦争、何度先生から聞いたことでしょう。人と人が殺し合うという意味です。百年くらい前にとても大きな戦争が起きて、どの国も大変な目に遭ったと先生は言っていました。それが今、ここで起きているのでしょうか。

 わたしは覆い被さるお母さんの腕を擦り抜けて、床の板を外しました。響いていたドォンドォンという音が大きくなりました。悲鳴も聞こえます。わたしはお母さんの声を無視してベッドのあるお部屋へと走りました。

「くまさんっ!」

 ドアを開けると、くまさんはベッドの上に立って窓から外を見ていました。その周りにはガラスが飛び散っています。わたしは迷わずくまさんの所に駆け寄りました。痛いですが、今はそれよりも大事なことがありました。

「ねえくまさん、どういうことっ。何で戦争が起きているの? かがくすいじゅんが遅れればみんな幸せになれるんじゃないの!?」

 わたしはくまさんの肩をつかんで思いっ切り揺らします。くまさんは申し訳なさそうな顔をしていました。

「ごめんマリーちゃん。僕は大変な思い違いをしていたんだ」

「どんな?」

「うん。……僕は、人間はたとえ食べものがなくても、ちゃんと協力し合って、食べものを調達して生きていけるものだとどこかで期待をしていたんだ。でも僕は忘れていたんだ。人間には闘争本能があるってことを」

「とうそうほんのう?」

「他の人よりも偉くなりたい、食べものを独り占めしたいっていう心のことさ。少ない食べものをみんなで分け合うよりも、他の人の食べものを奪ってでもお腹いっぱい食べたいって人が、僕の思っていた以上にいっぱいいたんだ。それで食べものの奪い合いが始まっちゃったんだ」

「そんな……そんなのダメよ!」

 わたしがお願いしたのはこんな生活じゃありません。こんなものは、あってはならない世界です。

 わたしは再び手を組んで、目をつむりました。

「神様。かがくすいじゅんを元に戻して、人間からとうそうほんのうをなくして下さい」

 最初のお願いと同じようにお部屋が明るくなって、わたしは倒れてしまいました。

 くまさんが何かを言っていたようですが、大きな音にかき消されて聞くことは出来ませんでした。

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