カケラ屋さんの風鈴
四月朔日 橘
第1話 夏の思い出
――――リィン、今日も聴覚から伝わる涼やかな音で脳が覚醒する。
ゆっくりと瞳を開く、映るのは白い天井と真っ青な空と傍にいる灰色の猫。
「……おはよう、ハル」
『ああ、おはよう』
灰色の猫は尾を揺らしながらにゃぁ、と鳴くが私の脳内には彼女の声が響いている。彼女、ハルは猫だが長く生き過ぎたおかげでテレパシーとやらを覚えた特殊な猫だ。
まあ、こんな世界だからそんなこともありなんだろう。布団から起き上がり、ハルをひと撫でしてからキラキラと輝く空に向かって小さく呟いた。
「……おはよう」
小さくあくびをしながら服を着替えて、向かうのはまずキッチン。朝ごはん、食べないと流石にやっていけない。
『今日は何だい?』
「いつもと同じだよ」
ハルが尻尾を揺らしながら聞いてくる。それに答えながら、準備をする。
時刻は8:15。開店時間まで後45分か。まあ、間に合う、いつものことだから。
ちゃっちゃと朝ごはんを作って食べて、少しゆっくりしたら客が来る。
これがいつものサイクルだ。けど、この日は珍しく早かった。
――――リィン、と音が鳴る。どうやら店に誰かが来たらしい。早いな、まだ開店準備してるんだけど。まあ、いいか。
奥の工房から店のカウンターに顔を出す。
「いらっしゃいませ、カケラ屋に」
カケラ屋。それがこの店の名前。名前だけじゃ分かりにくいこの店は修理屋みたいなものだ。お客は直して欲しい何かを持ってくる。しかし、それは表向きの話であり、本来は違う。
カケラ屋の本来の仕事は――――
「あなたが店長さん?」
「……まあ、名目上で言えばそうですね」
従業員なんて私しかいないけど。
そこに居たのはナチュラルブロンドの女性。身なりはそれなりの人っぽい。なんて思いながらひとまず要件は聞こう。
「これ、直してもらえるかしら?」
「……腕時計、ですか」
コトリ、とカウンターに置かれた年代物の腕時計。ベルトは革、くすんだ金色のそれの針は12時を指し示したまま止まっている。
電池切れかな?いや、それにしてはちょっと傷多いかな?
「ええ、動くようになるかしら?」
「まあ、やってはみますよ。これはお客様ので?」
その質問に、彼女は曖昧に笑った。
「いいえ、誰のか分からないの」
「……そうですか」
彼女の髪の一房がキラリ、と輝く。ああ、そうか。この人は……
瞬間、ブワッ! と女性の後ろ曰く入り口から風が吹く。
リィン、シャラシャラシャラ、リリーン……店にある、沢山の風鈴が一斉に涼やかな音を立てる。吹き抜けた一陣の風は、私の前に来る寸前で途切れた。
「ひゃっ、」
ふわり、と常人には見えないそれが空間内に舞い、浮かぶ。
フワフワと、それはまだ風の余韻で宙を彷徨っている。
「ビックリした……いきなり風が吹いたわね」
「よくありますよ、ここでは」
何しろ、人の寄り付かない辺境じみた所なのでと言えば彼女は「そうね」とおかしそうに笑った。
きっと、店主である私がそんなことを普通に言ったからだろうか。
まあ、きっと王都なんぞに店を構えたらさぞかしお金がガッポリと溜まることだろう。が、しかし私の仕事はそうじゃない。
金儲けをしたくて、この店を開いたわけでもないし、本分の仕事じゃない。
「随分たくさん、風鈴があるのね」
「音、綺麗でしょう」
「ええ」
楽しそうに彼女は色とりどり、形が様々な風鈴を見て回った後こちらに一言を声をかけてきた。
「なら、お願いするわ」
「はい」
「明日、取りに来てもいいかしら」
「構いませんよ、多分できるので」
多分、だけど。
にゃぁ、といつの間にか居たカウンターの上に居たハルが鳴いた。 店から女性が居なくなったのを見て、ハルの声が頭に響く。
『かなりの量だったな』
「みたいだね」
ふわりふわり、宙に浮かぶそれはやがて地に落ちてくる。
ここからが、私の本分の仕事だ。
「――――おいで」
手を伸ばし、宙に浮かぶそれらは私の掌に落ちてくる。
カケラ、常人には見えることのないそれ。カケラにも幾つか種類があって、私が取り扱うのは『記憶のカケラ』。
他にも『追憶のカケラ』――――これは古い懐かしい出来事がカケラとなったもの。
『記憶のカケラ』は『記憶』全般を指し限定的なものではない。他にも『悲しみのカケラ』、『痛みのカケラ』等沢山ある。
その中でも、私が取り扱うのが『記憶のカケラ』なだけだ。純粋に、ただ透明で色もない。ガラスの破片のようなそれは特定の人にしか見えない。
それは私のように、私の同業者のように。
『どんな記憶だい?』
「ん……」
沢山の、カケラが仄かに光始める。瞬間、私の脳裏にはっきりと見えたのはひまわり畑と青い空と、人影。
「……ひまわり畑」
『ほう、大層大切な思い出ではないかい?』
「だと思う」
カケラになるのには訳がある。『記憶』は徐々に失われていってしまうものだ。
だから、それが破片となって零れ落ちていく。それがカケラだ。
別のカケラだってそう。人は忘れたいものを忘れようとする。
それが辛いことや苦しいこと、もしかしたら嬉しいことだったりしたのかもしれない。
でも、何かの弾みで忘れてしまいたいと思えばそれまでだ。カケラは結晶。零れ落ちていく、自分の何かの塊だ。
『それを忘れようとするなんてねぇ……』
「……どんな理由であれ、カケラになった以上あの人が忘れたいと願ってしまったことだよ」
ハルがしみじみと言う。どんな大切な思い出も、いつかは消えてしまうのだ。
それは私だってそう、ハルだってそう、この時計の依頼主であるあの女性だってそう。
みんな、『記憶』を零して忘れていってしまうのだから。
「さて、時計直そう」
『おや、あっちが優先じゃないのかい?珍しいね』
「ん、あっち作るよりこっちの方がすぐできる」
さっき時計をちらって見て、取り敢えず部品はあるし解体したらどうにかなると思ったから時計を優先にする。この時計を動かすことが、依頼されたこと。
少し古いけど、この時計にも微かにカケラが付いている。拾いあげれば、あまり見ない着色しているカケラだった。
『色付きだね』
「うん」
色付きのカケラ。あまり見ないけど、色付きは強い『記憶』を持っている。私もこの仕事をしている上で何度か見た程度だ。
最後に見たの、いつだったかな。
『余程なんじゃあないかい?』
「……でもコレ、あの人のじゃない」
ほんのりと香る、記憶が違う。もっと鮮明で、もっと暖かくて、優しい記憶。
きっと、誰か別の人の記憶。それは多分……
「元の持ち主、かな」
『ふむ』
「スゴイね、ここまで思念の残るカケラがあるなんてね」
『人間は奥が深いな』
「ハルは猫だもんね」
尻尾を揺らしてハルは毛づくろいをし始める。さて、やろうかな。
その前に掌のカケラをビンに一時的に保存して炉の前の棚に置く。それから工房に戻って、時計を早速解体。
あ、何だここだけか。部品あったよね。うん、あったよね。倉庫から必要な部品を取ってきて、時計にはめ込む。
他にも壊れてないかチェックして、時計を元に戻す。うん、壊れてなかったよね。大丈夫。
時計を確認すると、カチ、カチと針が動いている。針が2つ共ちゃんと動いているのを見た。
あ、大丈夫だった。何だ、簡単に直ったんだけど。まあ、そこまで酷くなかったかな、思っていたより。
時計を見ると時間は思ったより経ってない。さて、本業に移りますかね。
さっき棚に置いたビンを持って、炉の前の作業台に移る。
1000度以上の炉の中にある壺の中に、ガラスが溶けていて、その中のガラスをガラス棒に巻き取りながら、膨らますのが風鈴の作り方だ。
この壺の中にさっき瓶に保存したカケラを入れる。とはいえ熱いから、瓶ごとぽい、になるんだけど。
まあ、瓶はガラス製だからそのまま溶けて材料になるからいいんだけどね。
始めに一円玉サイズの溶けているガラスをすくい出して、その上にもう一度、ガラスを巻いていく。
巻いたガラスをゆっくりと少しだけ膨らます。それによって初めの小さい丸ができたら、それをまた炉の中に入れガラスを付け足して膨らます。
それを何度か繰り返しながら、途中で小さな穴をあけて、形が歪にならないように一気に息を吹き込んで膨らます。
膨らんだそれはまだ熱いから冷まさないといけない。
その間にまあ、荒れ果ての工房を片付けたりしないといけないんだけどさ。
約20~30分位すると、冷めて触れられるようになるからガラス棒から切り離して、2つある丸のうち下の小さい方を切り離す。
切り離した部分はギザギザしていているからやすりをかけて滑らかにする。
その内側に筆を滑らせる。実は、この塗料の中にはさっき見つけたあの色付きのカケラを放り込んでおいた。
何を書こうか、うん。ハルに聞いてみよっかな。
「ハールー」
『なんだい、珍しいねぇ』
「何書くか迷う」
『そんなもん、アンタが感じたもんでいいのに』
「2つあるの」
『ふむ?』
いつもなら、1つのところこの人は2つあった。別にできないことはない。ただ、書きにくい。
『何と何だい?』
「向日葵と、帽子」
そう、この人の記憶は向日葵畑だった。もうこの際、向日葵でいいかな。行けるかな、いけるよね。
『決まったかい?』
「ん、決めた」
ゆらり、とハルが尻尾を揺らした。
風鈴の中に筆を滑らせ、向日葵を描く。んー、二輪でいいかな。大輪で行こう。
細く描き表して、陽の色を表す花びらが大きく咲き開く。
『器用だねぇ』
「ん?」
『2輪も大輪咲かせて』
「……そかな」
そんなことないと思うけどね。筆を置いて、上に持ち上げてバランスを見る。ん、上出来上出来。
『綺麗に咲いてるねぇ』
「だね、上手くいった」
『アタシはアンタが失敗したところ長年いて見たことないけどねぇ』
「……昔はよく失敗したよ」
さて、紐をつけて吊るし上げる。それから長さを調節して下側にガラス棒を紐に通して下を結ぶ。いいかなー、どうかな。
故意的に揺らす。チリチリン、と涼やかな音がした。
「できた」
『お疲れ様』
できた風鈴は工房の作品棚に吊るす。さて、と今日は店仕舞いかなー、人こないし。
さっきあの女性に言った通りここは何とも言えない辺境地。
風通りのいい、小高い丘の上にある小さな店だ。だから、人が来ることの方が少ない。1日に1人来るのが平均的だ。
『明日だね』
「ん、そだね」
店に風が通る。飾られた風鈴が音を鳴らした。
「じゃ、閉めようか」
私はそっと、店の入り口を閉めた。
*・*・*・*・*
――――また陽が昇る。
その度に、いつも見る夢がある。
私が誰かに泣きながら謝っている夢。記憶には深い霧のような靄がかかっていて、全く思い出せないし私も全く覚えてない。
でも、起きた時に誰かが私に触れているような気がする。だから、目が覚めた時変な違和感があるんだ。
それに、私には1年前より昔の記憶が全くない。
……そんなこと、どうだっていいけど。
『おはよう』
「おはよ、ハル」
さて、今日はあの女性が時計を取りにくる日だ。
時間言われたかな? まあ、いいか。この時間ならいつ来ても大丈夫だと思うし。ハルが足に纏わりついてくる。あー、はいはい。
「ご飯ね」
『おや、そんなんじゃないよ』
本能猫だもんね、いくら長生きしすぎてテレパシー持っちゃったとしても。
キッチンでハルの餌の準備をする。カチャン、と音がした。予想より早かったなー。
『……いつも思うんだけど、何で勝手にドアが開く時があるんだい? 昨日閉めただろうに』
「あー、あれ? 悪戯好きが居るから」
『は?』
「風霊がね、勝手に開けるの」
『……いつからそんなもん居たんだい』
あれま、ハルは知らなかったんだね。少なからず私がこの店を開いた時からいるけど。
何て思ってたら、足音がカウンターに近づいてきた。工房を通って、カウンターに顔を出す。手に時計と昨日作った風鈴を持って。
「いらっしゃいませ」
「昨日頼んだのだけど、大丈夫だったかしら?」
「はい、できてますよ」
こちらです、と時計を出す。時計の針はカチカチと動いている。
それを見た女性はホッとしてその時計を手に取り、ギュッと握りしめた。
「……ありがとう」
「いえ、仕事ですので」
「……そう」
さて、昨日言い忘れた金額を言って支払ってもらうと彼女は店から出ようとした。
「お待ちください」
「あら、何?」
「これ、よければ」
差し出したのは昨日作った大輪咲く風鈴。陽の色の花びらが光の反射できらめく。
「風鈴?」
「はい、まあ趣味程度のものですが」
本業がこっちとか、絶対言わないから。
カケラ職人と言っても、世間では認知されてない。カケラ職人はまあ、言う通りカケラを取り扱う私と同業者の人たちを指す。
「綺麗ね……向日葵の絵かしら?」
「はい」
――――その時。
昨日と同じく、入り口から風が吹き込んで店の風鈴を鳴らした。
チリンチリン、リリン……
「……え?」
――――リィン、と一際澄んだ音が鳴り響いた。
――――― ―――― ―――― ――――
目を開くと、そこはヒマワリ畑だった。
あれ? さっきカケラ屋という店にいたのに……?
やけに懐かしい光景に疑問を思いながら、ヒマワリ畑を歩く。少し行くと、人影が見えた。
ふわり、と風が吹いて向日葵が空に向かって揺れる。いつの間にか帽子が飛んだ。あれ、被っていたっけ……?
その人影は帽子をジャンプして取ると、こっちに近づいてくる。
あれ、何でだろう……やっぱりひどく懐かしい。
「――――アリア」
「あ……」
この声は、どうして。忘れてしまっていたのに、何で。
帽子を持ったその人は、私に被せてくれた。顔を見せてはくれず、でもその温もりは優しくて。
なぜか深めに被せてくれた帽子から覗き見ると、口元だけが優しく笑っていた。
「君だけを、いつまでも思っているよ」
髪をひと房、摘んでスルリとその手は下へと落ちる。
「……待って!」
声をかけて、手を伸ばした直後、ふわり、とまた風が吹く。それは花びらを巻き込んで青い天へと舞い上がっていった。
私の眼の前には、誰もいなかった。なのに、そこには誰かがいたような跡があった。
リィン、とまた風鈴の音がした。
――――― ―――― ―――― ――――
はっ! と我に返ったかのように女性は部屋を見回した。キョロキョロと、せわしなく見回して私と目が会う。
「……あの、」
「その風鈴が、見せたんですよ」
チリンチリン、とまだ鳴るそれを指して言う。そう、多分さっき女性は何かを見たであろう。
その風鈴が、なった後に。
その風鈴には、私が昨日あの女性から拾い集めたカケラを混ぜ込んである。
それに、大輪を描くのに使った色付きのカケラ。
それら2つがうまく混ざり合って、きっと女性はヒマワリ畑を見たんだろう。
それから、色付きのカケラの効果で消えかけていた想い人と少しでも触れ合えたのかもしれない。
普通のカケラではそのカケラに宿る『記憶』を見せるだけだが色付きのカケラは思念が入っているからかうまく行けばほんの少しの、わずかな時間ではあるが『記憶』に触れ合うことができる。
けど、色付きのカケラはそんな簡単に手に入るものではない。
「……ぇ……?」
「あなたの中で消えかけていた『記憶』が風鈴を通して見えただけ」
この風鈴が、女性にどんな記憶を見せたのかはわからない。カケラを織り交ぜて、風鈴を作ったのは私だけど、どんなものを見せるかまでは知らない。
「見たのは、幸せな『記憶』だったかしら」
「……そうね」
ハルを抱き上げて、呆然と佇む女性を見る。
女性は今にも泣きそうだった。でも、綺麗な笑顔で私に言った。
「ありがとう」
「……。」
「彼のこと、思い出させてくれて」
「……どう、いたしまして」
リリン、と彼女の手に持つ風鈴は涼やかな音を鳴らしている。
人差し指に風鈴をかけて、時計をはめた彼女は振り返ることなく店から出て行った。
『あの風鈴は、きっとまた彼女に『記憶』を見せるだろうねぇ』
「そうかもね」
ハルがそう呟いた。私もそう思う。ほんの一瞬でも、きっとそれは『記憶』の中に深く深く刻み込まれるだろう。
「さて、工房に戻ろうか」
『やることないのにかい』
「そんなことないよ、新しい風鈴を増やそうかと思う」
『そんなにいっぱい風鈴ばかり作ってどうするんだい……』
にゃぁ、と呆れたように鳴くハルに私は曖昧に笑うだけ。さあ、どうしたいんだろうね。
カケラを使わない、風鈴は単なる鑑賞物にしかならないのだけど。
ああ、そうだ、なら。空間に手を伸ばす、手に落ちてくるそれは純度の高いカケラ。
この場の記憶を吸収している純粋なカケラは透明だ。
『それを使うのかい』
「この場の空間のだから、大丈夫。何にも反映しないよ」
その時、入り口のドアが開く音がした。
どうやらお客さんが来たらしい。今日は多いな、珍しい。ハルがにゃぁ、とまた鳴いた。
入り口に居たお客さんの影が近づいて来る。
「こんにちは、ようこそ」
カケラ屋へ。
リィン、と涼しげな音が鳴る。
今日も誰かの、いつかの忘れ行き消えゆく『記憶』が風に乗って、風鈴の音によって蘇る。
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