第2話

「えーっと、白川君でいいのかしら?体の具合はどう?まだどこか痛むとかはない?」

 そういって、今意識を取り戻したばかりの仰向けに寝転がる僕に、黒木さんは心配そうにしゃがみ込んで話しかける。が、きっちりとスカートを手で押さえながらなので、別に何も見えない。

 「? !! あれ?僕、何で!? 確か・・・??」

地面の手触り、そして首を回して見える柵からして、ここは屋上で間違いないだろう。最後の記憶が屋上だから、僕はずっとここで意識を失っていたようだ。だが、まだ夕方だったはずの朱色の空は、いつの間にか星がさんさんと輝く夜空となっていった。

 「無理に思い出さなくていいわよ。自分が一回死んだんだって今思い出してもどうせ混乱するだけだしね。それにどうせ補足部分が必要になるだろうし。とにかく、何があったのかの説明はまた明日ってことで。私もう疲れたから。じゃーねー。」

「え?あ、ちょ・・・」

一人で話を進めようとする黒木さんに何か言おうとするが・・・

「いいから。今から説明しようとしても、もう夜よ。大丈夫、明日またここに来たらきちんと全部話してあげるから。では。」

黒木さんはさらっと僕を黙らせて一回ニコッと笑うと、出入り口の方へスタスタと歩いて行ってしまった。

 え?え??えぇ!!?

 意味が分からない。僕は一体何でここで意識を・・・?というか僕が一回死んだって言ってなかったか?

 混乱して思考が追いつかない。それがますます僕を混乱させる。

 ・・・・・・・・・

 「・・・寒っ。」

 何故か下の部分が切れて短くなっている制服の上着を着ていた僕は、まだ肌寒い四月の夜の気温に耐えられなかったようだ。

「・・・帰るか。」

今日のところはもう諦め、僕は大きなくしゃみを残して屋上を去った。


   **********


 翌日。学校からの帰路でのこと。

 「唐突だけど私、実は魔法使いなの。」

昨日の黒木さんの言葉通り屋上で再会した僕たちは、何故か黒木さんの家へと移動しながら昨日のことについて何があったかを話していた。大抵の生徒は部活動へ、帰宅部の人はさっさと帰ってしまうので周りの人に聞かれる心配はない。『それならば今移動しているうちに話しても変わらないのでは?』みたいな雰囲気になったのでもう昨日のことについて話を進めている。

 さっきの台詞はその冒頭の内容である。

「・・・え?」

僕は予想だにしていなかった展開に聞き返すことしかできない。

「・・・魔法使い?」

「そう、魔法使い。どう?驚いたでしょう?」

「そりゃ・・まぁ。」

『どう?驚いたでしょう?』の辺りのドヤ顔が何となく気にくわなかったが、そこはスルーして話を続ける。

「信じられないでしょうけど、魔法使いは実在するの。しかも結構な人数いるわよ。魔法使いの存在がバレるとまた大変だからみんなひた隠しにしているけれど。」

「へぇ。じゃあ、学校にも誰か他に魔法使いいたりするの?色々と便利そうだね。」

半信半疑というか、場を和ませるための黒木さんの冗談として僕は受け取ったので、軽くその冗談に付き合うつもりで言葉を返したのだが・・・

「・・・あなた、信じてないでしょう?」

ジト目でそう返されてしまった。頬をプクッと膨らませる仕草が子供っぽくて可愛い。

「い、いやっ・・・冗談だって。・・・それが昨日のことと何か関係があるの?」

「えぇ。大アリよ。」

まだ黒木さんの機嫌は完璧に戻っていなそうだが、話を続けてくれる。

「そもそもあなたって一度死んだのよ、あの時。」

「えっ!?」

「それでこのまま目の前で死んじゃうのもアレだったから、この寛大なる私が魔法を使って助けてあげたのよ。左手の甲を見てみなさい。」

僕は腕時計を確認するかのように左手を目の前に持ってくる。別段いつもと変わらない、普通の見慣れた僕の手だ。

「“汝に宿る刻印よ、今、再燃せよ”」

黒木さんが何か呪文のようなものを唱える。

「!! ウォ!!!」

途端、左手が痛みに襲われる。いや、痛みというよりは、火傷でもしたかのように熱い。辺りに火傷を負うような熱を放っているモノはない。だとしたら、さっきの変な呪文が関係しているのか?僕はあまりに熱いので慌てて手の甲を押さえる。が、

「これくらい我慢しなさい。あと、手を隠したら何の意味もないじゃない。」

黒木さんは何もかも分かっているといった感じで、暗に手を放せと言ってくる。

「いや、・・熱いって・・・」

「いいから手を放しなさい。」

「あ、ちょっと!!」

 若干イライラしてきた黒木さんが強引に押さえていた僕の右手を放す。これで僕の手の甲を隠すものは無くなった。僕は恐る恐る左手の甲を見る。

「・・・え?」

手の甲には、黒で描かれた魔方陣のようなものが印されていた。えらく複雑で、漫画やアニメなどでたまに見る簡素な魔方陣とは比べものにならない。線の一本一本が限りなく細く、設計図を縮小コピーしたような緻密さを感じる。そんな魔方陣が、僕の手の甲いっぱいに大きく刻まれていた。

「その魔方陣が魔法であなたを助けたという証。呪文を唱えるだけで手にこんなものが浮き出てくるなんて、魔法使いでなければ出来ない芸当よ。少しは話を真面目に聞く気になった?」

黒木さんは得意げな表情で口元を小さく笑みの形にすると、

「“戻れ”」

そう言ってまた何事もなかったかのように魔方陣を消した。

 「・・・カッコいい・・・・・・!!」

ふいにそんな言葉が口から漏れる。

「はい?」

黒木さんは意味が分からないといったふうに首をかしげる。

「・・・何ソレ?魔法?超カッコいいじゃん!!さっきのは呪文?呪文なの?何その思春期男子が憧れるような力は!?」

「・・・ハァ。」

何を言ってるんだという目でこちらを見る黒木さん。どうやらこちらの興奮がいまいちよく伝わっていないらしい。

「・・・とにかく、何で僕は死んだの?というか本当に僕は死んだの?死んだんだったら、じゃあ僕は何で生きてるの?」

一番のツッコミ所に突っ込んでみる。何故か普通に僕が死んだという前提で話が進んでいたが、それだと今ここにいる僕は一体何なんだ?

「あぁ、」

と、まるで今思い出したかのように黒木さんはそう言うと、続いてそれに衝撃の一言を加える。

「言い忘れてたわ。あなた、もう人間じゃないのよ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

衝撃的すぎて、僕は呆気にとられて何も言えず、前を歩く黒木さんをただただ見つめるしかなかった。その中で自分の鼓動がどんどん早まっていくのを感じる。

 僕はもう人間じゃない? じゃあ僕は一体何者なんだ? 昨日、何があったんだ?

 自分はこれからどうなってしまうんだ?

 黒木さんはそんな僕のことなんてお構いなしに、話を続ける。

「まぁ助けようと思ったときにはもうあなたは死んでいたしね。だから、私の魔法であなたを私の奴隷とすることによって、あなたは奴隷として新たに生まれ変わったってわけ。お分かり?」

そういう間にもう黒木さんの家に着いたのか、黒木さんは足を止める。そしてこちらを振り返り、昨日のようにまたニコッと笑うと、口を開いた。

「じゃあまずは私の家の掃除から初めてもらいましょうか。よろしくね、奴隷さん。」


   **********


 学校から徒歩約二十分の距離にある黒木さんの家。意外と僕の家に近く、辺りはかなり知った家が並んでいる。というか一分歩けば僕の家だった。これだけ近いなら登校中に一度くらいは会っていそうだが・・・登校時間が違うのだろうか?

 黒木さんの家は大きくも小さくもない二階建ての普通の一軒家で、乗用車が二台停められる幅の広い駐車場と、その隣にかなり広く場所を取っている植物園が印象的だ。ご両親がそれなりに裕福なのだろうか?が、今その植物園には充分に手入れが行き届いていないのか、枯れた花や異様に背の高い植物が目につく。何だかお化け屋敷のようで少し気味が悪い。

「・・・今、何か失礼なこと思ってない?」

「え?・・い、いやそんなことは・・・・・・」

「・・・『気味が悪い』って顔に出てるわよ。」

「ハッ、しまった!!」

「やっぱり思ってるんじゃない!!」

 そんなことを言い合った後、洋風の小さな門を開けて中へと入る(門!)。そして黒木さんが鍵を取り出しこちらに投げてきた。

「開けて。」

などと、あんたはどこのご令嬢だと言いたくなるような命令口調でぶっきらぼうに黒木さんは言う。

「あ、はい。」

女子からの命令というのもなんだか興奮するモノがあるので素直に了承してしまった。というか他人に鍵を渡すなんて常識上有り得ないことだが、一体先の奴隷発言といい、黒木さんは何を考えているのだろう?

 手に取った鍵を持ち替え、ドアに取り付けてある鍵穴へと差し込む。心地のいい振動が利き手へと伝わり、そのまま左に九十度傾ける。

「よろしい。」

腕を組んで満足げに頷く黒木さん。何だか犬にお手をさせて満足している飼い主のようだ。が、それも一瞬、怪訝な顔に変わってしまう。

「?何をしてるの?早くドアを開けなさいよ。」

「え?これも僕が!?」

「そうよ。早くしてよ、時間がもったいない。」

黒木さんは、まるで僕がドアを開けるのを当たり前だと思っているかのように急かす。

「・・・ふぅ。」

思わずため息が漏れてしまう。具体的には大したことは何もしてないのだが、精神的に疲れているのだろう。が、それに黒木さんが気づいたようで、

「何、そのため息?命の恩人に対して何か不満でもあるの?また死にたいの?」

「うっ・・・」

イラッと、まるでそのような擬音が発せられたかのように黒木さんは眉をひそめる。ヒヤリと僕の背筋に緊張が走り、体が硬直する。別に黒木さんは殺気などを放っているわけではないが、何だか身の危険を感じてしまう。先ほど魔法の存在を目の当たりにしたからだろうか?

 僕は急いでドアノブに手をかけ、家の中の様子を想像しながらドアを開ける。その間から黒木さんが僕をスッと抜き去り、中へと入っていく。何故だかとてもズルく感じるが、普通は家の主が先に入るものなのだと思い直す。では何故黒木さんはよそ者である僕にドアを開けさせたのだろうと、ますますよく分からなくなってしまう。そんなことを考えながらも黒木さんに続いて僕も玄関をくぐる。

「・・・何じゃこりゃ。」

「・・・悪かったわね、片付けの出来ない女で。」

「・・・・・・いやもう片付けっていうか・・・・・・・・・」

 玄関に入って左手前、・・・客間だろうか?何年掃除をしていないのか、埃がまるで分厚い絨毯のように広がっている。

 右手前から奥まで、ダイニング、キッチン、そしてリビング。ここはまぁ主な生活場所だからだろう、比較的さっきの客間よりかは足を置くスペースがある。それでも所々に埃は積もっているが。黒木さんは先ほど、自分のことを『片付けの出来ない女』と言っていたが、物などはあまりない。最小限の家具類が四隅に少しずつ置かれているだけだ。

 中央に延びる廊下からは階段のようなものがかすかに見え、そこもまた埃がかなりの量積もっている。普通、人がいなければ埃は積もらないはずだが・・・一体何があった?

 「・・・ただ掃除を面倒くさがってやっていないだけでは?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・そうとも言う。」

「・・・ハァ。」

掃除、と軽く黒木さんは言っていたが、これはかなりの重労働になりそうだ。物は少ないが、溜まりに溜まっていた汚れが大きな壁となって・・・ん?

 「ねぇ、まだ色々と説明終わってないんだけど。魔法を使って奴隷になったって言われてもよく分からないし・・・第一僕は何で死んだの?」

このまま流れで掃除をする感じになっていたが、今日僕は黒木さんから昨日のことについて全て話してもらう予定だったのだ。危うく今日の目的を忘れて昨日出会ったばかりの他人の家を掃除するところだった。

 気だるげに大きく息を吐いた黒木さんは、面倒くさそうに回答する。

「あなたはそれしか言えないの?毎回何かあれば説明だの色々と話せだの・・・、あなたも奴隷の一人なら文句一つ言わず主の命令を忠実にこなしなさいよ。」

「いやだから、その奴隷の意味が分かんないんだって。魔法使いは人を助けるとその人を奴隷に出来るの?」

「・・・一度死んだ人を生き返らせる場合はそうなるのよ。あなたは人間としてもう死んでしまったから、奴隷としてしか生き返らせられないの。」

「じゃあ、僕が即死した理由は一体何なの?」

「ぅ・・・・・・・・・」

 黒木さんは言葉をつまらせ、どうしたものかと何か悩んでいるような素振りを見せる。というか人の玄関前で僕たちは何を話し合っているのか、だんだんと分からなくなってくる。そういえば黒木さんの親御さんは?鍵がかかっていたし、留守なのだろうか?

 「・・・・・・・・・ああもう!」

黒木さんは口をもにゅもにゅと動かしては、それと同時に目を右・左・上・下・・・と泳がす運動を止め、意を決したかのようにこちらを振り向き、今までの悪事を全て吐露する子供のように、家中に響く大きな声で叫んだ。


「私の攻撃魔法が誤ってあなたにぶつかってしまったの!!!それが原因であなたは死んでしまったけど、急いで生き返らせたけど、私が殺したってことがバレるのが嫌で仕方なく私が助けたってことにしてしまいましたゴメンナサイ!!!!!」


   **********


 所変わらず黒木さんの家。僕たちはリビングのテーブルに向かい合って座り、各々の表情で沈黙していた。

 僕は先ほどの黒木さんの台詞を反復しながら、どう反応すべきか悩んでいた。

 黒木さんは顔を真っ赤にして俯きぷるぷる震えていたが、やがて大分落ち着きを取り戻したのかテーブルに突っ伏した。そのまま微動だにしない。

 「それで・・・何で黙っていたの?」

重い空気の中、僕がゆっくりと口を開く。何だか警察の取り調べのようだ・・・そうすると僕が警察官か。

「・・・普通、殺してしまった相手に『私があなたを殺した殺人犯です。』なんて言えないでしょう?あなたが目を覚ました時の私の心拍数、尋常じゃなかったんだから。」

人形のように固まってしまった黒木さんから、くぐもった声が聞こえる。テーブルと顔の間で反響しているからなのだが、えらく不機嫌そうに聞こえる。

「・・・私が助けてあげたってことにすれば、あなたも私に心酔してうやむやに出来ると思ったのだけれど・・・・・・世の中そう上手くはいかないわね。」

平坦な口調でサラッととんでもないことを言う黒木さん。『私に心酔して』って・・・人の心が全く読めないのか、よっぽど自分の容姿に自信があるのか・・・・・・まぁ、可愛いんだけど。

「『もう遅いから説明は明日』っていうのも、いきなりだと何かボロが出そうだったから早くこの場から逃げ去るために取った手段だというだけです・・・ハイ。」

 一度しゃべり出したおかげで吹っ切れたのか、つらつらと感情のこもらない口調で淡々と黒木さんは話す。凛とした黒木さんを見慣れているせいか(まだ会って一日しか経っていないけれど)、こういつもとは違う、弱い部分を見せられるとまたドキッとしてしまう。しかも今この状況は圧倒的に黒木さんに非があるわけで・・・安心感というか、優越感といった感情が僕の中に生まれつつある。

 「とりあえず一回奴隷として働かせれば、白川さんも適当に納得してくれると思っていました。」

「・・・でも、僕がしつこく説明を求めたからもう誤魔化しきれないと思って・・・」

「意を決して自白しました。」

「・・・よろしい。」

 何が『よろしい』のかは分からないが、大体昨日に何が起こったのかは理解できた。

 「フゥーーー。」

僕は大きく息を吐いて伸びをする。昨日僕の頭にあった大量の疑問符を一気に消すことができて、精神的にスッキリした気分だ。

 黒木さんはまだ動かない。長い髪がテーブルの上にバラバラと乱れ、普段の黒木さんからは想像も出来ない姿を見せている(だからまだ出会って一日だって・・・)。

 「黒木さん、箒とか・・・どこにあるか分かる?」

僕は椅子から立ち上がり、首や肩をほぐす。とりあえずまずはこの大量の埃をどうにかしなければ・・・箒か、または掃除機が欲しい。

「えっ・・・?」

久しぶりに黒木さんが顔を上げる。その顔は『何故そんなことを?』といった驚きの表情に満ちあふれている。

「掃除するんでしょ?ならいっそこれ以上ないようにピカピカにしようよ。」

「そうは言ったけど・・・」

黒木さんの驚きの表情に、少しばかり戸惑いといった表情も入り交じってくる。

「だって・・・私はあなたを殺した張本人なのよ?本来なら復讐として逆に殺されても文句は言えない・・・。それなのに、あなたは何を考えてるの?」

わけが分からない、といった顔でこちらを見つめる黒木さん。ゆっくりと後ずさりながら奇異の視線を僕に浴びせる。

「・・・まぁ、いいじゃん?別に僕は何の不自由もなしに生活できているし・・・それに、何だか萎えてる黒木さんを見たら怒る気も無くなってきちゃった。」

 元々、僕に黒木さんに対して怒ったり復讐するといった感情は無かった。目の前にいる人が僕を殺した犯人だとしても、それは同時に僕を助けてくれた恩人でもあるのだ。しかも黒木さんは意図的に僕を殺したのではなく、誤って放った攻撃魔法が偶然にも僕に当たってしまっただけなのだ。ならば僕が怒る理由も、復讐する理由もない。僕に出来ることとすれば、そんな不幸にも死んでしまった僕を、『生き返ったら殺し返されるかもしれない』という恐怖に怯えながらも助けてくれた黒木さんに、恩返しをすることだ。家の掃除程度ではとても返しきれるものじゃないけれど、これからの一生を奴隷として黒木さんのために尽くしていけば、きっとこれまでの恩を全て返すことも出来るだろう。僕は一度死

んだ身、それならば 「・・・・・・このまま、奴隷として私の元で生きる気?」

「んー、そうなるのかな?なんだかんだ言っても、もう僕は奴隷なんだろう?じゃあ、その使命を全うするよ。」

黒木さんは一瞬呆気にとられたかのように口を開けたまま硬直していたが、徐々に顔を真っ赤にしながら頬を緩ませた。

「・・・分かったわ。ならば、あなたの全てを私に捧げなさい。心も、体も・・・命も。私のことだけを見て、私のことだけを想って・・・私のために生きなさい。」

黒木さんも立ち上がり、頬を赤らめながらも真っ直ぐと僕を見つめ、こちらに右手を差し出しながら、言った。僕も同じように右手を出し、握手に応じる。

 ちょうど窓から入った夕日の光が僕たちを照らして、昨日の、夕日に照らされながら佇む黒木さんの姿が思い出される。

 あの時と比べ、少し触れあう程度には、二人の距離は近づいていた。


   **********


 黒木さんの家は決して散らかっているのではなく、ただただ掃除をしていないだけなので、掃除は簡単に済んだ。

 簡単といってもとにかく量がスゴイので、身体的疲労は十分に蓄積したのだが・・・埃を取るだけなのに、何度も心が折れそうになるとは、さすがだというところだろう。

 といったところで一つ頑張ったわけなのだが・・・・・・・・・

『あっ・・・・・・』

『何?どうかした?』

『その・・・実はこれ、あなたに有無を言わさず働かせるために用意した、ダミーの埃なの。・・・・・・つまり、これは魔法で作った物です。ごめんなさい。』

『黒木ィィィ!!!』

という、何とも残酷な結末となった。道理でものすごい量の埃だったわけだ。

 黒木さんに集めた埃を消してもらい、僕たちは無駄働きの疲れを癒そうとティータイムを取っていた。

 改めて、埃のないきちんと掃除の行き届いた黒木さんの家を見る。といっても・・・なんとテレビがない。床にぽつんとある四人掛けのテーブル、それに合わせて四つの椅子。それと隅にある棚。リビングにある家具はこれだけだ。良く言えばスッキリしていて、悪く言えば寂しい。

 「物がないとはさっきから思っていたけど、無さ過ぎじゃない?」

僕は、向かいの席に座り、紅茶が冷めるまで待っているのだという暇そうな黒木さんに問いかける。

「どうしても必要な物は買うわ。けれど、別に無くても困らない物は買わないことにしているの。お金無いし。」

黒木さんはそう回答して、そろそろ頃合いかとティーカップを持ち、ゆっくりと紅茶を口に運ぶ。けれどどうやらまだ冷めていなかったようで、ピクンと小さな反応をした後、眉間にしわを寄せ不機嫌そうにティーカップを下ろした。

 そんな黒木さんを見て微笑ましく思いつつも、僕はあることに気づいた。これは憶測だが、黒木さんは一人暮らしなのだろうか?さっきの回答は、まるで黒木さんが家具を全て用意したかのような言い方だった。この家には親の影がまるで見えない。まさか、この一軒家に一人で?・・・もしかして、

 「ねぇ、黒木さん。」

「? 何かしら?」

「・・・もしかして、黒木さんのご両親は・・・・・・・・・」

違っていてくれ、そう願いながらも僕は切り出した。

 黒木さんは一瞬表情が固まったが、何事もなく普通に返答してくれる。

「・・・えぇ、二人とも亡くなったわ。」

「!! ・・・ごめん。」

 予想はしていたが、実際に言われるのは重みが違った。そういえば、僕は一体何故あんなことを聞いてしまったんだろう?確認とはいえ、こんなにも直球に・・・。後悔の念が僕を苛んで、僕は唇を噛んでいた。

 「ちょ・・・何であなたがそんな顔をするのよ!?私は大丈夫だから・・・」

黒木さんが逆に僕を心配してくる。もうみっともないったら・・・

「でも、黒木さん 」

「・・・その呼び方、止めない?」

と、黒木さんが言ってくる。

「『黒木さん』って、何だかよそよそしいわ。この際、二人の呼び方を決めておきましょう。」

・・・僕は『黒木さん』と呼び慣れた節があるので、別によそよそしいとは思わないのだが、やっぱりそこは男女で違うものなのだろうか?黒木さんは僕のことを大抵『あなた』って呼んでいるし・・・きちんと呼び名は決めておいた方がいいのかもしれない。

「別にいいけど・・・僕は何て呼べばいい?」

「名字で呼ばれるのが慣れないのよね。『凛』・・『凛ちゃん』・・『凛さん』・・『凛さま』・・・・・・」

黒木さんは下の名前でどう呼べばいいのか、思案する。顎に手を当てて思案する様はまるで名探偵や警察が推理しているかのようだが、実際に考えている内容は『私がどう呼ばれるか』についてという、えらく日常的なことである。

 「さすがに『凛さま』はダメだろう・・・学校で、もしそう呼んでしまったら社会的に死んでしまう・・・。あ、愛称とかはどう?何か親しみやすいと思うけど・・・?」

思案中の黒木さんに、僕は別の提案をしてみる。あまり僕は友達相手に愛称なんて使わなかったので、結構面白そうでワクワクする。

「却下。友達みたいな軽い関係は望まないので。・・・というか、主である私に対して愛称とか、あなた、いい度胸じゃない?」

「・・・ハイ。」

どうやら駄目っぽいようだ。

 「普通に『凛』でいいんじゃないか?イイと思うけど・・・」

響きがいいし、呼びやすい。僕的には一番しっくりくる呼び方だ。

「・・・異性に呼ばれているみたいで、何かイヤ。」

「・・・どう呼んだって僕が異性だっていう事実は変わらないよ・・・・・・。」

黒木さんは不満そうな顔で小さく唸ると、ハァ、と息を吐いた。

「・・・じゃあ、それでいいわ。『黒木さん』って呼ばれるよりかは抵抗も少ないし。」

やや諦めの入った口調で了承する黒木さん。・・・じゃなくって、凛。こうして呼び方を変えてみると、何だか相手の印象なども変わってきて不思議だ。さん付けがいきなり呼び捨てになったからか、凛がいつもより小さく見え、守ってあげたい、助けてあげたいといった気持ちが生まれてくる。

 「あなたも『大輝』でいいわね?こうなったら互いに呼び捨てといきましょう。」

そう言って、凛はようやく紅茶に口を付ける。もう十分に冷めたようだ。

「よろしく、大輝。」

「こちらこそ、凛。」

確認として新しい呼び名を呼ぶ。下の名前で呼ばれるのも、呼ぶのも何だか新鮮で、二人とも気恥ずかしく吹き出してしまう。

「・・・まぁ、恥ずかしいけどすぐ慣れるか。」

「そうね・・・。」

 ・・・・・・・・・。

 しばし、この部屋に静寂が訪れる。聞こえるのはティーカップとお皿のぶつかる、カチャリという音と、たまに通る車の音、それぐらいだった。

「・・・・・・・・・って、僕いつまでここにいるんだ?」

あまりに静かで居心地が良く、つい長い間お邪魔してしまった。無駄ともいえる掃除をし、そのちょっとした休憩のつもりが・・・

 現在時刻、午後八時。日はすっかり沈み、窓の外は真っ暗だ。本来ならもう夕食を取っている時間帯である。

 「ごめん、凛。長居しちゃって・・・すぐ帰るから。」

 もう夜も遅いし、僕は急いで帰ろうとカバンを持つ。が、とうの凛は意外そうに目を見開き、こちらを見ている。

 何だ?何か僕、間違ったか?

 と、一瞬にして僕の頭に浮かび上がる疑問やらを吹き飛ばすかのように、凛はとんでもない一言を言った。

 「え・・・?うちに泊まるんじゃなかったの?」


   **********


 「ヘエー。大輝、中々やるじゃない!さすが一人暮らし!!」

「・・・凛だって一人暮らしじゃん。一人暮らしを物珍しそうに言うなって。」

 凛の家にあったパンと、残り物の食材で作った炒め物を、僕たち二人は食べていた。

 凛はてっきり、僕が夕食を作ってくれるものとばかり思っていたらしく(ついでに泊まるものとばかり思ってもいたらしく)、夕食の用意など全くしていなかったそうだ。というわけで奴隷である僕が何とかしろということになり、こう至ったわけである。(ちなみに僕が泊まる云々の話は、『奴隷だから当然なのでは?』と凛が勝手に勘違いしていただけで、年頃の男女が一つ屋根の下寝るというのはさすがにマズいと思うので僕は必死に抗議し、泊まらずに帰ることになった。)夕食だけは僕もお腹がすいていたので、一緒に食べてもいいということになった。

 「何だか・・・いやに調理器具が少なかったけど、これも必要のない物は買わないっていう、アレ?」

改めて僕が実感したことだ。実際に僕が調理をした時に見た器具は、まさかのフライパンと菜箸だけだった。そして調理器具の王様、包丁が無かった。仕方なく、手で柔らかい野菜などを毟って作ったのだが、にんじんなどの硬い野菜は諦めるしかなかった。

 もしや来客用の箸は無いのではと焦ったりもしたが、きちんと割り箸があったのでその心配は杞憂に終わってよかった。

 「ええ、意外と何とかなるものよ。こうして必要最低限の物しか無ければゴチャゴチャせずに済むしね。」

凛は箸でキャベツを摘みながら言う。

「それってやっぱり・・・片付けが出来ないってこと?」

僕は口の中にあったパンを飲み込んで言う。

「そっ!それは・・・!!」

凛は顔を真っ赤にして僕の言葉に大きく反応する。どうやら図星のようだ。

「~~~~~っ!!!」

図星を突かれたのがよほど悔しかったのか、更に顔を耳まで真っ赤にし、下を向いて唸る凛。僕が凛の家に入ったときの『・・・悪かったわね、片付けの出来ない女で。』という凛の台詞は、ただ僕を騙すためだけでなく、思わず口から出てしまった凛の本音なのかもしれない。

 「べっ、別に片付けが出来ないというわけではなくて・・・ただ私は片付けることに対する意義について不満を持っているというだけで決して片付けという行動に苦手意識を感じているわけじゃ・・・!!」

必死に何か言い訳のようなものを呟く凛。何だか哀れ過ぎてこっちが恥ずかしい。お願いだからこれ以上傷を広げないでくれ。

「そもそも片付けとは物を整理整頓するわけで元々物の少ない私には必要のない作業であるからして・・・えっと、だから・・・・・・」

「あぁ、もういいです。ハイ。分かりました、分かりましたから。」

こっちが耐えられなかったので、強引に話を打ち切る。凛は目にうっすらと涙を浮かべ、ぷるぷると震えていた。

 凛にこういう一面があったとは意外だった。忘れっぽくて、臆病で、猫舌で、片付けが出来なくて・・・今日一日にどれほど新しい発見があっただろう?

 僕は再度、周りを見る。家具の無く、すっきりとしたリビング。テレビも無ければ、電話機も無い。さすがにゴミ箱は端にあったが、ティッシュ箱などは見当たらない。唯一あるとすれば、テーブルの隅に置かれたコーヒーや緑茶、紅茶などの粉末の小袋だ。

 寂しい。 この部屋の一番の印象だ。

 まだ凛の部屋は見ていないが、物で溢れかえっているということはまずないだろう。

 年頃の、青春を謳歌するはずの高校生女子の部屋がコレ?

 違う。

 もっと、もっと楽しむべきだ。

 この世界を、人生を。

 僕なんかが堂々と偉そうに言えるものではないが、もっと好きなように生きてみたら、きっと見える景色も変わってくると思う。

 だったら僕に出来ることは決まっている。やることは一つだ。


 「凛、明日の土曜日、時間ある?」

僕はなるべく平静を心がけ、ようやく顔から赤い色が抜け、落ち着いてきた凛に問う。

「ん・・・な、何よ?」

『・・・また何か言う気じゃないでしょうね?』というような疑いの目を向けて応じる凛。

「それはまぁ・・・別に無いけれど・・・・・・?」

歯切れ悪く答える凛。どうやら僕の質問の意図が分からず、訝しがっているようだ。

 「よし。決まりだな。」

僕は凛の返答に安心して、胸を撫で下ろす。別に明日が駄目なら明後日でも構わないのだが、こういうのはなるべく早いほうがイイ。

 「凛。」

僕はいつもより真面目な口調で言った。


 「明日、買い物に行こう。」

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